第3話 緋色の大紋

 事前に連絡が入っていたこともあってか、アデルフリード侯爵の館では丁寧に出迎えられた。

 その際、使用人達に奇異の目で見られたのは仕方ない。

 海老茶地に枯葉模様の直垂ひたたれ姿。この辺りではまず見かけない格好だろう。

 館の中へ招き入れられれば、裏側とは思えぬ豪奢な吹き抜け。

 アイモーネは報告があると言って、ここで去っていった。

 こちらではまず入り口近くにある控室に通されると聞いていたが、緩やかに弧を描く階段へ誘導される。上り切った先の窓からは、広々とした中庭が見下ろせた。向かいの建物が遠い。右、方角にすれば西へ。案内してくれている使用人はズンズンと進んでいく。アレクは当然のように着いてくる。二人とも武装したままだ。

 使用人が扉の前で立ち止る。合図のように二回叩くと、内側から扉が開かれた。

「どうぞ、こちらへ」

「うむ」

 なぜかアレクが鷹揚に頷いて部屋へ入っていく。

「シュウ殿、何をしている? 入らぬか」

 案内してきた使用人は去り、部屋で待ち構えていた女中が後を引き継いだ。

 客室といっても、まず前室があり、その奥に応接、立派な書斎へ続く。一番奥に寝室があり、衣裳部屋と厠兼浴室。しっかり滞在するための部屋だ。

 女中に一通り部屋を案内されて応接に戻ってくると、窓を背にした二人掛けのソファでアレクが寛いでいる。

 大きな掃き出し窓の前に立つと、傾いた陽で陰影鮮やかな丘陵。先程通って来た砦。その向こうには、左側を夕陽に染められた白き山の先端が微かに望めた。

「広いな」

 景色を眺めながらそう呟くと、ソファ越しに振り向いたアレクが鼻を鳴らした。手には茶器の乗った皿を持っている。

 この男は武装していても上品に振舞えるのか。慣れているのだろう。女中も家具が傷つくと心配する様子もない。

「そうか? 我が屋敷でも、これくらいの部屋を用意させるつもりだが」

 情緒は持ち合わせていないようだ。

 女中はアレクの茶器へお替りを注ぐと、そそくさと退室していった。他の使用人たちに珍客の報告をしに行くのだろう。丸いテーブルの中心には花が活けられ、二人分の茶器と水差し。退室は一時的なもので、すぐに世話を焼きに戻ってくるはずだ。

 入れ替わりに、見事な白髪を背中に垂らし、青いリボンで結んだ老紳士が、滑るような足取りで入室した。

 長い髪は戦となれば剣を取ることを躊躇わない表れだ。立派な口髭を蓄えている。表情がよみ辛い。

 かっちりした仕立てのジェストコートは臙脂。袖口に銀のラインが三本。

 文官のような所作だが、足運びからすると……強い。

 テーブルの脇で立ち止る。アレクへ目配せ程度の挨拶をすると、こちらへ流れるような礼をとった。捌いた裾に銀糸で刺繍されたハチドリが踊る。

「失礼致します。当館が筆頭、ネフィウスにございます。お出迎えもせず、申し訳ございません。シュウ様、

 戦場でもよく響きそうな、艶のある低い声。

 気付かぬうちに組んでいた腕を慌てて解き、礼を返す。

「突然の来訪……と言わなくとも良いということだろうか?」

「はい」

 どこまでかはわからないが、我が一族のことを聞いているのだから、侯爵からの信頼は絶大というわけだ。

「それは重畳……。挨拶が遅れた。白き山の麓から参ったシュウ。今のところはこれで勘弁されよ」

「承知致しております。とはいえ、私も伝え聞いている知識程度にございますれば」

 先代より百年以上の時が過ぎている。

「伝わっていた。それで十分。それより姫への目通りは?」

「無論のことにございます。ただお嬢様はお出掛けになられております。使いを出しましたので、じきにお戻りになられましょう。それまで旅の垢など落とされて、お寛ぎ頂ければと――」

