第133話 眠れる獅子
それは小さな一歩だった。人が未開の領域へと足を踏み入れた時、或いは将来に繋がる偉業を成し遂げた時、よくそう例えられる。
だがさっきからホサマンネンさんの一歩は、足の幅だけしか前に進んでいない。全くもって小さな一歩だ。中央へと向かう足取りは、重く微かにふら付いているようだ。
あまりの不自然な速度の歩みに魔族達ですら心配の声をかける。
「おいっ、どうした!? ブルブルっ!」
「頑張れ! ブルブルっ!」
もちろんブルブルとは、先程筋肉を震わせていたホサマンネンさんのことだ。
もはや珍獣というよりゆるキャラに近い。
歩を進めるホサマンネンさんの額からは脂汗が滲み艶やかな光沢を放っていた。
「どうすればいい……一体どうすれば……」
虚ろな表情でブツブツと何かを呟きながら闘技場の中央に向かう彼の姿は、まるで呪いの呪文を唱えているオーガのようで若干の得体の知れなさを感じさせる。
そのうち何を思ったか、ホサマンネンさんは背中に背負った大剣をよろよろと抜いた。
気持ちを切り替える為に戦闘準備を整えているのだろうか? それとも奇襲を仕掛ける為の布石?
「ふう……」
ホサマンネンさんは、地面に剣を突き立て体重を預ける。
杖代わりかよ、その剣! おいっ!
剣を支えになんとか闘技場の中央に辿り着いたホサマンネンさんは、やはり戦意のカケラも感じられない。
「我が名は、ソフトロック。人間よ、随分とくたびれた様子だがそれで我と闘うつもりなのか?」
柔らかいのか硬いのか分からないような名前の魔族方の岩巨人は、ホサマンネンさんを牽制するかのような疑問を投げ掛ける。
「はい、どうしたらいいのやら……」
「どうしたらいいかって、我に問われても困るのだが……」
どうやらソフトロックは、手に武器を持っておらず体術か魔法で闘うタイプに見えた。しかし構えていた握り拳を緩め、目の前の困ったちゃんに呆れるばかりだ。
「始めっ!」
対決の合図が、告げられた……メルによって。
「何度も言うが、それお前の役じゃないからなっ!」
またも微笑ましい顔で頷いている魔王、完全に孫を甘やかすタイプだ。
「おい! そこのお前! さっきも勝手に号令を掛けていたよな! 魔王様がお見えになっているんだぞ。このままで……」
魔王に気を使った闘技場の審判役の魔族だろうか、ツカツカとメルの前に立ち注意を始めたのだが、次の瞬間彼の姿は、消し飛んだ。
やりやがったよ、魔王さま!
速すぎて目で追えた者は、殆どいないだろうが魔王は、瞬時に魔力の球をその審判目掛けて撃ち込んでいたのだ。
味方の魔族より孫びいきな所は、人間味があるとも言えるが闘技場の壁にめり込む程の衝撃を喰らった気の毒な魔族。
「あれっ!?」
思わず声を漏らす俺!
壁からずり落ちて来たのはソフトロックだったのだ。道理で壁面の崩れ方が大きい筈だ。その奥で大の字にめり込んだままの魔族の審判。
たまたま魔王と審判の直線上にいた岩巨人は、孫パワーを発揮した魔王の魔法の巻き添えをくった形になったのだろう。
「なかなか、やりおるな人間。我をここまで弾き飛ばすとは!」
「なんだとっ!! 私が弾き飛ばしただと! 無意識に……私は、私は、闘えるのか!」
完全なる勘違いだが、ホサマンネンさんに戦意が戻って来るなら結果オーライだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおとおおおおおおおおおおおおおおーーーーっ!」
雄叫びをあげるホサマンネンさんは、上着を脱ぎ捨て、身の丈程もある大剣を高々と掲げた。身体中の血管が浮き上がり筋肉は、収縮を繰り返す!
「我が名は、ホサマンネン! ソフトロールとやら、眠れる獅子を起こした事を後悔するがいい!」
ソフトロックだよ! 相手の名前!
てか眠ってたというか死に掛けてたんだが……
でも、まあ実は、そんなに弱くないんだよな、ホサマンネンさん。ただ相手が悪いだけだ。
今の流れでソフトロックは、更に激昂したようにも見えるし他の二人の魔族みたいに奥の手を隠し持っている可能性もある。そして何よりデカい!
しかしあらためて考えるとソフトロックは、その大きさもアレだがとてつもなく硬いんだと思えた。
魔王の魔弾? を受けてもさほどのダメージを受けていないように見える、耐久値だけなら幹部クラスくらいあるんじゃなかろうか?
