落ちこぼれ魔法師のトリマー
湯煙
第1話 トリミング・カード
僕がシャーロットタウンで獣人専門のトリマーを始めてからもう十年になる。
この仕事を紹介してくれたのは、この街では有名なお医者さんのチョココさん。
トリマーは、シャンプーやカット、爪切り、耳掃除、体調チェックを行う仕事だ。
その獣人専門のトリマーが僕。
チョココさんのところへ来る患者さんは、症状が重くなってから来る方が多く、もっと早く来てくれたなら容易く治癒するのにと悩んでいた。
当時、就職に困っていた僕に目をつけ獣人専門のトリマーをやらないかと雇ってくれた。
僕は十八歳で魔法学校を卒業したけれど、魔法力が弱くて軍事関係にも医療関係にも、魔法を必要とする他の仕事にも就けずにいた。
「アレックスくん。就職は魔法に関係の無いところを探した方がいいよ」
僕の教官も気の毒そうに忠告してくれた。
全ての教科でギリギリだったけれど……僕の真面目さと熱心さを買って温情で及第点をくれた気もするけれど……せっかく魔法学校を卒業したから魔法関係の仕事に就きたいと活動したんだ。
……子供の頃からの夢だったしね。
だけど、忠告してくれた教官の言葉通り……全滅。
「悪いことは言わない。魔法使えると言わない方がいいよ」
就活先で、実技試験と面接後にそう言ってくれた方も居た。
魔法関係は諦めて僕にでもできる仕事はないかと探していた時、当時住んでいたアパートの大家さんにチョココさんを紹介して貰ったんだ。
「いやあ、本当に魔法学校卒業できたのかい? 聞いていた以上に……」
僕の魔法を見たチョココさんが言葉を濁して苦笑していたのを今でもはっきり覚えている。
「だけどそんなアレックスくんにもできる仕事がある。魔法使う仕事だよ? どうだい話を聞いてみるかい? 」
そして困ってる事情を聞き、僕はチョココさんのところでトリマーをやることになったんだ。
平均的な魔法力を持ってる人には全て断られたと言っていたな。
だってトリマーで必要な魔法は、シャンプー後に髪を乾かす程度の温風のため、耳掃除などでできた目に見えないほど軽い傷の治癒のため程度の魔法。
僕以外の魔法師には「馬鹿にするな」と怒られたんだって。
でも、僕にはありがたかった。
僕が使える程度の魔法で十分な仕事があった……それだけで嬉しかったよ。
やり甲斐だってあるんだ。
トリミングしていると肌や耳などをチェックする。
その時、異常を見つけたらチョココさんに伝えて診察してもらう。
トリミング中のお客さんとの会話で気になることがあれば、肌や耳に異常が見られなくてもチョココさんに報告する。
その内容に気になるところがあれば、チョココさんのところで働いている看護師さんがお客さんのところを訪問する。
そして、異常があればチョココさんが診察治療する。
症状が軽いうちに治療できるから、お客さんも喜んでくれる。
――あれから十年、獣人専門のトリマーとしてもそこそこ有名にもなって、大勢のお客さんとの日々を過ごしている。
「アレックスさん、トリミング・カードをお願いできますか? 」
お会計の時、トリミング・カードという”本日、チョココ医院にてアレックスが○○様のトリミングを行いました。内容は……”と書かれた証明カードを希望するお客様にはお渡ししている。
このカードを渡すようになったきっかけを今日は話そう。
……あれは僕がトリマーになりたての頃だった。
◇◇
人間の僕は獣人にとっての匂いの重要性をまだ判っていなかった。
獣人、それも哺乳類系の獣人にとっての匂いは、特定の相手である証明で、相手に異常がないか確認する手段だったんだ。
「実は、彼氏から浮気を疑われて別れたんです」
「それは災難でしたね」
「トリミングが原因なんですよ? 」
通りであったお客さんから、こんな風に僕はジト目で責められたんだ。
お客さんは猫系獣人で、中でも長毛種メインクーン系猫人だった。
長毛種や耳折れの獣人は猫人に限らず耳の汚れが酷く臭くなりがちだ。
僕は耳掃除用の綿棒にクリーナーローションをつけて丁寧に汚れを落とし、耳穴から汚れを魔法で吸引する。
その後皮膚に傷があった場合外耳炎になるので魔法で皮膚を治癒しておく。
僕程度の魔法力でもその程度はできる。
また猫人は猫の習性をいくつか持っている。
例えば、水を嫌うお客様もいる。
そういうお客様には魔法で汚れを落とす。
水を嫌わないお客様なら専用シャンプーで洗う。
最後に、皮膚炎などにならないようチョココさんが調合した種族毎に異なる専用パウダーを使って毛をブラッシングする。
爪切りなどをオプションで希望されるお客様もいるけど、種族が違っても基本的には耳掃除とシャンプーだ。
僕を責めたお客さんの彼氏は、ローションに含まれていた脱臭効果のある薬品のせいで薄くなっただけでなく匂いが多少変わったことで、お客さんの浮気を疑ったのだそうだ。
これはデートのために綺麗にしようとトリミングして貰ったせいで浮気じゃないと説明しても怒った彼氏は聞く耳をもってくれなかったそうだ。
「アレックスさんを呼んで説明して貰おうと本当に思いましたよ」
「それは申し訳ありませんでした……」
謝る僕に黒白縞の頭を横に振って、微笑んでくれた。
「もういいんです。彼女を信用しないあんな男とはいずれ別れたに決まってますから」
お客さんと別れた僕は、翌日からトリミング・カードを用意することにしたんだ。
『匂いに違和感を感じる場合があるかもしれませんが、それは薬剤によるものですのでご心配にはおよびません。ご質問等はチョココ医院アレックスまでお気軽にお申し付けください』
トリミング内容の説明と一緒に一言添えて――
「今日はこれから主人の実家へ一緒に行くんです」
「そうですか。良い一日になるといいですね」
記入したトリミング・カードをおつりと一緒に渡す。
ブラッシングで艶の出た黒白縞のやや長い髪を揺らしてお客様は微笑んだ。
その微笑みはあの日より幸せそうだ。
良いご主人と出会えたのだろう。
微笑みを返して僕は頭を下げる。
「またのご利用を心からお待ちしております」
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