名無しのフィナーレ
魚谷 羊
第1話
文化祭。
僕がそれを初めて楽しいと思ったのは、一年生のこの時だった。
約二年前、僕は文化祭で劇を見た。劇なんて、選ばれた役者だけが行う僕らからは遠い存在。そんな風に思ってた。
でも違った。
先輩たちが笑いながらも精一杯演じ、作り上げた劇は僕の知る本物の劇と遜色ないものに思えた。僕はそれに、憧れを抱いていた。
月日は流れ、僕らは受験生の名を冠する三年生となった。トントン拍子で劇をやることが決まり、着々と準備されていく途中。
——僕はなんて主張が弱いんだろうか!
そんな嘆きをするのは既にステージから離れた体育館上の通路——正確にはギャラリーと言うらしい——で主役たちを照らしている僕だった。
思えばいつの日も僕は後者に回っていた。
よく言えば謙虚、悪く言えば自己主張が弱く、友達はいるが親友はいない。彼女はいるが彼氏は——ごめんウソ、彼女もいない。
そんな僕が最初に後悔をしたのは二年の文化祭だ。絶対に劇をやる、という確固たる意志を持ってはいたが美術部顧問の担任が「今年はモザイクアートをやろう。普段一人でできない作品を作ろうじゃないかっ!」とスポ根並のやる気を見せ、結局劇というワードは一度も耳にしなかった。
だからこそ、今年劇をやると決まった時は心の中でガッツポーズを決めた。
——だが!
「はい、ではこの決まったメンバーで劇をやります。残りのメンバーで小道具等決めていきます」
配役決めの時、結局僕は手をあげるタイミングを失った。ここにきて突如顔を引っ込めた自己顕示欲、本当に無能そのものである。
だがここで異を唱える事ができるならそもそも照明係などにならない。僕は不承不承脇役以下に回ると腹を決めた。
軽快な、聞いたことのある音楽が流れ主役やヒロインがステージで踊り始めた。ラストシーンの練習である。僕は激しい動きに遅れをとらないようにライトを動かす。照明役にだってプライドはあるのだ。
演目、「美女と野獣」
誰もが一度は聞いた事が、延いては見たことがあるだろう。僕も別に嫌いではない。
主役たちを取り囲むようにして踊るクラスメイト、その中には当然友達だっている。
別にステージに立てなくとも、友達たちの精一杯のステージの裏方でいいじゃないか。僕はそう思うことで自分をなだめた。それだって立派な劇だ。
僕は無心でライトを動かした。なかなかに疲れる作業だが、二、三週間の練習で芽生えた妙なプロ意識の前では些細なことだ。
文化祭まであと一週間。最後の調節だ。ラストシーンの練習、僕も自然と腕に力が入り——ふと僕はライトを動かすことを忘れた。
知らない女の子がいる。高く縛ったポニーテール、鮮やかに縁取られた黒の瞳。三年生ともなれば、例え違うクラスだろうが顔は見たことあってもおかしくないのに、僕の記憶の中に彼女はいなかった。それも、だ。彼女のいる場所はステージではなく僕の隣、ギャラリーに佇んでいた。
「おい物山!ライト止まってるぞ!」
物山と呼ばれた少年こと僕はハッとしてライトの作業に戻った。もちろん視線は彼女にやりつつ。
おかしい、もし彼女が来たなら絶対に僕が気づく。まるで急にそこに現れたかのような……しかも、先ほど僕を注意したクラスメイトは彼女に気づいていないのだろうか。だとしたら彼女はまさか……?
