混乱と空白

 奉天師団司令部。

 開原で死霊列車を撃退した奉天師団は、旧態に復し奉天に戻っていた。その矢先に届いた東京でのクーデター計画である。本国から計画の詳報をうけ、今後の方針計画策定のために司令部の幕僚たちが鳩首をそろえていた。


「決起予定日は二月二十六日。反乱参加を企てた部隊は、第一師団・歩兵第一・第三連隊、近衛歩兵三連隊。将校は野中四郎大尉、同・安藤輝三、同・香田清貞……」


 読み上げる矢島大佐の声に、あたりに焦慮の空気が重く流れる。深刻な事態だった。もしもこの計画が実行されていたら、日本政府の中枢は完全にのっ取られていたかもしれない。


「馬鹿者どもが、尻の青いヒヨッコがつけ上がりおって……軍命の順逆をなんと心得とるか!」


 今日も血圧の高い志羅山中将だった。無論、内地から来たばかりの石光の目から見れば、『関東軍がそれを言うか?』である。


「……まあ、彼らの中にも、こんな時局だからと踏みとどまる者がいればこそ、実行に至らなかったわけですし……」


 古手の参謀中佐が弁護役に回る。計画の破綻は仲間割れが原因だった。満州国の〝反乱〟を受けて、今行動を起こすのはまずいと考える者と、あくまで計画通り遂行すべきと主張する者が対立し、通報・発覚に至った。関係者の証言から、陸軍の高官が計画を知りながら黙認していた節もうかがえ、問題の根はどこまで続いているか予想もできない状況だった。


「内地の政局は不安定な状態ですが、どうやら大きな政変が起きるのは避けられないようです。教育総監と参謀次長はもとより、場合によっては陸軍大臣まで巻きこんで大幅な内閣改造が予想されます。となると……」


 物思わしげな牧原大佐。


「満州・中国方面への増員や装備増強は、しばらく望めないかと……」

「……むう……」


 志羅山中将も渋面になる。それはつまり、満州駐留・各方面軍は、しばらく本土からのバックアップなしの状態におちいるという事。死霊列車を撃退したとはいえ、死体兵への決定打のない現状では、背中が寒くなる話だった。死体兵の来襲という異常事態がなかったなら、独断専行の好機ととらえる連中もいたかもしれないが。


「液化石炭の進行状況は?」

「順調です。一週間ほどで相当量の蓄えができるかと。焼夷弾作成までは、まず、一ヶ月ほどと報告を受けています」

「急がせろ。四平街の状況はどうなっておるか?」

「偵察隊の報告では、ほぼ無人の状況にあるようです。死体兵どもは奪う物をうばったら居座るつもりはなかったようですな。物資と……おそらくは住人を」


 幕僚たちの報告と討議の中、石光は特命を受けた参謀次長田村大将の事を考えずにいられなかった。皇族である現参謀総長はさておき、参謀次長がすげ替えられる事になれば、呪法兵復活方針もどうなるかわからない。


(今、俺にできる事、やるべき事はなんなのか?)


 石光もまた、自らに問いかける。


   ◇


 午後九時近くなって、ようやく会議は終わった。私服に着替え、路地裏の日本風居酒屋に入る石光。


「いらっしゃーい、お一人様で?」

「ああ、ビールと、適当になにか見つくろってくれ」


 空いているカウンター席に勝手に座る。二、三度足を運んで、それなりに馴染みかけていた店だった。

 二十代の頃は、何の不自由もなく中国語を話し土地の風俗にとけ込んでいた石光だったが、しかし内地に帰って歳を重ねると、食の好みはやはり元に戻るものだ。さらに奉天のような都市には、日本料理を出す店が珍しくなくなっていた。

