第一話『白銀の少女』

 思った通り、やはりロクでもないクエストだった。

 シドウはテイルから渡されたクエスト内容に目を通しながら、盛大に肩を落とした。


「……確かに高潔な一族の者だけどさ……これ、ドラゴンじゃん」


 書類を握り潰しながら、シドウは呻く。

 テイルの言った言葉に嘘はなかった。

 確かに、これは迷子捜しのクエストだし、家出したというガキも高貴な一族の末裔だろう。



 けど、人間じゃないなんて聞いてませんよ。



 ドラゴンって何の冗談?



 シドウは乾いた笑みを浮かべながら、指示書に隠された暗号がないかどうか、日の光に透かしてみた。

 けど、日の光に当てようが、熱を送ろうが文字が化けることはなく、依頼書には綺麗な文字で『レッドドラゴンの息子を探して欲しい』と書かれていた。


「無理無理無理! 絶対無理だって! 相手ドラゴンじゃん!」


 今さらながら、シドウはこの破格の報酬の裏に隠された真実を見つけた。


 ドラゴンとは人間の力を遙かに超える種族。

 生命力が化け物じみて高く、魔力量だって人間が束になっても敵わない。

 知性も高く、シドウなんかよりよっぽど頭が良いだろう。

 さらに、ドラゴンは竜人族とも呼ばれ、ドラゴンの姿と人の姿を使い分ける事が出来るそうだ。

 人里で暮らす時はほとんど人の姿で、人族に紛れ込んだ竜人族を見分ける手段はないに等しい。


 この世界の守護獣と名高い存在。

 崇拝と畏敬の対象。

 絶対的象徴となるのがドラゴンだ。

 個体数は極めて少なく、ドラゴンの姿で人前に現れる事は滅多にない。


 そんな竜からの依頼が、迷子探し。


 クエストに書かれた詳細によると、何でも青年期を迎えた子竜がカザナリ近郊の集落から飛び出して行方をくらませたらしい。

 必死になって捜索したらしいのだが、残念なことにその後の足取りは掴めなかったそうだ。

 

 どうやらまだ人の姿と竜の姿を使い分けるのが苦手らしく、家を飛び出した時は竜の姿をしていたそうだ。

 周囲の目撃証言はなく、竜の姿を人目にさらす事はなかったようなのだが、どうやらその子竜は一度竜の姿になると、数日は人の姿に戻れないらしい。


 竜の姿で空を駆け抜ければ、半日もあれば世界を半周出来る。

 もはやカザナリ近郊にはいないだろう――と集落の人達は考えていたそうだ。


 けど、その話を聞いたテイル――そして、依頼を正式に受けたシドウは違うと断言出来た。


「ガキの家出なんてもんは言っちまえば、ただ親に甘えたいだけなんだよ。飛び出したところで行く当てなんかもない。『早く見つけて』って寂しがるもんだろ……」


 ずっと昔、母親代わりの女性と喧嘩して家を飛び出したシドウは怒りが冷めた途端、不安と寂しさに押しつぶさそうになった事がある。

 暗闇の中、迷子になって泣きじゃくっていたシドウを抱きしめた彼女の温もりは恥ずかしいくらいに覚えている。

 互いに泣き合って、仲直りして一緒に寝て――それがシドウにとっての家族のあり方の一つだった。


「まあ、やる気はしないが、依頼だしな。さっさと片付けて借金の返済を――ん?」


 肩を竦めて、目星を付けた霊峰へと足先を向けた矢先、シドウは妙な違和感を覚え、立ち止まる。


(なんだ……?)


 首筋を舐めるような違和感――

 日常の中に、本来起こり得ない現象を見逃してしまったかのような歯がゆい感覚。

 その原因を突き止めるように、シドウは今一度、空を仰ぎ見る。


 何度見ても雲一つない晴天とした青空。

 シドウが依頼書を日の光に透かす前から何一つ変わらない光景。


(気のせいか……?)


