第12話ACT12「忘却の物語」
『ちょっと厳しかったんじゃない?』
情報閲覧室に招かれたナインへとベルが言いやる。
「何がだ。あれくらい言ってやらないと聞きもしないだろう」
『でもさ、ナインも大人げないよ。あのままだと、金太郎、物語世界から追放されるかもよ?』
帰るべき物語への帰還を拒否し、追放処分を受ける主人公の話は耳にしたことがあった。主人公の帰らぬ物語は枯れ果て「忘却の物語」と呼ばれるそうだ。
「名前のない物語か。そのほうがいい薬になる」
『ナインってば』
「こちらになります」
案山子女が閲覧レベル5以上の武器を空中に浮かべる。ナインは仔細に観察した。
ヘルメースの金の斧。神託兵装レベルの武器だ。
物語の中核――ファクターとなり得る武器は枚挙に暇がないが、その中でも特別な武器の一つである。
「……湖に誤って落とした斧を悔やんでいた木こりを見かね、湖の精……異説にはヘルメース自身が現れ、落としたのは金の斧か、銀の斧か、と尋ねる。木こりは正直に鉄の斧だと答え、金と銀、両方の斧を得る。別の木こりはその話を聞き、故意に鉄の斧を湖に投げた。ヘルメースは問い質し、欲深い木こりは金と銀の斧だと答えるが、その嘘は神の前に見抜かれ、欲深い木こりは永遠にその機会を失う。何の変哲もない、人間の欲深さと正直さを説いた原始的な物語だ。だが、ヘルメースは特別な神でもある。錬金術などの祖であり、ギリシャ神話において、あらゆる武勲を立てた英雄の側面も持つ。そのヘルメースが作った斧に、何の神話性もないはずがない」
振り向けた目線に案山子女が恭しく頭を垂れる。
「仰るとおり、この武器にはヘルメースの神性が宿っています」
『物語の主役級の人間と、主役級の物体が同時に存在するのは、別に珍しくはないんじゃない?』
ベルの指摘の通りだ。同時存在自体は珍しいものではない。
「名のある武将や神と、文明を滅ぼした武器が同一視されることもあるように、人間と武器は同一線上にある存在と言える。だが、今回ばかりは出典が特殊だ。あの金太郎はこれを持っていなかった」
『持っていなかった? 確かにあれは、錬金術みたいに見えたけれど』
岩場や他の地形から物質情報を借り受け、一時的に生み出しただけならば主人公レベルの人間ならば可能だ。問題なのは、この斧がただの斧ではないこと。その出典が明らかに金太郎伝承とは別の場所にあることであった。
「釣り合わない事象には何らかの裏がある」
『考え過ぎじゃないの?』
「他にもある。あの場にいた、灰色の影」
案山子女に記録情報を同期させる。彼女が白い壁に切り取ったのはあの時の視覚映像の一部だ。
ただし、通信が途絶していたため、ナインが見た幻の可能性も捨て切れない。
「この情報の信頼性は極めて低いと思われます」
案山子女の説明を聞くまでもなく、ナインには理解できていた。
「かもしれないな。だが、座標軸が明らかに異質だ。鬼ヶ島ほどの大質量を物語の構成を前後させて持ってくるのには、剪定者レベルの権限が必要になる」
『まだ、剪定者の線を疑ってるんだ』
ベルの何か言いたげな声音にナインは鼻を鳴らす。
「俺の勝手な推測だ。当て推量に過ぎない。誰が、とまでは言わないさ。それよりも、だ。ゼルエル様より賜った世界に行こう」
ナインはパンチカードを取り出す。名称が刻まれているはずの部分には空白があった。
忘却の地。あるいは名前のない物語。
そう形容される物語世界は実のところ少なくはない。何故なら人々の間に流布される時代背景や時期、あるいは風化などの現象によってもう語り草にすらならない物語など数多あるのだ。星の数ほどもある物語世界の中でもさらに粒のように細かい惑星の衛星に当たるもの。それが名前のない物語だ。
ナインはパンチカードを通してワームホールでその地へと赴いた。地形は不可思議だった。澱んだような水墨の海が四方八方に広がっており、陸地は小さく中央に聳え立つ断崖絶壁だけだった。その周囲を森が囲んでおりナインはあまり見ないタイプだな、と印象付けた。
『陸が少ないね』
ベルの意見も同様のようでナインは自分の価値観を確かめる。忘却の物語はどこか色褪せていてセピアの色が周囲に漂っている。空気は煤けたようにどこか虚しい。
「どうしてこのような地を、人造天使は指定されたのだろう」
ナインの疑問にベルは推測する。
『多分だけれど、ナインにあまり物語の主要人物と物理接触してもらいたくなかったんじゃない?』
「どうしてだ」
『ナインが笛吹き男の一件からおかしいってことを見抜いていたんだよ』
笛吹き男の世界で感じた苦味。何者でもない剪定者はテラーと同質かあるいはそれ以上の害悪なのではないか、という疑念を見越して自分にこのような場所をあてがった、というのか。だとすれば人造天使の先見の明に感服するほかない。
「俺がこうなることを予期していたということか」
皮肉めいている。笛吹き男を助けず静観していれば自分は何も感じなかっただろう。桃太郎の世界でテラーに出会うこともなかったかもしれない。だがテラーに行き遭い、自分は自分の存在理由を探している。
剪定者ナインに、価値はあるのか。
笛吹き男からは感謝された。ベルは、価値を否定するはずがない。人造天使も同様だろう。だが剪定者である自分自身は? 物語の外側から客観視できる自分は、果たして悪魔ではないと誰が言い切れる?
