死霊列車再来襲

 洪と石光が、開原駅に法術結界を準備して数日が過ぎた。いまだ、死霊列車の襲来はない。待機の時である。

 当初、奉天師団の参謀からは、いっそ鉄道を破壊して列車の運行を阻止しようという意見も出された。しかし石光特佐から献策された呪法方陣を用いた〝罠〟を、志羅山中将は「内地のメンツを立ててやる」と言い、裁可したのだった。短気で意固地な男ではあるが、一応は軍組織で上り詰めてきた人物である。組織内部の、最低限の政治感覚は持ち合わせていた。

 石光が司令部兵舎に詰めているのに反し、洪は好き勝手に街をうろついていた。日本軍の軍規に拘束されるいわれはないという言い分である。例のごとく逆上しかける志羅山中将を石光がなだめる。偵察陣地をおいているので列車襲来は二十分前にはわかる事。それから呼び出しても遅くはない、と。奉天司令部の面々も石光の〝イラ山扱い〟に慣れてきて、「今度やり方を教えてくださいよ」などと声をかけるありさまだった。


   ◇


 開原守備隊兵舎の狭い一室。藤原少佐は一人、手持ちぶさたに座していた。卓上の電話が鳴り、受話器をとる。


「申し訳ありません、洪復龍を見失いました……。三番街の路地裏あたりです」

「やれやれ、あの図体で器用なもんだ。まあ適当に探していろ。そのうち見つかるだろう。くれぐれも噛みつくようなマネはするなよ。あくまで相手は〝善意の協力者〟だってのを忘れるな」

「はっ」


 部下からの電話を切り、藤原は椅子の背もたれに身をあずけ天井をあおいだ。彼は部隊の指揮を解かれ、洪の監視任務を与えられていた。諜報・防諜専門の部署もあるというのに、あからさまな嫌がらせ人事だ。発せられた場所は、想像するまでもない。

 洪は頻繁に尾行をまいてしまう。が、藤原は一々その行動をとがめようとは思わなかった。自分が彼の立場なら不快に思って当然だし、先だっての戦いぶりを見て以来、洪という男に一種の信頼感が生じていた。どこの組織に属しているかはわからないが、例えば、テロを計画して開原市民を傷つけるようなマネはやらないだろう。そんな確信があった。


(さて、報告書になんと書いたものか?)


 事実をそのまま書いて中将閣下の血圧を上げることは、最初から念頭にない藤原だった。


   ◇


 入り組んだ裏路地深く、狭い下り階段の先に小さな扉があった。身を縮めるようにして戸をくぐる洪復龍。奥は意外に広い部屋になっており、調度はみすぼらしいものの、卓席は全て厚板で仕切られている。開原の地下酒場だった。酒場とは呼んでいるものの、実情は〝地上〟ではできない話を隔てられたスペースで交す。そういう場所だ。

 洪に向かって小さく手を上げている男がいる。細面の中肉中背。特徴がない顔立ちだが……洪に向ける目は、どことなく油断ならないものを感じさせた。すばやく近づいて対面に座る洪。


「久しいな、白二。……おっとすまん。今は何と名のっている?」

「……洪復龍。変わったな、青四。お前の今の名は?」


 低い声で挨拶が交わされる。青四と呼ばれた男は、細い目をさらに細めた。


杜月山とがつさん。驚くなかれ、本名だよ」


 男は小さく吐息をつき、洪のグラスに酒を注いだ。


「一別以来、もう十年近くになるか……。何もかも変わったな。この国自体が四分五裂し、のたうって、変わり続けてきた」


 共にグラスに口を付けた後、しばらく黙り込む二人の男。過ぎ去った時間に、思いを馳せていたものか。


「……国民党政府に手を貸していると聞いたが?」


 沈黙は洪の側から破られた。感情を込めない平板な問いかけ。


「……単刀直入に言おう。手を貸してくれないか? そりゃ今の国民党、誉められたものではないが、何かの形にまとまらない事には列国にむしられるばかりだ。他の軍閥政権に比べれば、まだ〝中華〟を受けつぐ資格があると思うぞ」

