第32話 小戦の終わり

「イヴリス殿、決着ということで良いか?」

 返事はない。

 仕方ない。

 開始位置まで戻り、振り返る。

 イヴリスは後ろ向きのまま。

「ぶはっ……」

 膝から崩れ落ちる。肩で息をしているようだが、生きている。

 良かった。

「あれ? ……俺……生きてる?」

「そのようだ、イヴリス殿。私の勝ちでよろしいか?」

 イヴリスの背中が跳ね上がり、固まる。

 ギチギチと音がするのではないかというほど、ゆっくりと振り返る。

 勿論、右からだ。隻眼ゆえだろう。

 震える手が首を押さえている。

「あ、あとどれくらい生きていられる?」

「私にはわからん。何も無ければフラウデルテバまでは生きていられるのでは?」

「達人に斬られると、斬られたことに気付かないって聞いたぜ?」

 汗の量が尋常ではないな。

 私の剣筋を見極めようと、それほど集中していたのだろう。

「刀が首筋を撫でていった感覚があったんだ。俺は斬られたんだろう?」

 刀を返したのは見えていなかったか。

「峰が撫でただけだ。斬ってはいない」

「ほ、本当だろうな? この手を離しても、俺の首は落っこちたりしないよな?」

「斬れていないからな」

 イヴリスは、そっと首から話した手を見つめる。

 まだ震えているな。

 首筋を撫でた感覚があるなら、斬られていないこともわかるだろうに。

「それで、イヴリス殿。勝敗なのだが……」

 青い右眼が、細められる。

 気に入らないのだろうか。

「カモさんって言ったかい? アンタ、それ確認する必要あんのかよ?」

「どちらも無傷。先程の条件は、私が一方的に押し付けたもの。貴殿が納得できないのであれば、仕切り直しということになる」

「本気で言ってんのかい?」

「ああ」

 イヴリスは盛大な溜息を吐くと、ゆっくりと立ち上がった。

 振り返る。

「おい、手前ら! 俺はこのお人の下に着く! 文句あるやつぁいるか?」

 傭兵たちから声は上がらない。

 イヴリスはこちらに向き直ると、跪いた。

「カモ様よぉ、カヴィ傭兵団二千、アンタに着いていくぜ!」

 面倒な。

 こちらの勝ちということで良いのだろうか。

「イチムラ」

「はっ」

「翻訳しろ」

「は……。あのー、今忙しいんで、他の人に頼んで貰えます?」

 振り向けば、イチムラはジルやスヴェンに取り囲まれている。

「そうじゃ、今イチムラ殿は忙しい」

「見せるんじゃなかったのかカモよ。まったく。あれじゃ見えん」

「イチムラ殿、私がイヴリスとやらの役をやりますので、カモ様の動きをゆっくりと」

「短剣をどうやって弾いたのですか? そんな音はしませんでしたが?」

 ネフィウスまで参加している。

 踏み込んで抜き打ちにした。

 それだけなのだが。

 姫様もイズナから身振り手振りの説明を受けている。

「受けた俺が見えなかったんだ。見物してて見えた奴なんて、ごく僅かでしょうよ。俺も何をされたんだか知りてえところなんですがね?」

「イチムラには見えたようだ。道中にでも聞くと良い。ネフィウス殿」

 二千の人手。

 使わぬは愚か。

「はい」

「戦場の片づけを手伝って貰おう。報酬も取り損ねているだろうから、協力してくれるはずだ」

「勿論だぜ、カモ様よ。剥ぎたくて我慢してたんだ。あいつらの金ぴか装備」

 傭兵をネフィウスに預け、ジルの元へ。

「ジル……」

「いや速いのう。目で追うことは出来たが、何をしているのかまでは見えなんだ」

「ジル……」

 立っている。

 本陣から鞍上にあって、誰の手も借りず颯爽と下馬。

 ハルバードを振るい、なお立っている。

 どれほどの苦痛に耐えていることか。

 それでも消えぬ眼の輝き。

「こちら側の戦は終わりじゃのう」

「ええ、ジル。終わりです」

「ここは死に場所ではなかったようじゃの」

 まだ戦う気なのか。

「仕方ない。シェザートの文句でも聞きに行くか」

 戦場に拘るか。

 死に様に。

「ええ、こんな戦で死んでもらっては姫様も困ります」

「ふむ。次の戦はシエラのものじゃ。指揮はシュウが取るのじゃろう?」

「いえ、姫様にお任せするつもりです。イズナもお側におります。私は応援の諸将を纏めましょう」

 仲の良い連中ではない。

 誰かが纏めなければ、姫様の御前、暴走する。

「そうじゃった。あの氷海の巨人たちの凄まじいこと。この傷さえなければ、手合わせ願えたものを」

「シェザート老も同じことを言うでしょうね。さあ、傷にさわります。本陣に戻りましょう」



 傭兵たちの協力もあって、その日のうちに粗方の遺体を荼毘にふすことができた。

 味方の遺体は丁寧に布に包まれ、穴の中に横たわる。

 敵方の遺体は、装備を剥ぎ取られ、穴に投げ捨てられ、折り重なる。

 どちらの穴にも油が注がれ、燃え盛る炎が夜空を焦がす。

 死ねば、魂は地の門を通り、地界へ送られるという。

 その先はどうなるのだろう。

 ノスキーラの麓、深淵を纏った森が騒いだ。

 そんな気がした。

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