第150話 高鳴る鼓動

 魔法陣から流れ出る音の洪水は、苦もなく部屋を呑み込んでいく。笛魔法の対策など全く出来ていなかった、いや、していなかった事を後悔するには充分過ぎる程の惨状ををその眼に刻み付ける。


 シュベルトの放った魔法『魔笛』は、室内の一切を壊しておらず、ただ直前の戦闘の傷跡だけが時を止めたように存在している。


 何故だか俺だけが、その静まり返った空間に取り残されていた。他に誰か見ている者がいればどれほど俺が、呆然と立ちすくんでいたかを知る事が出来ただろう。


「うそ……だ……よな……」


 夢であって欲しい、そう願わずにはいられない光景が、そこにはあった。目の前には倒れたまま身動きすらない多くの人の姿。その中には当然のように俺の仲間達も含まれていた。


 シュベルトの使った『魔笛』は、その場にいる者の生命を消し去る魔法だったのだ。


 にわかに状況が理解出来ず困惑していた俺だったが、はっと我に帰り、まずやるべき事が何なのかを思い出した。近くに倒れているヒナを抱き抱え呼吸と脈を確認する。祈る様な願いも虚しく彼女からは何も生きている証を得る事が出来なかった。


「ヒナっ、ヒナっ!」


 祈るような思いで他の仲間の元へと急ぐ。


「冗談だよな! おい、起きろよメルっ!」


 そう言ってメルの体を揺さぶる。

 だが俺の叫びは、静まり返った室内に響き渡るだけで反応するものなど何も無かった。


 微かな期待も虚しくリンカ、アリサも同様に息遣いを感じる事もなく、ただ肉体だけがそこに存在しているだけだった。


「嘘だ、嘘だ、嘘だ!」


 他の仲間達もヒナと同様に何も言わぬ抜け殻と化していた。


 現実を認められない俺は、その場にしゃがみ込み、拳に血が滲むのを感じながら床を何度も殴る。まるでそうすれば悪い夢から覚めるかのように……


 痛みでほんの少しの冷静さを取り戻したのかシュベルトの存在を思い出した俺。


 あたりの様子を見廻すと、同じように倒れている兵士達の先に横たわる黒い影が見えた。


 駆け寄ったその影の主は、確かにシュベルトに間違いはない。だがそれは同時に混乱を招く。


「どうしてシュベルトが……?」


 魔法を放った奴が、死んでいるなんてどういう事だ!

『魔笛』は、確かに凄まじい効果のある最悪の魔法だが命を代償とするほどのものをシュベルトが選んだとは考え難い。


 だがもしシュベルト自身が、予期していなかった事が起こったとすれば……


 俺は、再びヒナの元へと重い足取りを向ける。以前ヒナが、エルフの森で見せたあの大魔法が頭をよぎり、その場に膝を付く。気が付くと自然に眼から涙がポロポロと溢れ出ていた。


「馬鹿野郎っ! 何で、何で俺に……」


 眠ったように横たわる物言わぬ妹に叫ぶ。

 そう魔王から受け継いだどんな魔法や物理攻撃も無効にして相手に跳ね返す闇の魔法『カオス・リフレクト』それをヒナは、自分にではなく俺に掛けたのだった。

 恐らくシュベルトと剣で差し違えた時に心配したヒナがこっそり仕込んだに違いなかった。


「お前と帰らなきゃ意味がないだろうがよおおおおっ」


 魔笛を放ったシュベルトよりも自分の愚鈍さに怒りが湧き上がる。俺は、守るべき存在である妹に守られていたのだ。


 どれくらい時が過ぎたのか分からぬまま茫然と床に崩れ落ちたままでいると遠くから声が聞こえる。


「タケルっ!」


 生きる者のいないはずの王の間に声が響き、虚な目でその方向に顔を向ける。涙で霞んだ視界の中に避難したはずのクラッカルの姿があった。


「あ、ああうっ……」


 言葉にならない嗚咽だけが、俺の口から溢れる。


 部屋の惨状を見て状況を察したクラッカルは、キッと唇を結び俺の元へと近付いて来た。恐ろしい光景に震えてその場にへたり込んでもおかしくないだろうに彼女は、その歩みを止めなかった。


「何があったの? 急に大きな魔力の気配が消えたから確かめに戻って来たのよ」


 クラッカルは、身の危険も省みず戦闘の場へと駆けつけて来たのだった。


「お、俺が、悪いんだ……」

 説明する言葉もなく、か細い声を返すしか出来ない。


「何があったって聞いてるのよ」

 クラッカルは、俺の胸ぐらを掴んで睨みつける。

 その勢いに負けて重い口を開き、事の経緯を詰まりながらも伝える。


「そう……でもタケルが、悪いわけじゃない……あなたが、間違った訳じゃないわ」


 そう言うとクラッカルは俺の頭をギュッと抱きしめた。

 その優しさに身を委ねながらも感じるほんの少しの違和感。


 何か大事な事を忘れている!?

