こちら声優探偵団

MikBug

第1話 『声優事務所だけど探偵やってます』

(文中の氏名、団体名など全ての表記は実際の個人、団体などとは一切関係ありません)


 そこは、ほんの4畳半ほどの無機質な雰囲気の狭い部屋... モノトーンに統一されたその部屋の中央にはポツンと白っぽいテーブルが置かれ、その上に何だか大きなボリュームやボタンの付いた機械とイヤフォンが並んでいる。よく見ると、上からは銀色の大きなマイクが吊り下げられ、ほんの少しユラユラと揺れているように見える。


 壁際かべぎわには金属のラックが組まれ、上下に10台ほどの電話機が並べられ、その一台一台には A, B, C… と英字のプレートが貼ってある。ここって電話機のショールーム? いやそんな雰囲気でもないし...


 部屋の壁の一方には一面に大きなガラス窓がはめ込まれ、そこからは太陽の光らしき柔らかい明かりが差し込んでいる。音もなく時を刻む壁際の時計の針は4時を回ろうとしている。どうやら夕方らしい...


”プルルル… プルルル…”


 ラックの電話のひとつが鳴り始め、ランプが点滅した。


 ガラス窓の向こう側にいる男性が『トークバック*』と書かれた手元のボタンを押しながら手早く言った。


(注:トークバック=ミキシングルームからの指示などをスタジオ内の人に伝える時に使う機能。トークバックボタンを押して話すと、その声がスタジオ内のスピーカーやイヤフォンに返る)



「固定電話『D』、設定:長坂トミ子86歳、東京都豊島区の一軒家に独居、夫とは10年前死別、子供夫婦とは別居。孫はコウジ24歳、東京都内の大学を卒業後、現在は大阪の中小板金メーカーの事務兼営業、独身、彼女なし」


 その声が狭い部屋のスピーカーで再生される中、重そうな金属ドアを開けて一人の中年女性が急ぎ足で入って来た。彼女はテーブル横の椅子に座ると素早く片耳にイヤフォンをかけながら、テキパキとした口調で言った。


「準備完了です。上森かみもりさんの方はいかがですか?」


 そう言われると上森と呼ばれた男は、ガラス窓の向こう側で再びボタンを押して答える。


「OK です。それじゃ小笠原さんよろしく。斯波しばちゃんトークバックをイヤフォンだけにして」


 上森の隣に座る男性は、ボリュームやスイッチの並んだ機械を操作し、自分もボタンを押しながら言った。


「斯波です、トークバック、イヤフォンだけになりました」


 小笠原と呼ばれた女性は軽くうなずきながら『D』と書かれた受話器を取る。


「はいぃ、長坂でぇ、ございますう。どちら様でございましょうかぁ?」


 彼女は、先ほどまでとはまるで違う、少ししゃがれた老女のような声で、人生をゆっくり回顧かいこするかのように遅いテンポで話し始めた。


 電話の向こうでは若い男性が慌て気味にこう言った。


「あ、おバアちゃん? お、オレだよ、オレオレ」


 ガラス窓の向こうで素木しらき造りのコンピューターデスクに置かれた Mac の画面を食い入るように見つめていた斯波が小声で囁く、


「来たね...あちこちに番号バラまいた効能あり!」


 小笠原は、そんな言葉が聞こえたかのように軽くうなずくと、ちょっと驚いたように反応した。


「オヤ、コウジかい? どうしたんだい、こんな時間に? 今、仕事場かい? 元気に頑張ってるかね? 大阪で一人暮らしは辛くないのかい?」

「あ、うん、大丈夫、元気は元気だよ。ウン... 元気なんだけどさ...」


「どうしたんだい? ちょっと辛そうだよ? あぁ、分かった! ご飯をちゃんと食べてないんだろう? ほら、だから自炊の仕方も覚えておきなさいってオバアチャンが言ったのにぃ」


