暗中模索
二月九日午前十時頃、四平街守備大隊本部。
街から少しせり出す形で、北方──公主嶺側からの路線を監視していた部隊より連絡が入った。
「了解。一旦こちらに戻れ。万一の場合、お前たちが敵中に孤立することになる」
守備大隊隊長、藤原少佐は短く指示し、本部に詰めた部下たちに向きなおった。
「聞いてのとおりだ。予定どおり、駅舎を中心に陣をしき、やつらを迎え撃つ」
部下たちは無言だった。先日の公主嶺出撃で、二度と目にしたくない光景を見てきた。
「その……奉天師団から増援はもらえないのでしょうか? 我々だけで、あの、死人どもをくい止めろと?」
副官・佐藤中尉の不安げな声。一週間前は血の気が多すぎるほど元気な男だったのだが、公主嶺で見た光景は深甚なトラウマになっていた。
「参謀連中の予想が正しければ、あれを見なくて済むかも知れんが、な。ほら、飲め。忘れるな」
藤原にうながされ、その場に詰めていた全員が錠剤を口に含んだ。ヤカンと湯飲みが回される。
対幻覚興奮剤。日露戦争時の苦い経験を元に開発されたもので、神経組織を一種の興奮状態に置くことで、ほとんどの幻覚・幻術を無効化できる。呪法兵廃止の流れを後押しした発明品の一つだった。
「奉天組の予想だと、〝敵〟は幻術で兵力を水増しして見せているのではと言うんだが、どんなものかな」
その仮説を頭からは信じていない事を匂わせる藤原の口調だった。実際に交戦した手応えと、なにより公主嶺大隊が壊滅に追いやられた事実は、敵の戦闘力が相当なものだと示している。見た目と実際の兵力が食い違ってという奉天参謀団の仮説には、疑問を禁じえなかった。
しかし彼らの心情を別にして、薬剤の効果は確かに顕著なものがあった。
「……何か、わき上がってきました。やれそうな気がするであります!」
佐藤の変貌に苦笑する藤原。自身も腹の底が熱くなり、気分が高揚してくるのが自覚される。
(なるほど、こいつはすごい。しかし……)
多用すべきクスリではないな。そう直感した。効きめが強い薬品ほど副作用も強くなる。化学薬品の原則と言っていい。
「よし、計画通り駅構内に多重バリケードを設置。駅舎を中心に扇形陣地をしく。民間人は街道沿いまで退避させ万が一に備えろ」
努めて冷静な指揮を心がける。自分を捉えている高揚感はゲタをはかされたものだぞ。そう自分に言い聞かせた。
◇
遠い汽笛の音に全隊が緊張した。現在満鉄所属の列車は動いておらず、死霊列車以外にない。聞き慣れた汽笛よりも不気味に感じるのは、先入観からだけだろうか。
「射撃準備」
言いわたして双眼鏡をのぞく藤原。指揮装甲車のハッチから頭だけ出した形だ。線路の延長上に蒸気煙が見えた。公主嶺襲撃時のように、盛大な衝突を見せてくれるかと思ったが……
「ブレーキをかけて減速しています! さすがにこの規模のバリケードは破れない。当然の判断ですね!」
「いや、もう一つ可能性があるぞ。そいつは……」
すでに列車の異様な姿が双眼鏡で視認できる距離だった。なるほど、〝死霊列車〟とはよく言ったものだ。興奮剤なしだったら、鳥肌くらいは立ったかもしれない。
「最初からここ、四平街が襲撃目標だった場合だ」
「ならば目にもの見せてくれましょう! 地の利はこちらにあり、火力は先日の比ではありません!」
いきり立つ副官に、藤原は双眼鏡を手渡した。
「見てみろ」
「は?」
生き物の悲鳴のようなブレーキ音が響く。列車はもう、肉眼で確認できる距離。
「どう見える? 俺には、まるで車体に人間の体を混ぜこんだように見えるんだが」
「は……同じであります。自分にもそのように」
「見えるよな」
「あ……!」
その意味を佐藤が理解した時
「砲撃始め!」
藤原は攻撃命令をくだした。線路上、列車の停止位置に十字砲火が浴びせられる。異様な物音が響いた。金属音というより、何かが潰れるような鈍い音。
「砲撃停止!」
火砲の煙が晴れる。バリケード手前に停車した列車は、所々に赤黒い液体をたらしていたが、
「ちぃ……」
しかし車体は一切傷ついた気配がなかった。変形さえもしていない。異常事態と言える。野砲の水平射撃は戦車さえ破壊するというのに。
列車の扉が開いた。軍服を着た連中が、特有のぎくしゃくした動きで降車してくる。
「あ、あ、まさか、そんな!」
双眼鏡をのぞいたままだった佐藤が、うめくように漏らした。
「射撃開始!」
藤原の号令に、砲撃時ほど整然としてはいなかったが、重機関銃が火を吹きだした。
「佐藤、おい、どうした? 何が見えた?」
視線は正面に向けたまま、副官に声をかける。
「あ……ああ……か、春日少佐です。あれは、春日少佐です!」
