四人の白拍子


 白拍子とは、鳥羽天皇のころに確立された、立烏帽子に水干すいかん、男のように刀を挿し舞を舞い、その後に、躰をも売る、遊び女の一種である。

 傀儡子ともいい、子供や、男の白拍子も居た。

 

 姿や衣装からわかるように、女性が男性の姿をして舞う舞であり古くは、日本武尊が女装し、神功皇后が男装し、神への奉納の舞にも言及されるように性を超越し、神の憑依の舞でもあった。

 その美しさには、やはり、性の変換、倒錯が大きな部分を締めていたものと思われる。


 売るのは、芸だけの場合もあれば、その後、合意で躰を売った場合もあった。白拍子が売春を拒めたかどうかは、客と白拍子の各組み合わせによってと思われる。

 客の身分に応じて、白拍子の身分も上がったり下がったりする。 

 娼婦であっても高級な客だけを相手にする娼婦をコールガールと分けたり客の裕福さ、その身分が白拍子たちの身分そのものに直結していた。

 


 清盛が、その権力を手中に収めたころ、京の都では評判の二人の姉妹の白拍子がいた。 姉を祇王、妹を祇女という。

 姉の祇王のほう器量、舞ともに素晴らしく、誰もが褒め称える都一の白拍子であった。

その舞を見れば、あまりの素晴らしさに浮世、時の辛さの全てを忘れられると言われ、高貴なものから下々まで万人が祇王のせめて、姿をせめて、舞をと求めた。

 当時はいまより、性に対しておおらかな時代だったので、舞の後の生活の種がどうのとかいう以前に、日ノ本一の白拍子、女性ということで、とおっていた。、

 妹の祇女の方は、というと、王の字で呼ばれていないことからもわかるとおり、化粧と祇王の妹という看板のみでどうにか、その存在と地位を保っている程度で、中程度の公家でも祇女の舞を途中でやめさせるときがあった。その程度の白拍子でしかなかった。

 しかし、恐るべきは、実は、この妹の祇女のほうで、祇王の舞、立ち振舞、客への対応、男性への品など、すべてを、祇女が祇王に指示を出していた。

 性の真最中のよがり方まで祇女が事細かく指示していた。祇女が祇王にある意味、憑依していたのである。

 今で言うところの、祇女は、祇王のブレーン、プロデューサーだった。作、演出、祇女だったのである。

 この姉妹の母親は刀自とじといい、これもまた白拍子であった。


 

 英雄、色を好む。

 

 清盛も例外ではなかった。艶福家だった義朝に負けず、女性を囲み、義朝の想い人であり乱の後、三人の子供まで連れて駆け込んできた常盤御前までも己の者としていた。


 当然、祇王、祇女、刀自まで取り囲み己のものとし、金品、生活の金のみならず、屋敷下男下女の上から下までのなにからなにまで、与え豪奢な暮らしをさせていた。


 頂点にいるものは、妬まれ追われる身になる。なにせ、どちらも生活をかけて生業なりわいとしておこなっているのである。

 すべてが、戦いだった。

 やれ、祇王がどうした、祇女がどうした、舞のここが素晴らしい、ここが変わった。

 祇王より、それを生み出し、祇王を祇王たらしめている、祇女のほうが、幼いのに気苦労が多かった。

 しかし、中には、逆に祇王祇女姉妹にあやかり、祇の字さえ名乗ればみたいなまがい物商法まで現れていた。

 コピー・キャットである。祇一や、祇二、祇福に 祇徳と名乗った白拍子が現れ、一回限りのぼったくり商法で対抗していた。

 しかし妹の祇女まで苦労していたのである、容姿に舞、器量を見れば、その舞は踊れなくともその善し悪しがわかるのが、この浮世である。二度目はなかった。

 賢く敏い祇女は、当然見過ごして、勝手に潰し合い潰れるのを待った。

 すべてが目論見どおり、運んでいた。



 祇女は、今や、白拍子ではなかった。というより、祇王の下女、戯作者、振付師、男性研究家だった。そして、一番調べなければいけないのは、同業者の白拍子、女性研究家だった。