 違和感の正体を掴むことが出来ず、首を傾げたその直後。


「―――やあああ―――!」


「……は?」


 確かに聞こえた。女の子の声だ。

 シドウはバッと振り返る。

 四方に目を配らせ声の出所を探るが、シドウの周囲には人どころか猫の一匹もいない。

 草原には花の蜜にたかる蝶などの虫ばかりでそれ以外の生き物を見つける事は叶わなかった。


「ま、まままさか! ゆ、幽霊!?」


 一瞬にしてシドウの顔色が青白く染まる。

 引けた腰で後退りながら、おっかなびっくり周囲を警戒し始めた。


「や、止めてよね? いきなり背中を叩くのとか……そういうホラーは俺、苦手なんだよ……そもそもこんな真っ昼間から出てくるなよ……幽霊って夜行性の引きこもりだろ……?」


 そんなのいるわけないと虚勢を張りながら、逃げ腰のシドウ。誰が見ても情けない大人の姿だった。

 そして、再び。


「いやあああああああああああああああああ!」


「ぎゃああああああああああああ! お、お助けえええええええええええええ!」


 今度はハッキリと聞こえた。

 シドウもたまらず悲鳴を上げ、見えない存在に土下座をする――という情けない姿を晒している。

 そんなシドウの必死の説得も空しく、悲鳴は何時までたっても消える事はなく、次第に大きくなる悲鳴にシドウは涙目だった。

 だが、声が大きくなるにつれ、声の出所もわかってきた。

 空気を震わすように反響する悲鳴の出所は――


「――は? 上?」


 上空だった。


 見上げると青空の一箇所に黒いシミのような点が見て取れる。

 それが違和感の正体で、その正体は――人影だった。


 上空数千メートルという、鳥でさえ飛ばない領域から落下してくる人影。

 声音から察するに、恐らく女性だろう。シドウの目ですらまだ黒い点にしか見えない人影にシドウは呆れた視線を向けた。


「なんだ、人か。心配して損した」


 もし幽霊ならそっちの方が余計にたちが悪い。違和感の正体が人で良かったと安堵したシドウは悲鳴を聞き流しながら軽く手を振る。


「まあ、頑張れ!」


 恐怖の悲鳴を上げながら落下する女性に向ける言葉ではなかった。



 見物を決め込み、その場であぐらを掻いて座るシドウ。

 悲鳴を上げる女性を物珍しげに見ながら、感嘆の吐息をついた。


「にしても、すげえな。あんな高い場所まで人が跳べるなんて」


 声の主が人の姿からして、彼女はシドウの探すドラゴンではないだろう。

 シドウが足を止め、彼女を眺めたのは、彼女が遙か上空から落下してくるからだ。


【スタンディング・フライ】と呼ばれる魔術がある。

 空を飛べるわけでなく、高く跳躍する魔術なのだが、限度は精々千メートル程度。

 彼女はその限界を超え、遙か高みにまで届く事が出来たのだ。

 同じ魔術を使う身として興味が引かれた。


「どんな魔術を使えばあんな高く跳べるんだよ。重力制御と風圧を操作したって魔術だけであんな高く跳べないだろう」


 シドウの視点はすでにその原理の究明へと向かっており、彼女を助ける――という考えなど端っから浮かんでいなかった。


「せめてもう一度、跳んでくれれば色々わかるんだけどな……って、お~い、そろそろ姿勢制御しないとヤバいぞ?」


 考察に耽っている合間に女性と地上の距離はさらに縮まり、肉眼でもハッキリと彼女の姿が見て取れるようになった。


 髪は白か、銀だろうか……? 着ている服は紺色。その程度しかまだわからないが、先ほどまでより地面に接近しているのは明らかだ。

 

 かなりの速度が出ているらしく、後数十秒で地面に墜落してしまうだろう。

 速度を落とし、姿勢を制御する為に魔術を発動する必要がありそうだが、彼女から聞こえるのは未だに悲鳴だけだ。


「おいおい……」


 その状況を見て、シドウはようやくただ事ではない事に気付き始める。

 なぜ、魔術を使わないのか……?


