第八話『霊峰ルーミエ』

 オアシスから無事脱出したシドウ達は一夜の野宿を経て、目的地へと到着していた。

 馴れないの野宿で披露が見え隠れする雪菜に少し配慮したのか、目的地に足を踏み入れてからのシドウの歩調はゆっくりとしたものだった。


 だが、それは決して雪菜の体力を気遣ったものではないと雪菜は力強く確信していた。


 数メートル先がまったく見えない深い霧。

 さらに傾斜の強い山肌や、ゴツゴツと足場の悪い岩肌。

 空気も薄く、視界がチカチカする。

 とても人が歩く道ではない。

 魔物もよりつかないのか、この目的地――『霊峰ルーミエ』に入ってから魔物と一度も遭遇していない。

 ここまで来る道中では、何度も遭遇していた魔物がこうも少ないと逆に不安を覚える。

 雪菜は眉を逆ハの字にさせ、不安顔をハッキリと浮かべながら、シドウに何度目になるか忘れてしまった質問を繰り返す。


「ねえ、本当に帰り道わかるの?」

「だから、大丈夫だって」


 シドウは呆れた表情を浮かべると空中に手をかざす。


「いいか? この霊峰に入ってから俺は目印代わりに【マーキング・ポイント】っていう魔術を使ってんだ。


《別つ枝木、選び進んだ軌跡、ここに刻む》――【マーキング・ポイント】」


 シドウが使ったのはこの霊峰に足を踏み入れてから四度目になる【マーキング・ポイント】と呼ばれる魔術だった。

 魔術詠唱を終えたシドウは満足げに頷くとゆっくりと山頂を目指して歩き始める。

 一方の雪菜はさらに不安感を募らせていた。

 一体何に満足したのか……その理由がまるで理解出来ずにいたのだ。

 シドウが【マーキング・ポイント】と呼ぶ魔術は雪菜の目には何も映らなかったのだ。

 炎が出るわけでも、稲妻が発生するわけでもなく、ただ同じ言葉を呟き、頷くシドウに、雪菜のフラストレーションは溜まる一方だ。

 

(そりゃあ、私は魔術のこと、何も知らないけどさ……それでも説明くらいしてくれたっていいじゃない……)


 勝手に自己完結して、雪菜を無視して歩くシドウに僅かな怒りが芽生える。

 ただ一言、雪菜を気遣った言葉があれば、それだけでもだいぶ違った筈だ。


 そもそも、私は仲間じゃないの……?


 まるで空気の様な扱いに雪菜の気分はますます落ち込み――

 そして、通算五度目の【マーキング・ポイント】をシドウが終えた時、とうとう雪菜の我慢は限界を迎える。


「ねえ、シドウッ!」

「おっ、おう。どうした? もしかしてトイレか?」

「違うわよ! いい加減説明してよ! 何の説明もないじゃない! ここはどこ!? 君は一体何をしてるの!?」

「……だから、言っただろ? ここは霊峰ルーミエ。クエストの目的地の一つだよ」

「それは聞いたわよ! だいたい、シドウのクエストって何!?」

「言ってなかった?」

「言ってないわよ!」


 素で忘れていたシドウにエミナ目元をキッと上げて反論した。

 一緒に行動してわかったが、このシドウという男、どうにもいい加減だ。

 先ほどの様に女の子に対して失礼な言葉を平気で口にするし、雪菜がお風呂に入りたいと言えば、一日くらい我慢しろ。と平気で言ってくる。

 しかも、クエストの事をキチンと説明すると言っておきながら、その約束すら忘れているのだ。

 呆れを通り越して雪菜はもう脱力するしかない。

 いくらこの世界に不慣れとはいえ、シドウの態度はうら若き乙女に向けるものではないだろう。

 もう少し配慮があってもいいのではないか?


 それに言っては何だが、時折目がエロいのだ。


 ベストを脱いで、薄着になった雪菜。白いブラウスは汗で濡れ、下着の色やお腹周りの肌の色がクッキリと浮き出ている。

 一応、シドウなりに気は遣っているのだろうが、それでも目を合わせる時、先に下着に目が向いているのは、雪菜にとってかなり恥ずかしい思いを強いられていた。


(いい加減で、無遠慮で、変態……本当に最低な男ね)


 雪菜の中でのシドウの印象はあらかた決まりつつあった。


 もっとも、他の冒険者の態度を見れば、雪菜のシドウに対する印象は百八十度回転するだろうが……



 冒険者にとって、水は貴重だ。

 お風呂などは町に入らなければまず入れない。普通は乾いた布などで体を強く擦るのが通例だ。

 だが、シドウは立ち寄ったオアシスで綺麗な水を多めに確保し、朝方、水筒に入れた水を雪菜に手渡し、物陰で体を拭くように促している。

 さらにトイレなどの問題にも一応の配慮はしているつもりなのだ。

 臭いや音などが気になるだろうし、その時は魔術を使って、円形の穴を開け、そこで用を足すように言った。もちろん水の入った水筒を差し出して。(雪菜は断固拒否していたが……)使い終わったら魔術で再度、穴を塞ぐと言う徹底ぶりだ。


 他の冒険者なら違うだろう。その場で用も足すし臭いだって気にしない。それは女性冒険者にも言える。

 例えパーティに男性がいようが、少し物陰に隠れるだけで他は無防備なものだ。

 仲間から離れて無防備な状態で魔物に襲われる事を危惧しての対応だが……


 そういった経緯から冒険者同士の間では性別の壁はひどく薄い。

 数日から一週間に及ぶ探索に出れば、欲求不満のはけ口に互いを求め合う行為だって少なくはないだろう。基本はそうなる前に一度近くの町か村に休息を取りに行くが、一度迷宮などに入れば、そうは言ってられない。