「……個人的に蒋という男をどうも信用できない。それに、列国にむしられないためにといいながら国民党自体が英国に支援を受けているのではな」


 洪の指摘に、杜の表情がくもる。


「望んでやっている事ではない……明日のために今日の屈辱に耐えているつもりだ。お前こそ自分のやっている事が国のためと誓えるのか? 日本軍に協力していると聞いたぞ?」


 返す言葉に非難がこもっていた。見た目と裏腹に、感情を押し殺すのは苦手な人物なのかもしれない。


「否定はせんさ……。しかし、あれは何としても止めなければならん。それこそ、敵の手を借りてでも、な」

「死霊列車、か……。その話だが……そもそもやらねばならん事なのか? 今、屍兵の軍団に相対しているのは日本軍だ。あえて手を出さずに共倒れを狙うべきだという意見もあるぞ」

「……杜よ、お前は死霊列車を直接見たか?」


 洪の声が一段低くなった。


「いや……それはないが……」

「あれは防御呪文などではない。生贄を捧げて用いる……呪いの一種といっていい。車体に埋め込まれた者は日本軍兵士だけじゃない。一般市民らしい者も相当数含まれていた。無論、長春の市民だろう。わかるか? あれを造り上げたやつは、軍人と民間人の区別などしていない。当然、日本人と中国人も区別するとは思えん」

「む……」


 洪の言葉に危機感に近い真剣さを感じとり、杜は口ごもった。


「事態を予見して俺を呼び寄せた葛月譚老師は、『生けとし生けるもの、全てにとっての災厄』そういう言い方をされていた。大げさな修辞ではなく、文字通りの意味だ。俺はそう確信している」

「しかし……それはそうとして、対抗する手が、何も日本軍との協力ばかりとは……」


 その時突然、街中に警報音が流れはじめた。思わず立ち上がる男二人。


「来たか!」


 その言葉を残し、洪は表通りに飛び出していった。

 二月十八日午後四時、死霊列車再来襲。


   ◇


 駅近くの指揮所で、石光特佐と牧原大佐が卓上の図面をにらんでいる。そこに洪が飛び込んできた。


「すまん、遅くなった!」


 この男、謝れるんだなと、妙に感心する石光。


「まずいことになった……偵察陣地からの報告だと、今回死霊列車は機関銃車両を連結している」


 口早に洪に告げる牧原大佐。これでは洪と石光が停車した死霊列車にまっすぐ接近する事は危険だ。敵の到着までの十数分で方針修正と配置を終えなければならない。


「煙幕弾の用意はどうですか?」

「準備はしています。しかし煙幕は相手の射程に入る前に使っておくのが定石です。従って、接近までのかなりの距離、特佐と洪くんの視界もさえぎられ、方陣起動に支障をきたす怖れがあります」


 洪と石光が用意した解呪の方陣は、起動のポイントが決まっており、術者がそこに直接触れて〝気〟を流し込まねばならない。これが爆薬とスイッチならば、双方を結ぶ電線をいくらでも延ばせるのだが。


「まるっきりの平野ってわけじゃない。障害物を使って接近するまでさ」


 即答する洪だったが


「君の運に部隊全体を賭けるわけにはいかないよ。……特佐、相手の陽動は我々に任せてください。最大限、こちらの視界が確保されるように煙幕を使います」


牧原大佐が凜然とした口調でそれに答えた。


   ◇


 開原駅に、減速しながら死霊列車が入ってくる。これ見よがしな汽笛が鳴った。まるで巨大な動物が、己の威を誇る遠吠えのような。


「よし停車まで……3、2、1、射撃開始!」


 牧原大佐の号令で、開原駅の駅舎内から火砲の閃光が走った。駅舎内部に丸ごと身を隠した、八七式軽戦車の砲撃である。死霊列車の中央付近の貨車に直撃するが、ダメージは与えられない。砲弾はあえなく弾かれるだけ。

 しかし、とまどったような間のあと、死霊列車の機関銃は駅舎を向いて射撃を始めた。列車中央部の貨車は、車両運搬車だった。前回同様、そこに敵の軽戦車か装甲車が載せられていると思われる。


