死霊列車

 二月五日午前九時すぎ、満鉄連京線、公主嶺こうしゆれい駅。

 公主嶺は満州国の首都となった新京の南どなりに位置する都市である。駅の警備に立つ憲兵伍長が一人、いらだちを露わに人の群れをさばいていた。

 新京の関東軍参謀本部との連絡がとれない。それまでにも細かい無線の不通があったが、今回のはすでに半日近く続いていた。おまけに電話も不通だった。抗日匪賊の工作と予想され、公主嶺守備隊から数名が電話線点検のために出動した。結果、本来休めるはずだった彼も、人手不足のために駅舎の監視にかり出されるはめになった。どなり声が自然と高くなる。南どなりの都市、四平街しへいがい方面から旅客列車が到着し、駅は人混みと荷物でごった返していた。

 伍長の耳に、遠い汽笛が聞こえた。


「?」


 耳をそばだてると機関車の音がする。


(この時間に到着する列車があったか?)


 次第に機関車の音が大きくなる。駅員が顔を見合わせ、弾かれたようにホームの北、新京方面に向かう線路に駆けていった。


(まさか……ダイヤのミスか⁉)


 乗客たちも何事かとホームの北に顔を向けている。


「おいっ立ち止まるな‼ 早くホームから出ろっ‼」


 声を限りに叫び、自身も駅舎側に走り、伏せた。

 轟音とともに列車がホームにつっ込んできた。悲鳴。怒号。ひしゃげる金属音。衝突した機関車からスチームがもれ、あたりを白くそめる。


「くそっ!」


 伏せていた身を起こすと、四平街から到着したばかりの列車は大破脱線し、無残にのたうっていた。ホームの側に車体が飛び出、十メートルほどもはみ出している。


「おいっ! 誰か! 無事な者はいるか!」


 あちこちから苦痛のうめきが聞こえる。ケガ人は少なくないらしい。


「ちくしょう! 何て無様なマネを!」


 突っ込んできた列車の運転手を、罵りつけてやりたい衝動にかられ、伍長はホームを走った。次第にスチームの霧が晴れてくる。

 そして彼はそれと向きあった。ぶつかった機関車を破壊し、はね飛ばして、それ自体には何らの損傷も負っていない。そして何より


「な……な……」


それは機関車の車体に人間が融合していた。顔が、手が、足が、車体から突きだしている。悪趣味な作り物でないことの証拠に


「……アァーーー……オォァーーー……」


絶え間なくうごめきながら、低いうめき声をあげていた。苦痛・恨み・無念、それらがいり混じった暗い声。

 かちかちと自分の奥歯が鳴っている。ひざが震え、歩くことができない。それでも伍長は震える手で拳銃を抜いた。その冷たい堅さにすがりつくように。

 がちゃりと重い金属音がして、客車の扉が開いた。日本軍のものとおぼしき軍服の男たちが降りてくる。そして彼らは一斉に、こちらに顔を向けた。


「うおぁぁぁぁ!」


 吐くような叫びと共に伍長は発砲した。彼らの眼窩には眼球がなかった。乾いた色の皮が張り付いた、されこうべでしかなかった。撃ちつくした銃をとり落とし、その場に背を向け、転げるように逃げだした。


   ◇


 公主嶺守備隊指揮所。守備大隊隊長、春日少佐は、駅方面からの轟音に思わず腰を浮かせた。


「少佐どの!」

「落ちつけ、駅の詰所に連絡を」


 副官の大尉に指示し、窓辺に立って駅方面を望む。火災を思わせる煙はあがっていないようだが……

 電話に誰もでないのに業を煮やした頃、一人の兵士が駆けこんできた。


「報告します! 公主嶺駅に正体不明の敵襲! 敵は列車を戦闘用に改造し、兵士を乗せて強襲してきたもようです!」

「戦闘用列車だと⁉ どういうことだ。どこでそんなものを満鉄のレールに乗せたのだ?」

「鉄道警察隊が交戦中ですが、苦戦しているようです。また、報告が混乱しており、死体が動いて襲ってくるなどの流言が飛んでおります」


 最後の言葉に、さすがに冷静な少佐も目をむいた。


「なんだと? それは警察隊の報告か?」

「いえ、駅付近の建物から避難してきた民間人からの情報です。警察隊の誰かに確認したかったのですが、まずはご報告に」

「うむ……」


 ヒゲの先をひねりながら首をかしげる少佐。一般人の流言とはいえ、死体が動いてとは、あまりに……?

