第六話『異世界アーチス』

「まあ、あんまり気にするなよ」

「……無理に決まってるでしょ?」


 銀色の前髪を弄りながら雪菜が呟く。

 受け入れがたい現実に雪菜は何度目かのため息を零した。


「……信じられない」


 異世界に召喚された事もそうだが、何より、見慣れた姿からの変貌ぶりに雪菜はショックを隠せないでいた。

 外見的な変化は瞳と髪くらいなものだが、内面的な変化は恐らくこれ以上だ。

 

「けど、これだけじゃないんだよな。そうだな……体に違和感はあるか?」

「髪の毛と目の色が変わってるのよ。あるに決まってるじゃない」

「違う。俺が言いたいのは――……やっべ、説明しづらい……」

「な、なんのよ……ちゃんと説明するって言ったじゃない」


 押し黙るシドウをジト目で睨む雪菜。

 だが、シドウにもシドウなりの理由がある。

 なにせ、シドウはこの世界で生まれたアーチス人だ。

 異世界の人間がアーチスに召喚された時に手に入れる『魔力回路』や『特性』の説明をしようにも、その二つを初めから持っているシドウにはその違和感を説明出来ない。

 こればかりは雪菜と同じ召喚者に尋ねた方が早いのだ。

 

 それでもシドウは伝え聞いた話を口にする。


「えーと、体の中にゾワゾワッとした感覚があるらしい……」

「なによ、それ?」

「俺だって知らねえよ。他のヤツから聞いた話なんだよ。で? そんな感覚あるか?」


 しばらく目を瞑って集中する雪菜。

 だが、結果は芳しくなく、フルフルと首を振るだけだった。


「ゴメン、わからないわ」

「仕方ねえよ。こればっかりは俺も説明出来ないからな。カザナリに戻ったら、マスターにでも聞いてみるか」


 テイルならより詳しく教えられるだろう。年の功というヤツだ。


(けど、不味いな。『特性』はともかく、『魔力回路』が使えないとなると……本格的に役立たずだぞ……)


 シドウの狙いは、まず魔力回路の扱いを雪菜に覚えてもらう事だった。

 この世界を教えるにも好都合だし、何より、自分の変化を一番よく知れるはずだ。

 それとは別に魔力回路の扱いを知れば、即戦力になると思っていたのだが……


「カザナリ? マスターって?」

「ん? ああ、そっか。その説明もしないといけないんだった。カザナリってのは俺が今住んでる村の名前で、マスターってのが、ギルド――仕事を斡旋してくれる場所の責任者だ」