「よし、こちらの砲撃を無視できないという事は、積まれている車両には前回同様、無敵化はされていない」


 牧原大佐が確認するようにつぶやく。積載車両が、死霊列車同様の呪法障壁を備えていないなら、降車作業中に砲撃を受ければカモでしかない。至近に配置された八七式を排除してからでなければ下ろせない。死霊列車側の注意は、まずそちらに向く。


「列車から数名降車してきます!」

「戦車をゆっくり後退させろ、引き離せ!」


 死霊列車側の注意は完全に駅舎側に向いている。その間にじわじわと、遮蔽物を利用しながら洪と石光が接近していった。


「……あと少し……もう三メートル……。よし、煙幕弾発射!」


 煙幕弾が発射された。直接機関銃車両に命中し、付近を真っ白に包んだ。


「よしっ!」


 洪と石光がダッシュした。方陣起動ポイントに、洪は双手帯、石光は軍刀を押し当てた。


「我は雷公のほこ、雷母の威声を受け五行六甲の兵を成し、百邪を斬断し万精を駆逐せん。急々如律令!」


 咆吼のような洪の呪言。死霊列車を囲んで、幾何学的な光の筋が舞う。列車本体に埋め込まれていた人の体が、浮き上がってボロボロと落下しだした。双眼鏡でその光景を見た牧原は直感する。今ならば攻撃が通じる、と。


「野砲隊、砲撃開始!」


 満を持して放たれた野砲の十字砲火が、呪法障壁を失った列車をあっけなく引き裂いた。


   ◇


 戦闘の大勢は決した。先に降車した少数の死体兵を始末すると、死霊列車から降りてくる者はもういなかった。内部を検分すると、ほとんどの者が席に座ったまま活動を止めていた。わずかながら動いていたのは二名。それもやがて余力を使い果たしたように動かなくなった。


「……ふむ、どうもこの二体が、この列車部隊の〝指揮官〟だったようですな」


 駅付近に広げられた遺体収容場で、開発部の軍医、石田大佐が死体兵の調査を進めていた。それを遠巻きに眺める石光と洪。


「意外にもろかったな……」

「ああ、列車の解呪のための方陣だったんだが……。乗っている者にここまで効くとは思わなかった」


 死霊列車の脅威は、一応は去った。そしてこの結果を見れば、列車を送ってきた者に理性があるなら、同じ手を無為にくり返すとは考えにくい。


「俺は行くぜ。世話になったな」


 そう言って洪は背を向けた。


「行くのか? ……なあ、君、相手が相手だけに、協力し合えたらと思うんだが……」


 石光の語りかけに、肩越しに視線を返し


「今回に限り手を貸しただけだ。前にも言ったが、俺は日本軍となれ合うつもりはない。……別にあんた個人に恨みはないが、それとこれとは別の話だ」

「そうか……」

「あばよ、特佐」


上げた片手を小さく振って、洪はその場から立ち去った。


   ◇─────◇


 ベルリン、サヴォイ・ホテルのレストラン個室。

 駐独大使の葛巻勝俊と、ドイツ情報部将校、グスタフ・アルブレヒト大佐が向かい合っていた。すでに数回に渡って、この場所での会合がくり返されていた。会談の中身は、お世辞にも和やかとは言えない腹の探りあいだったが。


「死霊列車の撃退、まずはおめでとうございます。喉に刺さった魚の骨がとれたようなお気持ちでしょう?」

「……」


 今日のメインディッシュは魚料理だった。趣味のよくない冗談である。


「列車を浄化方陣で包んで、一網打尽にしたとうかがっております。いやあ、見事なお手並みでしたなあ」

「……お国の情報部員も、働き者ぞろいのようですな」


 満州国内部に構築されているとおぼしきドイツの情報網は、葛巻大使に寒気を覚えさせるほど速く、正確だった。日本外務省側の情報は、現地関東軍の出し渋り体質もあって、むしろ遅れ気味である。