 別な伝令が駆けこんできた。


「少佐どのに報告! 襲撃してきた連中は駅南側の倉庫から物資を略奪中とのことです!」

「ちっ、なめたマネを! 敵の規模と所属については?」

「え、いえ、その、報告者が混乱しておりまして……憲兵なのですが」


とたんに口調が不確かになる。


「まさか死体が襲ってくる、と?」


 なかば冗談で返した少佐に、伝令兵は動揺したそぶりで、その言葉を否定しなかった。


「……ええい、見た方が早い! 出撃準備! 吉村隊は装甲車を出して北側の線路をおさえろ!」


 指示を飛ばして部屋を駆けでる。敵が何者であれ、まだ逃走していないなら目にもの見せてくれる。少佐は怒りに燃えていた。


   ◇


 春日大隊は潰走した。彼らは流言そのままの敵と相対した。すなわち死体の群れと。味方車両を盾にして銃撃を加え続けたが、敵兵に何の痛痒も与えない。


「ひはは! ひぃはははは!」


 味方兵の一人が哄笑しだした。死人は死なねぇ、死人は殺せねぇ。口走りながら壊れた人形のように、弾の切れた小銃の引き金をひく。銃剣が届く距離に浸透されると、一方的な殺戮が始まった。狂笑のとおり、生者は死者を殺せないが、死者は生者を当然のように殺す。死体の兵隊は、むしろ気だるそうな動きで、腰を抜かした兵たちを銃剣で屠り続けた。数名の兵が武器を放りだして逃走をはじめた。戦う意志が失われれば、どんな兵器も兵力も意味を失う。


「下がるな馬鹿もの! 貴様らそれでも皇軍兵士か! おのれ、こんな事が……ありうるかぁぁっ‼」


 雄叫びとともに、春日少佐は軍刀で死体兵に切りかかった。なまじ腕に覚えがある故の蛮勇だった。枯れ木が砕けるような音とともに、死体兵の頭部が落ちた。が、死体は動きを止めない。よどみなく突きだされた銃剣が、少佐の胴体を貫いた。自分の身に起こったことが信じられぬ表情のまま、春日少佐はくずおれる。


「春日隊長ぉー! うわあぁぁ!」


 その光景に、副官の大尉は思考が飛んだ。銃の使い方を忘れたように、闇雲に首のない死体に突きかかる。指揮系統を失った大隊は、数で圧倒的に劣る相手に四分五裂に蹂躙された。


   ◇─────◇


 同日正午過ぎ。

 奉天関東軍司令部は、情報の混乱に悩まされていた。

 夜半から始まった無線通信の障害は一向に回復せず、有線通信も滞りがちだった。四平街守備隊からの報告で、公主嶺で武力衝突があった事はわかったが、現地守備隊と連絡がとれず詳細がつかめない。四平街隊が公主嶺に救援と偵察に向かったという、その結果を、司令室に集まった将校たちはじりじりしながら待っていた。時間だけが過ぎてゆく──


「どういう事か‼」


 奉天師団司令官、志羅山しらやま中将がついにかんしゃくを爆発させた。普段から〝イラ山〟と陰口される短気な男である。あたりの将校は『またか』と、目くばせを交わしあった。


「先般から何度も起こっている事ではないか! 軍にとって通信ができぬとは、耳目をふさがれるようなものだぞ! それがいまだに原因不明で放置されてきたとは、怠慢以外の何ものでもない‼」


 言っている事は正しい。が、今言いたてても問題の解決にはならない。工兵隊あげて、さらには満鉄の技術者まで動員して調査を進めたのだが、原因を突きとめる事はできないままだった。


「妙だ、やはりこのパターンは……」


 参謀部所属、牧原大佐がつぶやいた。参謀部の古参で、冷静な切れ者で通っている。


「何が、だね?」


 志羅山のかんしゃくを引き受ける形になった牧原に、同僚から同情の視線が注がれる。しかし当の本人は、意に介さず淡々と続けた。


「無線の不通現象に、明かな地域性がある事です。奉天から北方には通じず、南方には、感度が落ちるものの不通までには至りません。北西、内陸方面に奥まっていくほど、不通の度合いがひどくなる。ここから北方の開原かいげんまでなら飛びとびながら通じない事もないのですが、四平街、公主嶺と不通の度合いが強くなる。これはまるで……」

