第2話 『接触』

 翌日の午後2時過ぎ、小笠原は三笠山公園の近くに路上駐車した事務所御用達ごようたしの黒いツアー用マイクロバスの車内で、メークを受けていた。


 この車、バスと名は付いているが、ワゴン車を一回り大きくした程度のサイズ。それでも内部には小さなテーブルや椅子が設置され、小型冷蔵庫まで備えられている。


 窓は有名声優や俳優が極秘で移動する時のためにカーテンで仕切られ、車内で衣装の着替えやメークも行えるし、時には六本木の首都高下の駐車場に停車して、車内臨時会議が行われる事もあるという優れものだ。


 おかげでスタッフからは『せっかくだからシャワーも設置して欲しい』なんて要望も出ているが、それをやったら車に住み着く人間が出そうなので、アイディアは却下きゃっかされたままになっている。


 今日のお金の受け渡し場所である三笠山公園は、東京23区の西寄りの下町にある中規模公園で、時々低予算の主婦向け不倫ドラマの待ち合わせ場所として使われているので有名だ。


 公園の中央には噴水もあり、下町には似合わない深い緑のおかげで、初夏ともなると恋人たちの愛の語らいの場所にもなっている。

 

 とはいえ今はまだ早春の平日午後、公園も周辺道路もあまり人通りはなく、時折吹く木枯らしに枯葉がクルクルと舞っている。暖房の効いた車内では、白三プロの運営する劇団『スーパーセンチュリー』の専属メークの加瀬が、ちょっとおカマっぽい腰をクネクネと動かしながら小笠原に向き合っていた。


ーーーーーーーーーー


「小笠原さん、今日のお肌ステキ! 昨日の夜はなんか良い事があったんでしょ〜!?」


 メークアーティストらしく(?)、髪の毛をタマネギのようにクリクリっとまとめ、ちょっと毛深そうな髭面の加瀬は、そう言いながら手際よく小笠原の顔を老人化していく。


 小笠原はパフパフと心地よく顔に当たるメークブラシの毛先を感じながら、


「そうですねえ、昨日の夜、春アニメの打ち合わせで、ちょっと面白い役周やくまわりが来そうでワクワクしてるんですよ!」


 と、あまり顔の表情を動かさないように注意しながら言った。


「ああ、そっか〜、もう春アニメの時期よねえ。ほ〜んと、人間、すぐに年取っちゃってや〜よねえ。あ、でも今日のメークは老人風だわよね」

「フフフ、老人っぽくなって来ました?」


「うん、いい感じ、いい感じ! ちょっと若い雰囲気の元気な80代って雰囲気かなぁ〜?」

「元気な80代、そうですね、最近のお年寄りは元気いいですよねえ」


「そうよねえ、こないだも作家さんのホームパーティーで重鎮じゅうちん横掛よこかけさんが初代ゴリアンの声をやってくださったんですけど、も〜全然ガキ大将の声なのよ〜! 今は、80代だからって老人風にすると、かえって変ですよね」

「横掛さんお元気ですよね。今日の私の設定も長坂トミ子86歳ですけど、ちょっとオシャレなオバアチャン役で行こうと思ってます。服装も和服じゃなくて明るめな色合いの洋装にしてみたんですけど、どうかしら?」


 今日の小笠原のスタイルは、花柄の明るいクリーム系のセーターにベージュの上着を羽織り、首には少し大きめの貝殻が付いたようなアクセサリーを着け、スカートではなくライトグレーのパンツルックだ。