 グラスを傾けて、料理に箸をつけると、急に隣の席に男がわり込んできた。


「やあやあ、初めまして。石光三郎特佐とお見受けしました」


 にこやかに挨拶し名刺をとり出す。奉天新報記者、浜田矢五郎とあった。髪をきれいに分け、銀縁眼鏡の好男子である。年のころは三十前後か。


「ごゆっくりされている所、申し訳ありません。しかし、どうしてもお話をうかがいたく思いまして。こちらで待たせて頂きました。はり込みというやつですな」


 ハハハと笑う浜田の顔を、名刺を手に見つめる石光。妙に表情が欠けおちていた。


「……ここでは何ですな。おい大将、奥の座敷に移っていいかな?」

「へえぃ、どうぞ。おい、お客さんが移られるよー」


 板場で切り盛りする主人に声をかけ、石光たちは奥まった場所に席を移した。


「……して、どういうご用件ですかな?」

「まあまあ、まずは一杯」


 石光のグラスにビールを注ぐ浜田記者。はしゃいでいるかのようにテンションの高い浜田だったが、対する石光はにこやかな外見ながら温度差を感じさせる態度だった。


「開原防衛戦、お見事な戦功でした。奉天師団の兵士たちの間では、噂で持ちきりですよ。本土から来られた呪法兵特佐どののおかげで死霊列車を撃滅できた、と」

「……いやいや、列車撃破は奉天師団のやった事です。私は少しばかりお手伝いしただけですとも」


 地元紙の記者が〝特佐〟と口にして話を聞きに来たことが引っかかっていたが、人の口に戸板は立てられないということか。


「開原での勝利を受けて、奉天師団はどうするおつもりでしょうな? やはり連京線を攻めのぼり、一気に新京に迫る、とか?」

「ハッハッハッ、いやはや、作戦計画は奉天師団の参謀連の受けもちでして。内地からきたばかりの私には、なんとも」

「しかし特佐どのは死体兵に対して、奉天師団の切り札だとか? 公主嶺、四平街の件で、奉天に住む女子どもは、すっかり死体兵の噂におびえてしまいましてねえ。どうでしょう、一般人の私どもが死体兵に会ったなら、何か身を守れるオマジナイでも無いものですかな?」


 浜田は実に大仰な言い方をする。奉天新報とはゴシップ紙かと思うような質問を連発してきた。石光は愛想良く振るまいながら、適当に返事をしてあしらった。


「……なるほどー、まあ本国であんな事件があった後ですからなあ。奉天師団としても大きな行動は起こしづらい、と。しかし何ですな。奥地の方の状況はどうなっているんでしょう。わかっただけでも気休めになるんでしょうが……。どうでしょう? 陰陽術に、遠くの都市と会話ができるような術はないものですか?」

「式神を放って、連絡文書を送るという方法があります。実際、日露戦の頃まではよく使われました。しかし送受信の地点に専用の施設が必要で、また、同じ呪法を知っている者には妨害されうるという欠点もあります」

「そうでしたか。ううむ、うまくは行かないものですな。何とか電話か無線通信の回復は図れないものですかなぁ。今回の無線封鎖は、やはり科学というより魔術によるものなのでしょうか? もしそうだとすると……何とか陰陽術でこれを消し去ってはいただけないものですかなぁ」


 いやなんとも、と、曖昧な返事で逃げた石光だったが、相手の言葉は寸鉄となって胸に残った。


(……確かに……ここまで科学の視点から調べて原因不明な現象は、魔術を疑って然るべきだ。それを解消できたなら、散在する開拓村へ避難を呼びかける事もできるはず……)


「いや、色々と興味深いお話を、ありがとうございました。またお話をうかがえますでしょうか?」

「ええ、機会があれば」


 笑顔で謝辞を交わし、浜田は席を立った。背丈はさほど高くはない。石光と同じ程度か。戸口に向かう後ろ姿を見つめながら、石光は記憶の底を探っていた。


(あの顔、どこかで見たような……? いずれにせよ、珍しいものが見られたもんだ)


