第7話ACT7「秩序崩壊」


 愚かしいにもほどがある。影の移動法を用いて瞬時にナインは敵の射程を潜り抜け、鬼の首根っこを押さえつけた。

 鬼に比すれば遥かに矮躯であるはずのナインが、地面へと鬼を縫い付ける。陥没した地表から砂塵が舞った。

「さすがは剪定者……物語の暗殺専門の汚れ屋、か」

「首をはねる。その前に教えろ。この物語は何だ? 明らかに既知の桃太郎ではない」

 鬼が剪定者に抵抗するなど前代未聞だろう。牛鬼は口角を吊り上げて笑みを形作る。

「分からぬだろうな。剪定者、全てが狂い始めている。もう遅いのだ、この物語世界は、もう」

 破壊の右手が鬼の首を落とした。緑色の電磁が血潮と渾然一体となり、その存在をかき消していく。

「ミス、だな。物語の悪役とは言え、殺すのは最終手段だった」

 そう言いつつも、右手の手袋をはめ、ナインは鬼の居城を睨む。

 いつの間にか、曇天が広がり、紫雲が垂れ込めていた。稲妻が迸り、この物語が既にのっぴきならない場所まで来ていることを示す。

『ナイン……この世界』

「ああ、もう壊れているのか。あるいは、壊れかけているのか。その判断はつけかねるが、閉幕するのに、この狂い方は異常だ。根源を絶たなくてはならない」

 渦巻く雲の集積する場所は一つ。聳え立つ山であった。まるで鬼頭のように山頂が二本角を形成している。

 誰もが知っている桃太郎の最後の戦場――鬼ヶ島。その存在そのものが陸地へと移送されたかのような威圧。

『鬼ヶ島……だよね、これ』

「陸と繋がってはいるが、存在の近似値にあるのは鬼ヶ島だ。間違いはない」

 上流から流れ出る臓物の臭いが濃くなっていく。霧が発生し、その進路を試しているかのようであった。

『ナイン、行くの?』

「剪定者の任務は継続中だ。ここを破棄しろ、という命令も降りていない以上、調査を継続する」

 ナインは鬼ヶ島の土を踏みしめる。湿り気のある土で構築された島には巨岩が多く点在し、その陰から鬼が数体、こちらを観察しているのが伝わってくる。

 先ほどの戦いのせいか、無闇に仕掛けてくる雑魚はいないようであった。

 その時、岩場の陰から一匹の鬼が飛び出してくる。

 ナインが構えると、赤い前掛けの鬼が高らかに叫んだ。

「お前、クマ、か? だったら、オレと勝負だ!」

 小さいながらに額に角を生やした鬼の子供である。四股を踏んだ鬼にナインは右手を下ろした。

「ガキのお守をしている場合ではない」

「お前、失礼なヤツだな! オレは金太郎! 立派な武士だぞ!」

 金太郎、という固有名詞にナインはぴくりと眉を跳ねさせる。即座にベルへと該当データを参照させた。

「金太郎、だと? ベル、該当する物語は」

『検索するまでもないよ。……だって誰もが知っている金太郎の童話だとすれば、この子が?』

「そうだ! オレが金太郎だ!」

 ナインは頭痛を覚える。この世界は何だ? どうしてこうも異常な者たちを抱え込んでいる?