副官の言葉に衝撃を受け、彼の手から双眼鏡を奪い取る。敵部隊の中央あたり、軍刀を手にふらふらと歩く男が一人……
間違いなかった。公主嶺守備大隊隊長、春日少佐。土気色の肌にうつろな目。しかしひときわ目立つ上背と、特徴あるヒゲの形は見まがいようがなかった。軍服の胸は茶褐色の染みに覆われている……
のど元に熱いものが逆流してきたが、押さえつけて観察を続ける。敵は止まらない。重機関銃の掃射を受けても、まるで歩を緩めず迫ってくる。
「……あっ、一体倒れた! ……じょ、上体が、上半身だけで這っている……! ああっ! 下半身が勝手にバタバタ動いています!」
藤原は佐藤の指さす方向を見、自分たちが同じ光景を共有しているのを確認した。短い罵り言葉とともに、敵兵の大まかな数をかぞえ、
「射撃中止! 全軍撤退!」
躊躇なく撤退を指示した。
「に、逃げるんでありますか⁉」
「ああ、不服か? 連中が幻でない以上、公主嶺の生き残りの証言は正しいと見ていい。こっちの攻撃は一切通じず、あっちは俺たちを一方的に殺れる」
「し、しかし、その、重機で胴体部分が破壊できました。完全に無敵というわけでは……」
副官の佐藤はおびえている。しかしおびえているという自覚があるからこそ、逃げる事が悔しい。
「そうだな。相手が少人数なら、重機関銃と砲で粉砕するのを試してみるかもな。しかし、あの数ではムリだ。こちらの損害も甚大なものになる。陣地まで迫られて浸透されたらおしまいだ」
「は……はっ」
ようやく佐藤の顔に血の気が戻った。
「急げ、陣地に浸透されるな! 畑小隊は装甲車で左翼に回り、敵をけん制しろ! 本隊は街道まで下がり、避難民を護衛しながら撤退する!」
はらわたが煮えくりかえる思いだったが、己の眼で見た事実から判断するなら、適切な行動はこれしかない。春日少佐のなれの果てを見ては、ここで犠牲者を出すことは、おそらく敵の数を増やすことに直結する。藤原少佐は敵方向に向かって短く敬礼を送り、指揮装甲車を後退させた。
◇─────◇
同日夜、開原守備隊本部。
街道沿いに設けられた臨時避難所には、四平街からの避難民と守備隊車両がごった返していた。すでに夜半過ぎの時間だが、車両のライトを頼りにテント設営に忙しい。城内で宿泊可能な施設には先の公主嶺避難民が詰めており、開原の行政当局は突然の人口流入に四苦八苦していた。
「……貴様、それでおめおめと退却してきたというのか!」
開原守備隊本部に、奉天司令部が臨時移設されていた。四平街戦の報告をする藤原少佐をどなりつけたのは、イラ山こと志羅山中将。完全に頭に血がのぼっていた。あたりの幕僚も、こうなってはお手上げと視線を交わしあうだけ。
「自軍に死傷者なしだと? 自慢のつもりか? 戦わずに逃げてきた臆病者の証ではないか! 貴様それでも帝国軍人か! 陛下の兵を預かる佐官か! 死ね! 死んで陛下にわびろ! 恥を知るならこの場で腹を切れ! 介錯は俺がやってやる!」
半狂乱でまくしたてる志羅山に、さすがに止めに入らねばと牧原大佐が腰を上げかけた時、
「志羅山中将閣下!」
藤原少佐の、棒読みの大声が志羅山の気勢をくじいた。
「この……なんだというんだ! 言い残したい事でもあるのか!」
「戦闘中、運よく一体の捕虜を捕獲しました! 外に待たせてあります! 確認していただけますでしょうか!」
藤原の言に、その場全員が顔を見合わせた。
「捕虜……捕虜だと?」
「足がないもので、担架にくくりつけております。この場に運び込んでよろしいでしょうか!」
言葉の意味が脳にしみこむと、思わず数名が椅子から腰を浮かせた。視線の先は、入り口ドア。
「……きょ、許可する。入れてみろ……!」
己の器量を問われた形になった志羅山中将が、絞り出すように口にした。
「ありがとうございます! 佐藤、小野寺、運びこめ!」
藤原の部下二人が担架を持ち、司令室に入ってきた。双方顔色が青白いが〝現実〟を見た者特有の、一種ふてぶてしさを身にまとっている。
「オ~……ア~……」
上半身だけの干からびた死体が、担架にワイヤーで縛りつけられていた。かすれたうめき声をあげながら、のたのたと身をよじる。奉天司令部の幕僚全員が、息をのんで後じさった。
「……げ、幻覚だ……。これは……誰か……対幻覚剤を持ってこい……」
脂汗をにじませながら、志羅山中将がつぶやいた。
「残念ながら幻覚ではありません。この場で薬剤なしでも確認できるであります。お勧めは、目をつぶって触ってみる方法です。幻覚呪法は、触覚までは欺けないからであります」
藤原の淡々とした棒読みは、明らかに志羅山中将に向けたものだった。が、しかし、中将は結局、自らの手で確認しようとはしなかった。