「新京方面に無線妨害の原因があると?」


 参謀の一人が先ばしった質問をした。


「そこまではっきりとは言えないが、奥地に何かの原因があるとは思う」


 それなりに筋道だった牧原の推論だったが、しかし中将は収まらない。


「で、その原因が何であるか、が肝心なのだが」


 話は堂々めぐりするかに思われたが


「報告します! 四平街守備隊より偵察報告が届きました!」


牧原は伝令に助けられた形となった。

 電文を受け取った志羅山の顔が、見るみる紅潮し、しまいにはどす黒いまでに変色した。


「なんだこれは……ふざけるにもほどがある! 死体の軍団だと……!」


 あたりの者全員が顔を見あわせた。副官の矢島大佐が志羅山をなだめつつ電文を受けとり、その場で読みあげた。


「二月五日午後八時三十分ごろ、わが部隊、公主嶺に向かう路上にて、公主嶺守備大隊の生存者と合流。相当に動揺し、証言なかなか要を得ず。あえてまとむれば、当日午前、公主嶺駅に武装列車が来襲。列車より敵兵団降りたち、駅前付近を制圧す。敵は、死体の群れ。念のため、公主嶺部隊・民間人含め証言多数。前後するも、わが部隊にても同様に確認せり……」


 報告が読みあげられるにしたがって幕僚全員言葉を失い、死体兵の下りになると、それは驚愕にまで至った。死体が動く⁉ 集団となって襲ってくるだと⁉


「それは幻覚、幻術の類いでは? 例えば日露戦争時、グリゴリー・ラスプーチンとその一派は大規模な集団幻覚をあやつったと記録されています」


 牧原の声も、かすかに上ずっている。


「まずは……まずは報告を……」


 矢島大佐の額にも大粒の汗が浮かんでいた。

 報告書の要点をまとめれば……公主嶺が武装列車の部隊に襲われ守備大隊は壊滅。救援に向かった四平街大隊も敵に損害を与えられずに退却。辛うじて公主嶺の生き残りと避難民を四平街に誘導中。以上であった。


「うむ……」


 腕組みをし、考えこむ牧原。信じられない。にわかには信じがたい事ばかりだが……今、奉天の我々ができる事は……


「武装列車は新京方面から来襲したとのことですが……」

「む、確認せねばならんな。列車一つ線路に乗せるのは、匪賊風情にできる事ではない。……お、お……」


 いらだった時のクセで、中将はヒゲをひねりながら牧原をにらみつけた。


「俺にあれを使わせる気か?」

「は、現状新京司令部と交信する方法はそれしかないかと」


 志羅山と牧原の指すものは、奉天司令部と新京司令部の直通電話だった。回線の場所を秘匿するため、めったに使われない代物だったが……


「……あれはソ連軍の侵攻でもなければ使ってはならんという不文律なのだが……」

「閣下、正体不明の敵襲がありました」


 淡々とうながす牧原に、渋い顔を見せて志羅山は椅子を立った。壁の隠し扉を開くと、ちんまりとした電話機が収まっていた。志羅山が耳にあてる受話器から、かすかに呼び出し音が聞こえる。その音が十数回を超え、志羅山がいらだちを露わにし始めた時、ようやく相手側の受話器がとられた。


「もしもし! 奉天司令部の志羅山です! 本郷大将閣下ですか!」


 電話の先は、新京関東軍司令部。相手は司令官、本郷正武大将のはずだが……相手は答えない。


「……用件を申しあげます。昨日午前、公主嶺が新京方面からやってきた軍用列車に襲撃されました。この件、ご存じか」


 しかし相手は答えない。ついに志羅山がかんしゃく玉を破裂させた。


「私は軍務で連絡をとっている! それをこの扱いはどういう所存か! いや、あなたは本当に本郷大将なのか? 返答して頂こう!」

「くっくっくっ……」


 志羅山の怒鳴り声にこたえたのは、嘲笑の響き。低くかすれ、地の底から湧いてような……


「な……! な……!」


 興奮に声をつまらせる志羅山の耳に、しわがれた老人の声が響いてきた。


「吠えるな下郎。犬にふさわしい振るまいだが滑稽なだけだ。フフ……汝らの無知は哀れみに値する故、教えてやろう。余は帰ってきた。以降、四海全ては余がしろしめす。汝らには選ばせてやろう。生きて余に帰順するか、死して余の兵俑と化すか、どちらかをな。ヒロヒトとやらにもそう伝えるがよい」


