公募に出すことのデメリットみたいな話
本当に書くことがなくなってきたので、公募に出そうぜ! という前向きな話から一旦距離を置いて、少し後ろ向きな話になります。
公募に出し続けることは、すなわち新しい作品を書き続けることだと前に書きましたが、これは言わずもがな、小説を書く人間にとってのメリットです。新しい作品を形にし続けることは大変ですが、「書く」「完結させる」という行為には意味があります。
公募用の作品を書く。それは公募に出すなら必要なことです。当たり前です。
しかし、この作品は最初っから公募に出すことを目的に小説を書いている人はあんまり想定していません。カクヨムで小説を書いている人に、公募という選択肢があるのだということを提示できればいいなーという軽い気持ちです。
で、公募には規定枚数やらカテゴリーエラーがあるという話は以前に書きました。その辺を加味して小説を書いていかなければ、そもそも公募に出せません。
ただ、そればっかりが頭にあることは、果たしていいことなのか? という話です。
たとえば100万字超の大作を思いついたとします。しかしそんなものを受け入れてくれる賞は(あまり)ありません。
公募に出せないから、書かない――そんな考えに至るのはあまりよくありません。
公募基準で小説を書くことは、公募に出すなら当たり前のことです。
でも、ここはどこだ? カクヨムだろうが。小説投稿サイトだろうが。
小説投稿サイトで書く小説に、公募の基準を当てはめることの、なんと無意味なことか! 自分の書きたいものを書きたいように書いて公開できるという利点を捨てて、なにが小説投稿サイトか!
はい。少し落ち着きましょう。
私の話をしましょう。現在公募用にカクヨムで公開している『三日月タタリの解釈違い』を、がんばって書いてます。
ただ、ほかの連載中の作品があることも忘れてはいません。息抜きのつもりだったり、単純に続きが書きたかったりして、そちらを書き進めることもあります。
でもそれを書いている――公募用の作品を書かないでいると、よくわからない罪悪感のようなものに襲われるのです。
無論、締め切りが存在し、それまでに書き上げないといけないという目標があるので、それに急き立てられているというのもあるでしょう。それは必要なことです。締め切りの設定、厳守は大切なことですし、それによって普段よりも筆が進む場合も多いのです。が。
なんか、それ以上の罪悪感に襲われてないか? と思ったりします。
ひょっとして公募用の作品を書かないと、不安になってしまうような状態に入ってきてません? と自分でびっくりしてしまいました。
よくないですね。これはよくない。非常によくない。
締め切りを守るという目標以上の焦燥感を感じ始めたら、要注意です。小説投稿サイトで小説を公開するというのは、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんです。
公募の前に小説投稿サイトの存在があったタイプの人間が、公募準拠の思考に陥ってしまう。これが、公募に出すことによって起こり得るデメリットです。
まあ公募は公募、ネットはネットと割り切ってしまうのが一番ですよね。それを忘れちゃ疲れるだけです。
以上、ほぼ自戒兼愚痴でした。
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