第4話ACT4「主役抹殺」


 煤けた風が鼻腔をついた。

 目をしばたたかせてナインは左手首の時計を見やる。現時刻とハーメルンの笛吹き男の世界が瞬時に設定された。その情報が投射される。

「まだネズミ退治が実行される前のはずだ。その前夜に俺たちは来たことになるのだが……」

 濁したのは先ほどから漂っているにおいだ。焼け跡のようなにおいが空気中に充満している。ナインは影のように動き、住民たちに気取られないようににおいの元へと向かった。気配がないのは剪定者ならばお手の物だ。どうやら住民たちは協会に集まっているらしかった。人々は密集し、教会の前で何かを焼いている。十字架に磔にされた影が視界に入った。ナインは目を見開く。

 そこにいたのは魔法使いであるはずの笛吹き男だった。十字架にされており燃やされている。ベルが飛び出して声にする。

『何これ……。何で笛吹き男がもう死んでいるの?』

 未確認だったが磔刑で燃やされていれば死は免れないだろう。ナインは影の移動方法で十字架の直下に至る。不思議なことに笛吹き男はまだ生きていた。腐っても魔法使いか。自分の死に際くらいは自分で決めたいのだろう。ナインは声を吹き込む。

「笛吹き男だな?」

 その声音に笛吹き男が目を向ける。

「あんたは?」

「剪定者である」

 その一言で了承が取れたのだろう。ああ、と笛吹き男は呻いた。

「この物語を修復しに来たのか?」

「お前の死は、この物語のどの可能性にも至っていない。だから助ける」

 ナインは右手の手袋を外して手刀を見舞った。十字架が根元から外れ倒れ込む。人々が口々に呟く。

「悪魔が死んだのだ」

 そのごたごたに紛れ、ナインは笛吹き男を連れ去った。剪定者の影の移動方法ならば人一人くらいを抱えて移動はできる。充分に距離を取り、近くの水場で笛吹き男の煤を取ろうとしたが彼は自分の魔法で焼け爛れた皮膚を修復した。この時点で禁に触れてはいるが、ナインはそれに関しては罰しない。

「何で、住民たちがお前を処刑したんだ?」

 笛吹き男は噴水の傍にあるベンチに項垂れた。

「分からない。来るなり、リンチを受けて、それで気がついたら十字架にされて燃やされていた。悪魔の魔法使いだと」

 笛吹き男は額を拭う。どうやら彼が来ることを事前に告げた人間がいるようだった。しかもその人物は笛吹き男が何をするのかまで住民に流布したらしい。

「残り、十二時間後だ」

 ナインの言葉に笛吹き男が首を傾げる。

「お前が依頼を受け、ネズミ駆除をする。それがちょうど十二時間後のはずなのだ。だがお前の役目と能力を、全て教えられていた、と仮定していいのだな?」

 笛吹き男は困り果てている。剪定者の存在はほぼ全ての魔法使いの与り知るところではあるが、自分を助けたとは思わなかったのだろう。

「そうだと、思われる……。そうでなければ、どうしてぼくがいきなり殺されそうにならなきゃならない」

 物語の登場人物、殊に主要人物は自分の役目を知っている。知っていて何度も繰り返すのだ。妖精のゴッドマザーのように繰り返すうちに悪事を思いつく輩もいる。だが笛吹き男は悪事を行おうという様子ではない。

「前任者が、お前に子供の解放の物語にせよと説得したとのことだが」

 ファイブに言われた通りならばそのはずだ。笛吹き男は首肯する。

「ああ。ハッピーエンドにしろと言われてね。だからネズミを駆除した後は脅しで子供たちを連れ去るが市長や大人たちの呼びかけに応えてぼくは子供たちを解放する。それだけの簡単な話のはずなんだ。何で、ぼくが……」

 笛吹き男は再び項垂れた。殺されるような役回りではない。ナインは推理を働かせることにしたがこれは話を聞いて回るほかなさそうだった。

「とりあえずお前は剪定者の保護下に置かれる。この一回きりだけの話かもしれない。笛吹き男が現れ、ネズミを駆除する。その後に子供たちをさらって脅す。だが子供たちは解放される、という物語のはずだ」