 唐突に電話は切られた。そして二度と繋がることはなかった。

 衝撃に震える志羅山を、幕僚全てが呆然と見守った。帝国軍人としてありえない、いや、当時の日本人にはありえない不敬な言辞。そのはずだった。


   ◇─────◇


 ベルリン日本大使館。

 大使の葛巻勝俊は一通の書面を手に身を震わせていた。


(やりやがったか!)


 公主嶺駅襲撃の、本国から送られてきたばかりの第一報である。襲撃相手は不明とされていたが、葛巻が最初に想像したのは新京関東軍のクーデターだった。先年以来、本国においては軍の若手将校が蜂起計画をくり返し、政府はそれに振りまわされ続けてきた。外務省に身を置く者としては、陸軍の中枢がそれを黙認しているとさえ感じられていた。同じ事を満州国の若手将校が企てても不思議はない。


(至急、参謀本部の動きを確かめなければならん……)


 椅子に腰掛け考えをまとめようとしてた時、目の前の電話機が鳴った。無言で受話器をとる。


「葛巻大使ですか? グスタフ・アルブレヒトと申します。先日のパーティーでお目にかかりました」

「……アルブレヒト大佐。ドイツ情報局の方でしたな。失礼ですが、どういうご用件で?」


 葛巻の声に緊張が混じる。ドイツ外務省からではなく情報局からとは、異例の事態を連想しないわけにはいかない。


「よろしければお話をうかがいたく思いまして。……満州国の公主嶺襲撃事件の件です」


 衝撃にうたれた葛巻だったが、必死に冷静な態度を装った。何という情報の早さか。これでは、まるで……


「おお、お耳の早い事で。私も本国からの連絡をたった今受けとった所でして。して、どういう筋のお話ですかな? ドイツ国として日本側大使の聴聞がしたい、と?」

「いえいえ、そんな大事ではありません。ちょっとした懇談をかねて、情報の交換などできれば、と思いまして」


 大佐の声はあくまで和やかだった。どうしたものか……、外交官特権を盾にすれば、断れないものでもないが……


「わがドイツとしては大日本帝国と、ぜひとも友好関係を維持したいと願っております。同じ国連脱退組ですからな。それに……死体兵……ですか? 奇妙な噂も気になりましたもので」

「……!」


 思わず息をのむ葛巻。今度はさすがに平静を装えなかった。それは東京発の第一報には含まれていない話だった。これは……乗らないわけにはいくまい。


「……わかりました。ご招待にあずかります。場所は情報局でよろしいですか?」

「招待したのはこちらですから、ご足労をおかけするわけにはまいりません。迎えの車を大使館に送ります。サヴォイ・ホテルのレストランに席を押さえてますので、どうぞお楽しみに」


 外交官かと思われるような丁重さで述べ、アルブレヒト大佐は電話を切った。

 葛巻は心中穏やかではなかった。完全に情報でだし抜かれた。ヨーロッパでの出来事ならともかく、満州国で起こった事件で。どういう事か? 軍か外務省に内通者でもいるのか? それとも……


(ドイツが満州国に、独自に諜報網を作っているのか?)