 シドウは最悪の状況を想定し、重たい腰を持ち上げる。


「どうなってやがる?」


 未だに少女から魔術を発動する気配は見られない。

 本格的に不味い状況だ。もはや、魔術で姿勢制御したところで墜落は避けられない距離まで少女の高度は下がっている。

 考えている暇はなかった。


「《風よ、我が身を纏いて、大いなる力を》――【スタンディング・フライ】!」


 体を巡るマナを魔力回路に通し、魔力へと変換――変換された魔力を分解、魔術として再構築する事で、万物の理に介入する力を得る技術――魔術を用いて、シドウは常人では有り得ない跳躍力を持ってして一気に駆け抜ける。


 少女の落下速度と墜落地点を予測し、速度を合わせながら、再度呪文を唱える。


「【スタンディング・フライ】!」


 空中で制止した瞬間、空気を足場に見立て、再度跳躍。二度目の跳躍でシドウは少女の腕を掴むことが出来た。


「この馬鹿! なに考えてやがる? さっさと魔術を――ぐえッ!」


 シドウが少女を抱き寄せ、姿勢を安定させた直後、悲鳴を上げていた少女の翡翠の瞳がシドウを捉えた瞬間、ブワッと目尻に涙を浮かべ、シドウに抱きつて来たのだ。


 首筋に腕を回し、シドウの首を絞める形で!


「ちょ、ちょっと、お前、放せって!」

「いやああああああああああああああああ!」


 彼女の悲鳴はシドウの願いを拒否したものなのか、それとも墜落の恐怖に耐えかねて漏れた悲鳴なのか――恐らくその両方だろう。


 シドウの首を絞めた少女は近くで見ると見惚れてしまうくらい可憐だった。

 白銀の髪に、新雪のように白い肌。体つきは細身で、力強く抱けば折れそうな程華奢だ。

 整った顔立ちは精緻なつくりで、彫像画から飛び出してきたような美しさが見え隠れする。

 涙で濡れた瞳は翠玉色だ。赤縁の眼鏡が彼女に理知的な印象を抱かせる。抱きしめられた感触からするに、胸は申し訳ない程度しかなさそうだが、それがより一層彼女の魅力を引き立てている。

 柔らかい肌に意識の何割かを割かれるシドウだったが、ここがどこかを思い出し、少女を引っぺがそうと腕に力を入れる。


「は、放せよ……」

「いやああああああああ!」


 さっきから悲鳴ばかり。悲鳴を上げる事しか脳がないのか?


 シドウは苛立ちから眉を吊り上げ、少女を叱責しながら、マナを魔力回路に通し始める。


「お前、なんで、魔術を使わないんだよ!?」

「し、知らない! そんなの知らないわよ!」

「し、知らないってお前ッ!」


(なら、どうしてこんな上空にいるんだよ!?)


 有り得ないだろ……

 見たところ、彼女と一緒に落下しているのは革で出来た鞄くらいなもので、彼女に飛行の力を与えるような代物じゃない。

 なら、どうしてこんな上空にいるのか……


(くそ、考えている暇がねえ!)


 迫り来る地面を目にし、無用な思考を取り除き、生き残ることのみに意識を集約させる。

【スタンディング・フライ】じゃもう間に合わん! 他の魔術にしたって詠唱する時間がねえ! どうする!?


 目前に迫った死の恐怖に背筋が焼け付くような絶望感を抱く。

 ひやりとした恐怖心を押さえ込むように、シドウは衝動的に魔術詠唱を口にした。


「《我、万物の鎖を断ち切る者なり、この身は束縛から解き放たれ、その身に大いなる翼を宿す》――」


 なんとか詠唱を終える。後は魔術名を口にするだけだ。

 だが、時間はそれを待ってくれそうになかった。

 もうすぐ目の前に迫った地面にシドウは厳しい表情を浮かべる。


 ダメだ。致命的に時間が足りない――!


 最悪、この子だけでもッ!


 シドウは少女の頭を抱きかかえ、無理とわかっていながら、魔術名を口にする。


「【グラビトン・リリーフ】!」


 直後。


 墜落の衝撃による破砕音が響き渡り、のどかな平原には似つかわしくない巨大なクレーターが穿たれ、大地を揺るがす振動と衝撃が辺り一面の草木や生き物を根こそぎ吹き飛ばすのだった――

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