 彼女が心配した風な言葉をかけるとコウジと呼ばれた男は、少しトーンを落として続けた。


「うん、おバアちゃん、ありがと! おバアちゃんに言われたみたいに、少しは自炊もしてるよ、ヘヘ... 体は元気なんだけどさ... だけど... うん... ちょっと困った事になっちゃって、大阪じゃ相談できる人もいなくて... それで、あせっておバアちゃんに電話したんだ...」


 最後の方は、ちょっと涙声。それを聞きくと、上森は Mac の画面を凝視ぎょうしする斯波に薄笑いを浮かべながら言った。


「中々、良い味出してるな。うちの養成学校に入学してもらいたいもんだ。で、斯波ちゃん、記録の方は?」


 斯波は画面を指差しながら答えた。


「大丈夫です、会話の最初から記録中。現在55秒経過」


 その画面には電話の会話データらしき波の形がどんどんスクロール*して行き、言葉が発せられるたびに縦長のレベルメーターが忙しく上下している。


(注:波の形がどんどんスクロール=コンピューターに音を記録する時、大概は画面に録音されている音の波形がグラフィカルに表示される。プロの現場で使われるソフトは大概 Protools と呼ばれるソフトである)



 電話のやり取りは続く...


「まぁまぁ、一体全体どうしたんだい? ほら、オバアチャンに話してごらん」

「う、うん、それがさ... オレ、会社の大事なお金を銀行からおろして運んでる時に、落としちゃって...」

「ええぇ? 会社のお金を? 一体いくらくらい落としちゃったの?」


 小笠原が慌てた声で聞くと、コウジは小さな声で答えた。


「100万...円...」


「ええ〜! 100万円も? それでどうしたんだい? 大丈夫なのかい?」

「うん、それでね、オレ、責任感じちゃって、なんとかしようと思って急いで消費者金融から100万円借りて会社に持って行って、穴埋めしちゃったんだ... だから、会社の人はこのことは何も知らない...」


「ああ、そうなの? じゃあ会社には迷惑はかからなかったのかい? 社長さん、良い人だって言ってたじゃない? ええっと、何さんだったかねえ?」

「ああ、え〜と〜、え〜と、山田さんね」


 コウジが口ごもりながら答えるのを聞いて、上森は苦笑しながら言った。


「小笠原さん、ツッコミすぎ!」


 小笠原は続けた。


「そんな名前だったかねえ。でも社長さんにも迷惑がかからなかったら良かったねえ! やっぱりコウジは昔から頑張り屋さんだから、神様が助けてくださるんだよ」

「ああ、うん... だけど、その... 消費者金融から取り立てがあって...」


「消費者金融? あのテレビのニュースに時々出てくるサラ金っていうのかい?」

「そうそう、それなんだ。借りたのは100万円なんだけど、利子がついて120万円になっちゃってるんだって... 最初のうちは “返済のスケジュールはいかがですか?” って優しいお姉さんが連絡して来てたんだけど、一昨日くらいから ”約束通り返さないと、どうなるか分かってるのか?” って、家までヤクザみたいな人が押しかけて来るようになっちゃって...」


「ええェ? そんなぁ、そ、それ、警察に相談したのかい?」

「警察に相談なんか出来ないよ! だってオレがお金落としちゃったのが悪いんだし! ねえ、オバアチャン! 120万円たてかえてもらえないかなあ?」


 電話の声は悲痛さを増し、先ほどから音声を記録している Mac 画面のレベルメーターはオレンジを通り越して赤の範囲を行ったり来たりし始めた。


「おっと〜、演技過剰! レベルオーバーしちゃったよ。ちょっとコンプ*強めにかけとこうかな」


(注:コンプ=録音機材のコンプレッサー(Compressor)の略称。音量が大きくなり過ぎた時、それを自動的に下げてくれる)



