第11話ACT11「観測者たち」


 軟禁されている金太郎への面会を、とナインは案山子女に申し出ていた。金太郎は戻るべき物語世界を所望しているはずだ。ハーメルンの笛吹き男がそうであったように、主人公や悪役には戻るべき世界がある。

 ――世界を外側からしか見られない、剪定者とは違う。

 内側から変えられるのはいつだって登場人物たちだ。彼らに特別な権限はなくとも、たとえ重力やその物語の物理法則から抜け出た挙動ができなくとも、彼らが存在するだけできっと特別なのだ。

 祝福されている存在だとナインは感じていた。

 ――では、自分は?

 不意に浮いた疑念を消し去るように、空気圧の扉が開く。部屋の中では金太郎が胡坐を掻いて憮然としていた。

「遅い。剪定者の兄ちゃん」

「俺は兄ちゃんではない。ナインだ」

「どうだっていいよ。そんなことより、斧を取り上げられてさ。暇で暇でしょうがない」

 金太郎と自分との間にはガラスの隔壁がある。そして彼の手首には枷がはめられていた。ランプが点滅する手枷はどれほどの能力がある主人公でも無力化してしまう。

 これも観測神殿が生み出した剪定者の技術の一つ。

 強大な力を容易に振るう物語の主役級と渡り合うためには必要な措置であった。金太郎はそれを気にするでもなく、頬杖を突いて退屈だと述べた。

「退屈?」

「まさかりも担いじゃいけないし、クマにも乗れないオレなんて、意味ないって」

「だが元々桃太郎の世界と金太郎の世界は交わるはずのない、均衡の中にあったはずだ」

 ナインの口調に金太郎は面白がった。

「取調べ? これ」

「答えろ。前兆があったはずだ。あるいは、お前の言っていた倒さなければならない敵が」

 それはテラーなのだろう、と胸中に毒する。同じ敵を睨むことができるのならば、金太郎との交渉も可能かもしれない。

 金太郎はしかし、どこか上の空である。

「あのさ……元の世界に戻りたがっているみたいに思われてる?」

 ナインは目を瞠った。

「違うというのか?」

 金太郎は頬を掻き、少しばかりばつが悪そうに応じる。

「そりゃあ、さ。主人公じゃないなんてのは、嫌味の一つくらいは言いたくはなるけれど、でも、別に主役にこだわることもないんじゃないかって、剪定者の集まるこの観測神殿にいて思ったんだよね。だって、物語を無数に、それこそ星の数ほどに観ることができるなんて夢みたいだ」

 金太郎の眼差しは輝いている。冒険心に揺さぶられた少年の眼だ。

「……物語を外側から観るなど、いいものではない」

「それもそうかもしれない。でも、オレ、ちょっと思ったんだよね。剪定者に一撃食らわせられるくらい強いんなら、別に金太郎の物語じゃなくってもいいんじゃないかって」

「何が言いたい?」

 金太郎は足をぶらつかせて、「分かんないかなぁ」とぼやく。

「オレに、剪定者の仕事の手伝いをさせて欲しいって言ってるんだよ」

「剪定者になりたいのか?」

「そこまでは言わないけれど、面白そうじゃん。別の物語に赴いて、自分のデカさを思い知れる」

 どうにもナインにはその心情が分からなかった。自分の物語があるというのに他者の物語に首を突っ込むというのが。

「金太郎、いや、坂田金時。史実での己の役割は知っているな?」

 金太郎はナンセンスとでも言うように肩を竦めた。

「主人公には知っているヤツと知らないヤツがいる、ってのも剪定者に教わった。お喋りな剪定者もいるんだな。オレは知っている側らしい」

 誰かが口を滑らせたか。子供だと思って油断しているのだ。相手は腐っても物語の主人公――可能性の核である。

 その核に余計なことを吹き込めばそれだけで物語世界は膨張する。責任を取れもしないくせに、とナインは舌打ちする。

「……とんだお喋りもいたものだ」

「なぁ、オレ、手伝うだけでいいんだよ。他の物語世界に行かせてくれね? そうしたら、さ。大人しく自分の物語に帰るから」

 懇願する金太郎にナインは冷徹な言葉を振る。

「そんな簡単なものではない。一つの物語に完全なる他者として潜り込むということは、それだけで物語世界における可能性の枝葉を伸ばしている。その落差を最小限に留め、判別し、分別し、切り取る。それこそが」