「うん、大丈夫ですよ! 着こなしの素敵な、ハイセンスお婆ちゃんって感じ! もう、その勢いで、悪い奴なんかバンバ〜〜ンってやっつけて来ちゃってね!」


 小笠原はそのカマっぽい『バンバ〜〜ン』という言葉がツボにハマり、必死で笑いをこらえていると、運転席から声がした。


「別動隊Bチーム到着しました。三笠山公園横の車内で待機中です。C/Dチームは駅前の喫茶店で指示待ちです」

「あら〜、今日は随分メンバーが多そうねえ」


 加瀬がそう言うと運転席の男はうなづきながら、


「本日はスケジュールに空きのある研究科の方が8人と、緊急事態に対応するガードスタッフ、小笠原さんや加瀬さんも含めると15人近いメンバーですね」

「上森さんは分室で待機中ですか?」


 小笠原が聞くと運転席の男は片耳用のイヤフォンと、それにつながった小型の機械を差し出しながら言った。


「はい。こちら、小笠原さん用のモニターです。イヤフォンは補聴器風のデザインになっていますが、電源を入れれば常に分室の上森さんと話せるようになっています」


 小笠原は、その小さな機械を受け取るとイヤフォンを耳にかけて電源を入れ、


「小笠原です。今、マイクロバスの中で加瀬さんにメークをしていただいています。聞こえますか?」


 イヤフォンから上森の声が聞こえた。


『はい、大丈夫です。今日はよろしくお願いします』


 加瀬がすこし大きい声で言った。


「上森さん、お疲れさまで〜す。メーク加瀬でっす。小笠原さんのメークは大体完了しました。オシャレなお婆ちゃんの完成ですよ!」


 すると運転席の男が、


「音声、スピーカーの方から出します」


 と言いながらスイッチを切り替えると、上森の声が車内に聞こえ始めた。


『加瀬さんお疲れさまです。で、本日ですが、

 15時に三笠山公園にて小笠原さんにターゲット権田原に接触していただきます。

 その後、用意した120万円を渡し、筆跡確保のため領収書に権田原のサインを要求して受け取ってください。

 ターゲットとの接触後、一応コウジに電話を入れてみて下さい。まず間違いなく解約されているとは思いますが、もし連絡が取れた場合には通話内容を記録するよう、お願いします。

 以上を終了後、マイクロバスに戻っていただき任務完了です。

 そのまま分室においでいただくか、ソナスタジオに直接移動していただいても結構です。ターゲットは別動隊が追跡します。

 もし、問題があるようでしたら、このモニターシステムでひとりごとを言うような感じでしゃべってくだされば、こちらから適宜てきぎ指示を出します』


「上森さん、了解しました。わたし、素敵なオバアチャンに変身させていただきました! 15時まで15分くらいありますが、そろそろ心配顔で公園をウロウロしたいと思います」

『分かりました。ではBチームにも行動開始してもらいます。Bチームは、研究科の高野君と梶宮かじみやさんのカップルが、小笠原さんが見える程度の距離で愛を語り合う予定です』


「あら、可愛いカップルですね。高野君、ちょっと素敵ですよね。正式デビューしたら女の子がほっとかないでしょうねえ」

『いやいや、彼はBL系のチョイ役なのに、もう腐女子のお姉さま方にロックオンされてるみたいですよ』


 上森がそういうと加瀬が、


「んまぁ〜〜、なんだかけちゃう! んも〜、ジェラシー!」


 と、ちょっと場の雰囲気を和ませた。


 小笠原は一息入れると上着を羽織り、


「それじゃ小笠原のトミ子86歳行きます!」


 そう言いながら颯爽とドアを開けて車外に出ると、突然、杖をつきながらヨボヨボとした足取りになって三笠山公園に向かって行った。


ーーーーーーーーーー


「やれやれ、年取ると約束より随分早めの時間に来てしまうものねえ、まだ権田原さんはお見えになっていないようだわねえ」


 小笠原がボソボソとつぶやくとイヤフォンから上森の声が聞こえた。


『ターゲットはまだのようですね。Bチームは見える範囲にいますか?』

「あらあら、噴水の所に仲の良さそうなカップルが、いいわねえ若い人は」


 小笠原は独りごとのように言う。


『了解しました。Bチームにも小笠原さんの方を注意しているように指示します』


 小笠原は120万円を入れた赤いバッグを大事そうにかかえ、キョロキョロしながら公園のベンチに座った。昼下がりの下町公園、まだまだ寒い事もあり周囲に人影はない。時折吹く冷たい風に、ちょっと前屈みになる長坂トミ子こと小笠原。


 しばらくすると背後から野太い男の声がした。


「長坂トミ子さんですか? 長坂コウジさんのお婆さんの...」


 小笠原は “オヤオヤ『長坂コウジさんのお婆さんの』って、口のきき方も分かってないね、この人!” と思いながら振り向くと、そこにはガッシリした体型のスポーツ刈りサングラスの男が立っていた。昨日の電話の話し通り、なんだか品のない色彩感覚の背広姿だ。