 斯波は、そう言いながら Mac の横に並べられた横幅30センチほどの薄い機械のボリュームを動かす。


「いい展開ですね。できればターゲットであって欲しい所だけど」


 上森の言葉に斯波が答えた。


「そうですね。その辺は後ほど FFT 解析かいせき*してデータベースと照らし合わせるって事で...」


(注:FFT 解析=Fast Fourier Transform(ファースト・フーリエ・トランスフォーム=高速フーリエ変換)の略。録音した音を単純な音に分解し、その要素を分析するのを FFT と呼んでいる)



 上森は “続けて” というような表情で小笠原の方を見る。小笠原も目で “了解” と答えた。


「ひゃ、120万円かい? そんなぁ... そりゃあ、おバアちゃんのヘソクリをおろせば、そのくらいは何とかなるけどねぇ...」


 小笠原が言葉尻のトーンを落とすと、コウジはたたみ掛けるような勢いで言った。


「オバアチャン! 一生のお願い! 120万円、なんとかならないかな? オレ、怖くて怖くて... もう死んじゃいたいよ! お願いだよ、オバアチャン!」



「お願いがダブって、イマイチだな。もう少し表現に広がりが欲しい所だなあ」

「しかし、基本に忠実な展開ですね。ここはアッサリ受けますか?」


 斯波の言葉に上森は少し考えると、ボタンを押しながら言った。


「小笠原さん、もう1段階引いてから次行きましょう」


 小笠原は再び目でそれを了承すると、言葉を続けた。


「ああ、ああ、困ったねえ、困ったねえ... 何か他に方法はないのかい?」

「な、ないよ! 他に方法があったら、こんな恥ずかしい話、おバアちゃんに電話して頼むはずないじゃないか!」


 コウジの少し怒ったような言葉に、小笠原は意を決したような言葉を、しかし冷めた表情のまま言った。


「わ、分かったよ。他ならぬコウジのためだもんねぇ。これから銀行に行ってお金を出してくるから安心をし」

「ほ、ホントに? オバアチャン、ありがとう! オレ、オレなんて言っていいか...」


 コウジは電話の向こうで涙ぐんでいるようだ。

 斯波が、


「いい展開ですね」


 と小声で言うと、小笠原は優しい口調で言った。


「いいんだよ、いいんだよ、気にすることなんてないからね。それで... お金はどうしたらいいんだい?」


 コウジは少し冷静さを取り戻し、


「うん、これからサラ金の会社に連絡して、お金の受け渡しをどうしたらいいか聞いてみるね。一回電話を切るけど、すぐに連絡するから、オバアチャン、ちょっと待ってて!」

「分かったよ。それじゃおバアちゃん、ずっと電話の前で待ってるからね。すぐに電話しておくれよ」


「うん、それじゃ一度切るね。オバアチャン、本当にありがとう!」


 コウジはそう言うと電話を切った。


 小笠原も受話器を置くと、イヤフォンを外しながら、ホッとため息をついて上森に言った。


「どうだったでしょう? 大丈夫でした? 不自然な所とかなかったですか?」


 その声は再び元の中年女性の声に戻っていた。

 上森はトークバックを押しながら、


「うん、いいんじゃないですか? 社長の名前の所はちょっとあせったけど」

「ふふふ、ちょっと遊んでみました」


 小笠原はそう言うと、突然子供のような声で叫んだ。


「だってスズメ、ああいうオニイチャンなんて許せないんだからね!」


 斯波が爆笑しながら言った。


「それ、明日のアフレコっす。19時ソナシティのAスタ」

「あら? 明日のミキサーは斯波さんですか?」

「ええ、今回と次回はピンチヒッターでよろしくって事で」


 スズメちゃんは国民的ファミリーアニメの妹キャラで小笠原が声を担当している。


「それにしても、国民的キャラクターの声優を手配してる天下の『白三はくさんプロ』が、副業でこんな事やってるなんてねえ!」


 上森は笑いながら答える。


「いやいや小笠原さ〜ん、ここは『白金しろがね3丁目プロ”分室”』でございますから...」

