第9話ACT9「疑念と己と」
時間震、とは物語の時間に介入した際に起こる一種のパラドックス現象の一つだ。
たとえば不当に時間を止める、あるいは時間を歪める。それだけでも時間震の発生要因となる。剪定者はできるだけこの時間震を起こしてはならない。何故ならば時間震の発生はそれだけで物語世界を破滅へと導きかねないからだ。だから影の移動方法があり、また記憶操作の左手と存在抹消の右手の使用が許可されている。
ナインはゼルエルへと桃太郎の世界がもう取り返しのつかない状態に陥ったこと。そして時間震の発生を報告した。ゼルエルは目を伏せながら口にする。
『では桃太郎の世界において、時間震を発生させた第三者がいる、と』
ナインは傅いて考える。時間震を発生させられるのは剪定者か、あるいは物語世界を飛び越えられる特権を持つ何者かのみ。ナインは胸に湧いた疑念を打ち明けようとした。
「我が主、人造天使ゼルエル。時間震を発生させられる存在は」
『言いたいことは分かる。剪定者か、あるいはそれに類する何者か』
機械の翼を持つ人造天使は悩ましげに伏せた瞼を振動させて情報を高速演算させている。今もゼルエルの脳には複雑にネットワーク化された情報網が走らされ、他の剪定者の情報と同期している。
「剪定者でなければ不可能な事象が多く、また逆に言えば剪定者ならばある程度は可能であると」
『剪定者ナイン、他の者を疑っているのか?』
ナインは無言を是とした。自分以外の何者か、誰かが時間震を意図的に引き起こした。笛吹き男の世界における価値観の変動も然りだ。
「その可能性が高いかと」
『時間震、それを意図的に引き起こすのならば確かに剪定者が一番相応しいだろう。笛吹き男の世界に関してもお前はそうだと思っている』
見透かされてナインは深々と頭を垂れる。だが人造天使は容易く認めなかった。
『だが離反者という可能性こそ、むしろ真っ先に否定されてしかるべきだ。何故ならば、剪定者にそのような反逆の感情はないのだから』
造物主である人造天使の言葉だ。もちろん、そのようにデザインされていることは知っている。剪定者は物語世界を渡る貴重な存在。ともすれば全ての物語を狂わせることもできるほどの強大な力を持つ。だからこそ、その行動には人造妖精というリミッターがかかっている。人造妖精から得られる情報をゼルエルが見過ごすはずがない。
「では誰が」
『剪定者ナイン、テラーという存在を追っているな』
隠し立てしても仕方がない。ナインは認めた。
「ええ。それが笛吹き男の世界の人間に予言したと」
『テラーは、機密文書1897に存在を確認できる物語世界におけるエラーの一つだ。ここでわたしが隠しても仕方あるまい。テラーに関しての閲覧の許可を行う。剪定者ナイン、好きなだけ調べるといい』
驚くべきことだった。テラーは過去にも存在しているのか。ナインはしかし顔を伏せたまま、「よろしいのでしょうか」と口にする。
『知りたがっているのだろう?』
「ですが、テラーは時間震を意図的に引き起こせるほどの相手。剪定者に内通者がいないとも限らないのでは」
『結局、お前はテラーの実在よりも剪定者の裏切り者を信じる、というわけか』
言外の意図を読み取った人造天使にナインは沈黙する。ゼルエルはだがナインをいさめるわけでもなかった。
『確かに合理的に考えればそちらのほうが説明しやすい。だがテラーという存在が実際のものである以上、剪定者への疑念は捨てよ。むしろ逆だ。テラーが再発生したということは剪定者は手を取り合って対抗せねばならないのだから』
どういう意味なのだろうか。それ以上聞くのは憚られた。ナインはテラーという情報に閲覧可能なパスワードを受け取って、人造天使の間を後にするしかなかった。
テラーは恐怖の意ではない。
まず分かったのはそれだ。テラーは語り部の意だった。ナインは自室でテラーに関する検索情報を読み込み自分のアクセス権限と併せて閲覧している。テラーが出現したのは最近の話ではなく、むしろ原初の物語の発生と同時期だった。
『何か分かった?』
ベルの声にナインは返す。
「思っていたよりも複雑だということが」
ナインは読み取った情報を口にする。
「原初の物語とは何だと思う?」
『聖書じゃない? あるいは創世記とか、神話だとか』
「どれも当たっているがどの物語も剪定者の介入を拒む物語ばかりだ。剪定者の出現とテラーの出現時期は被っている。剪定者が現れたからテラーが現れた、と言ってもいい」
『何者なの?』
ベルの質問にナインは膨大な情報を前にして目頭を揉んだ。
「まだ途中だよ」
千年規模の情報量だ。容易く読み込めるものではなかった。だがテラーが何百年も剪定者と対抗している何者かである、という情報だけは分かった。
「テラーは剪定者の、言ってしまえば天敵だ」
『天敵? 物語をどうこうできる剪定者に敵なんて』
「いないと、俺も思っていた。だがテラーは剪定者の存在に対する、抗体のようなものらしい」
抗体、と自分で言いながらも奇妙な響きだと感じる。物語という肉体を保護する抗体が剪定者だと言うのにさらにそれに対抗するものがいるなど。だが実在するのだから馬鹿にできない。テラーは剪定者と同質、いや同様の存在だと記されている。
「物語の外にいる剪定者と同じように、時間震あるいは時間という概念に縛られない存在のようだ。この存在が観測されたのは物語の黎明期と重なるらしい。だから剪定者は絶えずテラーとの争いを繰り返してきた。だが結果はいたちごっこのようだ」
そもそもテラーとは個人なのかそれとも組織なのか、それがぼかされている。テラーに関しての閲覧許可はレベル1。それ以上は許されていない。
『ゼルエル様ももっと情報を寄越してくれればいいのに。そうすればあたしたちがとっ捕まえてくるって』
「そう易々といかない相手、だというのは今回で身に沁みた」
全く気配を感知させず時間震を引き起こし、桃太郎の世界を要修復状態まで陥らせた。その手際が以前より変わってないのだとすれば相当なものだ。
「疑問も残る。何故、テラーを感知できるのが限られているのか」
ファイブとイレブンはテラーの存在を報告していない。それどころか他の剪定者にも情報提供を求めたが誰一人としてテラーの異常を感知していなかった。
『テラーが意図的に情報を排除しているって言うの?』
「その可能性もありうるが、俺は別だと感じる」
『別って?』
ナインは複雑に絡み合った情報のネットワークを解しつつベルへと言葉を継いだ。
「テラーの存在、それそのものが剪定者ナインへの挑戦」
ナインの発した言葉にベルが、『まっさかー』と冗談にしようとする。
『何でナインなの? 他の剪定者はいくらでもいるのに』
「そうだ。だからこの可能性はあってはならない」
自意識過剰かもしれない。だがテラーが自分の向かう世界をことごとく無茶苦茶にしようようとしているのならばこの先も続く、ということだ。
『テラーだってナインが行く世界なんて先読みできるわけがない』
「ゼルエル様より今度の任務をいただいている。だから今度は誰が知るわけもない。テラーも、もちろん他の剪定者も」
パンチカードを懐から出す。ベルは、『疑り深いわねぇ』と呆れた。
『そこまでテラーと真っ向勝負するつもりだって言うの?』
テラーがどのような存在なのか、まだ全くの不明だ。だが剪定者の敵であるのならばいずれ合間見えるのかもしれない。
「ああ。俺はいざという時、テラーを倒す心構えはできている」
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