エピローグ
時を戻して、帖文堂書店和合市駅前店、応接室 。
「どう? TAKI君の編集者っぷりは?」
あと三○分足らずでサイン会が始まろうとしていた。
「ほんっと使えない下僕です」
いや、無理してネタを使わなくていいからね……。
「そんなことないでしょ。あれには驚いたわよ」
「あれですか?」
「そうよ。まさか、沙由佳が登場するなんて思ってもみなかったわ」
「意外……でしたか?」
「意外も何も――」
「何年経ってもズルズル引きずってる重い女ですよね……」
やっぱり、他人の目からすると、安易な登場でしかなったのかと、詩羽は少し思ってしまう。
「すっごく面白いじゃない!」
「え?」
前作『恋するメトロノーム』に登場した沙由佳は、失恋した経験から主人公とヒロインにアドバイスを送って……
「私はこんなコラボレーション思いつかないわ。ほんとどれだけ私を甚振れば気が済むのかしらね、TAKI君」
その助言をもとに主人公とヒロインが仲直りする展開……
「今度こそ、二人が幸せになれる結末を楽しみにしてるわよ、霞先生」
まさに
「一体何のことを仰っているんですか、町田さん」
そんな二人の話題を切り裂くように、廊下が騒々しくなった。
『すみません! 通して下さい!』
『ここはファンが通れるところじゃないから! 関係者以外立入禁止だから!』
『関係者です!』
警備員が静止させようとしているのがわかる。
けれど、その通り関係者だったのだろう……すぐに収拾がついた。
駆け足で、その足音がだんだんと近づいてくる。
町田さんは、ニヤニヤとほくそ笑んでいる。
きっとそういうことなんだろう。
してやられたと、何がデートなんだと……詩羽はくすりと微笑む。
扉が開けられ、目の前にいる人物に何の驚きも感じない。
「はぁ~……。はぁ~……」
ほら、やっぱりあの時と、同じ……。
「すみません! 遅くなりました!」
そうやって詩羽の気持ちなんて考えなしに、来てしまうのだから。
「抜け駆けなんて許しませんからね!」
そう、相楽真由はいつだって、突然現れる。
「一人でなんてズルいですよ! わたしだってサイン書きます!」
「ほんと、待ちくたびれたわ。嵯峨野さん」
詩羽は町田を睨みながら、ガタガタと床を震わせていた。
「どういうつもりだったのか、きっちり説明してもらいましょうかね。町田さん」
「チケットを渡した、と言ったけど、今日行くとは言ってないし。それに来ないとも行ってないわよ?」
なぜか急いできたのに、のけ者扱いされる、話題の中心人物が一人……。
「えーっと、わたし呼ばれたのに、ここにいちゃいけない雰囲気ですか?」
「さっ、二人共揃ったし、会場に向かうわよ」
「……話逸らしたわね」
イベント会場舞台袖。
店舗担当者が司会進行を慣れた手つきで行っている。
「突然ではありますが本日は、特別にイラスト担当の嵯峨野文雄先生にもお越しいただいております」
そして、詩羽は隣でそわそわしている真由が気になってしまった。
「サイン会って何度も行ってるんですけど、こうしてサインする側だと初めてで緊張してきちゃいます……」
「適当に書いても誰にも気づかれないから安心していいわよ」
だから、詩羽もその緊張感に当てられてしまいそうになる。
「嫌な安心感ですね……。でも、そういう訳にもいきません。だって、わたしがサインするんですよ! 適当に書くなんてそんなのわたしのファンであるわたしが許しません!」
「ふふっ」
もう日本語がめちゃくちゃでも、その意味はなんとなく伝わってくる。
だって、自分の作品を愛してないわけないから。
「何がおかしいんですか」
それに、詩羽は一番初めにきてくれたファンのことを思い出してしまったから。
「そんなに気合い入れなくても、大丈夫よ。嫌でも直ぐ安心させられるから」
「ん?」
「すぐにわかるわ」