「分室って言ってもねえ! 色々やってるんですね!」


「一応、新規事業の開拓が分室のお役目なんで」

「オレオレ詐欺対応も新規事業?」


「まあそこは、ほら、社長が正義の味方大好きマンですし」

「そうですね。社長さんがまだ正義の味方の俳優だった頃、私、子役でご一緒させていただきましたしね」


「う〜ん、人に歴史ありですねえ」

「どう、ドキュメンタリー企画したら? 新規事業として!」


「ハハハ、検討させていただきましょう」

「それにしても120万円、本当に用意するんですか?」


「ええ、一応ね」

「社長太っ腹ですねえ!」


 あきれる小笠原に上森は、


「大丈夫ですよ。元は取れるようにしたいと思ってますし。それに、ああいうやからはちょっとは痛い目にったほうが良いんですよ」


 とウィンクしながら言った。


「まあまあ、怖い事!」


 そんな会話をしていると、再び『D』の電話が鳴り出した。急いでイヤフォンを耳にかける小笠原。


 斯波はトークバックで、


「来ましたね。それじゃ続き、よろしくお願いします」


 と言いながら、Mac を録音状態にした。


「はい、長坂、コウジかい?」


 小笠原は間髪を入れず会話に入った。


「あ、おバアちゃん、オレ。今、会社の人に連絡したよ。そしたら、東京支社の人が直接お金を受け取りたいって」

「まあ、そうなの、わざわざ来ていただくなんて、なんだか申し訳ないねえ」


「うん、で、家まで行ってもらのも悪いからおバアちゃんちの近所の公園で渡したらどうかな? う〜んと、そこの近くの公園だと〜...」

「そうだねえ、だったら駅の近くの三笠山みかさやま公園なんてどうだい? うちからも平坦な道だし... 覚えてるかい? 昔は小さなコウジの手を引いて一緒にドングリ拾いに行ったもんだねぇ...」


 コウジはちょっと考えたように間を置いてから答えた。


「あ、あそうだね。懐かしいなぁ。そうだね、三笠山公園なら分かりやすいよね。そしたらさ、東京支社で、お金の回収を担当してる権田原ごんだわらさんっていう人が行くって言ってたから、3時にその人にお金を渡してくれるかな? 明日は濃い灰色の背広に赤っぽいネクタイをして行くって。髪の毛は角刈りでスポーツマンみたいにガッシリした体だけど、なんか目が悪いらしくてサングラスをかけてるって言ってた。お金は、何かバッグに入れてもらって権田原さんに手渡しすれば大丈夫だって。その場で領収書もくれて、借用書も破棄してくれるって言ってたよ」


 小笠原はメモを書いているフリをしながら答えた。


「えぇっと、3時に三笠山公園、権田原さん、濃い灰色の背広に赤のネクタイ、角刈りでサングラス...だね?」

「うん、そうそう。」


「そうかい、分かったよ、それじゃあ明日の3時にお金を渡すから、あんたは安心してなさい。お金はコウジがいつも使ってた赤いバッグに入れて持ってってあげるよ」

「あ、ありがとう、本当にありがとう! じゃ、オレ会社に戻らなきゃいけないから、これで切るね。明日、権田原さんにお金を渡したら、この電話に連絡してくれる?」


「分かったよ。3時ちょっと過ぎには連絡するから、電話の前で待ってておくれね」

「ありがとう、そうするよ、それじゃあオバアチャンも体に気をつけてね!」


「ハイハイ、コウジも安心して、しっかり頑張るんだよ。この事は二人だけの秘密にしておこうねぇ」

「うん、そうだね。秘密にしよう。それじゃ」


 コウジはそう言うと電話を切った。


「お疲れ様でした! バッチリです。こっちでプレイバック聞いてみますか?」


 上森の言葉に、小笠原はすぐに隣のガラス張りの部屋に入ると言った。


「典型的なオレオレ詐欺ですね」

「そうですね。長坂トミ子さんの偽のプロフィールと電話番号を、それとなくあちこちに漏らしていた成果でしょうか。で、うちに相談のあった詐欺案件で、今の電話に合致するのがあるかどうか、今、斯波ちゃんがサーチしてます」