「つまり、冒険者ギルドってこと?」

「流石、読書オタク。物わかりがよくて助かる」

「オタク言うな。けど、安心したわ。そのマスターって人ならアンタより詳しい説明が出来るのね?」

「……言い方に棘があるな。まあ、否定しないけど。けど、安心するなよ」

「え? どうしてよ?」

「お前は、この世界の人を絶対に信用しちゃいけねえんだ」

「ど、どうしてよ?」

「それが、この世界で、お前が生き抜く為に必要なことだから、だよ」


 そして、シドウは説明を始める。

 この世界の召喚者の立場を――




 異世界『アーチス』


 この世界は遙か昔、魔王と呼ばれる存在に支配されていた世界だった。

 人間族やエルフ、獣人といった亜人族は奴隷や家畜の様な扱いを受け、魔物や魔族など、魔王に連なる連中がこの世界を牛耳っていた。

 けれど、一人の女神がそれを許さなかった。

 その女神は無謀と知りながら、魔王に反旗を翻したのだ。

 異世界から世界を救える力を持つ勇者を召喚し、彼と共に冒険を繰り広げ、数多くの仲間と共に、見事、魔王を打ち倒し、この世界を解放した――


「まあ、そんな童話があるんだわ。『アーチスの勇者と女神』って童話。ガキ向けの話だけとな。けど、その過去は実際にあったんだ」

「ふーん。けど、それが何よ。過去の話なんて聞いても……」

「いや。問題はここからなんだ」


 世界を救った勇者。勇者はその役目を終え、元の世界に帰還した――


 そこで話が終わればハッピーエンドだった。

 けれど、この話はそれで終わらない。


 それから数百年も過ぎ、勇者の活躍が伝説となる時代、人々の記憶から魔王や女神、勇者の存在が忘れられた頃――それは唐突に起こったのだ。



 異世界召喚――



 アーチスとは異なる世界から再び人間が召喚されたのだ。

 それも一人じゃない。

 時期を置いてもう一人、あるいは集団で。

 そしてさらに時期を挟んで――

 と異世界召喚が止まることなく立て続けに引き起こされたのだ。


 最初こそ、召喚された人間のチートスペックの存在や、アーチスには存在しなかった異世界の技術を広めたりと、アーチスの住人は召喚者を快く受け入れていた。

 けれど、召喚者の数が、百を超え、千に届く頃、アーチスの住人は不安を抱く様になってきた。



 このままでは、アーチスは異世界人に支配されるのではないか――と。



 その予感は半分正しかった。

 召喚された異世界人には元の世界に戻る術がなかったからだ。


 アーチスより魔術が発展した世界きた召喚者も。

 また、機械の翼で空を飛べる力を持った召喚者も。

 科学力と魔術が融合した力を持った召喚者も。


 誰一人、例外なく、元の世界に帰ることなく、この世界で生涯を終えてきた。


 そうなれば、召喚者の立場も変わる。



 なぜ、元の世界に帰れない? 帰らせろ!



 召喚者たちがテロまがいの暴動に奔るのと、アーチス人の不安が爆発するのはほぼ同時だった。



「それから今日まで、召喚者と俺達アーチスの住民は血みどろの戦争を続けているんだよ」

「……嘘、よね」


 すっかり青白い表情を浮かべていた雪菜が震える唇を動かして、否定の言葉を口にした。


「残念だが、これが現実だ。この世界はお前ら召喚者の存在を認めないんだよ。見つけたら殺せ。出来なければ騎士団に突き出せってのが、この世界の……俺達の常識」

「……」


 シドウの説明を聞いて、雪菜はポロポロと涙を流した。

 帰る手段もなければ、安心して異世界で過ごす事も出来ない。

 常に命を狙われ、戦争に巻き込まれる――


 平和な日本で育ってきた雪菜には到底受け入れられない、辛すぎる現実だった。


「ど、どうして、私が……?」


 ゆえに、雪菜からその言葉が出るのは当然と言えた。

 シドウはしかめっ面を浮かべながら、ボソボソと応える。


「理由は……分かっちゃいないんだ。実は魔王が生きて――とか、女神が無差別に――とか色々な説はある。だが、どれも確証には至ってねぇ。結局、原因不明。無作為に異世界の人間が召喚される。法則もなく、無秩序にな。ぶっちゃけ、お前みたいな人間の方が多いぜ。どうして召喚されたのか分からず、泣きじゃくるヤツがな。そんでもって、お前みたいな弱い召喚者が、俺達冒険者にとって最高のカモなんだよ」


 途端にシドウの声のトーンが低くなる。

 獲物を捕捉したような鋭い眼差しを向けられた雪菜の肩がビクリと震えた。

 雪菜はシドウから後退りながら、シドウから感じる圧迫感にゴクリと息を呑み込んだ。


「ね、ねえ……どうしたの……?」

「わからねえのか? 本当に? この世界の事を折角教えてやったのに?」


 召喚者は見つけたら殺せ――その言葉を思い出し、雪菜は目を見開いた。

 理解したのだ。この男は自分を殺す――と。


 シドウはゆっくりと指先を雪菜に向ける。

 魔術を使う構えだと判断した雪菜はいよいよ失禁しかけそうになる。

 