 何にしても会って話さないことには情報の欠損は埋められない。気が進まぬながら葛巻は支度にとりかかる。

 端的に言って、葛巻は現在のヒトラー政権に好印象を持っていなかった。首相に選任されてから大統領兼務までの、血なまぐさいやり方を目のあたりにしては、当然の感想だったろう。とはいえ日本の立場としてはドイツは数少ない友好国であり、自分の感情だけで粗略な態度をとるわけにはいかない。

 葛巻は部下たちにハッパをかけ、東京から細大漏らさず情報を送らせるように指示する。そしてジュネーブに駐留している満田謙吉公使に、ドイツ側との一連のやりとりを送信した。先年日本が国際連盟から脱退して、国連本部が置かれているジュネーブには規模縮小された公使館のみが残されていたが、それはかつての協調外交に携わった者たちにとって蜘蛛糸のような希望でもあった。

 一連の手配を終えたころ、大使館に迎えの車が到着した。


   ◇─────◇


 東京、三宅坂陸軍本部。

 参謀次長、田村悟大将は、公主嶺襲撃事件の報告電文を読み終え、眼鏡を文鎮のように書面のはしに置いた。手元がかすかに震えている。


「信じられん……動く死体の軍団だと……? そんなものは、前の戦役時にラスプーチン一味とやりあった時でさえ、なかった事だぞ」


 田村大将は、すでに陸軍内で数少ない日露戦争従軍経験者だった。


「再調査を求めますか? あるいはこちらから調査のための人員を派遣する、とか」


 副官の言葉に答えず、机上に組んだ手の甲にアゴをあずけて、田村は無言で考える。これは本当に呪法・魔法による現象なのか? そうでなければ、なんらかのトリックがあるはずだ。国内外の研究機関その他で、それを検証できる組織は……


(……万能の道具はないのであります、少佐どの)


 ふと、田村の脳裏に、数十年前に聞いた言葉が蘇ってきた。


(少佐どのには不細工に見えましょうが、かの術を暴くには、この呪符でなければならぬのであります……)


 それは日露戦争よりさらに前、彼が一情報将校として清・ロシア国境地帯を渡り歩いていた頃、部下である呪法兵が語った言葉だった。またずいぶん古いことを思い出したものだ……


(それぞれに、ふさわしい手段がある、か)


 胸の内に、その言葉を反芻する田村。既に廃止されて久しく、陳腐に見えるのは承知の上で、しかしこの〝トリック〟を暴く、もしくは対抗するには、やはり〝彼ら〟が必要だろう。田村は、自分にいい聞かせるようにつぶやいた。


「……事実であれ、幻術の類いであれ……もう一度呪法兵を組織せねばなるまい」

「は……呪法兵……ですか?」


 副官の声に込められた戸惑いに、田村はかすかに眉根を寄せた。日露戦争後に軍に入り、呪法戦を経験しないで今の地位に昇りつめてきた彼ら。近代戦には優秀だが、未知なものへの彼らの無防備さを見ると、軍が、いや、自分たちの世代が過去に捨ててきたものは決して小さくなかったのではないか、そんな思いが湧く。


「資料部の山根を訪ねて協力させろ。それで以前の組織はおおむね理解できるはずだ。優先事項は、現在動ける予備役呪法兵の名簿作成。その後、報国長老会に連絡し呪法兵再組織への協力を要請。急げ!」

「は、はっ!」


 副官は部屋を駆けでて行った。今ひとつわかっていない表情だったが、報国長老会を知らなかったのかと思い当たった。まあいい、資料部の山根がレクチャーするだろう。軍記録の生き字引的な男だ。

 報国長老会とは、寺社と陰陽寮・修験道組織を縦断して、軍と協力するため組織された連絡会議であった。呪法兵が廃止され、軍と関わりを失った後は名ばかりの組織になりかけていたが……

 田村の脳裏を、再びかつての部下の顔がよぎった。心強い男だったが、いくらなんでも歳を取り過ぎている。予備役呪法兵をさらって、彼が候補に挙がってくることはまずあるまい。

 田村は眼鏡をかけ直し、席を立つ。もう一つの、最大の疑問は、新京の満州国首脳部がどうなったか? である。報告にある返信が本当ならば、まるで満州国が、大日本帝国に反逆を企てたかのような振るまいだ。電話の相手は、満州国皇帝を名乗らせている溥儀なのか? しかしそうだとして、現地関東軍は一体何をしているのだ? 溥儀に協力しているとでも? わからない事だらけだ。


(しかしこれは……陛下にご報告しないわけにはいかんか)


 不確定事項が多すぎるとはいえ、それが明らかになるまで陛下をカヤの外に置いておくわけにはいかない。ただでさえ関東軍の動向にに神経をとがらせておられるのだ。省庁玄関に向かう田村大将の足取りは重かった。

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