 上森が隣を見ると、斯波は Mac を操作すると、その画面に表示されたカラーのグラフを指差して言った。


「これが今の会話を FFT 解析した声紋です。この今の会話と、うちに相談のあった案件で犯人の声がある物を照会しているところです」

「声紋って声の特徴を分析するんですよね? 相手が声色を変えてても大丈夫なんですか?」


 小笠原はそう言いながら先ほどの老婆の声で、


「例えばぁ、こ〜んな感じの長坂トミ子、86歳の人の声とかぁ...」


 と言ったかと思うと突然、


「小学生のスズメちゃんの声だったりなんてさ〜〜!」


 と、アニメキャラの声で言った。斯波は笑いながら、


「大丈夫です。声紋っていうのは人の声帯の状態を解析してるから、声色を変えても変化しないんですよ」


 上森も言った。


「トミ子さんの声を出している時も、スズメちゃんの声を出してる時も、小笠原さんの体型は変わってませんもんね」


 小笠原は目をパチクリしながら言った。


「そうか、そうですよねえ。声色を変えても、のどの大きさや形は一緒ですもんねえ」

「そうそう、大丈夫です。で、ビンゴみたいですよ! この二つの声紋のスペクトル分布を見てください。ほぼ一致してるでしょう?」


 そう言いながら斯波の指差すグラフを見ると、そこに淡い色で表示された曲線の位置は、右のグラフと、左のグラフでほとんど同一のように見える。


「ああ、本当だ! これは二つの録音ファイルに入ってる声の主が同じって言う事ですか?」

「そう言って問題ないと思いますね。依頼ファイルは ”M-175” です」


 自信ありげな斯波の意見を聞くと、上森は手元の iPad を操作しながら言った。


「M-175、オレオレ詐欺被害。被害額は250万。依頼者は78歳の東京都内在住の女性。依頼主の希望は犯人の特定と警察への引き渡し。損害金の取り戻しは警察の判断に任せる... うん、わりとユルイ内容だね。これなら行けそうじゃないかな? 他に何かゲットできそうな情報はありますか?」

「ええ、ちょっと気になる所があるんで、聞いてもらえますか? 今、聞きやすくするのにデータを操作します」


 斯波はそう言うと、Mac をチョコチョコと操作し始めた。


「... この会話なんですけど、1分20秒から57秒の間に、何か凄く小さい音だけど音楽みたいなのが聞こえるんですよ。音量が小さい所だけをセレクトしてみると...」


 彼が Mac のキーボードを操作すると、画面に横長に表示されていた波の形が細かい断片に分断された。


「これで、音量の大きい会話部分は全部カットしちゃったんで、マキシマイザー*で小さい音量を拡大して、後ろで聞こえてる音楽みたいなのを抽出ちゅうしゅつしてみましょう」


(注:マキシマイザー=Maximizer。音量を大きく聞かせるソフト、またはハード)



 斯波が電話の音を再生すると “シーーーー” というノイズの向こう側に、何か音楽と言葉が聞こえている。


「これ、廃品回収の車の流してる音かしら?」

「うん、でも歌だよね、これ... 何か歌詞が...『冬は寒いな、ハアハアハア、コタツでお鍋をフウフウフウ』って言ってない?」


「あ、そうですね。今度はセリフが聞こえる『寒い冬にはあったか灯油、灯油の灯油の大正灯油、灯油1300円』って言ってますよね?」

「斯波ちゃん、これ灯油の巡回販売の車の音だよね? あのウルサイの! うちの近くも来るんだよね!」


「上森さんとこも来ますか? うちもです、徹夜明けで帰った日に来たりすると爆弾投げたくなりますよね!」

「あ〜、皆さん被害にあってるんですね。私のうちもですよ!」


 3人が激しく同意すると、斯波が思いついたように言った。


「でも、これ使えますね。電話してる場所の近くをやかましい灯油の巡回販売の車が通ったって事ですよね。ちょっと Twitter でツィートしてみましょうか。”灯油の巡回販売うるさいなう。何がお鍋をフウフウフウだよ! 誰か役所の騒音課にでもチクってくれ!”」

