第10話 街橋

 ザビア街道をテバ大河沿いに進む。

 大河はウルゴー山脈の西端から始まり東へ、アデルフリード侯爵領を横断して南東へ。やがて海へと至る。

 流れのほとんどは低地。川幅は最大二リーグにも及ぶ。対岸は霞み、とても橋など架けられない。領民は港から渡し舟に乗って渡る。

 やがて道は急峻な登坂、テバ大河唯一の高地へ。

 流れに覆いかぶさる裂け目、アデル渓谷。

 前を走っていた護衛騎士が速度を落とし、轡を並べる。

「直にフラウデルテバです。斥候を出します」

 ジャンペールといったか。鞍には長柄の戦斧。力自慢の多いことよ。

「頼む」

 ジャンペールの合図を受けて、先頭の騎士が先行する。

 斥候といっても、その役目は先触れ。

 アデル渓谷に跨る城郭。翠の旗が砦にはためく。白地のエスカッシャンに双頭の黒蛇。フラウデルテバ騎士団の紋章。

 本領岸に態々旗を掲げている。早馬で知らせが届いているのだろう。

 翠のサーコートを着た騎馬が二騎、砦から駆け出た。

 出迎えか。

 騎士団は先頭の護衛騎士を先導する。

 門を潜る。

 四尋ほどの石畳が、遠く対岸の砦まで続いている。

 両側に二階建の街並み。その外側に城郭が覗く。

 遥か下の川面から荷を揚げる荷役や、商人たちで賑わう街を進む。

「おい、火竜に並んでるのは鴉じゃねぇか?」

「コルヴォブルグランデだ!」

 アデルフリードの街と同じような反応だな。

 悪くないな。

 仕事の手を止めて集まりだした群衆を、騎士団が掻き分ける。

 程なく対岸の砦。本領側より大きい。

 気が付けば、テバ大河を渡り終えてしまった。

 街中を進んだだけだというのに、不思議なものだ。

 まだ日も高いが、ここで一泊する。

 砦の前に馬車を停める。

 寄ってきた従者に馬を預け、馬車へ。

 護衛騎士が降車板を出し、扉を開ける。

 まず降りてきたのは漆黒の狩衣。

「イズナ?」

 思わず口に出てしまった。

 いつの間に。

 続いて降りる姫様に、何食わぬ顔のイズナが手を貸す。

 その後ろから、姫様お付きの侍女。

 砦から一際大柄な騎士。翠のマントとサーコート。胸に双頭の蛇。

「ようこそお出で下された。シエラ様、お久しゅう」

 朗々と歌い上げるような口上。大仰な礼。

 日に焼けて乾いた金髪と口髭。なんとも嬉しそうに目を細める好々爺。

 どことなくジルのような雰囲気を感じるが、暑苦しい。

「シェザートお爺様、ご無沙汰しております。お変わりなくお元気なご様子。安心いたしました」

 姫様はマント姿で礼を取る。

「なに、爺は丈夫だけが取り柄ですからな。まだうちの若い者にも負けはしませんぞ」

 豪快に笑い飛ばし、だがすぐに表情を引き締めた。

 悲しそうな瞳だ。

「シエラ様。この度はまことに……。ジルの奴め、簡単にやられおって!」

 怒っている。

 姫様の表情が曇る。

「戦になりましょう。ワシも参陣すると言ったのですがの……。この砦を守れと」

 拗ねている。

「こんなところで立ち話もなんじゃ。ささ、騎士団故に男くさいところではありますが、入ってくだされ。ん? もしや……大鴉殿とお見受け致す!」

 感情豊かなのか、情緒不安定なのか。年寄りゆえか。

 仕方ない。

「青き大鴉がシュウジロウ・マサムネ。姫様の守り刀にございます」

 きちんと礼を取る。

「おお、おお、おお……」

 近い。近い……。

「大鴉の……しかも守り刀様をお迎えするとは。いやはや、長生きはするもんじゃ」



 部屋へ案内され、旅装を解く。

 騎士団の宿舎らしく堅牢簡素。居心地は良い。

 川から引き揚げたという水で体を拭う。

 イズナと同じ、漆黒の狩衣に袖を通す。脇差のみ帯びる。

 イズナは当然のように、姫様に付いている。護衛と言う意味では申し分ない。

 馬車の中で何を話されたか不安ではあるが、どうしようもない。

「誰かいるか?」

 イズナの代わりに誰か付いているだろうと、虚空に声を投げる。

『いやすよ、旦那』

 耳元に声。姿はない。

 また妙な技を。

「アデルフリードの情報はあるか?」

『西の領堺から傭兵っぽいのが入って来てるみたいでやすな。領民に化けて、一揆まがいの騒ぎを起こすつもりでやしょう。アデルフリード側からちょっかい掛けられたってぇ体裁で、軍を進める筋書だと思いやすぜ』