あの時は、何も知らなかったし、まさかこんなことになるとは思っていなかった。
「それではご両名を拍手でお迎えください。これより霞詩羽先生の新作『純情ヘクトパスカル』第一巻発売記念サイン会を開催いたします」
今こうして、真由が隣にいることで、変に安心してしまうことを不思議に思う。
だって、初めに書くサインの相手は決まっているから。
これは、予定調和で何の驚きもなくて、何の変哲もない物語。
――ほんとオタクの鑑よね。
そして、二人して壇上に上がり、大勢のファンが待っていることを目の当たりにする。
でも、目線の先には、詩羽と真由と、そして誰かさんと作り上げた本を我が子のように大事そうに胸に抱えながら、楽しそうにきらめく今か今かと待つあの人の姿が……。
「どうして私の目の前にいるのかしら、倫理君」
なぜか詩羽は、あの冬の公園での告白に重なってみえた。
「すみません、先輩。どうしても俺、ファンとしてサイン会に参加したかったので」
「ファンとして、ねぇ……。その為に仕事休んで、町田さんを引っ張ってきたの? 馬鹿じゃないの?」
「返す言葉もないです……」
「サインならいくらでも書くわよ」
「適当に書くんでしょ」
「ほらね、なにも緊張することもないでしょ、嵯峨野さん」
「ほんと、嫌な安心感ですね……」
真由は、気合い入れて損した、と思ってしまった。
「二人して俺の扱い酷くない……?」
「霞先生の新作、ほんとに面白いです。会話のテンポとかも含め、ラブコメハーレムでありながら、あの霞詩子節が炸裂してて、霞詩子作品の一部になれたようで……」
「特に成長もしてなくて何も変わってなくて、前作の使い回しって言いたいのね。実に嬉しいこと言ってくれるわね」
「一言というか全部余計です……。あと、続きが今か今かと待ち遠しいです!」
「あなた、編集なんだから続きがどうなるか知っているでしょ?」
「それもそうでした……けど、それでも――」
「で、宛名は?」
「あ、すみません。TAKIでお願いします!」
「ふぅん」
だから、いままでの鬱憤と、叶わない願いを込めて……。
これぐらいならいいよね、と、いつもの詩羽のようにからかいを含みながら、ペンを走らせる。
きっと彼は冗談として受け取ってしまうから……。
そんな彼がウズウズしながら、ハラハラしながらペン先を見つめ、出来上がりを楽しみにしていたのもつかの間……
「あの、先輩……」
「ん? なにかしら?」
「俺、『TAKI』でお願いしたんだけど……」
「あら、ごめんなさい」
「『霞ヶ丘 倫也』って色々と間違ってから!」
「どこがかしら? 私にはわからないのだけれど」
「それだと俺、婿養子だし! わざとだよね そうなんだよね?」
「もう婿養子でいいじゃない。それとも『俺が詩羽先輩を養ってやるぜ!』とでも思ってたの? ヒモの分際で」
「うっ……。そ、それでもいまはバイト編集だけど、いつか編集長に上り詰めて、日本全国といわず全世界に霞詩子作品を広めてみせますから!」
彼の思わせぶりな発言に、少なからず詩羽は浮かれてしまいそうになる。
「そんなに私達の仲を衆目に晒したいのね」
「違うから! そうじゃないから! 作品をだから!」
「外堀から埋めていくなんて、さすがは倫理君ね」
「舐めないでくださいよ。詩羽先輩こそ、覚悟しといてください」
「覚悟も何も、本当にそんなことできると思ってるの?」
「俺と霞詩子と嵯峨野文雄がいれば、向かうところ敵なしだから!」
「口だけは頼もしいわね」
「俺のモチベ、いちいち下げないでくださいよぅ……」
「イチャイチャしてないで、こっちは手持ちぶさたなんですから、サイン書き終わったのなら本回してください。わたしのサインはいらないって言うんですか?」
そう、相楽真由はいつだって突ぜ……使い回しなので、もういいよね?