 奉天新報という会社に軽くさぐりを入れておかねば、と胸に刻む石光。──そして後日、奉天新報に浜田矢五郎という記者が存在しない事を確認した。


   ◇─────◇


 数日後、奉天駅の雑踏に立つ石光。人待ち顔である。


「石光さん!」


 到着したばかりの人混みから、恰幅のいい中年男が声をあげる。


「五島くん! いやぁ、久しぶりだなあ!」

「ハハハ、お元気そうでなにより!」


 駆け寄って両手で握手を交わす石光三郎と五島幸洋。ほぼ二十年ぶりの再会だった。


   ◇


 満鉄奉天支社の一室に、石光、五島と数人が卓を囲んでいた。


「こちらは瀬川くんと佐田くん。現地民俗研究を専門にしています」


 五島の紹介に挨拶を交わし合う石光たち。


「どうぞよろしく。こちらは……紹介の必要はないかな?」


 石光のとなりに座る坊主頭のメガネは伊藤俊也だった。照れたような笑顔を浮かべていたが、さすがに旧知の同僚と会えて嬉しそうだった。


「伊藤くんの件、本当にありがとうございました。急な徴兵、理不尽きわまりない話だったのですが、満鉄の方では手が出せなくて」

「いやいや、私ができるのも配置がえ程度の事でしかなくて。いずれにせよ、調査部の資料を当たらせてもらうのに、輔佐してくれる人がいればありがたいですからな」


 石光は伊藤を自分の助手にして欲しいと志羅山中将に掛け合ったのだった。場合によってはちょっと機嫌を変えてもらおうか、とも思っていたのだが、さすがにそこまで志羅山も意固地ではなかった。あるいは伊藤の論文に腹を立てた件を、すでに忘れていたのかもしれない。気分屋の人物にはよくあることだ。


「早速ですが、死霊列車から得られた検体の情報を……」


 軍医の石田大佐がまとめた報告書が、各々に配られた。解説役は伊藤である。


「死体兵の体内から、寄生虫のようなものが発見されました。寄生虫のようなと言いますのは、本当の生物ではなく、中心部はよじった呪法符であったからです。これが死体兵の〝核心〟と思われます」

「むう……」

「呪法符が……生物のように振るまうと? 信じられん……」


 大連から来たチームが思わず漏らした。


「死体兵の損壊状態と呪法符の〝成長〟度合いには相関関係が認められました。そこから推察するに……術者は、死体兵とする対象者に、おそらく生きている段階で呪法符を飲ませます。呪法符は体内で対象者の神経組織をのっ取り、この段階で〝傀儡兵〟となる。それから次第に対象者の組織を浸食し、自らの周りに巻きつけて肥え太って行く……。あたかも、本当の寄生虫のように。ある一線を越えると……対象者の生命は失われ、本当の〝死体兵〟になる。それが予想されるプロセスです」


 伊藤の解説に、一同しばらく声がなかった。さすがに、そんな死に方はしたくない。想像するだけで寒気がする。


「……まあ、殺害された兵が死体兵となって向かってきた例がありますので、符を飲ませるのが生きたものでなければならないという事はないのでしょうが。また、戦車や機関銃などの近代兵器を〝任されていた〟死体兵は、腐敗・損壊が進んでいない者でした。おそらくは損壊が進むに従って知識・知能が失われ、高度な指揮や機材の操作ができなくなると思われます」

「……となると、操る側としては、傀儡兵の技能を活かすにはなるべく新鮮な方がいい、というわけか」


 五島の指摘。それは施術者が、可能であれば生者に符を飲ませる事から始めるだろうという予測を導く。


「符を飲まされた者は、生きているうちにそれを除去できれば助けられるのでしょうか?」

「どうでしょう? 石田大佐の見立てでは、飲まされた符─大佐は〝符法虫〟と命名されてますが、体内に入った直後から神経細胞に食いつき、これに置き換わってしまうと見られます。従って、それが除去されても神経の欠損は埋まらないわけでして、よほど早い段階の解呪でないと望みは薄いのでは、と……」