 ナインの言葉に笛吹き男は、「どうするって言うんだ?」と尋ねる。ナインは帽子の鍔を目深に被る。

「この時間軸で何があったのかを知る。まずはそれからだ」

 次の瞬間、ナインの姿が変わっていた。旅人帽が縮小し、身の丈が半分ほどになる。短パンを穿いた少年の姿に早変わりしたナインに笛吹き男は瞠目する。

「そんなことが、剪定者はできるのか?」

「緊急措置である」

 声音だけは変わらずにナインは応じる。右手と左手の手袋もそのままだ。時計は大人に見つかると面倒なので外しておいた。

「影を使ってお前を隠す。窮屈かもしれないがこの物語の収束まで待っていて欲しい」

 ジッパーを一つ開くとそこから影が染み出して笛吹き男の姿を覆った。笛吹き男はベンチに座ったままであるが、その姿は不可視だ。ナインは歩き出す。ベルが短くなった丈の服から飛び出した。

『この恰好になるの久しぶりよね』

「そうだな。だが俺からしてみれば必要だから仕方がない」

『あたし、割とナインのこの恰好好きだよ。何かかわいい』

 ナインは立ち止まってぎょろりと睨みつける。ベルは、『ああ、そういうんじゃなくって』と誤解を解こうとする。

『ショタコンとかじゃないよ。何か懐かしい気がするんだよね。何でだろ』

「俺が知るはずがないな」

 ナインは教会へと立ち寄っていた。大人たちが今しがた処刑した後片付けをしている。ナインはあどけない子供の声を作って尋ねた。

「ねぇね、何してたの?」

 うわっ、と大人たちが仰天する。子供がいたことに気づかなかったのだろう。

「いつから、見ていた?」

「何かがぱちぱちって焼ける音がしたから、火事かなって」

 大人たちがホッと胸を撫で下ろす。どうやら私刑の場面が見られていたかもしれないと危惧していたらしい。

「何でもないんだ。いい子は寝る時間だよ」

「でも教会の前で火事なんて、神様が見たら驚くよ」

 口にしながら、神など、と胸中で毒づく。大人たちは人のよさそうな笑顔を作って取り成した。

「そうだね。だからこれは秘密なんだ。なに、ちょっとした出来事があってね。それを処理したまでさ」

「最近、この街、ネズミが多いよね」

 核心を突く言葉に大人が声を詰まらせる。笛吹き男の話題を引っ張り出すつもりだった。

「病気で死んでいく人も多いし、何か不安だな」

「何も不安がることはないぞ、坊主。何せ、その元凶である悪魔は退治されたんだ」

 他の大人の声に、「馬鹿」と自分に付いていた大人が声にする。ナインは首を傾げた。

「悪魔? 何のこと?」

 大人は咳払いし、「坊主には分からんだろうが」と前置きした。

「この街を悪魔が襲おうとしていたんだ。ネズミ駆除の対価に子供たちをさらっていくっていう悪魔がね。だがそれはみんなで駆除したんだ。だからもう何の心配もない」

 大抵の子供はそれで竦み上がってしまうだろう。だがナインは子供ではない。

「駆除って、悪魔は何で駆除されたの?」

「そりゃあ、神様に仇なす悪魔は駆除されるだろう」

「じゃあどうしてその悪魔が悪いことをするって分かったの?」

 その質問で大人たちが返事に窮した。ここだ、とナインは質問を重ねる。

「もしかしたらいいことをするかもしれなかったのに」

「おいおい、ガキ。いいことをする悪魔なんているもんか」

「大人たちがみんなで決めたことなんだ。悪魔を退治しようって」

 大人は詳細を語りたがらない。この上になれば仕方がないとナインは別の方法を使うことする。

「分かった。じゃあ家まで送って欲しいんだけれど。暗くて怖いから」

「はは、坊主もまだまだ子供だな。よし、おじさんが送ってあげよう」

 大人と手を繋いでナインは教会から離れる。大人の手には体温があった。だが自分には存在しない。剪定者と物語の登場人物を分けるのはそれだ。体温の有無。だが大人は夜だからか、あまり気にしていないようだった。その間に質問を何個かぶつけた。