  そっちのほうが、向いていたし、実入りが家族として良くなるのはもうここ数年で培ったノウハウだった。

 祇女は美貌のを持つ姉と違い「あら、お姉さんにあんまり似てないわね」という心無い言葉にどれほど来づけられてきたか。

 その全ての恨みをこの祇王を操縦することにぶつけていた。

 母親の刀自とじでさえ、もうなにも言わなかった。祇女にまかせていれば万事うまく行くのである。

 しかし、一位になることより、一位で居続けることのほうが、千倍難しかった。

 これも、浮世の常である。

 祇女は、狡猾で鋭かった。すべてが戦略の上に成り立っていた。祇女は漢の張良も真っ青の策士だったのである。

 上の下あたりの白拍子は、流言を流し、褒めちぎり、浮かれさせ評判を上げた。そして上がりに上がった一番調子に乗ったところで、祇王とぶつけ、徹底的に叩きのめした。

 そのレベルの白拍子たちは、客のレベルを下げるか、白拍子を廃業していった。

 上の中あたりは、適当に懐柔した、もちろん、適当ではない。適当なフリをしているだけである。

 このレベルは、最初から、祇王に対し負けを認めていた。ほぼ祇女が接近してきた段階で、(祇女だとは、知らせずにだが、その器量の差にだれもわからなかった)

 戦意喪失していた。恐ろしいことにそうなるように、祇女が仕向けていた。やれ、唐の国の化粧の品だ、どこそこの扇子だと、祇王にぶつかる前にブラフとフラッシュで潰した。

 上の中の連中は祇王に出なく、祇女に負けたのである。

 戦う前からどんどん勝手に負けていくのも、浮世の常だった、またそういうも勝手に負けていくものを敗者という。


 最難関は当たり前であるが、上の上である。これは、祇王とのマジの勝負となる。祇女も避けることができなかった。

 しかし、ここでも、祇女の策略が恐ろしいほどヒットした。

 祇女は、殺し屋だった。

 上の上とはいへ、なにか、弱点はあった。そこを事前に調べ上げ、徹底的につくのである。ときには、祇女が男に変装し、客として競争相手を呼ぶことすらあった。祇女の器量の悪さが武器にさえなっていた。

 こいつは、やや容姿に難あり、こやつは、和歌がやや下手。舞が硬い。

 祇王には、何も伝えず、相手の弱点だけ徹底的に鍛え上げ、ぶちのめした。


 これで、祇王姉妹は、三年いけた。


 

 が、すべてが上手くいかぬのも浮世の常である。


 加賀国から白拍子界の超大型の台風がやってきた。

 祇女も油断していたわけでない。アンテナははっていたが、まさか、そんな雪深い裏日本のど田舎から、A級の一品がやってくるとは、思わなかった。


 しかも、歳は、まだ十六、そして容姿は超弩級だった。もしかすると、祇女にも若干の油断はあったかも知れない。

 名を仏御前という。名を聞いて、祇女はふきだしそうになった。

「ほ、仏、、、」

「なんとも、始終念仏を唱えるほどの信心深いお方だとか」

 下女が答えた。

 今や、女系の祇王一家は平家の氏姓も羨むような生活をしていた。

 どうして、そんな信心深い女性が身を売る白拍子までしているのだ!?。この衝撃が祇女の出遅れを大いに誘った。


 しかも、祇女が偵察行動に出る前に戦は始まってしまった。

 この仏御前、不思議ちゃんというか、常識がなかった。異次元からきた刺客だった。

 祇王が清盛の屋敷に呼ばれている最中に、なんと、仏御前、己から、清盛の西八条の屋敷に押しかけてきたのである。

 仏御前は行動力の塊だった。信心深いとは、自分が間違っていないと信じているもののこともいう。


 西八条の清盛入道の屋敷では、祇王が入道の酒の酌をしているときに、下男がおそれながら声をかけた。

「都で評判の白拍子、仏御前なるものが参っておりまする」

 入道の表情が一気に変わった。今や、みかどいんを除けば、天下一の実力者である。

 誰かが、事前の約束もなしに、やってくることなど、ありえない。

「遊女、風情が、召しもなしに、行き成り参るとは何事か!。祇王なる、王の前に神か仏

でも許されぬわ」

 入道は一喝した。

「ははーっ」下男はかしこまった。

「すぐに、追い返せ!」

 入道の声は、西八条の屋敷の外まで聞こえたかもしれないが、仏御前は頑として動かなかった。信心深いものは、神の声なる、自分の意志にしか従わない。

 これで、這々の体で帰っていくのが、身分の低いものの常である。

 しかし、ここで奇蹟がおこった。

 というか、女性は誰もが不思議ちゃんである、不思議ちゃんは、祇王の方だった。祇王が、その仏御前なる白拍子を引き止めたのである。

「遊女とは、客がなければ生活たつきが立たぬもの、推参するは、常でございまする。ましてや、仏御前なるはまだ十六と申すらしき若輩者。ここにて、追い返すは、あはれと申すもの。