 それこそ、本能のままにそういった行為に出る冒険者は決して少なくはないのだ。

 いつ死ぬかわからない極限状態が理性の枷を緩める。


 だからこそ、シドウの対応は実に紳士的と言える。


 それでも、雪菜の見立て通り、いい加減な人間には変わりないが……


 現に今も面倒くさげに頭を掻きむしりながら、「あ~」とか「ん~」とか気のない会話を雪菜と繰り広げている。

 それでも目くじらを立てて詰め寄る雪菜に根負けしたのか、ぶっきらぼうにシドウは説明を始めた。


「迷子……探し?」

「そうだよ。そんでその家出息子がいそうな場所がここだってわけ」

「家出して、迷子になった子がどうしてこんな場所に来るのよ? こんな場所に子供が来られるわけないでしょ?」

「まあ、ちょっとだけやんちゃなんだよ。それに、この場所は霊峰って呼ばれてて、神聖な気で満ちた場所なんだ。その霊気に当てられて魔物も寄りつかないから、一度山頂まで登れば安全なんだよ」

「神聖な、気?」

「そうだ。何でも、大昔、この山で女神が勇者を召喚したらしい。その時の女神の神気がまだこの山に残ってるって話だ」


 霊峰ルーミエ


 童話『アーチスの勇者と女神』にも登場する山。

 女神はこの山の山頂に降臨し、そして、勇者召喚を行ったのだ。

 その時の女神の神気がまだ力の弱かった勇者をこの山に隠す為に深い霧を生み出し、さらには魔物すら寄せ付けない神気が覆う霊峰へと生まれ変わらせた。


 この霊峰にはその時の名残があり、何でも勇者が召喚された神殿などがどこかにあるらしい。

 もっともこの霧が結界の様な役目を果たし、神殿を隠しているので、未だ誰もその神殿を見た事がないのだが……


 と、シドウがそんな説明をすると、いつの間にか雪菜が目を輝かしていた。


「凄い……」

「……は?」


 雪菜の呟きにシドウはキョトンとした表情を浮かべる。

 これは何か変なスイッチを入れたか? とシドウが首を傾げると、雪菜は恍惚とした表情を浮かべながら、語り出す。


「女神と勇者の出会い。そこから繰り広げられる冒険譚――様々な苦難を乗り越えながら、時には敵だった者と手を取り、仲間との友情を深め合い、きっと勇者は女神と恋に落ちる事になるんだわ! そこから――」


 ――と永遠に続く話を聞かされるシドウ。

『アーチスの勇者と女神』はシドウも目を通した事がある。

 女神と勇者が恋に落ちるかどうかは別にしても、大方的外れな妄想ではない。

 恐らく雪菜はこういったファンタジー小説が大好きなのだろう。特にご都合主義が強い話だ。

 なにせ、自ら図書館の主と自称したくらいだ。そのオタクぶりにはシドウも目を見張る――呆れるものがあった。


(いったい、どこまで妄想しているんだか……)


 いつの間にか、魔王討伐も終わっており、雪菜の妄想は勇者と女神の恋仲に入っていた。

 もうここからは完全に雪菜の妄想だ。

 シドウは呆れながら、パンッと雪菜の目の前で手を叩き、現実に連れ戻す。


「妄想はまた、今度な」

「も、妄想って失礼ね! 私はその童話を読んでないからシドウの話から想像を膨らませるしかないの! ねえ、カザナリって場所に戻ったら、その童話読ませてよ!」

「ああ、気が向いたなら……」


 元気になった雪菜に適当に返事をしながら、シドウは再び山頂を目指す。


 途中、説明の続きを求めた雪菜に【マーキング・ポイント】の説明を加え、雪菜の不安を取り除いたところで、シドウ達はとうとう山頂に辿り着く。


「……誰もいないじゃない」


 雪菜が呟くと、シドウは口元に指を当てて、黙れというジェスチャーをする。

 口を噤んだ雪菜を見た後、シドウは周囲の音をくまなく探る。

 そして、


「上か……!」


 シドウが叫び声を上げたのと同時、二人の鼓膜を突く巨大な咆吼が響き渡る。


「な……なに、これ!?」


 耳を塞ぎ、蹲る雪菜の襟首を引っ張り、シドウは山頂の端まで走り出す。

 そして、先ほどまでシドウたちが立ち尽くしていた場所に巨大な影が降り立った。


 その巨体は八メートルほどだろうか。

 硬質な赤い鱗に身の丈ほどある巨大な翼。

 そして、獣の様な縦に割れた瞳は剣呑に細められ、鋭い牙が並ぶ口からは時折、炎がちらつく。

 その姿を見た雪菜は青ざめた顔をシドウに向ける。


「ま、まさか……」

「そうだ。あのガキが迷子のシンク君だ」


 毅然と言ってのけるシドウ。

 直後、雪菜の悲鳴が響き渡った。


「ど、ドラゴンじゃない!?」


 奇しくも、シドウがクエスト内容を見た時と同じリアクションを雪菜はとっていた。



 さて、クエスト開始だ。



 シドウは魔力を生成しながら、指先をレッドドラゴン――シンクに向ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る