 シドウは青ざめた雪菜を見ながら、肩の力を抜くと、如何にもらしい悪役じみた口調で言った。


「えーと、ユキナとか言ったけ?」

「な、何よ……」

「正直に言うぞ。俺はこれからお前を騎士団に突きだそうと思う」

「それは、私が、召喚者だから、よね?」

「そうだ。たぶん、カザナリに戻っても同じだと思うぜ? マスターもこの世界の住人。そして元騎士団だった男だ。お前の事情を知れば、その場で始末するだろうな」

「……」


 雪菜が絶望に沈み、押し黙ったのを見て、シドウは話を続ける。


「話を続けるぞ。実は俺、ここでお前を殺しても何の意味もないんだ。わかるか?」

「わかるわけ……ないでしょ」

「あっそ。わりと簡単な質問なんだがな……俺、こう見えて冒険者なんだよ。そんで、ギルドには一千万近いツケがあるわけ」


 唐突な身の上話に雪菜は疑問符を浮かべ、首を傾げた。シドウは構わず話を続ける。


「そんで、そのツケを一気に解決出来るのがお前ってわけ。知ってるか? 騎士団に所属していない市民、または冒険者が召喚者を騎士団に突きだした場合、帝国から報奨金がたんまり入るんだぜ? 俺のツケが吹っ飛ぶくらいのな」

「……最低」


 シドウの思惑を知った雪菜がそう吐き捨てるのを見て、シドウは歪んだ笑みを零す。


「世界の事を教えてやるとは言ったが助けてやるとまでは言った覚えはねえぞ? まあ、そんな怖い顔すんなよ。『お話』はこれからだ」

「話ですって?」

「そうそう。俺はお前を帝国に売って金が欲しい。けど、お前は死にたくない。そうだろ?」

「当たり前じゃない」

「だから、『お話』だ。実は俺、今クエスト受けてるんだよね~それも俺のツケがチャラになる様なヤツ。お前を騎士団に突き出すのと、クエストを進めるの、どっちが楽かな~」

「……そういうことね」


 シドウの演技に隠された思惑を感じ取った雪菜が皮肉を浮かべた笑みを作る。

 シドウは雪菜の顔を見て、さらに醜悪に嗤った。


「う~ん、ここは面倒くさいけど、一度、カザナリまで戻ろうかな? クエストとか超面倒だし? それに君、マスターに会いたがっていたでしょ? 僕も心が苦しいけど、涙を呑んで、君をマスターに突きだそうかな?」

「ま、待ちなさいよ!」

「ん? 何かな?」


 雪菜はビクビクと足を震わせながら、シドウに詰め寄る。

 未知なる冒険への恐怖心からか、雪菜の額には玉粒の汗が浮かび、声も掠れていたが、視線だけは一度もシドウから逸らさなかった。彼女の覚悟がその視線には現れている。


「わ、私にも、召喚者のチート能力? っていうのがあるんでしょ? な、なら、そのクエスト、私も手伝う……だから、その代わり……お願い……助けて、下さい」


 雪菜の心の底からの助けを求める声。

 自身の価値を売り込み、シドウに助けを求めるその姿こそ、シドウが求めていたもの。


(その言葉が聞きたかったんだよ。バーカ)


 シドウの言葉は七割くらい嘘だ。

 確かに騎士団に雪菜を突き出せば報奨金は出る。

 だが、それはツケをチャラに出来る額ではなかった。

 それが一つ目の嘘。どちらにせよ、ドラゴン探しをする羽目になっていただろう。


 そして、もう一つの嘘が――

 テイルが雪菜を始末する――という言葉だ。


 テイルの面倒見の良さはシドウが一番よく知っている。 なにせ一年も宿屋で引きこもっていたシドウを追い出すどころか、飯の用意までしてくれたのだ。

 雪菜が召喚者だと知っても、それだけで雪菜を殺す様な事はしない人格者のはずだ。


 そして――

 奴隷としてではなく、仲間として雪菜の手を引く――

 シドウが選んだ答えを得る為には雪菜の協力の申し出が必要だったのだ。

 対等な関係でいる為の言葉。『助けて』ではなく、召喚者としての力を貸す言葉。


 それを聞けたシドウはニヤリと笑みを浮かべ、クワッと目を見開くと、大げさに胸を張ってエラそうに言い放つ。


「仕方ねえなあああああああ! そこまで言うなら、特別に助けてやるよ! この一流冒険者、シドウ様がな!」


 三流冒険者シドウはそんな事を言いながら、雪菜からの申し出を受ける事にするのだった。

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