 本当に終わりだと思って良いのか?

 俺は、間違ってないのか?


 ーーー 使い所を誤るなよ ーーー


 脳裏に響く、レイラの声。


「聖者の雫……」


 胸にかけたペンダントは、勇者の証と共にそこにあった。以前アレスの塔で俺が、大魔法使いレイラから譲り受けたものだった。

 その効果は、人をひとりだけ蘇らせることが出来るという凄まじいものだった。


 レイラは、その使用法に対して何度も俺に釘を刺している。勿論これは軽々しく使って良いものでは無い事は、俺にも充分に理解出来ていた。


 だがこの状況でなら……ひとりだけ蘇らせることが、出来るなら……


 そこまで考えた俺の思考は、ぐるぐると脳内を回るだけで答えを見つける事が出来ない。


 甦らせる? 誰を!?


 それは、究極の選択であり、解答の出ない試験問題だと思えた。しかしレイラを信じるのであれば確実に一人は、生き返るのだ。その権利を放棄する訳にはいかない。


 まず心に浮かんだのはやはりヒナだった。俺とヒナは、この世界の人間では無い。帰る方法さえ分かればそれで全てが完結する。世界を救ったご褒美と考えても良いじゃないか……


 意を決して胸のペンダントを握りしめた俺は、クラッカルへと目を向ける。


「クラッカル、この『聖者の雫』を使えば誰かを生き返らせる事が出来るんだ。俺は、コレをヒナに使う」


 クラッカルは、一瞬驚いたようだが、やがて口元に少しの笑みを浮かべた。


「うん、ヒナだけでも助けてあげて、私もそれでいいと思ってる」


「ありがとう」


 本当は、クラッカルに説明する必要は無かった。

 ただ俺は、クラッカルに聖者の雫の話をし、背中を押して欲しかったのだ。


 もう迷うこともない。ヒナを生き返らせて一緒に元の世界に帰る方法を探そう。でもその前にこの世界を救った事をお祝いしてみんなで喜ばなきゃな。しばらくは、お祭りをしてご馳走食べて……そうだ、そうしよう。


「ああ、本当に良かった、シュベルトを倒せたし、これで世界に平和が訪れるんだ。そうさ俺達はやり遂げたんだ。仲間達には悪いけどヒナだけでも救えて良かった」


 立ち上がりヨロヨロとヒナに向かって歩き出す俺にクラッカルが、声を掛ける。


「タケル……良かったと思うんだったら、どうして……どうして? あなたは、そんな辛そうな顔をしているの」


 知らぬ間に唇を噛み、握った拳からは血が滲んでいた。後悔の念は、俺の眉間に皺を刻んでいる。


 たった今、決断した事への拒絶でしかなかった。


 世界が、平和になってそれを誰と喜べば良い?

 今日の事をあの時は酷い目にあったよなと、懐かしむのは誰とすればいい?

 それを心から語り合えるのは、命懸けで一緒に戦った俺の仲間だけじゃないのかよ!


 また涙が溢れ、懺悔にも似た感情に体が震える。


 だけど目の前の残酷な現実は、過去を戻してはくれない。


 そう、過去は戻らない……


 そんな言葉が、頭をよぎり、妙に心に引っ掛かる、それはとても大事な事に思えて俺の思考を少し取り戻させた。まだ何かあるんじゃないのか、やれる事が、残ってるんじゃないのか?


 何か、何か……!


 そして、ふと、ある考えが浮かび、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。


「ありがとう、クラッカル」


 急に礼を言われたクラッカルは、何のことだか分からずキョトンとした顔をしている。それでも俺の顔から険しさが、消えた事で今度は違うのだと察したのだろう。彼女は、穏やかな表情でそっと頷いた。






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