「いります! しかも、特別ゲストで驚きましたよ! 一番に並んでほんとによかったです! 商業デビュー作で初めて嵯峨野先生のサインを貰えることができて俺、感無量です!」
「どうして
真由はぶつくさと独りごちりながら、サインを書いていた。
「いや、俺はあの時、サインよりも編集として君に会いに行ったわけでして……」
「その時のことでもないんだけどなぁ……。まぁ、でも、こういうのも悪くないかな。それよりもサインを入れる隙間が全然ないんだけど」
「え?」
「はい。あなたが私の商業デビュー作、第一号のファンなんだから大事にしなさいよ?」
「一生物の宝物です!」
「…………それで、わたしはあなたの言う『神イラストレーター』に、なれた?」
「ほんっとにどのキャラクターも可愛くて悶え死にそうですよ! あの最後の見開き、あれはズルい、ほんとにズルい!」
「感想も有難いんだけど、わたしが訊いてるのは……」
「それは、もう
「わたしはあなたに認めてもらいたくて引き受けて、ここまでやってきたのに!」
「すぐにわかるよ」
そう言い残し、倫也はその場を立ち去ろうとする。
「はーい、次の方どうぞー」
町田が、次の参加者を呼ぶも、もう一人背中を向けた参加者(ともや)を呼び止めた。
「あ、そうそうTAKI君。サイン貰ったのなら、この後手伝いなさい」
「え? 俺!? 本日お休みもらってるんですけど!?」
※ ※ ※
舞台は
「なにカッコつけているのかしら。倫理君のくせに」
サイン会の午前の部を終えて、倫也と詩羽は休憩を取っていた。
「俺から言うのも野暮ってやつじゃないですか、詩羽先輩」
町田さんは、真由を連れ出し、先に昼食へ行っている。
「それで、相楽さんの初めてをもらった感想はいかがだったかしら?」
「サインをだよね 何かしら含んでますよね……そうですよね……」
「ねぇねぇ、倫理君。私も『神原作者』になれたかしら?」
「わざとらしく言わないでください。自分でも言った事、恥ずかしくなって来るじゃないですか。それに先輩は、もうとっくに邪神として君臨してるでしょうに……」
「つれないわね」
――自分で自分のことを神様って、私は一体何様なのかしらね。
神様になんてなりたくなかったはずなのに。
結局、そうやって特別扱いして、普通の女の子として見てはくれないのね……。
眠たそうな倫也は、誰に言うわけでもなく言葉を紡ぐ。
「……俺はまた、こうして邪神のサインがもらえて嬉しくって」
「私からのサインは気付かないくせに……」
「でも、俺はそんな邪神と同じ高さになれたんだろかって心底心配で……」
「私と倫理君の想いをあなた自ら否定するつもり?」
「嵯峨野さんも先輩の物語を生かさず殺さず、それでも可愛くってキャラクターに魂を吹き込んでくれて……ぶつかり合いながら、喧嘩しながらだけど、お互いがお互い高め合ってくれて……」
「また他の女の話なのね……」
「だからって、今のまま二人に甘えて役に立たない訳にもいかないから」
「私はこうして倫也君が側にいてくれるだけで、それだけでいいのよ……」
「けど、そんな二人が『恋メト』みたいに、じゃないけれど友達になってくれたらなって」
「あなたがそれを言うの、あなたが……」
「それに俺には霞詩子だけだから」
「え?」
――もう一度、もう一度言って!
「ごめん。俺、始発から並んでて物凄く眠いから、もしかしたら変な事言ったも知れないけど、忘れてくれるとありがたい……」
「もう、忘れられるわけないじゃない……」
そうやって倫也の一挙手一投足が、詩羽を落ちつかせたりハラハラさせたり、忘れないように一定間隔で思い出す。
――ねぇ、倫也君。
私と相楽さん、一体どっちが好きなの……?
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