「おじさん、最近妙な人が街に来なかった?」

「うん? 妙な人ってのは?」

「たとえば妖精の粉を売る、とかいう人とか」

 その言葉に大人は笑い飛ばす。

「おいおい、悪魔はいるが妖精はいないんじゃないか。妖精の粉だなんて、そんな」

「じゃあ何か粉を売りに来た人とかは? 未来の分かる粉だとか病気の治る粉とか売り文句をつけて」

 大人が立ち止まる。どうやら図星のようだ。真剣な面持ちになって口にする。

「坊主。勘繰りはいけないな。それは趣味が悪いっていうんだ」

「ごめんなさい。でもそういう人がいたんだね」

「……まぁ、いたというか通りすがったというか」

「どういう人だった?」

 ナインの質問に大人は鼻筋を掻いた。

「思えばあれも珍客だったと言わざるを得ないんだが、ローブを纏った女でな。大人なのか子供なのかも分からない中途半端な背丈で、だがこの街に蔓延る病を治せるとか言って粉を売りさばいていた。そう、あれは黄金の粉だった」

 フェアリートリップだ。ナインは確信する。だがどうして笛吹き男は殺されそうになったのか。それが氷解していない。

「その黄金の粉、どうしたの?」

「一軒に一包みずつ配ったんだ。まぁ、信心があれば治るかも、っていう期待だな。実際に治ったっていう話は聞かないが楽になった、という話は聞く」

 フェアリートリップに含まれる多幸感。それで病気の苦痛は軽減される。そこまでは理解できた。

「金色の粉はどうしたの?」

「全員が持っているはずだが、そうだな、もう残っていないんじゃないか。まぁそんなことはいいんだ。別にあれで治るだなんて誰も信用していないんだから」

 フェアリートリップにすがったわけでもない。笛吹き男の殺害に直結する証拠ではなかった。

「何で教会の前で火事なんて起こったのかな。危ないよね」

「ああ、危なかったな。坊主にだけ教えてやるか。その悪魔が来るっていう、お告げがあったんだよ」

「お告げ?」

 大人はナインの顔を覗き込んで、「絶対に秘密だぞ」と言い含めた。ナインは頷く。

「そうだな、名前を明かさない奇妙な奴だったが妙に迫真があってな。だからおじさんたちは待っていたんだ。するとどうだろう、そいつが示した方向と時間から一人のよそ者がやってきた。だからおじさんたちはそいつが悪魔だって分かったんだ」

 お告げと証して誰かがこの物語そのものを変革しようとした。その事実に打ち震える前にナインは聞いていた。

「名前は?」

「名前? そうか、そういえば適当な名前だったな。なにせテラーだなんて」

 ナインは大人を手招いた。大人が屈んで顔を引き寄せる。左手の手袋を外し、頭部を引っ掴んだ。赤い電流が走り大人が昏倒する。ナインは直後には元の姿に戻っていた。

「テラー、か。そいつが、笛吹き男がこの街に来るのだと吹き込んだ元凶」

 ナインの声に飛び出してきたベルが、『でもさ』と応える。

『おかしくない? 何で笛吹き男の厚意を邪魔しようとしたのか。だってもう笛吹き男の行動は制限されているんだよ? ファイブがもう介入しているからハッピーエンドのはず。そりゃ、もしバッドエンドになったのならばあたしたちに話が来ないのはおかしい』

 そのはずだ。物語に可能性という枝葉が現れた瞬間、剪定者が訪れる決まりである。

「笛吹き男、キーマンの喪失した物語はどうなる?」

 ナインの質問にベルは、『どうもこうも』と喚いた。

『物語そのものの変革になりかねない。だからやっちゃいけない条項の一つじゃない。剪定者以外は』

 そう、剪定者以外は、物語のキーマンを殺すなどもってのほかだ。

「剪定者の中に犯人がいるのではないか?」

 ナインの疑問にベルは答えない。応えるだけの言葉が見当たらないのだろう。

『……疑念を持つのはいいけれどさ。剪定者がわざわざ身分を偽って、それで物語のキーマンを殺す、動機は何?』

 ベルの言う通り。剪定者がそのようなことを命令なしに行えばそれは越権行為だ。だから露見した際、人造天使によって罰せられる。そうでなくとも人造妖精で元々監視が付いているのだ。剪定者はそのような越権行為を進んで行うとは思えない。

「剪定者だとは限らないが、最も可能性があるのは剪定者だ」

 ナインは笛吹き男の保護と、その可能性の進言を胸に留めることにした。


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