サルビアのせい


 ~ 七月十三日(木) 一時間目 ゼロセンチ ~


   サルビアの花言葉 家族愛



 嬉しいか嬉しくないかと問われれば、ぜんぜんまったく嬉しくなんかない。

 そんな、ぴったりくっつけた隣の机に腰かけるのは、裁縫と目玉焼きだけは上手な藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪が、今日はまた芸術的に仕上がっている。

 髪が幾重にも編み込まれているのだが、真っ赤なサルビアも一緒に編み込まれているせいで、まるで花の妖精のよう。


 今日は特に綺麗。じゃなかった、今日は珍しく普通だ。うん。



 昨日のドラマ、最終回三時間スペシャルは、むりやり誘われて穂咲の家で一緒に見ることになった。


 穂咲は浴衣のつくろいをしながらおばさんとしゃべりっ放し。

 それでいてドラマも見ているようで、シーンごとにいちいち俺に、今のはどういう意味なのとか聞いてくる。


 女子って凄い。


 ……でも、ずーっと解説させられたせいでドラマに集中できなかったです。


 ということで、今日は劇団も出さずに真面目に授業を受けるのだろうと思いきや、こいつはどうしてこう悪い方へは期待を裏切らないのだろう。


 穂咲の手には、桜に江戸縞模様の浴衣に針と糸。

 花のアップリケが、洗っても落ちなかった汚れに次々と縫い付けられていく。


「さすがに堂々とし過ぎです。昨日の今日ですし、今日はやめときなさいって」


 俺の忠告に、穂咲は笑顔で大きく頷いた。

 そして、浴衣を羽織った着せ替え人形を渡してきた。


「こんな感じになるの。明日にはできるの」


 いやいや、会話になってないよ。

 しまいなさいって。


 でも、元がおじさんのだから随分男っぽい仕上がりになるんだな。

 穂咲には似合わなくないか?


 そう思いながら人形の腕をクルクル回していたら、穂咲が人形を勢いよく引っ張った。


「この子、腕がもう緩いから回しちゃダメなの。…………え?」


 うん。俺がこの子の手を持ったままだったから、そりゃこうなるだろ。


 穂咲の顔が、一瞬で青ざめる。

 俺の手には人形の腕。

 君の手にその本体。


 大丈夫だって、すぐ戻すから。

 おじさんとの思い出の人形だもんね、任せとけ。


 俺は穂咲から人形を取り上げると、腕を元のように……、あれ?

 元通りに差し込んで……、あれ?


「……これ、どうやって入れるんだ?」


 無理に突っ込めば入らなくは無さそうだけど、そんなことしたら腕に付いてるパーツが壊れてしまいそう。


 ちらりと横目で見れば、既に結界寸前までタレ目に涙を溜めている穂咲の姿。

 しかも、いつもみたいに子供っぽい泣き顔じゃなくて、何かを諦めたような、寂しい笑顔を浮かべて俯いている。


 ……どうしよう。

 背筋に冷たい物を感じた俺の手から、急に人形の腕が取り上げられた。


 まずい、先生が目の前にいたなんて!


 すかさず起立。そして、誠心誠意頭を下げた。


「遊んでいたのは俺です! この人形は、こいつのお父さんとの大切な思い出の品なんです! 学校に持ってこないよう言い聞かせますから、返してください!」


 お願いします、先生!

 歯を食いしばって願いながら下げた頭の向こうで、先生の気配が少し横にそれる。


 そして穂咲の鞄からコンロと鍋を取り出すと、俺の机に置いてあったペットボトルの水を沸かし始めた。


「秋山、それをよこせ」

「でも……」

「いいから貸しなさい」


 先生の声に不思議な響きを感じた俺は、素直に穂咲の人形を手渡した。

 ……この響き、昔どこかで聞いたことがあったような。

 ちょっと厳しくて、でもすごく優しい、この声は……。


 誰もが声も出せずに見守る中、先生はお湯を沸かすと、浴衣を外した人形の肩をそこに浸けて柔らかくしたところに難なく腕をはめて穂咲の机に置いた。


「こうしてから差し込まねえと壊れるんだ。冷めるまでいじるなよ」


 穂咲の目に溜まっていた涙が、笑顔になったせいで溢れて零れる。

 そして、先生を見上げて心から嬉しそうにお礼を言った。


「はい! 冷めるまでいじらないの! ありがとう、パパ! ……あ、ちがっ!?」


 ……穂咲は、そのまま、真っ赤になって突っ伏した。

 先生も、耳まで真っ赤になりながら教卓へ逃げて行く。


 いや俺も、いやいや教室中みんなが、顔、真っ赤。


 そんな中、隣の席からくぐもった声が聞こえた。


「……道久君が、その子の腕を外したの、二度目なの」

「え? 覚えてないよ」

「でも、次の日には元に戻ってたの。夢でも見たんじゃないかって言われたの」


 そっか。

 きっとおじさんも、同じ想いで治してくれたんだろうね。


 あれからこんなに時間が過ぎたのに。

 おじさんとの思い出が、またひとつ増えたね。


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