「金太郎……しかしその性質は鬼。先ほどの牛鬼もそうだが、この物語……異物が混入している。純粋な桃太郎の物語世界ではない」

『何かが、桃太郎の物語の構築核を壊しているとしか思えないよ。その構築核になるのは、主人公である桃太郎なんだけれど、今のところ、その存在がない』

 物語における最低限必要な「主人公」という求心力を失った物語世界は分裂しかけている。

 鬼の物語と、金太郎の物語に。

 このままでは桃太郎の世界は引き裂けてしまうだろう。

「剪定者ナインより。人造天使に繋いでくれ。この世界は半壊状態だ。これ以上、物語の破壊が進む前に、密封を提言する」

 繋ぎかけて、通信が阻害されていることに気づく。観測神殿との連絡が取れないのは致命的であった。

『密封指令が通用しない?』

「ベル、お前のネットワークは?」

『検索システムは生きているけれど、どうしてだろう? 通信だけができないみたい……』

 つまり一方的か。ナインはこの物語世界におけるひずみと対峙する。

「おっ、やる気になったか、黒いの」

「剪定者の存在を知らないのか?」

「知っているよ。知っているけれど、お前との遭遇経験はない」

「知っていて、無意味なことをする必要はない。可能性世界を一つでも認めてしまえば、観測犯罪に抵触する。撃滅の右手でお前を消滅させることくらいわけもない」

 無論、これはブラフだ。物語における主役級を破壊すれば、それだけダメージが大きい。他の物語にも影響を及ぼすことになってしまう。ゆえに、主役級を破壊するのには人造天使の承認と、観測神殿からの十三にも及ぶ許可証が必要になるのだが。

 観測神殿と連絡が取れない以上、ナインが独自に判断を下す必要があった。

「破壊の右手、か。オレのまさかりとどっちが強いか勝負するか?」

 金太郎が片手を掲げると、空間に粒子が密集していく。岩場から情報密度を吸い取り、その手に構築されたのは金の斧であった。

 まさか、とナインは瞠目する。

「……物理情報の操作。誰の許可でやっている」

「誰の許可も要らないだろ。オレが金太郎なんだから!」

 斧を得て金太郎が踏み込んできた。ナインは右手の手刀でいなしつつ、まさかりの軌道を読もうとする。金の斧が瞬時に位相を変えてナインの横腹へと狙いを決めた。

 影の移動方を用いて背後へと回り込んだナインがとどめの右手を叩き込もうとするが、その刹那、金のまさかりが照り輝いた。

 あまりの眩さに一瞬だけ影が晴れ、移動できなくなる。その隙を突いて金太郎が斧を薙ぎ払った。

「……主役級の攻撃、か。確かに強力だ。摂理を歪めるほどの」

 ナインは右手で斧を受け止めていた。その手から血が滴る。

 ――ただの金の斧ではない。この事象の曲げ方は物語の核クラスだ。

 弾き返して後退したナインはベルへと言葉を投げる。

「ベル、あの斧、ただの斧ではないと推測する。事象測定」

 その言葉にベルが検索を開く。瞬間、彼女は声を戦慄かせた。

『嘘、そんな……。あれ、物質情報が更新されただけじゃない。あの物質は、物語上のファクターになっている。あれは〝金のオノ〟の世界における事象偏向物質だよ!』

 やはりか。ナインは歯噛みする。有名な〝金のオノ、銀のオノ〟の物語。ヘルメースの神が人間に試した善性の審議。

 古めかしい斧を湖に落とした木こりは現れたヘルメースに「落としたのは金のオノか、銀のオノか」と尋ねられ、正直に答えたために、金のオノを授かるという童話。その重要な因子を司る金の斧こそが、金太郎の手にある斧と合致するというのだ。

