第五話『異世界最強の魔物』


 雪菜の腕を引き寄せ、強引に引っ張るシドウ。


「え? ちょ、ちょっと何するのよ!?」


 体勢を崩し、その場で尻餅をつく雪菜に向かって、シドウは息も絶え絶えに怒りに任せて怒鳴り散らす。


「なに、考えてんだ、この馬鹿!」

「ば、馬鹿ですって!? 私はただ、スライムを横切ろうとしただけじゃない!」

「それが馬鹿だって言ってんだよ! 死ぬ気か?」

「はあ? スライムって最弱のモンスターでしょ? ファンタジーとか小説とかでよく雑魚キャラ扱いされているじゃない」

「それはお前の世界の常識だ! こっちのスライムはそんな生易しいもんじゃねえんだよ! 見てろ!」


 シドウはマスシャットを剥く時に使用したナイフをスライム目掛けて投擲。

 狙い通りにスライムの体に直撃し、スライムの体が真っ二つに引き裂かれる。

 雪菜はその光景を見て、首を傾げる。


「普通に倒しているじゃない……」


 たった一本のナイフで真っ二つ。雪菜には即死を思わせる光景だった。

 シドウは剣呑な眼差しでスライムを睨み続ける。


「……まあ、見てろよ」


 ブヨブヨと痙攣するスライムの亡骸。

 だが次の瞬間、目を疑う光景が雪菜の視線の先で広がった。


「う、嘘……」


 スライムが二匹に増えていた。


 分断されたスライムがそれぞれ別のスライムとして復活したのだ。

 それだけでない。

 ナイフのすぐ側で復活したスライムの一匹がナイフを体内に取り込む。

 数分と待たず、スライムの体内で溶け出したナイフを見て、雪菜の顔が青ざめた。


「わかったか? スライムを殺す事は絶対に出来ないんだよ」


 シドウは引き絞る様に喉を震わせる。




 スライム――


 それはこの世界で最も生息数の多い魔物――

 その生息数の数にはちゃんとした理由があるのだ。


 基本的にスライムに生殖機能はない。

 スライムは体を分裂させることで個体数を増やしていく魔物なのだ。

 耐久値もなく、ナイフ一本でもあれば簡単に両断する事が出来る――が、死ぬことはない。


 それではスライムの数を増やすだけになってしまうのだ。

 爆薬などで粉みじんに吹き飛ばしても残骸から復活。そして時を待たずして元の大きさまで回復する。

 問題はそれだけじゃない。


「そ、それなら、魔法とかで……」

「それも無理だ」


 魔法――アーチスでは魔術として確立された万物の法則に介入する技術が存在する。

 生命力の源たるマナを魔力回路と呼ばれる魔力生成回路に通す事で魔力に変換し、生みだした魔力を魔術詠唱により分解、再構築する事で魔術と呼ばれる力を生み出す技術。

 雪菜の口にした魔法と似て非なる力を発現する力――その力を使ってもスライムを殺す事は出来ないのだ。


 何故なら、スライムはあらゆる状況に適応する事が出来るから。

 炎に焼かれれば、炎の耐性を持ち、氷で凍らされたら、氷の耐性を持つ。全ての魔術が瞬時に無効化されるのだ。

 このスライムの色は水色――恐らくオアシスの水に身を浸す事で自然と水に耐性がついているのだろう。

 この状態から仮に別属性の魔術を使用したとしても、魔術が直撃した瞬間には恐らくその魔術に適応した肉体へと体質を変えるだろう。複数の魔術を同時に使用してもあまり効果がないと聞いた事もある。