色褪せた地もどこか愛おしく思えた。今の自分にはお似合いの風景だ。
『ナイン。海が広がっているね』
断崖の天辺に佇み、においのない風に煽られる。水墨を落としたような黒色の海。それが水平線の果てまでも続いている。この場所はまるでおもちゃ箱の中身だ。箱庭の世界がナインの心に突き刺さる。
「この物語の修復、ではないだろうな。人造天使の目論見は」
見たところ修復不可能なまでにもう退廃している。生きている登場人物とも会わない。この物語は忘却の彼方へと追いやられ、いつしか封印指定を受けることだろう。
ナインは腕時計へと封印指定の命を吹き込もうとした。その時である。風の中に僅かだが異様な音が混じった。
『今の音……』
ベルにも聞こえたらしい。ナインはすぐさま絶壁を影の移動方法で駆け降りる。
「人の足音、いいや気配だ」
すぐさまそれがイコール人の物音だと断定するのは早計だった。もしかしたら人ならざる者の立てる物音かもしれない。だがこの忘却の物語にも何かの知的生命体がいるのならばこの物語を封印指定するべきではない。ナインはすぐさま森の中へと舞い降りて気配の中央に出現した。
するとすっかり色をなくした人々が森の木々を切りながら行進している。ナインはその行進を眺めた。
「亡者の行進か」
それを亡者だと判定させたのはところどころに現れるブロックノイズだ。見た目は子供の行進だが、恐ろしく動きが鈍い。かと思えば早回しのように動きの連鎖を無視したものもある。ナインはこの物語が行く当てをなくしてからも動き続けている事象の一つだと判定した。
『亡者は、どうするんだっけ』
「亡者は、物語の付随物だ。だから封印指定を揺るがすだけの根拠には――」
その言葉尻を割いたのは爆音だった。どこから放たれたのか砲弾が亡者の子供たちを貫いた。子供たちは崩れ落ちるが、ルーティンワークを繰り返そうとコースへと戻ろうとする。そこへと突っ込んできた一団があった。ナインが目にしたのは海賊を思わせる筋骨隆々な海の男たちだった。
「こいつらは? これも亡者か?」
ナインの思案を他所に海賊たちは亡者の手を縛り上げようとする。だが亡者はするりと抜け出し同じコースを周回し始めた。
「まただ!」
呻きは確かに生者のものだった。海賊たちは苦々しく亡者の捕獲を試みようとして失敗している。
「どうしてだかこのガキ共、捕まらない」
当然だろう。亡者なのだから。だがそのようなナインの涼しい思考を他所にして海賊たちはナインを取り囲んだ。敵意の眼差しが見られる。
「お前は、どっちだ?」
海賊の問いにナインは応じる。
「どちらでもない、というのが正しいな」
「やれ!」
海賊の号令に一気に数人が飛びかかってきた。ナインは影の移動方法ですり抜ける。それぞれ目標を失った海賊たちが見当違いの方向へと刃を突き立てていた。
「いませんぜ」
「そんなはずは……」
その言葉を濁させたのはナインが一瞬にして間合いを詰めていたからだろう。海賊の隊長らしい人間が息を詰まらせる。
「海賊行為を、責めるつもりもない。それに何よりもお前たちは物語の登場人物だ。封印指定を、改めねばならないな」
「何を言ってやがる!」
海賊が反りの入った剣を振るい上げる。ナインはするりと回避して右手の手袋を外した。
『ナイン。相手は別に脅威じゃない。左手でいいよ』
ベルの声にナインは、「いや」と答えていた。
「右手でやる」
「わけの分からんことを!」
薙ぎ払われようとした剣をナインは右手で受け止めた。その瞬間、緑色の電流が迸り剣を溶かす。溶断された剣を海賊は戦慄く視野に捉えていた。
「賢しいのならば、二度目はさせるなよ」
ナインは右手を手袋に仕舞う。海賊たちは羞恥と恥辱で顔が真っ赤だった。この色を失った世界でそれは久しく見られた変化だ。
「覚えていろよ!」
捨て台詞を吐いて海賊たちが引き上げていく。ナインは呟いていた。
「海賊だけの物語など、あるのか?」
『カリブの海賊たちとか、あるっちゃあるね』
「あれはカリブ海だから意味がある。この場所はどこからどう見てもカリブ海ではない」