「――どうせ、また街に出ておられるのだろう。まあ、俺も人のことは言えんがな」

 アレクが面白くなさそうに口を挿んだ。そういえば居たのだった。

「何だか俺にはさっぱりな会話だが、どうせ今は教えてくれんのだろう?」

「お互い様だ」

 アレクはフンと鼻を鳴らした。

「まあ面白そうなので構わんがな」

「湖の向こうから参って、『面白そう』で片づけられては適わん」

 アレクは貴族だというのに、万事が軽過ぎる。いや、貴族だからなのか。街道でのことを考えると、己の命さえも軽い。

 気持ちの良い男だし、剣の腕も悪くない。普段から鍛錬している筋だった。

 何かを掛け違っている。そんな印象だ。

「そう言うな。俺も着替えて来よう。シュウ殿は着替えをお持ちか? 無ければ用意させるが?」

 それはネフィウスの仕事だろう。

「ある。着替えて来るとは?」

 過分に期待を含んだ『ある』なのだが。

「俺もシエラ様のお目通りに立ち会う」

 アレクが胸を張る。

「私を拾ってきたからか?」

「それもある……が、俺だけ隠し事をされているようで癪だしな。その時まで理由は秘密だ。シュウ殿の言うというやつだ」

「アレク殿の立会いは断れぬと?」

 アレクはニヤリとしてソファから立ち上がった。本人にその気がなくても、なんとも獰猛な表情だ。頬の傷の性だけではない。

「どうかな? どちらにしてもこの格好ではな。ここに着替えがなくもないのだが、一旦屋敷に戻るとしよう」

「アレク様、カザロフめも心配しておりましょう。お早くお戻り下さいませ」

 ネフィウスが丁寧だが忠告めいた口調でアレクを諭した。

 やっとアレクに話しかけたな。

「爺か。今日は気分も良い。お小言のひとつも聞いてやるとするか。ではシュウ殿。また

 アレクはそう言い残すと、堂々とした足取りで出て行った。

 侯爵筋の他家で、カザロフという爺はネフィウスと近しい間柄。秘密と言いながら、大分襤褸が出たな。まあ、お役目の邪魔にさえならなければ、アレクが何者でも構わない。

「ふう……。ところでネフィウス殿。先代の衣装は残っているだろうか?」

 着替えはあると言ったものの、当てにしている物があるだけだ。最悪、無くても他に手筈もあるのだが……。

「白き山と聞いてすぐに確認致しましたが、なにぶん時代物にございますれば。お持ち致しますので、先ずはお検め頂けますでしょうか?」

 予想していた通り、先代の残したものがあった。それでも百年以上前の物だ。上等な仕立てだろうと、着られるかわかったものではない。

 ネフィウスが廊下へ合図すると、飴色の木箱がいくつも運び込まれた。

「先代の筆頭から申し送りされておりましたが、私めの代でこのご衣装のお引き出しが適うとは、夢のようにございます」

 ネフィウスの指図で、衣紋掛けなどの小道具が丁重に取り出される。テーブル横に立ち鏡が用意され、そこに吊るされたのは鮮やかな緋色の直垂。

 大紋。

 背や襟、袖など、十箇所に大小の紋を散りばめた武家の正装。

 大切に保管してくれていたのだろう。虫食いやほつれは見当たらない。

「見事。保存状態も申し分ない」

「良うございました」

 ネフィウスが白地あからさまに肩の力を抜いた。

「有難きことなれど、たかが衣。そこまで気負うて頂かずとも」

「何を仰います。当家にとって何よりも大切なこと。王の命より優先させよと申しつかっております」

 そこは『大袈裟な』とは思わない。


 湯の用意だけしてもらうと、どうしても世話をすると言い張る女中や使用人を「異国の風習だ」と言いくるめて、何とか追い出した。

 街道に出た瞬間から、何だかんだ気を張り詰めていた。ずっと右手に持っていた大刀を壁に立掛けると、肩の力を抜いて息を吐いた。

「イズナ、いるか?」

 どこへともなく呟くと、書斎へ続く扉の前に気配が湧いた。

 湧いたのだ。誰もいなかったはずの空間に、漆黒の狩衣を来たイズナが立っていた。青光りする黒髪。抜けるように白い肌。潜んでいた場所から出てくれば、圧倒的なまでの存在感と美しさ。