「随分威勢がいいじゃないか、ブルブル。だがそうじゃなけりゃ張り合いがない! 我のスペリアルホーリーダークハンドでキュッとひねり潰してくれよう」
ソフトロックの巨大な手のひらで本当に捻られてしまいそうな気もするが、スペリアルなんとかは光なのか闇なのかハッキリして欲しい。
そんなブルブル、いやホサマンネンさんは、神経を集中させてブツブツと何かを唱えている。
身体強化魔法かっ!?
ホサマンネンさんは、ずっと魔力消費の少ない身体強化魔法の高速詠唱に励んでいた。きっと持てる魔力の全てをそれに注ぎ込んでいるのだろう。
遂にホサマンネンさんが、主役となる舞台が整ったのだ。
ホサマンネンさんは、時間をかけて入念に詠唱を唱えている……時間をかけて……
あれ? 時間がかからない為の高速詠唱じゃなかったのか?
クラッカルも浮かぬ顔でホサマンネンさんを眺めている。目を合わせて頷いた俺とクラッカルは、自身の聴覚を高める詠唱を唱えた。これは兵士達の訓練を見た際に覚えた魔法だがこんな所で使う事になると思わなかった。
やがて聴こえてくるホサマンネンさんの呟き。
「……ええ、ええ、そこなんですよ。相性というか運気と言うか、とにかく最悪でややもすると心が折れそうになる者もいるでしょうが、そこはそれ、このホサマンネンに臆病風など吹くわけもありません。物凄い重圧感を受けながら剣を支えにして敵に向かっていったんです。恐らく奴が、魔王を凌ぐ力を秘めている事はすぐわかったんです。もう私クラスになるとモロわかりですね。魔力なんか洪水みたいにダダ漏れで普通の者なら魔溺れになっているでしょう。だがそうはならない、ならないんですよ、何故なら私の筋肉が、踏み止まる力を与えてくれたんです。その時の筋肉との信頼感は今でも忘れません。筋肉は、私に心で伝えたんです。勝ちマッスルと……
そんな難敵に挑んだ訳ですが、紙一重、紙一重で軍配は、魔族王ソフトラッコに上がったんです。だが奴は、もう二度と私と闘いたくないでしょうな。ふふ、私が奴の心に刻み込んだ擦り傷は、永遠に消えないでしょうからな……よしっ!」
よしじゃねーーーーーーーーーーーーーーっ!
誰だよ!『魔族王ソフトラッコ』って!!
むしろ俺が、今すぐアンタの頭をカチ割ってやりたい!
道理で長いと思ったホサマンネンさんの詠唱は、負けた時の言い訳を長々と考えていたのだった。
流石にクラッカルも茫然とした顔付きを隠せない。
「ここまでかもしれませんね……」
クラッカルは、残念そうな顔をした。
ホサマンネンさんに少しでも期待をかけた俺が間違っていたのだろうか?
あの時彼が、選抜を辞退しようとしていたのを俺が引き戻してしまったのだ。
「スペリアル・ホーリー・ナイト!」
その瞬間、ソフトロックのスペリアルな平手打ちが、ホサマンネンさんを捉え、そのまま闘技場の壁に弾き飛ばした。
弾丸のように飛ばされたホサマンネンさんは、壁にガラスを撃ち抜いた弾痕のようなひび割れとともに叩きつけられた。
「ダメだなあれは……」
おめえが言うんじゃねええっ!
メルの頭をゲンコツでグリグリする俺。
「筋肉、筋肉って言うからどんだけ硬いのかと思えば我のひと撫でで終わりではないか。これもダークサタン様の加護を受けた我のスペリアルのなせる業だと言えるな」
何者だよ! ダークサタンって! 中二病なのか、色々ツッコミどころが多いセリフを吐きながらソフトロックは、既に勝ち名乗りを上げている。
「おい! そんなヘナチョコな攻撃でいつまで寝てやがるんだ脳筋野郎!」
いつの間にか復活していたボーレーンが、叫んだ!
「ボーレーンっ、無茶いうなよ。今の攻撃……」
言いかけた俺の言葉は、突然遮られた。
「いや、確かにお主と闘った時の方が、遥かに筋肉に響いたぜ! ゴホッゴホッ」
ガラガラと崩れる瓦礫から共鳴するかのような声が聞こえた。カッコいいセリフもホコリにまかれまるで締まらない。
その様子こそ奴に相応しいとばかりに口元を緩めるボーレーン。
なぜなら覚悟を決めて雄々しく立ち上がるホサマンネンさんの姿がそこにあったのだ……
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