第9話 出立
ジルと話した翌日には出立の準備が整った。
王都までは馬車で七日。野営を避けると、どんなに急いでもそれだけ掛かる。
夜を徹して駆け抜けても五日。二日しか縮まらないのには訳がある。
王都までの道は二つ。
最短は山を抜ける。夜は走れない。よって七日。
最速は山を迂回する。月があれば夜も走れる。よって五日。
安全を考えれば迂回路を日中のみ移動する。そうすると十日。
正式な手続きで王宮に上がるならば、王都に五日以上滞在することになる。
往復で一月。そんな時間はない。
山を抜け、七日で王都。即日王宮に上がり、翌朝には帰路につく。それでも十五日。
戦になれば、ジルは武器を取るだろう。シエラ殿が帰領するまでは、なんとしても生きていてもらわねば。
従者に続いて、東棟の廊下を南棟の正面玄関に向かって進む。
「狼煙を上げよ。スカルディアを動かし、西を抑えろ。北からでも届くだろう。私が戻るまで保たせるよう伝えよ。他はシグルドに集めろ。姫の出陣に間に合うよう釘を刺せ」
誰にでもなく呟くと、従者が驚いた顔をしている。
ジルの部屋で腰を抜かした従者だ。
「すまんな」
謝ると、必死に首を振った。
「ご隠居に伝えてくれ。スカルディアの巨人が助太刀に参ると」
「えっ? 巨人って、氷海の巨人ですか?」
話が早い。
「そうだ。その巨人だ。こちらから案内を出して、直接参陣させる。貴殿の名は?」
「へ、ヘクトルです」
「おお、古代の英雄な名ではないか。ヘクトル、ご隠居を頼む。無理をせぬよう、見張ってくれ」
「は、はいっ! 必ず!」
正面玄関に着くと、準備の整った馬車の前にシエラ殿とアレク。
シエラ殿は一見地味な暗灰色の長いマント姿。だが背中では豪奢な刺繍で、紅の火竜が羽ばたき、火を吹いている。
貴族令嬢の晴れ着ではない。マントの下は武装している。
シエラ殿の前へ立ち、礼を取る。
「姫……」
「カモ様?」
「家督を継いだからには、我らが姫様にございます。どうぞ、シュウとお呼びください」
「あの……、でも、守り刀を抜けていません」
「今なら抜けます。ですが、抜けば姫巫女となります。未だその時にございません。王都への旅路にでも、ご説明申し上げましょう」
顔を上げると、姫は困惑した表情。
今は説明している場合ではない。
「アレク、軍勢は西から来る。その意味はわかるな?」
「何だとっ?!」
本当に予想通り反応してくれる。
「絶対に出るなよ。ややこしくなる」
アデルフリード侯爵領の西は、サヴォイア辺境伯領。
チェゼーナ侯爵は領地の分だけ爵位を持っている。そのうちの一つを慣習として、息子であるアレクが称しているに過ぎない。
「それを聞いてジッとしてなどいられるかっ!」
青筋を浮かべていきり立つ様は、ジルの言う通り小僧だな。
「お前は何のためにここに残ったのだ。よく考えろ。下手に動けばチェゼーナ侯爵に利用されかねん」
人質だなんだと、難癖をつけてくることは目に見えている。ジルもそれをわかった上で、屋敷から動くなと言ったのだ。
「お前と父親がどんな関係なのかは知らん。だが、親子である事実は変えられんのだ」
「だ、だがっ!」
「恐らくだが、お前は殺される。どんな形にせよ、お前が死ぬことで、チェゼーナ侯爵には大義名分ができる。そうなれば小競り合いでは済まん。本格的な戦になれば、どちらかが息絶えるまで終わらんぞ」
「……っ!」
「お前が武の者であることは知っている。何せ立ち会ったのだからな。悔しいだろうが、今回は耐えろ。いいな?」
絶句するアレクに念を押す。
「姫を見送ったら屋敷に戻り、一歩も出るんじゃないぞ」
姫様が、俯いて拳を握りしめるアレクの肩に手を掛けた。
二人を横目に、従者が牽いてきた馬に騎乗する。
護衛として同行する騎士が声を上げた。
「騎乗!」
姫様が乗る馬車の前後にそれぞれ三騎。両脇にそれぞれ二騎。更に旗持ちが二騎。紅の火竜旗と青い大鴉旗が翻る。
姫様がアレクにエスコートされて馬車に乗る。
「出立!」
玄関前でアレク、ネフィウス、ヘクトル達が見送る。
領主館は小高い丘の上に建っている。南へ下る真直ぐな大通りの両脇に、アデルフリードの街並み。
広い石畳をゆっくりと進む。
領民が道の両脇で歓声を上げている。
「おい、火竜に並んでるのはコルヴォブルグランデじゃないか?」
「本当だ!」
「昔話に出て来る、あの?」
「大鴉様だ!」
「じゃあ、青い外套のお方が守り刀様かい?」
「おお、婆様に知らせにゃあ!」
我らの存在がどのように伝わっているのか、気になるところだ。
後でイズナにでも聞くとしよう。
やがて道は北側と同じ、石の砦に行き当たる。
門を潜り、ロンバール街道へ。速度を上げる。
道が土に変わったところで更に加速。
ザビア街道まで南下し、西へ。夕刻までに宿場町に着かねばならない。
両脇には豊かな森。
冬でなくてよかった。この辺りも雪が積もる。
それはチェゼーナ侯爵にしても同じことか。行軍どころではない。
さて、郷は狼煙を受けてお祭り騒ぎだろう。気の早い連中は、戦支度で長の元に集まっているのではなかろうか。
姫様が戻るまでは、出たくともシグルドで待機だ。
御前での戦働き。うずうずしていような。
ジルの容態もあるが、郷の者たちが我慢できるうちに戻らねば。
ようも喧嘩を売ってくれたものよ。
大事にならねばよいが。
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