「今年もいい出来、楽しみだなー」
喋った。やはり聞いたことない声だ。
だがどうやら僕に話したわけでもなく、独り言のようだ。喋ることを苦手とする僕はライトを動かしながら話しかける勇気を持ち合わせていない。だが気になる。話しかけたい——そんな心配は杞憂に終わった。
「今年のライトくんは君かぁ。頑張ってねっ」
「がっ……頑張ります」
「——ッ」
時が止まった、ように感じたのは彼女が僕に向けられたであろう笑みのまま固まってしまったからだ。そしてそれが、見る見るうちに信じられないようなものを見た顔に変わった。
「もしかして、見えてる?」
僕は返事の代わりに短く首肯する。
どうやら僕に話しかけたのは、返事がこない前提の語りかけだったようだ。犬に話しかけることと同義だろう。
そして彼女。いきなり現れる、周りの人には見えない……総合的に判断して
「幽霊の私が見えるの!?」
しかないだろう。
通し練習は終わり、クラスメイトたちはそれぞれでまだ不完全な箇所の練習に移った。小道具係もシーンに合わせ、せわしなく動くがこの時ばかりはライトは暇である。
「まさか、見える人がいるなんてねぇ」
「霊感……ってやつが強いのですかね。信じてませんけど」
「現物目の前にいるのにそんなこと言う?」
幽霊はケラケラと笑った。呑気なものだ。
かくいう僕も、浮世離れした現象を目の前にしながら不思議なほどに落ち着いている。彼女との距離感が、まるで友達のそれなのも理由の一つだろうか。
「いろいろ訊きたいことはありますけど、多くて纏まりません」
「例えば?」
「なんでここにいるのか、あなたの名前とか」
「他には?」
「……」
「纏まってんじゃん」
案外この幽霊、侮れない。なんだか会話の主導権を握られた気がする。喋るのが苦手な僕にとってはその方が楽かもしれないが。
「なんでここにいるか、ねぇ。まぁ簡潔に言えば地縛霊だからかなぁ。あたしここのOB。死んでるけど、卒業してないけど」
それOBって言うかな。そんな疑問を飲み込んで、彼女の言葉を一語一語噛み砕き理解していく。
「こんなところに、地縛霊?」
「ほんっっと不便。就職場所、母校の体育館って何よ!?給料でないし……あ、住む場所は提供されてるのか……ってうるさいわ!」
地縛霊がノリツッコミ。そりゃ緊張感も持てないはずだ。僕は苦笑いをこぼした。
「でもね、私なぜか文化祭の期間しか出てこれないんだよね。退屈しなくて済むけど」
なるほど、それならば彼女を見ることのできた僕が二年半気づかないわけだ。だが、そうすると一、二年生の間に彼女を見ていたかもしれない。記憶にないが。
「もし嫌じゃなかったら、亡くなった理由を聞いても——」
いや嫌に決まっているだろう。僕は何を聞いているのか。慌てて訂正しようとするが、それより先に彼女は告げる。
「うん、そだね。確か……自殺だったかな。理由は忘れたけど、多分受験のストレス」
「——」
僕は絶句した。してしまった。
彼女とは数分しか話していないが、とても自殺するような人だとは思えない。僕は訊きながらも、死んだ理由は不運な事故だと決めつけていた。だからこそ予想を裏切られた時に、かける言葉が見つからなかった。
「ごめん……よく考えもしないで」
後付けとばかりに謝罪する。
「気にしないで。確かにあの時のあたしはバカだったけど、今がそんなに悪いとは思ってないからね。この高校の文化祭だけを見守る神様だよ?待遇は悪いけど嫌いじゃない」
彼女はひらひらと手を振っておどけてみせた。神様と勝手にランク上げされていたのは癪に触るが、気に病んでいないようならばそれで良いと思う。
「んで、名前だっけ」
「はい」
「んーとねぇ……えーと……うーん」
「ふざけてるんですか」
顎に指を当て、考えるふりをしてふざける彼女。少しばかりイライラしていると、その次の言葉は更にイライラに拍車をかけた。
「忘れた」
「……は?」
「だから、忘れた」
「名前を?」
「名前を」
またしても予想を裏切られた。まさか、名前を忘れる人がいるのか。幽霊だが。それとも僕をからかっているのだろうか。後者であると信じたい。
「いやだってさ、あたしが死んだの四十年前だよ?当時の先生だって天寿を全うしてる頃じゃないかな」
「はっ、え、よん…じゅう?」
頭が処理に追いつかない。