 死体兵を操る呪法の非道ぶりに、改めて一同の胸に怒りと怖れの入り交じった感情が湧く。仮に、意図せずに生じた死者を〝有効活用・再利用〟しようという発想ならばまだしも、これは生者を最初から犠牲にするやり方である。ここまで人を人とも思わぬやり方を採れるとは、相手はどういう人物、あるいは集団なのか。

 伊藤の解説に続いて、大連チームの一人、瀬川が立った。


「報告があった件と類似の呪法・仙術ですが、調査部所蔵の文書から該当する記録は見つかりませんでした。中国呪術史においても死体を蘇らせる、あるいは操る伝説はあるのですが、死体に符を貼って動かす、いわゆる僵尸キョンシーが代表的な例で、体内に符を埋めこむやり方は、記録に残っていません。まして、生きた状態からそれをやるとなると……」

「ただ、死体の軍団を操ったという話は採録されておりました。歴史的記録というより、民話・昔話なのですが」


 瀬川の報告を佐田が引き継ぐ。瀬川が歴史、佐田が民俗学担当らしい。


「……昔々、中原のある国に残酷で欲深い王がいた。周辺の国を討ち滅ぼし君臨するために、黒い竜の力を借りようと考えた。地下に大きな祭壇を作り、そこで際限もなく生贄を捧げた。

 王はついに黒竜を呼ぶことに成功し、邪悪な力を授かった。それは死体を操って兵士にする禁断の術。王は死体の軍団を率いて周辺国を次々と滅ぼし、皇帝を自称した。

 しかし、天帝はその非道を見逃さず、天罰を下して祭壇ごと王を埋め殺した。王国は善良な王子が引き継ぎ、長く仁政を敷きましたとさ……そんな話です」

「ほう……私もそれなりに長く中国で過ごしたが、初耳だよ。それは広く知られている昔話かね?」


 石光の問い。


「いえ、地域としては満州付近限定で、古老が口伝えにしてきたという注釈がついています。広く知られている話ではないですね」


 佐田の答えに考え込む石光。口伝えして、みだりに子どもなどには話さなかったとすれば、なにがしか重要視されていた物語なのか? そんな疑問が湧く。まして、現実に今回のような事態が起こっていては……

 会議は一段落し、卓上にお茶と菓子が並べられた。ほうじ茶の香りが一時死体兵の影を薄れさせてくれる。石光と五島は一別以来の経緯など語りあって旧交を温めたが、話は次第に本国での反乱騒ぎに移っていった。和やかな話題が長続きしない世相だった……


「……本国からの指示が望めない状況でしてなぁ」

「そうでしょうね。参謀次長の田村大将が、今回の件に関わっていたという話は聞きませんが、問題が問題ですから」

「で、思いついたのですが、今回の無線封鎖は、おそらくは死体兵を送ってきた者の仕業ではないかと。その件を確かめるために、潜入調査に向かうつもりです」


 石光の言葉に表情を曇らせる五島。


「それは……危険すぎませんか? 少人数の潜入より、軍を率いて新京に向かった方が……」


 渋い笑顔のまま、石光はかぶりを振った。


「大規模な軍事行動はとれないんですよ。本国との関係と……奉天師団内での私の立場と、両方から。私も決して師団内で歓迎されておるわけではありませんからなあ」


 白髪頭をなで上げる石光。こんな異常事態が起きなければ再招集などありえない年齢だった。おそらくこの人は、これを最後の奉公と思っている。そんな感慨が五島の胸に湧いた。


   ◇


 支社前の石段で、初老の男二人は握手を交わした。五島たちは、とんぼ返りで大連に戻らなければならなかった。


「もう少しゆっくりと話したい事もあったのですが、大連の方も相当にふり回されてまして」

「満鉄全体が大車輪でしょうな。お体を大切に」


 短い別れの言葉が、最後の挨拶になった。双方その予感はあったのだが……

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