第三話『異世界の洗礼』


「ぅん……え? こ、ここ、どこ……?」

「お? やっと起きたか?」


 シドウと少女が墜落した場所から少し南方に歩いた場所。

 綺麗な湖と甘い果実が生い茂る山林で、白銀の少女がうめき声を上げながら瞼をそっと持ち上げた。

 寝ぼけたままの瞳で周囲を見渡し、すぐ側にいたシドウを見た瞬間、ズサッと後退る。


「だ、誰!?」

「おい……命の恩人に対してその態度はないんじゃないのか?」


 少女の悲鳴にシドウは頬を引き攣らせて頭を押さえる。

 少女は「え?」と首を傾げ、そして改めて周囲を見た。

 緑生い茂る湖のオアシスを。


 オアシスを求めてやって来た白銀の一角獣の群れが一斉に首を傾け、湖の水に舌を浸す姿や水面から覗く、顔だけが人間っぽい謎の魚。

 加えて水色のスライムらしきゼリー状の物体がうにょうにょと木の枝に生息していた。


「なに……これ?」


 そして、硬直すること数秒後。


 今にも泣き出しそうな顔を浮かべ、少女は改めてシドウに向き直る。


「ここ、日本、ですか?」

「あ~たぶん、違うと思うぞ?」


 放心する少女にシドウはどう説明したものかと頭を悩ませるのだった。



 ◆



「……私が召喚者?」


 シドウがこの世界の説明を始めて小一時間。

 少女――小日向雪菜はようやく異世界に召喚された事を受け入れつつあった。

 シドウが説明したのはこの世界がアーチスと呼ばれる世界で、日本は存在しないこと。

 そして、雪菜が空中から落ちてきたことだけだった。


「ああ。お前らの世界に一角獣も魚人もいないだろ?」

「うん。そんなの物語の中だけの話よ……」

「なら、ここが日本じゃないって事くらいさっさと理解しろよな。こんな説明に一時間もとらせやがって」

「あ、あの……夢だったりしない?」

「さあな。それを決めるのはお前だ。俺じゃねえよ。けど、折角助けてやったんだ。ここがもしあんたの夢の中であったとしても勝手に死んでみたりするなよ? 頑張って助けた俺の苦労が水の泡だ」

「……ううん、信じるわよ。だって、夢にしてはリアルすぎるもん。空気も、臭いも、景色も、何もかも現実と変わらないわ。夢の方が怖いわよ」

「あっそ」


 シドウは雪菜から視線を外すと木の実に手を伸ばした。

 もぎ取った果実は緑色の皮の果実だった。大きさは拳ほどの大きさだろうか。それを二つとったシドウはその内の一個を雪菜に放り投げる。


「腹減ってるだろ?」

「そういえば……」


 異世界召喚に巻き込まれてから既に半日ほど経過していた。空腹が限界だったシドウは皮ごとその果実にかぶりつく。

 苦い皮と甘い果実が舌の上で踊り、なんとも言えない味が口の中に広がる。


 シドウはマスシャットと呼ばれる緑色の果実を嚥下しながら、雪菜を盗み見た。


「どうした? 食わねえのか?」

「食べられるの……コレ?」

「……お前、俺に喧嘩売ってるのか? 目の前で俺が食ってるだろ?」

「だって、コレ皮が凄く固いじゃない。歯で噛むなんてとても……」

「まあ、コイツの皮って苦いしな。大抵の人は皮剥いてから食べるよ。仕方ねえ……ほれ、貸してみな?」


 雪菜から差し出されたマスシャットを受け取ったシドウは木の根元に置いていたバッグから一本のナイフを取り出す。

 果実に沿って薄く皮を切り、中の柔らかい果実だけを取り出していく。

 手の動きは馴れたもので、途中で途切れることなくシドウの足元には一本のマスシャットの皮が転がった。

 シドウの手元には緑色の果実だけが残っている。これなら問題なく食べられるだろう。


「これで食えるだろ?」

「あ、ありがとう……ございます」


 恐る恐るシドウから果実を受け取る雪菜。眺めること数秒。意を決して果実に小さな歯形を作った。

 マスシャットを一口食べた雪菜は口元に手を当てて、目を見開く。


「……美味しい」

「だろ? まあ、皮も上手いんだけどな。砂糖漬けにしたり、果実酒にすると意外とイケるんだよ」

「それってワインみたいなもの? この果実、ブドウみたいな味がするわ」

「ん……まあ、そんなところだな」


 シドウは適当に相づちを打ちながら残りの果実も平らげていく。

 強い苦みがある果実の種を吐き出したところでふと思い出したように呟く。


「あ、これ種があるから――」

 