 物理攻撃にも魔術攻撃にも耐性がある最強の魔物――それがスライムと呼ばれる、遙か昔からこの世界に存在するもっとも古き魔物だ。


 もし、スライムを殺す事が出来るとするなら、存在そのものを一片の欠片もなく滅するしか方法がなく――残念ながらその方法はこの世界には存在していない。


 シドウはその事を雪菜に説明しながらスライムから距離をとる。

 一度攻撃されたスライムはいくら温厚とはいえ、攻撃的になるからだ。

 一度オアシスまで逃げ、怒りが収まるのを待つべきだろう。


 なにせ、スライムの攻撃を防ぐ手段が存在しないのだ。

 スライムの攻撃手段は一つ。『呑み込む』だけだ。


 だが、ナイフが分解された光景を見て分かるとおり、スライムは体内に取り込んだ物を跡形もなく溶かす事が出来る。

 一度飛びつかれ、呑み込まれでもしたら一巻の終わり。



 呼吸を整えた後、シドウは一度鋭く雪菜を睨んでから、大きくため息を吐いた。


「……まったく、なんで勝手なことしてんだよ」


 すでにスライムの危険性は雪菜には説明した。その危険性を目の辺りにし、雪菜の顔からは血の気が引いている。

 今にも泣きそうな顔を浮かべ、雪菜はフルフルと首を横に振るだけだった。


「だって、だって……何も説明してくれなかったじゃない! 分かるわけないでしょ!」

「うぐ……」


 涙声で叫ぶ雪菜にシドウは思わず押し黙る。

 シドウは彼女を奴隷の様に扱う為に、彼女に体を売らせようと情報を餌に迫っていたのだ。

 それを否定し、強行に出た彼女を――シドウは責めることが出来なかった。

 

 少なくとも、スライムの危険性くらいは――いや、この世界の常識くらいは教えてもよかったのではないか?

 目の前でスライムに呑まれ、溶かされる姿など見たくもないし、そもそも、奴隷にはしたいと思っても、殺すつもりなどなかったのだ。


 シドウは渋面を浮かべ、思考に耽った。


 見殺しか、奴隷か、それとも――


「ああ! もう、仕方ねえな!」


 頭をガリガリと掻きむしり、腹を括ったシドウ。突然、吠えたシドウにビクリと肩を震わせた雪菜はおっかなびっくりといった様子でシドウの奇行を伺う。


「ど、どうしたのよ……?」

「わかった。わかりましたよ。俺の負けだ!」

「え、え? な、何の話?」

「教えてやるって言ってんだよ。この世界の事を!」

「で、でも、私、あんたに燃やされたから、何も無いわよ?」

「あ~その辺の事情のちゃんと説明してやる。じゃねえとお前、すぐ死ぬだろうしな」

「そ、そんな事……」

「スライムに殺されそうになったヤツが今さら何を言ってやがる」


 シドウの言葉が胸に刺さったのか、うぐっと声を詰まらせる雪菜を尻目にシドウはあぐらを掻いて座る。

 幸い、スライムが落ち着くまでは移動出来ないのだ。

 それまでの暇つぶしもかねて、説明するとしようか。




 召喚者の存在を許さない、残酷なこの世界の現状を――。




 さしあたって、彼女の変化から指摘する事にしよう。


「お前が召喚者だって話はしたよな?」

「う、うん。最初にそう言っていたわよね?」

「お前は気が動転していて気付いていないかもしれないが、姿が変わっている事に気付いているか?」

「え……?」


 雪菜は困惑した表情を浮かべ、シドウに言われた通りにオアシスへと顔を近づける。

 そして、水面に映った雪菜自身の姿を見て――絶句した。


 無理もない――とシドウは思いながら、彼女の学生手帳に貼られていた彼女の写真を思い起こした。


 赤渕の眼鏡をかけたロングヘアの黒髪に、黒い瞳。大人しそうな顔立ちの少女の写真だった。

 けれど、今の雪菜の姿は――


 純銀を溶かした様な腰まで流れる銀色の髪。瞳は黒から翡翠へと変り、大人しそうな顔立ちから少しばかり、生意気な印象を抱かせる凛とした覇気。まさしく別人と言っていい変貌ぶりだった。眼鏡をかけていなくても違和感を覚えなかった点から見て、恐らく視力も回復しているのだろう。


「嘘……これ、私なの……?」


 水面に映る自分を受け入れることが出来ず、唖然と呟く。

 けれど、現実はいつも残酷で。


「ああ。そうだよ」


 今の姿こそが小日向雪菜がアーチスに召喚され、変貌した姿だったのだ――

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