第18話 王宮前にて

 水堀で囲まれた丘。

 かつての城壁は取り払われ、その跡には鉄柵のみ。

 石組みの橋は不落。五百年の傲り。

 見上げれば庭園。松明が並ぶ、白亜の階段。夕闇に浮かぶ尖塔。

 この国の宮殿は、最早権力の象徴でしかない。

 次々に駆け付ける王宮兵は、どうすることも出来ず、ただ端に寄る。

 手に持つ武器は儀仗。

 立ち並ぶ槍と剣の間を、ゆったりと進む。

 石橋を渡る。

 群衆は堀沿いに広がり、叫びが繰り返される。

「コルヴォブルグランデ! ドラコフゥオーコロッソ!」

「コルヴォブルグランデ! ドラコフゥオーコロッソ!」

「コルヴォブルグランデ! ドラコフゥオーコロッソ!」

 馬車は丘を東へ巡り、登る。

 群衆の叫びが遠ざかる。

 緩やかに北へ登り切れば、王宮の正面。尖塔の足元。

 馬車を停める。

 下馬。ジャンペールに薙刀を預ける。

「お主らはこの場で待機。いつでも出れるよう、準備しておけ」

「護衛も付けずに行かれるのですか?」

「私が護衛だ。忘れたか?」

「あ、いや、そうでした……」

 王宮の入り口には、狼狽したジェストコートが居並ぶ。

「ぶ、武装したまま王宮に乗り付けるなど不敬であろう!」

「侯爵家であろうと許さることではないぞ!」

「何者だか知らんが、田舎者め! 即刻立ち去れぇええ!」

 遠吠え。

 構わず、馬車の扉を開ける。

 イズナ。

 漆黒の水干。同色の大鴉紋。こちらではさぞ恐ろし気に映っていることだろう。

 美しき闇色の大鴉。死の使い。

 イズナが脇に避け、顔を伏せる。

 進み出て、手を差し出す。

「姫様」

「はい」

 左手で裾を捌きながら降り立つは、紅い火竜の姫。

 燃えたつ紅のドレス。腰より上は身体に沿い、立ち襟。広がった裾。

 結い上げた黒髪。凛とした佇まい。

「王宮……。本当に来てしまったのですね」

 尖塔を見上げ、呟く。

「まだ、にございます。これより先が、一番の難所。とはいえ、気を張る必要もございません。たかがこの国の王に会うだけのこと。大したことではございません」

「まあ……カモ様。それは余りに不敬ですよ」

 呆れ顔。

「そうでしたか? それは失礼致しました」

「ふふ……。私は何をすれば良いのですか?」

「何も。姫様はそこに在ること、それが全てにございます」

「あら、お飾りなですのね?」

「滅相もない。イズナ、助けてくれ」

「はいはい。姫様、政治のことはシュウに任せておけば良いのです。参りましょう。そして帰りましょう」

「そうね、イズナ。ではカモ様。よしなに」

「はっ」

 馬車の中でイズナと何を話しているのか。

 王宮を前にして、姫様に余計な緊張はないようだ。

 先頭を歩く。

 後ろに姫様、イズナと続く。

 吠えていた犬たちは、すごすごと道を開ける。まだ吠える。

「その腰のものは何だ! まさか帯刀したまま、王宮に足を踏み入れるつもりではあるまいな!」

 開け放たれた扉の前で、衛兵が槍を交差する。

「お腰のものをお預かりいたします」

「ほう?」

 立ち止る。

「王宮内に武器を持ち込むことは出来ません。こちらでお預かりいたします」

「我は青き大鴉が守り刀。問う。貴殿の言葉、正式なものであると受け取るがよろしいか?」

「誰であろうと、答えは同じ。王宮に立ち入るならば、武器をお預かりいたします」

「そうか。あいわかっ――」

「ま、待たれよっ! お頼み申す! お、お待ちくだされっ!」

 王宮内から交差した槍を押しのけ、老人が転がり出る。

「さ、宰相様っ!」

 衛兵に助け起こされる。

 蔦の刺繍が見事な臙脂のジェストコート。袖には黄金の三本線。

 薄らと残る白髪。鷲鼻。

「お、大鴉殿と……お、お見受け致す!」

 息も絶え絶え。

「如何にも。そちらは?」

「宰相で在らせられるリュミナン公爵様ですよ、カモ様」

 後ろから姫様がそっと教えてくれる。

「おお、おお、シエラ殿。お、お父上はご無事か?」

「お久しゅうございます、宰相様。無事ではございませんわ。のですから」

「で、ではアデルフリード侯爵は既に……」

 宰相の顔が蒼白となる。

「宰相様、まだ父は存命です。少なくとも

「そ、それは真ですかな!」

「ええ。ですが、それも長くは……。私は陛下に謁見し、早々に戻らねばならないのです」

「なんと……」

 宰相が項垂れる。

「宰相とやら。何用で呼び止められた? そこな衛兵への返答も途中だ。用向きがあるなら、手短に申せ」

「まあ、カモ様!」

 尊大な物言いに姫様に叱責される。

「姫様。今しがた、そこな衛兵によって、この国との約定は破られました。この場でその旨を宣し、帰領いたしましょうぞ」

 振り向き、姫様を促す。

「大鴉殿っっ!と、突然のこと故、手配が間に合わず、失礼いたした!」

 宰相が慌てる。

「ほう。北門の備えは何といたす? 南大路では槍を向けられたが? 突然のこととな?」

「そ、それは……」

「古き約定など守らずとも構わん、どうせ御伽噺と、そう考えておったのではないか?」

「……」

 口ごもるか。

 やはりな。

「この守り刀、いかなる場所に於いても、帯刀御免。そちらも約したことよ。守れぬというなら構わん。交わした約定を失するだけのこと」

「こ、こちらの考えが甘かったことは詫びよう。帯刀も認める。陛下もお待ちじゃ。ここは穏便に済ませては頂けまいか」

「詫びる? 本当にそれで済むとお考えか? チェゼーナ侯爵が件はこの国と同列には扱わん。私怨と取ろう。だがな宰相とやら。南大路にて、姫様の馬車に槍を向けたは、王宮の兵ぞ。つまりは国だ。穏便にとは、片腹痛い」

「と、取り敢えず謁見の間に起こし願えまいか? そこで改めて謝罪致す故……」

「断る。己が立場をわかっておるのか? 約定は受け継がれ、絶えた時にはそれを失する」

「や、約定は受け継がれておる。わしも目を通した」

「ならばわかっておろう? 守られぬ時も同じと。オスタホルが手ぐすね引いていような」

「た、他国をけしかけると?」

 勘違いをしているようだ。

けしかけるだと? そのようなことはせん。五百年の間、この国は約定によって守られてきたのだ。その約定無き今、他国が指をくわえていると思うか? 城壁も跳ね橋もない、この隙だらけの王宮に、兵を差し向けぬと思うておるのか?」

「ま、待たれよ! 戦になるというのか!」

「チェゼーナ侯爵は我らが滅する。この国のことはあずかり知らん。そう、王と名乗るものに伝えよ。宰相とやら、二度と会うこともあるまい。さらばだ」

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