それどころかまともな広さの海もない。この場所は一体何なのだ。ナインの知覚にその時、切り込んでくる気配があった。振り返った瞬間、人影が逃げ出す。
「またも登場人物か。あるいは亡者か」
『追うの?』
「決まっている」
ナインは影の移動方法を用い、その人影の行く手を遮った。人影が足を止める。ナインは左手の手袋を外していた。その場に居合わせたのは少女だった。ブロンドの髪に、くりくりとした大きな瞳が特徴的だった。
「登場人物、だな。亡者にしては瑞々しい。だがどういう物語なんだ? 少女と海賊など、まさしく分からない」
ナインはしかし職務を全うしようとした。少女が物語の中心人物ならば一度昏倒させるか、状況を把握する必要がある。左手で事足りるか、と思った直後だった。
「……ピーター?」
その声音にナインは手を止める。この少女は何と言った?
「ピーターだ。ピーターなんでしょう? 私、待ってた。ずっと待ってた!」
少女はあろうことか自分に抱きついてきた。突然のことにナインも状況判断が追いつかない。どうして少女は自分に抱きついてきたのか。だがそれよりも少女から漂うクッキーの香りが少女がただの人間でないことを告げていた。
「待て。俺はピーターなどではない」
ナインはようやく平静を取り戻して少女を引き剥がす。少女はしかし羨望の眼差しでナインを見つめている。深海のような濃い青の瞳。吸い込まれそうだった。
「ピーター。あなたがいなくなってから何もかもが変わってしまったの。だから、あなたにはこうして戻ってもらったんだから責任を」
「何を言っているのか、俺にはさっぱりだ。俺はピーターではない」
そう告げると少女は首を振った。
「そんなはずないわ。だって、あんな風に海賊を倒せるのはピーターだけだもの」
何か誤解をしている様子だった。ナインは言い放つ。
「俺の名前は剪定者ナイン。物語の可能性の滅殺者。だからピーターなどでは」
「でも、このネバーランドにはピーターが必要なの。だから帰ってきてくれたんじゃないの?」
少女は根幹から誤解している。ナインはどう説明するべきか、と少女の持ち物に視線を巡らせてから気づく。
「その籠は?」
少女は籠を手に提げていた。ああ、と少女は上に被さった白い布を取り去る。
思わず息を詰まらせた。
そこにあったのは大量の金色の粉だったからだ。ナインは確信する。
――フェアリートリップ。それも現物の。
だがどうしてそのようなものを少女が所有しているのか。ナインの目線に気づいたのか、「ピーターが隠れ家に隠していたのよ」と言った。
「ティンクの粉を大量に。だから私、あなたを見つけるために色んな場所を旅したわ。ティンクの粉があれば、どうしてだかこのネバーランドから抜け出せる。そういう隙間みたいな時間を使って私はあなたを探していたの、ピーター」
何とこの少女は自分がフェアリートリップの売人であったことを明かしていた。ナインはその籠に入っているのがフェアリートリップであることを確認しながら声にする。
「……これをばら撒いていたのか」
「だってピーター。あなたが自分を探す手がかりにしてくれって――」
そこから先の声はナインが手を伸ばしたせいで遮られた。喉元を締め上げる。少女は苦痛に顔を歪めた。
「どういうつもりだ! この粉のせいでどれだけの人間が苦しんだと思っている!」
自分にしては怒りを露にした声だった。少女が呻きその顔が青ざめる。するとコートの中からベルが飛び出した。
『ナイン、殺しては……!』
力が緩む。
咄嗟にベルがいさめなければナインはこの少女をくびり殺していただろう。咳き込む少女を見下ろしてナインは斜めになった籠にたっぷりと入っているフェアリートリップを手にした。間違いなく現物。だがどうしてこの少女が?
ナインは今さらの事項を確認する。
「お前は誰だ?」
少女は咳き込みながらもナインを誰かと重ねるように目を細めた。
「私はウェンディ。あなたに、ネバーランドへと連れてきてもらったウェンディよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます