第2話 二回目のお見舞い
いつもの日課とばかりに積み上げられたアルバムから一つを取り出して眺める。そこに写るのは俺ではなく僕であり、そして、高確率でその隣には自称幼馴染がいた。
……どうやら、幼馴染という呼称は正しいらしい。
そんな感想を抱きながらまたペラペラと音を響かせて、最後にはパタンとその本を閉じる。この思い出の塊を見ることの意味を、俺はもうあまり感じることができなくなっていた。
時計は、すでに面会時間内であることを示していた。今日は誰も来ないのだろうかと、アルバムを横にあえて雑に置き、ベッドに横になる。そして目を閉じると、適温に保たれたこの部屋によって、俺は意識を薄くしていった。
「……い、おーい、お見舞いにきましたよー」
そして、声で起こされた。けして大きな声ではなかったものの、病院では規則正しい生活をしているためか、昼寝といっても眠りは浅く、意識の覚醒にはそれほど時間がかからなかった。
目を開けると、ベッドの横にちょこんとあの幼馴染が座っていた。
時計は最後に見てから三十分も進んでいない。寝るタイミングが悪かったかと、俺は体を起こした。
「人の昼寝を邪魔するとは罪深いな」
そんな軽口を叩いてみる。
「そう? ボクは寝顔を見ててもよかったんだけど、それだとあとから見てたことを君に怒られそうだったからさ」
ノータイムでそう返してくる彼女は、微笑を携えていた。
なんというか、どこまでもまっすぐなやつだなと思う。唐突に、俺はそんな感想を抱いた。
その表情もしぐさも、すべてがずれることはなく、正確にかみ合っている。そう感じたからこそ、俺は一つの質問を思いついた。
「……寝たままなら、お前は愛しの僕を見続けることができたんじゃないのか? ……少なくとも俺がしゃべらなきゃ、お前から見れば俺は、僕と同じだろう」
その問いかけは、自分でもひどいと感じた。するべきでない質問だ。少なくとも、僕に好意を抱いている奴にする質問じゃなかった。
「あ、いやすまん。忘れてくれ」
だからそう逃げたのに、幼馴染さんはいとも簡単にその答えを口にして見せた。
「いんや、ぜんぜん」
と。なにを当たり前のことをとでも続きそうな調子で。
そいつの顔は、動作は、やはりかみ合って、一片の曇りもなかった。嘘をついている奴の言葉ではなかった。それゆえに、俺は驚いて、反射的にじっとそいつを見つめてしまった。
そんな俺に、そいつは笑いかける。
「なにも、驚くことないじゃない。ボクは君が好きで、君が好きで今までずっと見てきたからこそ、君が君じゃないってわかるんだ。……それとも、君は自分を否定してほしかったのかな」
首を横に振った。別に俺は、自分を否定してほしかったわけじゃない。ただ、よくわからない感情から、先ほどの質問を口走ったに過ぎない。
その感情とやらの正体はよくわからないままだが、漠然と俺は満足していた。
「――ここに千円札があります。……知ってる? 千円札って十五センチなんだよ?」
先ほどの会話から数舜の沈黙があって、それから突然に彼女はそう言った。
手には千円札を横に広げて持っており、それを俺に向けていた。紙の中の細菌学者が、じっとこちらを見つめている。
「それが? どうしたっていうんだ」
「いや、君がどうにも何かに悩んでいるみたいだったから、少しは力になれるかなって」
幼馴染はそう言ってのけるが、少しも意味が分からないことに変わりはなかった。
懐疑的な視線を向けていると、そんな視線を気にすることもなく、そいつは話をつづけた。
「たとえ話をしようか。例えばこの十五センチの紙に何も印刷されてなかったら、君はこれを何だと思うかな」
あまりにも意味不明ではあったものの、俺は仕方なくその問いに答えた。
「ただの紙だと思うんじゃないか?」
「まあそうだよね。じゃあ――」
今度は、何も書かれていない千円札と同じサイズの白い紙を、こちらに向けた。
「じゃあ、これに千円札の絵柄が全部きれいに印刷されてたら、君はどう思うかな」
「……偽物の千円札だなとでも思うんじゃないか」
こいつの言いたいことが、事ここに至ってもわからなかった。それでもそのたとえ話に、意味がないとは思えなかった。だって、こいつがこんなに、俺を真正面から見て話しているのだから。
「この十五センチの紙に、この絵柄が印刷されていることで、これは価値を持つ。本当は信頼とか必要だと思うけど、それは今回考えないようにする。そして、今の君をこの千円札に例える。十五センチの紙切れを肉体。この絵柄を記憶って具合にね」
考える。もし俺が千円札だとしたら。
ずいぶんとばかばかしい妄想だが、いまはこいつの言うとおりにしてみようと思った。
「ボクたちは、記憶を失う前の君に価値を見出している。だから記憶を取り戻してほしいと思う。元に戻ってほしいと思う」
それならば、ここで言う千円札は僕。そして、俺は――。
「そして君は、記憶が違う。要は、この十五センチの紙に、千円札でない絵柄が印刷されてるんだ」
――俺は、千円札ではない。そのたとえで行くのなら、俺はただの価値のない紙切れだ。
「……俺に、価値がないとでも言いたいのか?」
そこまで考えて、俺はそうそいつに投げかけた。自然と目つきが鋭くなっているのに気づいて、慌てて元に戻す。
「違うよ。もし、この十五センチに千円札と違う絵柄が印刷されていたとしても、その絵柄できっと、別の価値を持つんだ」
そこまで言って。彼女は何も印刷されていなかった十五センチの白い紙に何かを書きはじめた。
やがて、そうやって書いたその紙を、こちらに渡してくる。
そこにはこう書かれていた。
『君の記憶』
俺はそれをしばらく眺めて、顔を上げる。そこで彼女はまた、笑っていた。
「少なくともボクはその絵柄を、割と気に入っている」
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