「四十。となるとあたしは五十何歳のババアってことになるね。がっかりした?」
自称ババアはババアに似合わない、女子高生に似合った悪戯っぽい笑顔を向ける。今からでも嘘だと言われた方が納得できるが、まず幽霊の定義すら曖昧なのだから何が起きても不思議ではない。
「四十年も経てばそりゃ名前も自殺理由も忘れるよ。なんだったかな……あ……さ……ん、りだったかな。全部私の名前に思えてくる。逆に、四十年も経ったから色々嫌なことも忘れれたの。今は今で幸せだと思うよ」
どこか遠いところを見るように彼女はつぶやいた。儚げに、確かにそこにいるのに消えてしまいそうに。僕はそんな彼女に、つい見とれてしまう。
「記憶って不思議だね。私は独りで考える時間が多かったから、ついいろんなこと考えちゃう」
そうして一拍おく。その間が僕の興味をそそった。
「人って思い出さないと、例え親が死のうが忘れちゃうんだよね。でも忘れないのは、その悲しみが無理やりにでも思い出させるから」
僕はじっと彼女を見た。有益なことを話す教師を見るみたいに、じっとその話だけに集中する。
「あたしの名前も、自殺したときの事も思い出さなかった。あたしでいるのが嫌で、無理にでも現実逃避したかったんだよね。そしたら、これ」
そんな器用な事、僕にはできるのだろうか。そう考えるも四十年という付加情報を考えれば無理もない話だ。
「大変、だったんだね」
「ねぇ物山くん」
初めて呼ばれた僕の名に、憤りに似た感情が含まれてることに気づき目を見開いた。
「——誰にも名前を呼ばれない孤独が、君にはわかる?」
そこで、練習終了の号令がかかった。これでこの日の練習は全て終る。
明日の練習は、ひどく憂鬱だ。
▼
しかしあの日以降彼女が姿を見せることはなかった。まるで夢を見ていたかのようで、日が経つにつれて、あの日の出来事がどんどん現実味を失う。
まるで狐につままれたような、そんな気分だ。
そんな僕は、不謹慎とわかりつつもうちの学校と自殺者について検索してしまった。しかし当然、40年前の話であるし載っていたとしても名前は伏せられていただろう。せめて名前だけでも、呼んであげれればと思ったのだが。
人間は、考えること一つにもエネルギーを使う。脳を駆使し、舌を駆使し初めて人とコミニュケーションをとれるのだ。
それら全て隔絶された幽霊という存在、なぜ供給されるエネルギーすらないのに考えるということが許されるのだろうか。僕一人の矮小な脳みそでは答えなんてでない。ただ、死ぬに死ねないなんて言葉じゃ表せないほどに辛いということはわかった。
既に明日が、文化祭本番。僕は最後に彼女に会えることを祈って、布団の中の僕に瞼を閉じさせた。
文化祭運行は順調に進む。生徒会主催の開会式、二Aのオープニングの後、各々の自由時間となり蜘蛛の子を散らすように体育館から人が出て行く。
オープニング、よかったねと話し合う人たち。だが僕はオープニングのことなど全くもって記憶にない。つい、彼女がどこかにいないか視線で追ってしまっていた。
一通りのディスプレイを友達と見終わり、その後は劇を見た。全体では二年が四割、三年が六割といったところだろうか。この二年半ほど歩んできた仲間たちの劇はさすがというもので、でもそこは自分の場所じゃないと思うと暗い気持ちがぼんやりと顔を出す。やはり、心の底では劇にでたい気持ちはあるのだ。
僕らの劇は本日四つ目。先ほど二つ目が終わり、いよいよ僕らも準備段階に入る。集まったクラスメイトたちからは緊張が目に見える。一方小道具係たちの数人かは少しだるそうに見える。集団とはこんなものだ。
程なくして三つ目の劇も、滞りなく終わった。三十分のインターバルを挟み僕らの劇の開演だ。絶対成功させるぞ、そんな掛け声の後本番前リハーサルに移行する。僕もギャラリーへと足を運ぶ。
「ついに、本番だね」
「ッ!」
心臓がドクンと、早鐘を打った。
振り返ると、そこには彼女がいた。あの時と寸分違わずに。僕は無意識に彼女に会いたかったということを悟らされた。それが恥ずかしく、隠そうとして平静を装った返事をした。
「まだリハーサルだよ」
「そういうことが言いたいんじゃないんだけどな。緊張してる?」
「まぁ」
僕の緊張なんて役者たちに比べれば屁でもない、そんな意味も込めて曖昧に返す。
「ごめんね、なんだか気まずくて」