「ぁあ、権田原さんでらっしゃいますかぁ? このたびは孫のコウジが大変なご迷惑をおかしてしまったようで、申し訳ないですねぇ」


 小笠原が長年の声優仕事のテクニックを駆使して老婆風にヨボヨボと、しかし心配そうな雰囲気を身体中から発散させ、ペコペコとお辞儀をすると、男は言った。


「ええ、権田原です。大阪の金融会社の方から頼まれて、お金を受け取りに来ました。お金持ってますか?」


 小笠原は “オイオイ、少しは敬語の勉強しようよ” と内心ツッコミながら、


「はいはい、ここに...」


 と、赤いバッグをターゲットの前に差し出した。

 それを受け取った権田原は、


「そうですか、それじゃ金額を確認します」


 そう言いながら無造作にバッグを開け、指にツバをつけると現金を数えだした。


 “まあまあ、品のない金融業者さんですこと!” と、再び小笠原の内心ツッコミ。


「1.2.3.4.5.〜〜〜〜〜、117、118、119、120。はい、確かに120万円ありました。これでコウジさんに貸していたお金はチャラです。それじゃ、これ領収書と借用書です」


 権田原はポケットから2枚のシワくちゃの紙を取り出すと、小笠原に渡した。


「ぁあ、そうですか。これでコウジのお借りした借金は無くなるんですね。良かったわぁ... あ、権田原さん、あの〜、書類のここんとこなんですけど、サインを入れていただけますか? ぇええと、この辺に...」


 小笠原は受け取った紙の下の方を指差しながらボールペンを差し出した。

 権田原は一瞬困ったような顔をしたが、


「え〜と、こ、ここんとこすか? 名前ですね、名前名前と...」


 そう言いながら、


「ご・ん・だ・わ・ら、え〜とゴンの字は〜〜、ゴンゴン...」


 と、蛇がノタクリ回ったような汚い字で署名をすると、


「はい、それじゃこれ」


 と紙を小笠原に渡し、


「それではお金の受け取りも終わりましたんで、私はこれで...」


 と言いながら、きびすを返すとそそくさと公園を出て行った。


 小笠原は呆れ顔で、


「あらあら、随分と素っ気ない対応ですこと。もう少し権田原さんとお話ししたかったわぁ。あぁ、でもサインもいただけたし、嬉しい事! きっとコウジさんとか言う人も喜んでるわね!」


 と、独りごとを言うと、イヤフォンから上森の声が聞こえた。


『お疲れ様でした。インチキ書類にターゲットの指紋も署名も取れましたね。それでは一応コウジに電話してみてもらえますか?』

「そうそう、孫にも電話してみなければねぇ」


 小笠原はそう言いながら、昨日の番号に電話してみると、”お客様のおかけになった電話番号は現在使われておりません” とメッセージが流れた。


「あらあら、どうしたんでしょう? コウジは電話を解約しちゃったのかしら?」

『予想通りですね。ターゲットの方は公園を出て駅の方に向かっています。今、Bチームが尾行を開始しました』


 その言葉を聞くと、小笠原は話し方を普通に戻した。


「高野君たち頑張って欲しいですね。それにしても、権田原さんって東映のヤクザ映画で最初に突進して行って、刺されて死ぬ役みたいな人でしたねえ...」


『会話の様子から察するに、大した連中ではなさそうですね。Bチームの尾行の方は現在順調です。それでは小笠原さんはお疲れ様でした。今夜のソナスタのアフレコの方もよろしくお願いします』


「はい、上森さんもお疲れ様でした。それではご武運を祈って!」


 小笠原は先ほどとは打って変わってスタスタと足早に歩くと、マイクロバスに戻った。


「ゥウ〜ン、モニターで聞いてましたよ。小笠原さん最高! お・つ・か・れ!」


 加瀬はそう言いながら小笠原の肩をもむ。


「この後はどうしますか?」


 という運転席からの声に小笠原は、


「そうですねえ、とりあえず分室にお願いします」


 運転手は軽くうなずくと、車は滑り出すように白金方向に向かった。

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