 この祇王も今でこそ、このような入道様の寵愛を得ておりまするが、一介の遊び女、白拍子に過ぎませぬ、同じ境遇のものとして仏御前の心苦しさは我が物のように感じられまする。どうか、歌や、舞はご覧にならなくとも、引見だけでもお許しになられてはと、この祇王存じ奉りまする」

 祇王の完璧な物言いである。

 さすがの入道も恐れ入り、

「その方が、そこまで言うのなら、致し方あるまい、だれか、仏御前を呼べ」

 仏御前は、牛車にまで乗り込むところだったが、西八条の下男たちがあわてて呼び入れた。

 そして、清盛入道の御前おんまえに仏御前が現れた。ときに、仏御前わずか十六歳である。

 ときの、宰相、今で言うなら、総理大臣ぐらいにあったことになる。


 実は、このとき、もう勝負がついていた。男女関係は、第一印象がかなりの割合を占める。

「祇王があまりにも勧めるので引見した、折角である、なにか、詠め」

 と祇王を出汁にしたものの、清盛は相当、仏御前に惹かれていた。それに男は、基本許す限り、猟色家だ。

「わかりました」

 仏御前は、一礼すると、詠んだ。


 君をはじめてみる折は、千代も経ぬべし姫小松

 御前の池なる亀岡に 鶴こそむれゐてあそぶめれ


 <あなたさまに初めてお会いできるおりに、千年も命が延びるようです、この、姫小松の仏御前は、貴方様の庭の池にある亀岡に鶴の群れが遊んでいるような面持ちでございます>


 と、三度繰り返して詠んだ。筆者は正直、歌については、ほとんど知識を持ち合わせないし、よくわからないが、大げさにこれだけ、出会いを詠まれたら、誰でも嬉しいだろう。

 また、無学な遊び女が偶然詠んだ歌とは思えない。

 清盛の側に侍るほとんどのものは感動した。

 無論、一番、心を動かされたというより、これは、脈ありどころか、ものになるな、と思ったのは、清盛本人である。

「仏御前、なかなか、良かったぞ、舞も見たい、鼓打ちを呼べ」

 容姿も祇王より優れていた仏御前の舞もそれは素晴らしいものだった。

 もう、祇王と仏御前との戦いは、勝負があった。

 

 清盛入道は、もう完全にヤラれちゃっていた。

 舞が終わる頃には、勝者と敗者が決していた。


 舞終わると、仏御前は、一礼し、滔々と喋りだした。

「なんということでしょう、もともとは、押しかけて参った、この私が舞まで舞わせていただく始末。元は、お会いすることことも叶わなかった筈、こちらの祇王御前様のはからいで、かくあいなりました。祇王御前の心を察するれば、いたたまれません。どうか、この仏御前にここで、辞去する許可をお与えくださりませ」

 と、ここまで、いえば、逆に嫌味たっぷりである。

 そういうや、深々とい、両手をついて、お辞儀した。

 それに、清盛はもう、仏御前を抱くことまで、思案しているはずである。

「祇王に憚るのか ならば、祇王を追い出そう」

 清盛は言った。

 祇王は、顔から血の気が引いた。そこまで言うとは。

 仏御前は、あわてて、面を上げると、言い直した。

「いえ、そのようなことは、ありませぬ。私がいることで、祇王御前様のお心がいたたまれない、と申し上げているだけでございます。どうか、どうか、お暇を」

 仏御前は、重ねた。

 祇王が、今度は、両手をついて頭を下げるべきだったが、あまりの突然のことで、できなかった。

 清盛が、祇王を見ずに言った。

「祇王、下がれ」

 もう、目も合わせることすらなさらないのか。人は社会的動物である、無視するというのは、最大の侮辱でもある。

 祇王は、ばっと手を床について礼をした。

「下がれ」

 清盛は、言葉を重ねた。名を呼びかけることはなかった。

 祇王は、あまりのことで、おもてを上げられなかった。

「祇王、聞こえなかったのか」

 どんどん清盛の声は小さくなった、祇王は、表を上げるのが、恐ろしかったが、このまま、ここに居座ると、斬り殺される恐れがあった。本望だと言ってしまえばそれまでだが。逃げるように、立ち去ると、暇乞いする間もなく、西八条の清盛の屋敷を出た。

 牛車に乗ると、都大路を家に向かった。

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平家物語 Ver2.0 美作為朝 @qww

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