「いるに決まってんだろ? 一人にした途端に襲われるわ、その後も乱闘に巻き込まれるわ、もう何なの? 相変わらず敵からすぐに目を切るし。だいたい――」

「―― わかった。わかったからお小言は後にしてくれ」

 喋りさえしなければ、と付け加える必要があるが。

 街道へ出る三日ほど前までは、イズナとその手下達と、湖の沿岸を郷から東回りに、一月掛けて共に南下した。そろそろ街道へ出るというところからは、影に潜んでもらっていた。ずっと側で見守ってくれていたはずだが、イズナ達が本気で気配を消せば、まず気付くことはできない。

「はあ……。ひとえと足袋は新しいのを用意したよ」

 流石に下着の類は新しい物が良いと思っていた。

「すまんな。話は聞いていたのだろう?」

「そりゃな。郷へ伝書を飛ばした。狼煙の準備もしてあるぞ」

「気の早いことだ」

「早いとこ身を清めてきな。着付ける準備はしておいてやる」

「頼む」

 イズナに向かって両手を突き出すと、溜息を吐かれた。

「あのなぁ……」

 文句を言いながらも、嬉々として直垂を解いてくれる。仁王立ちしているだけで、ズシャリ、ズシャリと足元に外した装備が転がり、身が軽くなっていく。

 のだ。

 単衣になると、背中を叩かれた。

「ほら、あとは浴室で脱ぎな」

 清潔な晒を渡され、寝室へ押しやられた。

 仕方なく浴室に向かう。

 浴室には湯船かと思えるほど大きな陶質の桶に、たっぷりと湯が張られていた。水場沿いに移動してきたので、体を洗っていなかったわけではないが、やはり湯を使うと気分が違う。

 髪を湯に浸して軽く洗うと、手ぬぐいで体を拭った。

 浴室を出ると、寝台の上に単衣が用意されていた。

 待ち構えていたイズナに晒を投げる。

「巻いてくれ」

「お前なあ。堂々と裸体を晒すな」

 石の床に点々と滴が垂れる。

「イズナの前でしか晒さん」

「お、お役目の最中だぞ。そ、そういうことは二人きりの時に言え」

「二人きりじゃないのか?」

「当たり前だ!」

 すると、どこからともなく複数の声がする。

「姉御、あっしらのことは気にせず」

「聞かれなきゃ言いませんから」

「しっかり見張っておきやすんで」

 まったく声の出どころがわからない。声を出しながらも気配を断てるとは。

「お前ら、下らないことに技を駆使してんじゃないよ!」

 イズナはブツブツ言いながらも、しっかりと晒を締める。

「まったくどこの殿様だい?」

 イズナが掲げた真白の単衣に袖を通す。

「ほら、そこに座りな」

 寝台の脇にあった背もたれのない椅子に腰かける。陽が落ち、窓に自分の姿が映った。

 肩に手ぬぐいを掛けられ、イズナが濡れた髪を櫛削る。

 イズナも軽口を叩きながら、これから行われる目通りに、一族の在り方が問われることを承知している。

 百数十年振りとなる、侯爵家と一族の再会。

 真新しい白足袋を履き、大紋のある応接へ。

「アタシがお前に、この紋の入った衣を着せるとはねえ。女冥利に尽きるってもんだ」

「滅多にあることではないな」

「お前ねえ……。まあ良いさ」

 烏帽子を冠り、イズナが捧げ持った脇差しを受け取り、帯びる。

 後ろにまわったイズナが、背中の紋に触れた。

「まあ、立派な若様だこと。そろそろお呼びのようだ。惚れた男の晴れ姿、影からしっかり目に焼き付けておくよ」

 廊下から扉を叩く音とともに、背中から気配が消えた。

「シュウ様、お嬢様がお戻りにございます」

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