「それこそが剪定者。物語世界の殺し屋、だろ?」

 言葉尻を継いだ金太郎に、ナインは嘆息をつく。

「俺も、喋り過ぎだな」

「頼むって! 一回でいいからさ」

「一回でも特例を認めれば、それこそ物語の破局だ。俺はそのようなもの、腐るほど見てきている」

「破局しないようにすればいいんだろ? 余計なことはしないって約束するよ」

 ナインは目線を振り向け、頭を下げる金太郎に呆れ返る。

「……破局を予期できる存在など、それこそ我らを司る人造天使しかいない。剪定者は究極的な第三者だ。物語において必要でもなければ、不必要でもない。しおり、というものを知っているか?」

 ナインの言葉に金太郎は、「バカにすんな」と腕を組む。

「本と本の間に挟むあれだろ?」

「基礎知識は持っているか。我々剪定者はしおりだ。しおりを挟む位置を決めるのは、しかし俺たちではない。それは完全に予知できない存在。……神と言い換えてもいい。本と本をどこで区切り、どこでその物語を終わらせるか。それを決める存在の手助けをするのが剪定者だ。つまり、剪定者はたった一枚の紙切れに過ぎず、戦闘能力を渇望されるものではない」

「鬼を倒してみたじゃんか」

「あれはいびつだからだ」

「そりゃ、変な形の鬼だったけれど」

「そういう意味ではない。いびつなのは物語の構築、構成、水を入れる花瓶の形と同じようなものだ。水はどのようにも変化するが、入れ物によっては醜悪にも歪む。いびつな存在は取り除かなくては、剪定者の役割として反している」

「……よく分かんないけれど、物語に変なのが出たら、倒していけばいいんだろ?」

 粗い認識だが合っているのが癪に障る。ナインは両手の手袋を取ってやった。

「いいか? これがいびつを正す剪定者の証だ」

「9、ってある」

「刻み込まれるんだ。この番号を賜った時より、剪定者の任務は始まる」

 右手の甲にある番号と、左手の内側にある番号。どちらも同じ、自分を表す記号だ。

「別に、剪定者にしてもらわなくってもいいからさ。別の世界に行けるようにそっちの口から言ってくれよ。このまま元の世界に戻されても忘れられるに忘れられないって」

「安心しろ。忘却の左手は絶対だ。剪定者の忘却作用から逃れた例は今のところゼロパーセント。確実に忘れられる」

 ナインの口振りに、金太郎は納得いっていないようであった。これほど説明しても分からない相手だとは思いもしない。

「ずるくないか? だってそんなの反則じゃん」

「反則だから、我々は物語に長居してはならない。桃太郎の世界をあそこで切ったのは正解だったはずだ。あれ以上を追及すれば、それこそ物語への過度の干渉になる」

「あんなナリでも、桃太郎という物語でいいって言うのか?」

 たとえ鬼に造られるのが桃太郎という存在でも、一つの結論には違いない。問題なのはあの物語と同一線上に位置する金太郎のほうだ。

「物語同士が重なってはならない。重なれば歪み、屈折し、その果てに訪れるのは破滅だ。物語の破局を生み出すのは、物語同士の過干渉。どうしてお前はあの場所にいた? ヘルメースの斧を持っていたのは何故だ?」

 詰問に金太郎は口笛を吹いて首をひねる。

「分かんないって。ヘルメース? だかなんだか知らないけれど、名ありの武器だってのは分かったけれどもさ。オレはたまたま、あの武器を使う術を知っていて、たまたま、あの場所に訪れただけで」

「その角は何だ? 金太郎に鬼の伝承はない」

 額から生えた未発達の角を示してやると、金太郎は角を弄りながら困惑した。

「それも分かんないんだよなぁ。何がどう作用して、オレが鬼になっちまったのか」

「……金太郎も山で育ったとは聞いている。だが、鬼ヶ島と金太郎伝承が合致するのはまずあり得ない。そもそも、あの場所に鬼ヶ島がどうしてあった? 物語が歪んでいるぞ」

「質問し過ぎだよ、兄ちゃん。オレに分かんないのに、どうして分かるって言うのさ」

 確かにその通りだ。金太郎に質問攻めをしたところで得られる情報はたかが知れている。今は、一つでも多くの情報を得てテラーに立ち向かうべきだ。

 ナインは面会を終えようと傍らの書簡に署名しようとする。

「そこに名前を書けば、俺との関わりは消滅する」

 ナインの差し出した書簡に金太郎は頑として譲らなかった。

「嫌だね。オレは絶対、他の世界も見て回るんだから」

 ここまで頑固なのも考えものだ。何に衝き動かされているのか分からない分、余計に性質が悪い。

「分かった。書簡は置いておく。俺が去ろう」

「ちょっと! こんな一方的な終わりってアリなのかよ!」

 いきり立った金太郎にナインは部屋を去る際、言い置いてやった。

「それも含めて安堵しろ。こんな終わり方であったことも、お前は忘れるだろうさ」


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