気にしないで、そう僕が返そうかと迷っているとリハーサルの開始を告げる号令がかかる。僕は急いでライトを用意した。
まずは野獣の嘆きから始まる。起承転結の起だ。役者の原型をとどめないように、精巧に作られたヒゲやツノ。実は野獣のメイクこそが僕たちの一番の見所である。懺悔にも似たそれに、僕は滑稽だと言わんばかりにライトを当てる。その後場面は切り替わりヒロインが城までやってくる経緯を簡単に演じる。役者たちはさほど大変ではないが、それに反比例して小道具係はせわしなく動き回る。本人自体は劇に登場できないのに、彼らがいないと回っていかない。そんなところにやりがいを見出しているのだろう。
承。美女と野獣の邂逅。音楽係がチョイスした壮大な、おどろおどろしいBGMが雰囲気を作る。練習を重ねた張りのある声が体育館に響き渡る。
美女役の澄み渡るメゾソプラノに、野獣役の重低音。まるでオペラだ。自分たちの劇だが、なかなかに質が高いと思ってしまう。
転。悲壮感に包まれ、役者の声がシンとした静寂に響く。恐らく、本番でもこのようになるのだろう。だがここはあまり長引かせると後にも響く、と判断した演出家きどりのクラスメイトの計らいで他より短くなっている。そいつは気に食わないが、英断と言うほかない。
結。野獣役がメイクを解き、美女役と共に踊る。いわゆるラストシーンだ。この時は最低限の小道具を残し、ほとんど全員で踊る。ライト役は疎外感を感じざるおえないが、ステージ上の誰とも被らない立派な役割という自負を胸に耐える。
「右、ステップ、手をとって、顔を近づける。一度離れて……」
そこでふと、彼女がブツブツとつぶやいてることに気づく。話しかけるわけにもいかないので、耳だけ傾けながら自分の仕事をする。するとそれは、主役の動きをつぶやいているようだった。気にはなったが、大切なシーンで手を離すわけには行かない。
その後何事もなくリハーサルは終了した。これが完成系に近いだろう。
「リハーサルお疲れ様でした。リハ通りに行ければ最高の劇が作れます!みんなで賞とるぞっ!」
全員を鼓舞させるような掛け声で、いよいよ本番が近いことを実感する。僕はまた持ち場についた。
「ねぇ、さっきつぶやいてたのって……役者の動きを覚えてるの?」
彼女は、主役の動きを先読みするようにつぶやいていた。覚えていないと出来ない芸当だ。
「まぁね。一種の特技のようなものかな、記憶力だけは自信あるから。無理だけど、今踊れと言われたら踊れるよ」
それを披露する場所がないことを自虐するかのように笑った。僕はただすごいと感嘆する。
「さ、本番だよ。ミスったら許さないからね」
「ミスらないよ。最悪ミスってももう一人の照明係がいるから問題ない」
そこで会話は途切れた。入場時間となり、人が雪崩のようにはいって良い席を取り合う。遥か高みでそれを眺める僕も、息を呑む光景だ。
かなり人の密度の高くなった席に、遮光カーテンが閉められ体育館は闇に包まれる。
いよいよ、本番だ。
「あぁ、なぜ私はこんな醜い姿に!」
「いいえ、醜くなんかないわ。貴方は優しい人」
美女と野獣。真実の愛を題材にしたグリム童話の一編。
リハ通りに進み、観客たちが感嘆の息を漏らすのが暗闇の中でもわかった。僕自身、ライトを担っていることを忘れ一人の客として劇を楽しんでいる節がある。彼女も隣で、固唾をのんで見守っているようだった。劇は順調に転の部分に入る。観客の気持ちを揺さぶる一番のポイントだろう。ライトの光を弱めて、儚さを演出する。
このまま何事もなくリハ通りに進めれたのなら、僕たちの劇は大成功の部類だろう。——しかし。
結に入る直前、事故は起きた。
「なんだなんだ」
「大きな音がしたぞ」
「劇はどうなるの?えっ、大丈夫?」
僕らライト含めての全員集合の命令。異例の事態に観客含めてクラスメイト全員落ち着きがない。
事は数分前。野獣役のクラスメイトがメイクを落とした時の話だった。立てかけてあった小道具の鉄棒に引っかかり、それが運悪く足に直撃したのだ。大慌てで担任と保健室の先生がやってきて、その子を診る。曰く、骨に達している可能性もあるとの話だ。
「これからラストシーンだってのに……!」
「どうすんだよ。代役きくのか!?」
召使いの役だったなら代役もきくし、いなくてもさほど問題はない。本当に不運、順調な時ほど注意しなくてはならないという言葉を思い出した。
「……」
僕と同じく、ギャラリーにいた彼女もステージ裏に来て事の顛末を見届けていた。
観客の動揺は波紋を広げ、既に収拾がつかない。
もう事故が起きてから十分は過ぎた。劇の最中としては異例である。決断は担任の教師に委ねられ、皆が教師の方を見つめる。
そんな中、ふと声が聞こえた。
「——あたしなら、代役が務まるよ」
クラスメイトの誰かが言った、そう思った僕は弾かれたように顔を上げる。が、クラスメイトは誰一人反応を示さない。つまり
「ねぇ物山くん。代役、やらない?」
「……僕……が?」
彼女は不敵に笑う。あたしに任せろ、と胸を張った。
「あたしが全部指示する。物山くんは、それに合わせて踊ればいい。大丈夫、物山くんは主役を務まる顔してるから」
確かに、野獣役はメイクをしていたため中の人が変わっても観客は気づく事はない。だが、僕なんかが主役で、ラストシーンを飾っても本当にいいのだろうか。無理に続けて、無様に終わった例は探せばいくらでもある。僕たちの劇はこれが引き際なのかもしれない。
僕は葛藤する。時間は、既にない。教師はおもむろに口を開き
「……劇の続行は不可」「やります」
その瞬間、クラスメイトの視線が一気に僕に集まった。
「——大変申し訳ありません。あと五分ほどで再開致しますので、もう暫くお待ちください」
そんな放送が流れた。この五分で、僕が代役に務まるのかの審査だ。といっても、もし適性がないとなったとしても僕は登壇し無様に踊る。それがクラス全体の判断だ。全員が、僕に賭けた。
ステージ裏で、僕とヒロイン二人が踊る。その際、約束どおり彼女が指示を飛ばす。
「右足を後ろに引いて、手を組む。次に……」
元より難易度の高い踊りはしていないが、こんな芸当、たとえ指示があったとしても不可能に近い。だが僕は、喉から手が出るほどに主役になりたかったライト役。羨望の目で主役を眺めていた僕には彼女の声は確認でしかない。
クラスメイトたちからいけるぞ、と賛嘆の声が聞こえた。緩む口角を無理にでも締め、踊ることだけに全神経を集中させる。
何時間にも感じられた五分。それが終わり、僕はギャラリーじゃない持ち場、ステージについた。
「俺の代わりを、頼む」
野獣役のクラスメイトが、担架の上で僕に声をかける。僕は無言で頷き、それが合図になりラストシーンが始まる——
会場からは拍手喝采が巻き起こった。僕は、僕らはついに一つの劇を完成させたのだ。
▼
「お疲れ様。物山くん」
「ありがとう。本当に……助かった」
1日目の閉会式が終わり、それぞれは解散となった。余韻を残した体育館には、すでに僕しかいない。
「明日で、いなくなるのかな」
「ううん、あたしは今日だけで満足かな」
彼女は首を横に振る。文化祭の神様とも言い切った彼女を、一日で満足させてしまう力が今日の劇にはあった。それは自他共に認める事実だ。
「僕はずっと、劇をやりたかったんだ。立ちたかった。そんな夢が、今日ここで叶った。感謝しても仕切れない」
「それはあたしのセリフだよ。あたしもずっと、やってみたかった。でもできない。これ以上歯がゆいこともないよね」
僕たちは、ははと笑う。
やりたくてやれなかった少年。
干渉すら許されない少女。
そんな二人が、ラストシーンを飾るなんて誰も予想しなかっただろう。
「ね、来年も来てくれるかな」
彼女が真摯に僕の目を見て言う。僕は恥ずかしくても彼女と目を合わせた。
「うん、約束する」
「約束だよ」
僕らは小指を結んだ。こんなことをするのはいつぶりだろうか。
「指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます」
彼女は歌いだす。言ってくれれば一緒に歌ったのに、そんなことを思いながら僕も最後は歌った。
「「ゆびきった」」
二人の声が、木霊した。
もう、目の前には彼女はいなかった。
「——結局、名前すら呼べなかったな」
来年は、可愛らしい名前をつけて呼んでやろう。その頃は大学生か、立派なところ行って自慢してやらないとな。
たった二日間の縁。そして別れを経た。
ありがとう。
心で呟いて、僕は帰路に着く。
名無しのフィナーレ 魚谷 羊 @turuha
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