第10話ACT10「物語修復」
笛吹き男が釈放されるとの報を受けてナインは次の任務の前に彼へと会うことにした。笛吹き男はようやく仕事道具である笛を取り戻して自信を得た様子だ。
「だが、これでも通用しなかったらどうればいいだろう」
しかしその胸中には一抹の不安もあるようでナインはそれを払拭できるような言葉もなかった。
テラーのことは内密だ。だから彼に相談することもできない。
「今まで通りの物語の展開を、剪定者は所望している」
今まで通り、か、と笛吹き男は自嘲した。何がおかしいのだろうか。
「笛吹き男、お前は今まで通りの物語に納得がいかないのか?」
不意に湧いた疑問に笛吹き男は首を振る。
「いや、もちろん今まで通りに越したことはない。ぼくは街の人間には嫌われるだろうが、それでもいいんだ。今まで通り、ネズミを駆除し、子供をさらい、市長の懇願で子供たちを返し、ぼくはまた旅に出る。それも今まで通りの循環。それで、いいはずなんだが……」
煮え切らない笛吹き男の声音にナインは、「心配事があるのならば」と言葉をかけた。
「カウンセラーの類ならば剪定者の側で用意できる。なに、何回も繰り返しているうちに、そういう迷いに陥ることは儘あるものだ。だから何も特別ではない」
「特別ではない。……それもまた、一面ではぼくら物語の中核人物を苦しめる言葉でもあるんだよね」
ナインには理解できない。笛吹き男は修復した物語世界に帰れるのだ。どうして今さら迷いなど持つことがある。
「お前が帰るのは我々剪定者がきっちり記憶を操作し、今まで通りの価値観を持つ人々の中だ。もし、心配ならば一度目は剪定者の付き添いの下、繰り返せばいい。俺ならば十時間ほどは空いている。ストーリーに付き合ってもいい」
唐突な提案は自分でも予期していなかった。だがこの笛吹き男の懸念ももっともだと感じたのだ。殺されかけた世界に同じ調子で戻れるのか、という疑問は正しい。
「お願いできるか?」
ナインは受付で笛吹き男の世界のパンチカードを申請し、受理された。
「行こうか。お前の世界へ」
笛吹き男の物語を見守る。当初、予定になかったことに小言を並べたのはベルだ。
『テラーを追うんでしょう? 何で保護者みたいな真似』
「十時間の空きがあれば、別に一個くらいは他の物語世界を巡っても問題はない。それに気になることもある」
『気になる?』
「あれだけ殺意に塗れていた人々が、本当に笛吹き男を何の感情もなく迎えられるのか、ということだ」
テラーの一言で大人たちは疑念に駆られて笛吹き男を殺そうとした。そのような明確な記憶を忘れ去って、笛吹き男をただネズミ退治のために歓迎するなど。
だがナインの懸念を他所に笛吹き男は市長に招かれた。率先していた大人たちも混じっている。彼らは皆、微笑みを浮かべて笛吹き男の来訪を喜ばしく思っているようだった。
――何だこれは。
胸の内にもやもやとした感覚が広がる。吐き気に似た感情だった。覚えず口元を押さえる。あれだけ笛吹き男を私刑にしておいて、今度は通常の出迎えを行うこと、それそのものが不愉快極まりなかった。
だが当の笛吹き男もいつも通りの物語展開に慣れてしまっているようで違和感なく溶け込んでいる。ナインはその場で膝を折った。ベルが慌てて声をかける。
『どうしたの? 気分でも悪い?』
「いや、何でもない」
何でもないはずなのだ。物語は滞りなく進行し、ハッピーエンドを迎えるまで見届ければいい。だが、それは正しいことなのだろうか。笛吹き男は殺されかけたのだぞ。そうすればこのハーメルンの笛吹き男の世界そのものの瓦解すらあり得た。だというのに、剪定者が記憶操作を少しすれば物語には何の支障もない。
その事実が逆に――気分が悪い。
ナインはしかし笛吹き男の頼みでこの物語を最後まで見届ける約束だった。いくら気分が悪くとも仕事なのだ。
笛吹き男は見事ネズミ駆除を成し遂げたが、彼への報酬を出し渋った市長に腹を立て、彼は子供たちをさらって行ってしまう。岩戸へと篭城した笛吹き男へと市長は働きかけ、二度と嘘はつかないことを条件に子供たちは解放される。笛吹き男は報酬を受け取り、旅を再び続ける……。
最後まで物語が進行し、ナインは街を出たところの笛吹き男に出くわした。彼は晴れやかな表情だった。
「何て気分がいいんだ。やっぱりストーリー通りは最高だよ」
「そう、か」
ナインの返答がぎこちないのを悟ったのか笛吹き男は眉根を寄せた。
「ぼくは君らにだって感謝している。さすがは物語の観察者、剪定者だ。記憶操作がここまで上手くいくとは思わなかった。改めて手腕を思い知らされたよ」
笛吹き男が手を差し出す。握手のつもりだろう。だがナインは顔を伏せた。
「いや、必要はない。俺じゃない、剪定者のお陰なんだからな」
「いいや、翻れば君のお陰さ。君があの時、ぼくを助けてくれなければこの物語は修復できなかった。何を躊躇する?」
躊躇? 自分は躊躇しているのか。ナインは笛吹き男の手を見下ろす。どうして自分はこの笛吹き男に対して気分の悪さを感じているのだろう。これが当然なのだ。剪定者は物語を修復し、可能性の枝葉を切り、時には可能性を滅殺する。それだけの、物語の「外側」にいる存在、のはずなのだ。
だがこれでは、とナインは感じる。物語の外側から干渉し、場合によっては感情そのものをなかったことにする、これでは、まるで……。
ナインは耐え切れずに身を翻した。影の移動方法で笛吹き男から離れる。ベルは会釈だけしてからナインに追いついてきた。焦った声音が発せられる。
『どうしたって言うの? ナイン。あんたらしくない』
「俺は、剪定者なんだよな?」
『何を当たり前のことを』
「だがやっていることはテラーと何も変わりはしない」
物語の外側からの介入。記憶どころか人命さえも置き換えられる存在。ベルはナインを慰める。
『考え過ぎだって。それにテラーのやったことって物語の破壊じゃない。剪定者とは正反対だよ』
「場合によっては剪定者も物語世界を破壊することもある。だからテラーを逆賊だと罵ることもできない」
自分の苦痛は人造妖精には分からないだろう。苦痛、という部分を感じ取るものがまだ残っているとは思っていなかった。
『……ナイン。テラーのことを一人で背負おうとするからだよ。フェアリートリップもそう。自分一人だけが剪定者じゃないんだから』
ベルの言う通りだ。自分一人が剪定者ではない。だから気に病む必要はない。ナインは旅人帽を目深に被る。
『……泣いているの?』
泣くわけがない。涙という機能は剪定者には備わっていない。ナインはこの地を去ることに決めた。
「もう、この物語に用はない」
ベルは何か言いたげだったが自分のために口を閉ざしてくれたようだ。そのほうがありがたい。ナインには今は自分で決めることを優先するべきだと判断してくれたのはさすが相棒の人造妖精だ。
ワームホールを通って観測神殿へと戻る。もう何度、このやり取りを繰り返したことか。
滅菌されたように白い観測神殿の中、異物のように行き交う旅人帽に黒衣の剪定者たち。
これが当たり前の光景。そして、自分の仕事。
コートを翻したナインは、もう終わった仕事への恨み言など継ぐつもりはなかった。
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