◇─────◇
東京三宅坂、陸軍省参謀本部。
「四平街が死霊列車に襲われました。現地守備隊は対幻覚興奮剤を服用して防衛にあたりましたが、戦闘状況は公主嶺の時と同じです。遺憾ながら死霊列車と死体兵を、実体あるものと認めないわけにはいかないようです」
「うむ……」
田村大将の声が低い。状況は悪化し、全体像もはっきりできていない。
「呪法兵再組織の進行状況はどうなっている?」
「は……候補ですが、残念ながら一人だけしか挙げられませんでした」
田村は手渡されたファイルを開き、小さく目をむいた。
「……なんと石光か……、もう相当な歳だろう。本当に他にはなかったのか? 乙・丙でも一応の参考になるような者は?」
田村の口吻は、個人的な知遇をうかがわせるものだった。
「現状、〝呪法兵〟としての訓練を受けた者となりますと、これしか……」
「……そうか……、やつが最後の呪法兵、か」
ファイルを卓上に置き、その上で両手を組む。伏せた目は、何か遠い物を見ているようだった。
「報国長老会も寺社・陰陽寮に動員をかけておりますが、曲がりなりにも陸軍と連携できるよう整えるには半年ほど必要との返事でした」
「……やむをえまいな。今の陸軍は日露戦の時とは違う。同じやり方がそのまま使えるとは……お、となれば何らかの措置は必要か。今のまま石光を送りこんでも、何もできん」
田村は席から腰をあげ、国旗の前に立って瞑目した。考えをまとめる時のクセだった。
「……まずは石光を召集せよ。細かいことは説明なしでかまわん。急ぎ大連に向かわせろ。作戦指示と装備支給はそこで行う」
「はっ」
副官は司令室を出て行き、国旗を見上げる田村一人が残された。
「……半年か……時間稼ぎにしかならんかも知れんが……」
思わず漏らしたつぶやきが苦い。しかし既に末端の人員派遣に私情を挟める立場ではなかった。
◇─────◇
奉天兵器
だだっ広い格納庫中央に、死体兵をくくりつけたパレットが固定されていた。開発部担当の軍医、石田大佐が数人の助手とともに、様々なテストを繰りかえす。言わば死体兵の分析実験だった。
彼らのまわりで、奉天司令部の面々が作業を見守っていた。最初は離れた所で結果を待つ予定だったのだが、志羅山中将の鶴の一声でそう決まった。が……中将は自分の決定を、やや後悔しているように見えた。しきりにハンケチで額の汗をぬぐっている。
「ゴボ……ゴボ……オゥアァ……」
「……やはり薬品は、生理的作用はしないと見ていいようですな。次、物理的作用を試してみましょう。君、塩酸を」
「はっ……」
石田大佐は淡々と作業を進めている。精神力というか神経の太さは賞賛すべきだろう。見守る軍人側はおおむね顔色が悪い。無理もない。死体が動くだけでなく、名は知れないとはいえ、元は友軍兵士だったはずの存在なのだ。
「南無妙法蓮華経……南無妙法蓮華経……」
参謀の一人が法華経のお題目を低く唱えている。普段であれば冷やかす者の一人もいたろうが、皆、無言だった。
あたりに酸性の異臭が流れた。思わず後ずさり、ハンケチで口元を覆う者が数名。
「……溶けますな。火ぶくれなどの生理反応はない。しかし酸で溶ける。痛覚は、やはりないようですな。うむ……」
手際よく作業を進め、結果をノートに記録していく石田大佐。科学者として有能なのは確かだろうが、その神経というか精神構造は、見守る者に不快の念を起こさせた。現状、敵の情報を得るために、やらないわけにはいかないと承知しているが……
「志羅山中将閣下」
「む?」
「最後にガソリンを使って焼いてみようと思うのですが、許可していただけますか? これによりサンプルが失われる事になるかも知れませんので」
「うむぅ……」
急に大佐から話を振られて、とまどいを隠せない中将だったが、
「……許可する。焼くことができれば、攻撃手段が得られるというものだ」
「はっ」
これはこれで、軍人側の非情というべきか。
一同、さらに距離をとる。石田大佐と助手たちがガソリンをまいて点火した。投光器の中央でパレットが、一層明るく炎に包まれた。
「南無妙法蓮華経……南無妙法蓮華経……」
お題目を唱える参謀に続いて、一人二人と手を合わせる。それは〝敵〟の情報収集の場ではあったが、同時に〝味方〟を荼毘にふす場面でもあった。
一時間ほど後、
「む……やはり焼却すれば動かなくなりますな。何か気づいた点はありませんか? 君たち」
なおも調査を続ける大佐を背に、司令部幕僚一同は、三々五々その場を離れていった。
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