「スカルディアは?」

『あそこの大将が張り切ってるって話ですぜ。五日もありゃあ、シグルドの森から西に抜けますぜ』

 間に合いそうだな。

 良し。

 ジルの身体が保ってくれることを祈るばかりか。

 アレクもか。

 こちらがことを急ぎ、終わらせるだけ。

 食事までは時間がある。姫様と話すのは、その後だ。

 ならば少しばかり、城郭都市を観てみるか。

 扉を叩く音。

「守り刀様。少しよろしいか」

 シェザート老の声。

 先触れではなく、本人。

 扉を開ける。

「どうぞ……と言うには少し手狭ですね」

「そうですな。いやなに、中庭で一つ手合わせでも願えんかと思いましてな。誘いにまかり越した次第」

 先程と同じ格好だが、腰には佩いたサーベルとは別に、ハルバードを担いでいる。

 この何日か、武器を使っていない。

 城郭見物も惜しい……が。

「得物はそちらですか?」

 ちらりとハルバードに目をやると、シェザート老はニヤリと笑った。

「これでも腕に覚えはあるのですがの」

 ズンとシェザート老から気が湧きたつ。

 ジルほどではないが、相当なもの。

「では、胸をお借りしょう」

 あらためて大刀を帯び、シェザート老と中庭に向かう。

「ここはまだ渓谷の上ですか?」

「いや、本物の地面ですぞ。お入りになった玄関の辺りが、ちょうど境目ですな」

「街を抜けたのに、渓谷を渡り切っているというのは、不思議な感覚ですね」

「だからでしょうな。街の者はではなく、と表現しますな」

 話をしながら中庭に出る。

 踏み固められた土。

 端に植わっているのは緑ではなく、激しい打ち込みの跡がのこる杭。

「始まりの間合いはどうしますな」

 手合わせとはいえ、武器は本物。

「あまり近いと私が有利。十歩ほどで如何か」

「ほう。そんなものでよろしいのですかな」

 近いのか。遠いのか。

 どうせ詰める間合い。

「では、始めますか」

「そうですな」

 中庭の中程で向かい合う。

 なるほど、ハルバードを構えられると、近い。

 わらわらと見物の騎士たちが集まって来る。

「行きますぞ」

「どうぞ」

 右前の半身で立つ。

 老は左前の半身。ハルバードは右手。槍と斧が合わさったような刃先は下。外、後ろ寄り。握りは柄の中心付近。脇に挟み込んで、石突は上へ突き出している。

 得物は遠いのに、間合いとして近いと感じるのは、老の気か。攻撃の気配か。

 大刀を水平にして鯉口を切る。刃が外側にくるように鞘を捻る。まだ右手は添えない。

 老の腰が落ちる。ハルバードの刃を引く。左手が前に伸びる。紛らわしい。間合いを測り辛い。

 老が左足を踏み込む。刃先が弧を描いて回る。下から上へ。頭上で振り回す。右足が出る。同時に握りが滑り、間合いが変わる。刃先が遠くを回ってくる。

 届く。

 左前。刃先より内側へ。左上から袈裟懸けに降りてくる柄の下を潜る。

 腰を落とす。右手を柄に添える。

 寒気。

 後ろへ飛び退く。目の前を石突が通る。手繰り寄せた柄による突き。

 右から切り返しの刃先。下から上へ。弧を描く。

 退くは悪手。足を残し、上体を反る。風切り音。

 強引に踏み込みながら、上体を戻す。老の正面。振り切ったハルバードの柄に、右肩を押し付ける。

 膠着。

 老の肩が下がる。気が萎む。

「参った。いや、その刀抜かすこともできんとは」

 老が退くにせよ、突き飛ばすにせよ、間合いがあいた瞬間に抜き打つ。こちらの方が速い。

 鯉口を納め、息を吐いた。

 離れる。

「いえ、やはり条件が有利でした。しかしお見事な槍捌き。……、槍で良かったのですかね」

 払い、突き、それに鎌のような使い方もできる。間合いを自在に使える腕があればこそ。

 ジルも同じ得物かもしれない。

「伝承でしか知らなんだが、本当に掠りもしないとは」

「あの突きは危なかった」

「あれは初見で躱せるものではありません」

 気が付けば、見物していた騎士たちに囲まれていた。

「見えてから躱したのですか?」

「いや。見てからでは間に合わなかっただろう。気配だ」

「け、気配……?」

 シェザート老は豪快に笑い、若い騎士たちは目を丸くしている。

 ふと視線を感じて見上げると、二階の窓からイズナがこちらをみてニヤついていた。

 わざと視線を投げてよこしたな。

 また文句があるのだろう。

「守り刀様、ぜひ私ともお手合わせを!」

「それならば、私もお願いします!」

 思いの外、身体を動かすことになりそうだ。

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