「あ、なるほど、その手ね。じゃ、僕も...」


 上森はそう言うと iPad で


”シ〜バ〜さんってご近所ですか? うちもおんなじ灯油屋から攻撃受けてますよ! 大正灯油てか?!“


 とツィートした。


「これでちょっと様子見てみよう」


「お二人とも Twitter やってるんですか? 私もやってはいるんですけど、仕事のお話をチョコチョコって書く程度なんですよねえ」

「そりゃ、あんまり細かく書くとアフレコスタジオの出待ちとかされちゃいますからね。適度に距離を保ちつつ、楽しく利用しないとね」


「そうですねえ、その辺りは難しいですねえ。仲間の声優さんたちとも時々話題に出るんですけど... 若い声優さんたちは積極的に取り組んでいますけど、どうも私たちのような世代になるとねえ」

「若い声優さんはそういうの好きですよね。今回の M-175 事案も明日から新人声優さん達に活躍してもらわないとね」


 二人がそんな会話をしていると、斯波が嬉しそうな声で割って入った。


「いくつかレスが来ましたよ! "お、うちの近所もいるぞそのクソ灯油"、"死刑にして欲しい"、"民度の低さをあらわすような音だよな"、"ウ・ル・セ・エ・ぞおおおお〜〜〜〜!"」

「ははは、みんな同意見らしいね。で、位置情報入ってるのありますか?」


「ええ、3つほど... どれも目黒区の目黒通りから一本入った住宅街沿いみたいですね」

「ヘェ〜、そんな事が分かるんですか?」


 小笠原がちょっと感動して言うと、斯波が説明した。


「そうですね。発言に場所のデータを入れられるんですよ。例えば美味しいラーメンを食べたツィートに、その場所のデータも一緒に埋め込むとか...」

「ああ、なるほど。すると今の怒りのツィートには、その怒った場所も記録されていると...」


「そうです。その情報がみんな目黒通り沿いらしいという事です。つまり電話をかけて来た人間は午後4時過ぎに目黒通り沿いの住宅街のどこからか電話をかけたって事ですね」

「新聞なんかによく出てる、かけ子っていうのですか?」


「そう、それです。で、明日登場予定の権田原さんは受け子ってやつですね」

「角刈りサングラスなんてなんだか怖そう!」


 小笠原が肩をすくめると、上森が冷静に言った。


「ご安心ください。明日以降は若手声優さんもフル登場予定ですから、安全のために、こちらの腕っぷしの強いのが付かず離れず見てますから。それに明日はメイクさんに入ってもらって老婆に変身予定ですしね」

「まあ、安心ね! お年寄りは大切にしていただかないといけませんしね!」


「それでは、明日の小笠原さんのスケジュールは、13時に分室集合。車で三笠山公園に移動後、車内でメーク、15時に犯人に接触という段取りで。こちらは周辺に他の声優さんとスタッフを配置して待機します」

「比較的近くて良かったですよね」


「ええ、どうやらターゲットは目黒あたりを根城ねじろにしているようですから、うちの事務所から近距離ですし、スタッフ配置も機動力を生かせそうです。これは案件としてはこちらに有利と思いますよ」


 上森がテキパキと説明すると、小笠原は立ち上がりながら挨拶した。


「それでは、明日。私はこれから音声舎のスタジオで CM のナレーション録りと、春アニメの打ち合わせです。お疲れ様でした」

「はい、それじゃよろしく!」


 そう言いながら小笠原を見送る上森は、


「よし、じゃあ明日から作戦開始だ!」


 と、指をパキパキ鳴らしながら立ち上がった。

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