「死体兵のサンプルも、大量に得られたと聞いております。……これで死体兵の謎も、相当に解明が進むでしょうな」

「そう願いたいものですな。死体兵の弱点が解明されない事には、ヨーロッパの地にいる身でさえ、安眠できない気分です」

「弱点、ですか、フフフ……」


 アルブレヒトが青い瞳を細める。これもまた、葛巻に寒気を覚えさせる。腹の底を見透かされる気がするのだ。


「アルブレヒト大佐、ドイツはこの事件に何を求めておられるのです? 日本としては、一刻も早い解決を望んでおります。この事件の首謀者を逮捕または消し去って、満州国における邦人その他の安全を確保する。それ以外は望んでおりません。しかるに……あなたがたはそうではないように見受けられます。この事態の悪化、もしくは継続を願っておられるように思える」


 たまらず葛巻は切り込んだ。大佐は薄い笑みで受け流し、言を継いだ。


「〝外交流〟の婉曲さはお気に召しませんか? 私も根は軍人なものでして、実のところ性に合いません。……単刀直入に申しますと、死体兵の調査において、互いに協力関係を結べないものでしょうか? それがさしあたっての、我が方の〝望み〟ですな」

「死体兵の……共同調査ですと?」


 相手の意図を図りかねる葛巻。いや、可能性としては脳裏に浮かんでいるのだが、それは……


「さらに少々ぶしつけな言い方をしますと、日本は死体兵の技術といいますか魔術の、独占を望んでおられるのでしょうか? 我がドイツとしては、政治的レベルだけではなく、軍事レベルでの大日本帝国との協調を望んでおりまして、その一環としての技術協力、と理解していただければ」


 衝撃に、葛巻大使は一瞬言葉につまった。やはりナチス・ドイツは死体兵を己がものにしようとしている? 自ら〝あれ〟を使おうというのか⁉


「な……何を言われておるのか、独占、などと……。日本は、この件の被害者側ですぞ⁉」


 言葉がつかえる葛巻と対照的に、大佐はあくまで平静だった。食後のコーヒーに口をつけ、世間話のように淡々と話を進める。


「おそらく、そうなのでしょうなあ。……しかしながら、被害者はいつまでも被害者であるとは限りません。ある呪法で被害を受けた者は、その呪法を一番よく知る立場にある。そうでしょう?

 実は私が常々思っている事なのですが、獣と人間をわけるのは、火を恐れるか、恐れながらも自ら使いこなそうとするか、その一点だと考えます。 無論、大日本帝国は理性ある人びとの集まりです。自らが使いこなす者になることが、すなわち被害者の立場から抜け出す唯一の方策だと、そうは思われませんか?」


 大佐にしては珍しい長口舌だった。


「……興味深いお話でした。ありがとうございます。今回はこれにて失礼いたします」


 葛巻は席を立ち、一礼して背を向けた。その背中に大佐が声をかける。


「あるいは私が申し述べるまでもない話だったかも知れませんな。東洋ではこういう言い方をするのでしたか? 『釈迦に説法』と。ま、我々の希望について、協議していただければ幸いです」


 それは「すでに日本では死体兵を利用する方法を探っているのでは?」という問いかけ同然である。

 帰りはドイツ側の車を断って大使館公用車を呼びつけた。何かに追いたてられるように後部座席に滑り込み、葛巻は大きな溜息をもらした。

 アルブレヒト大佐の言葉は、一見正しく見える。死体兵という〝兵器〟を手にした国は、無敵の強国にのし上がるだろう。しかし彼の論には死体兵にされる側の視点が欠けている。人間の命を、鉄や石油と同列の軍需物資と考える思考抜きには成りたたない。


(……もしもそれが可能なら、日本はそれを手にするべきだろうか?)


 会談の件は東京に報告しないわけにはいかない。が、葛巻は、本国側がドイツの申し出をどう判断するか。それが恐ろしかった。祖国が〝外法〟に手を染めるなど、あるはずがない、と思う。しかし……

 迷いと怖れを抱いたまま大使館に帰り着いた葛巻だったが、待っていたのは本国からの、予想だにせぬ衝撃的な電文だった。陸軍の青年将校たちによる大規模なクーデター計画が発覚した。それも、近衛師団内の部隊まで参加する東京制圧計画だった。

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