 ちゃんと吐き出せよ。


 そう口にしかけた瞬間、ガリッと雪菜の口元から何かを砕く音が聞こえた。

 シドウですら悶絶する種の中身を盛大に口の中にぶちまけたのか、雪菜はプルプルと肩を振わせ、涙目で口元を押さえている。すでに遅かったようだ。


「食わないように気をつけろって言いたかったんだが……」

「……遅すぎるわよ!」


 涙声でそう叫び、雪菜は怒りに満ちた視線をシドウに向けると食べかけの果実を投げつけるのだった。





「いい加減、機嫌直せって……」


 シドウに背を向けてそっぽを向く雪菜にため息交じりでぼやく。

 雪菜はフンッと鼻息を荒くするとキッと鋭い視線をシドウに向けてきた。


「まだ、口の中、ニガニガする」

「……まあ、それは悪かったよ。俺も説明不足だった」


 マスシャットの種はのたうちまわる程苦い。

 しかも、噛み砕けば途轍もない異臭がするのだ。(一週間、掃除をサボったトイレの臭い、腐った肉の臭いなどがする)

 その臭いは嗅覚の強い魔物払いになるほど。

 おかげでオアシスにいた一角獣や魚人は姿をくらまし、シドウも雪菜からある程度距離を離している。

 今、この場で雪菜に近づけるのは嗅覚が存在しないスライムくらいだろう。

 もっとも、そのスライム達も進んで人に近づくような性格ではないので、実質、雪菜の半径数メートルに渡り、マスシャットの種で作られた不可視の結界のような物が構築されていた。


「吐きそう……」

「吐くなよ。頼むから」


 可愛らしい少女の吐瀉物など見たくない。わりと真面目な顔を浮かべ、シドウは苦言をもらす。

 オアシスの水で口を漱げとアドバイスしてみたのだが、日本から召喚された雪菜は真水のオアシスに口をつける事に抵抗があるのか、嫌そうな表情を浮かべていた。


「だって、この湖、さっき、変な顔の魚が泳いでいた湖でしょ? それに変な馬が口もつけていたし、細菌とか、病原菌とか……」

「あのな……そんなこと言い出したらこの世界で生きていけないぞ。言っておくが、この世界にはお前がいた世界――日本みたいに浄水された水なんて簡単に手に入らないんだよ。普通は地下水やオアシスとかの水源を使ってんだよ」

「ええ~」


 そんな心底嫌そうな顔するなよ。この世界に生きる人達の前で土下座させたくなってくるだろ。


 コホンと咳払いしたシドウは、簡単にこの世界の事を雪菜に説明する事にした。


「いいか? この世界はお前がいた日本みたいな平和な世界じゃないんだ。電気も水道もないからインフラだって整っちゃいない。魔物だって普通にいるんだ。言っちまえばゲーム世界のファンタジーってところだな」

「ファンタジー? それって魔法とかある世界なの?」

「お? 中々いい着眼点だ。ガリ勉みたいなイメージだったけど、オタクなのか?」

「ち、違うわよ……ただ、図書館の主で、暇な時間があれば学校にある本を読んでいただけで……私だってファンタジー世界くらい知っているわ」

「……ぼっちか」


 シドウがそう呟いた途端、雪菜の顔が真っ赤に染まる。

 どうやらシドウの指摘は見事に当たっていたようだ。

 ジト目でシドウを見る雪菜の恥らしい表情をシドウはにたり顔でマジマジと見る。


「わ、悪い……?」

「いや、別に?」


 シドウの表情は完全にいじめっ子のそれだった。

 初めて雪菜の寝顔を見た時、白銀の髪に、勝ち気そうな顔立ちから、気の強い女の子――性格のキツく、シドウより我の強い女の子だと思い込んでいたのだ。

 受験勉強用の教材こそ持ち歩いてはいたが、雪菜ほどの年齢の学生たちなら、丁度今は受験シーズン。おかしいところは何もない。

 だからこそ、シドウも実際に雪菜がどういう性格の人間か判断出来ずにいたのだが……


 ぼっち、図書館の主、ガリ勉――


 これはもう、異世界生まれのシドウの方が立場的に上ではないだろうか?


 シドウは勝手に雪菜との順位付けを済ませると、憎たらしい笑みを浮かべ、胸を張った。


「まあ、簡単な説明はこんなもんだ」

「え……ちょっと待ちなさいよ」


 話を打ち切ったシドウに雪菜が不服そうに食い下がる。

 なにせ、シドウが説明したのは、雪菜が召喚者だということ。そしてこの世界がアーチスと呼ばれる異世界であること。そして、電気などのインフラがないなどのすぐに確認出来る事だけなのだ。


 この世界の情勢や魔物のこと。そして何より――日本に帰る手段などが一切説明されていない。

 シドウはにじり寄った雪菜にしたり顔を浮かべる。


「ん? 何かな? まだ俺になにか聞きたいことでも?」

「あ、あるに決まってるでしょ! 元の世界に戻る方法とか色々――」

「あ~悪いけど、ここから先は有料になりまーす」


 異世界に召喚されて、右も左もわからない少女に向かって――

 シドウは平然と最低の事を言ってのけるのだった。

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