「お前、その武器が何なのか分かっていて、使っているのか」

「分かっていなくて使うかよ! 金の斧には神様が宿っている!」

 これが吹聴されている適当な物語の切れ端の武器ならばまだ対抗できる。だが、金太郎の持つ武器は神の遣わした武器。容易く事象変動の右手で破壊していい物ではない。

 かといって左手で戦うのには金太郎は戦い慣れている。その言葉通り、彼は〝金太郎〟なのだろう。

 物語の主役級存在と、神話級の武器が合わされば、こうもやりづらい相手となるのか。

 しかし、そこで疑問が残る。どうして、金太郎は鬼の側についているのだろう。物語では、金太郎は鬼を退治する陣営のはずだ。

「……お前が金太郎であると仮定して、では何故、鬼になっている? 鬼と戦わなくっていいのか」

 その質問に金太郎は小首を傾げる。

「何でって、そりゃ桃太郎が命じたからだよ」

 意外なところで出てきた名前にナインは閉口する。どうしてここで桃太郎の名が出るのか。質問を重ねる前に金太郎が跳躍した。

 浴びせかけられる一撃に地表が抉れ、砂塵が舞い散る。紙一重で回避したナインは影の移動方に必要な影を消し去る金の斧の神話性に舌打ちする。

 ――自分の剪定者としての格では、金の斧の物語を打ち消せない。

 かといって主役である金太郎を破壊するのは重要な職務規定違反だ。攻撃を受け続けるわけにもいかず、ナインは後退する。

「おい! 逃げてばかりいないで戦え!」

「……冗談を言う。こちらとて、早々にこの物語から脱却したいところだ。神託兵装に物語の主人公ではこちらも戦いづらい。加えて、この物語の中心軸が今、崩壊を迎えようとしている。それを黙って見過ごせるものか」

「崩壊? 分からないことを言うな、この物語は壊れてなんかいない! あいつさえ倒せば、全て終わるはずなんだ」

「あいつ……?」

 誰のことを言っているのか。剪定者である自分を殺すことはたとえ高名な物語の主人公でも許されない。剪定者はあらゆる物語の楔から外れた異端者である。物語の構築者はたとえ端役であろうとも、剪定者に害を成すことは基本的にできない。

 その時、紫の稲妻が発し、地表を一条の光が射抜いた。

 その光が金の斧に反射し、持ち主である金太郎の目が一瞬だけ眩惑される。

 その隙を見逃さなかった。稲妻が生み出した深い陰影に身を浸し、瞬間的に金太郎の背後へと回り込む。

 相手が斧を薙ぎ払う前にナインは滅却の右手を突き出していた。

 斧がナインの首を落とす手前で硬直し、緑色の電磁を引いた右手が、金太郎の眼前で止まる。

「……やるじゃん」

「王手だ。お互いにこれ以上は益がないはず」

「ま、オレも武士になりたいからそんなに深追いはしないけれどな。勝負が決まればそこまでってヤツだ」

 金太郎が斧を下ろしてようやく、この戦闘が終幕を迎えたことを関知する。ナインは金太郎の斧とその井出達をつぶさに観察した。

 物語の筋書き通りの姿。さらにそこに神の御業である金の斧が加わり、無双の戦士と化している。

「……お前を遣わしたのは、桃太郎、だと言ったな?」

「ああ。桃太郎なら上にいるぜ。鬼ヶ島の頂上にな」

「やはり、ここは鬼ヶ島なのか」

「桃太郎の世界なんだろ? だったらそうに決まってる」

 矛盾したことを言う。ここが桃太郎の世界ならば金太郎が存在しているのが不自然だ。

「どうして、自分がここにいるのかの記憶は」

「曖昧だな。ただ、あいつを倒せばどうにかなるっていうのは、何度かの戦いで分かった」

「あいつ、とは誰だ」

 金太郎は顎をしゃくる。その視線の先へとナインは吸い寄せられていた。

 赤紫に染まる天地の中空に佇む影であった。立体視できないほどその姿は薄く儚い。最初、雷の作り出した陰影かと疑ったほどだ。

「正体は分からないけれど、あいつのせいでこの世界は鬼が支配するようになった。で、鬼がどこへ行ってもうじゃうじゃいるもんだから、鬼退治の物語と鬼が主役の物語が混在した」

「……奴は何者だ」

 問いかけた途端、灰色の影が稲妻に掻き消される。一時の幻のように、その人影は消え去っていた。

「消えた……」

「多分、もうどこかに行ったんじゃないかな」

「では、倒す必要性も」

「いや、もう駄目だ。この物語は落としどころを失っている」

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