第19話 失われた約定
「待たぬかっ!まったく 叔父上、何をやっておいでか。案内のひとつも出来ぬのですか」
「へ、陛下っ!」
振り返る。
宰相とやらの視線の先。王宮内。
わらわらとお付きのものを従えた、青瓢箪。
化粧をしているのか、頬が赤い。肩より上で切り揃えた髪。
紫のジェストコート。
今、この国で王と呼ばれている男か。
「そちが大鴉とやらか。我が自ら出迎えてやったのだ。ほれ、着いてまいるがよい」
これを相手をする気にはならん。
「姫様、馬車へ」
再び王宮に背を向ける。
「無礼なっ! 陛下のお言葉を何と心得るかっ!」
「あ奴らを捕えよ!」
「貴様ら黙らんかっ! 相手は大鴉ぞ。迂闊に手を出せば戦になるぞ!」
宰相とやらが、吠える犬を抑える。
「何を弱気なことを、宰相殿!」
「そうですぞ! 田舎武者風情が調子にのるでないわ!」
「伝承だか、御伽噺だか知らんが、そんなあり得んような者に成りすまし、戦と脅して金をとる気ではないか?」
「おお、そうに違いありませんぞ。いや、騙されるところでしたな」
「貴卿ら、黙れと言ったぞ! 陛下の御前にてワシが黙れと言っておる。ええい、人払いせよ! 衛兵! 人払いじゃ!」
吠え続ける犬どもを衛兵が連れ去る。
「大鴉殿! シエラ殿! 何卒、話を聞いてはもらえまいか?」
宰相とやらの懇願。
「これ大鴉。何を愚図っておる。名乗らぬ不敬も大目にみてやっているというに」
王宮内から青瓢箪の呼ぶ声。
姫様は一層呆れた顔で肩を竦める。
「カモ様。どういたしますの?」
「はい。こう致します」
王宮に背を向けたまま、ちらりと宰相とやらを見る。
「宰相とやら。こちらの義理は通した。用向きがあるのなら、この場で申せ」
「は、はい。お、お願いにございます、謁見の間にて陛下とお話頂けませぬか?」
「それは既に断った。他には?」
「お、大鴉と火竜の二紋へ刃を向けたこと、お許し頂きたく……」
「何が言いたいのだ?」
宰相とやらが咳払いひとつ。
「や、約定は失われていはいない、ということにして頂きたい!」
「兵を差し向けておいてか?」
「はい……」
よくもぬけぬけと。
「お目出度いことだ。どれだけ大目にみろと言うのだ。チェゼーナ侯爵が陰謀を黙認せしめしこと。王宮の兵によって槍を向けられしこと。帯刀の権を取り上げしこと。今から取り消せる事柄がひとつでもあるのか?」
「いえ、それは……」
「行き違いも、こちらから仕掛けたこともない。全てこの国が成したこと。何を以て、約定が失われていないとする?」
「こ、こちらに非があることは認める。謝罪もしよう。何とかそれで手打ちにしては頂けまいか」
譲ってやるのだと言わんばかりの態度。
気に入らん。
「宰相とやら。この三代ほど、この国の王家とは話をしておらん。それがどういうことか、おわかりかな?」
「え…それは……どういう……」
何を言われたのか、わからないようだ。
「四代前の王までなら我ら一族も知っておる。だが、三代前からは知らぬということ」
「それが何か……」
「その頃から軽んじておったのだろう、約定を。こちらは別に構わん。まだわからぬか?」
「はい……」
「我ら一族はそこな王と名乗る者を知らぬ。名乗られておらぬからな」
「は?」
知ってはいる。
だが情報として知っているだけのこと。
四代前の王までは、白き山の社まで王位を継承した旨、挨拶があった。
無論、本人が来るわけではなく、使者が来るだけだが。
挨拶がないから気に入らないということではない。
約定さえ違えなければ、それで構わない。
「我らはこの国の臣下ではない」
「いや、しかしアデルフリード侯爵家の臣下ならば――」
「アデルフリード侯爵家の臣下でもないわ。宰相とやら、お主本当に約定を読んだのか?」
「た、確かに十四箇条からなる約定に目を通し――」
「そこだけか?」
「ま、まさか……それ以外にもあると?」
約定は白き山に関する事柄も含め、『約定の書』として纏められている。
この国と別途交わした十四箇条など、その附則に過ぎない。
鍵の掛かったその書は、王家又は代表の者のみ開くことを許され、鍵は代々継承される。
公爵であり、宰相でもあるならば、書を開く権利もあるはずだ。
「約定は継承されず、失われていたことを確認した。これまでのようだな」
「お、お待ちくだされ! それはどういった約定なのです? 教えてくだされ!」
「王家に伝わっているはずの約定を、なぜ教えねばならんのだ? 私はあなたと、どんな約束をしたのでしょう? そう言っておるのだぞ、お主は。或いは、そこな王と名乗る者なら知っているやも知れんぞ。後に訊いてみるのだな」
事ここに至っては、長居は無用。
今度こそ王宮を後にするべく、馬車へ向かう。
「ま、待て! それならば余計にここから返すわけにはいかぬ。衛兵!」
そうなるだろうことは、わかっていた。
「殺すなよ」
呟くと同時に宰相の側に湧く気配。
「……っ!」
声にならない悲鳴。
後ろを見れば、イズナの下僕が宰相とやらの喉元に、短刀を突き付けている。
「どうせ何もできん。捨て置け」
「そりゃねえよ、旦那ぁ。さっきから気に入らねえのに、我慢してたんでやすぜ」
「気に入らんでも、この国の宰相。おらねば民が困ろう。生かしておけ」
他国が侵略してくれば戦になる。逃げ惑うのは民。それを少しでも救えるのはこの男くらいだろう。
「宰相とやら。これだけは大目にみてやろう。その命預ける。少しでも民を救えよ」
返事はない。
構わず、捨て置く。
背後で舌打ち。気配が一つ消える。
姫様を馬車へ。
「申し訳ありません、姫様。ですが、アデルフリードだけは戦に巻き込みませぬ。それでお許しを」
「後で詳しく教えてください。今は時間がないのでしょう?」
姫様は馬車の中へ。イズナが続く。
「イズナ。姫様にはお前から話して構わん。説明して差し上げろ」
「はん。そんなこったろうよ。任せな」
「頼んだぞ」
扉を閉める。
「ジャンペール! 西周りで丘を下る。そのあとはわかっているな?」
「はっ」
騎乗。
薙刀を受け取る。
「戦闘になるやも知れん。得物を構えておけ」
「はっ」
「行くぞ」
先行する。
隊列は先ほどまでと同じ。
緩やかとはいえ下り。並足で進む。
王宮の兵たちは見かけるものの、槍を向けてくるものはいない。
それも時間の問題だろう。
南側へ丘を下りきる。
橋を渡り、南大路へ。
歓声。
「コルヴォブルグランデ! ドラコフゥオーコロッソ!」
「コルヴォブルグランデ! ドラコフゥオーコロッソ!」
「コルヴォブルグランデ! ドラコフゥオーコロッソ!」
まだ群衆は散っていない。
まるで英雄の出陣だな。
まあ良い。王宮の兵は動き辛かろう。
速足。
群衆が慌てて道を開ける。
加速。
駆足。
群衆を抜ける。
一気に南門へ。
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