第3話ACT3「世界のひずみ」
ハーメルンの笛吹き男の世界に渡る手続きをしている途中、ベルが目覚めて声にした。
『ふぇ? ナイン、おはよう』
「おはよう、じゃない。二十四時間、と俺は命じた」
『今、何時?』
「ちょうど二十八時間だ。人造妖精は時間も守れないのか」
ナインの声にベルは軽く返す。
『ゴメンって。あたし多分疲れているんだよ。だから寝過ぎた』
「体内時計がきっちりセットされているはずだろうに。どうして時間が前後する」
『そりゃ、あたしをクリエイトした人間様に聞いてよ。こういう性格に設定したのは誰だ、ってね』
「目の前にいたら糾弾したいくらいだ」
ナインは自室で書類数枚を書き上げようとしていた。ベルがふわりと舞い上がりそれを目にする。
『また世界を渡るの?』
「それが俺の仕事だからな。だが毎度のことながら世界を渡るたびにこうして書類を書かねばならないのは骨が折れる」
『渡んなきゃいいじゃん。別に給料が上がるわけでもないのに』
「それが俺の存在理由だからな。存在理由のない剪定者を遊ばせておくほど人造天使は甘くない」
剪定者が道を外れれば、待っているのは同じ剪定者による抹殺か追放だ。だから自分はできるだけ仕事熱心に振舞おうというのもある。
『あたしは給料が上がりもしないのに、仕事ばっかりっての嫌だなぁ』
「嫌ならいつでも俺の専属妖精はやめればいい。もっと有能な人造妖精を買うまでだ」
ナインの声にベルは不服そうに返す。
『ナインのイケズー。そうやって冷たいからもてないんだよ』
「剪定者は婚約する必要も、あるいは生殖の必要もない」
『馬鹿正直に返しちゃって。冗談だってことも分からないの?』
ベルはすっかり飽き飽きしているようだがナインは職務を全うする必要があった。
「フェアリートリップを撒いている相手の素性さえ分かればこちらのものなのだが」
『相手も世界を渡る心得があるってことなんだよね? じゃあ絞るのは簡単じゃない?』
「いや、主役級の人間に配らず脇役だけに固めている辺り、何らかの意図があるように感じられるのだが」
今までのフェアリートリップの所有者リストが上がっている。そこには物語の主役級の名前はなく全員名前もない上にそれを自覚もしていない端役ばかりだ。
『意図、かぁ。こっちの目を掻い潜るためかな』
「それにしてはずさんだ。最善は、痕跡も残さないことなのだが、どういうわけだか相手がいた、という痕跡はある。フェアリートリップを配っていたことさえもばれないようにすることは可能なのだが、それはしない。配っていた、という事実だけはどうしてだか消そうとも思わないのか」
『変わり者なんだよ』
ベルはその一言で片付けようとしたがそれでいいのだろうか。ナインは胸の内に湧いた疑問を氷解する手立てもなく、書類へと必要事項を書き付けた。
「ハーメルンの笛吹き男の世界ですね」
案山子女が応じて手続きを終了させる。ナインはこれから世界を渡る段になって何らかの防衛措置は取るべきか、と考えた。
「この世界における必須装備を教えてもらいたい。それとこの物語の結末を」
案山子女は聞かれた通りに答えるだけだ。
「はい。ハーメルンの笛吹き男、とはネズミ駆除のためにある街を訪れた笛吹き男に市長が懇願したところ、ネズミがその笛の音で残さず溺死した、しかし市長は報酬を出し渋り、笛吹き男は報復のために笛の音で子供たちを連れ去った、という物語です。多くの改変事例があり、剪定者も何度か訪れた記録があります。一説ではこの笛吹き男は魔法使いであったとされています」
また魔法使いか。因果を感じつつもナインは聞いていた。
「剪定者たちは笛吹き男をどうした?」
「どうした、というよりも話の方向性を一本化するために笛吹き男へと交渉を試みた、というケースが多いようです。笛吹き男の能力はネズミや子供のような意識の曖昧な人間には有効ですが、意識の明瞭な大人や剪定者には無効です」
つまり笛吹き男にこちらへの攻撃手段はないと考えてもいい。だがだとすればなおのこと分からないのはどうしてこの世界にフェアリートリップが出回ったかだ。
「今の話を聞く限りでは、フェアリートリップの入る余地はなさそうだが」
「被害報告レベルはC以下です。詳細までは分かりません」
つまりほとんど被害は出ていない。だがフェアリートリップを追うのならば訪れないわけにもいかない。ナインは息をつき、「分かった」と頷く。
「事前情報はそれだけか?」
「誰が使っているのか、誰がこの世界にひずみをもたらしているのかも不明です。それでもやりますか?」
ナインは迷いなく首肯する。
「ああ。それが俺の仕事だからだ」
ワームホール、というものがある。人工的に時空を固定した入り口だ。ハーメルンの笛吹き男の世界の座標軸をパンチカードで読み込ませワームホールを固定化する際、呼びかけてきた声があった。
「ナインじゃないか」
その声に目を向けると自分と同じように黒いコートに身を纏っている青年がいた。違うのは帽子を被っていないことと、髪の毛が赤毛に近いことだ。
「ファイブ」
その名前を呼ぶと五番目の剪定者であるファイブは、「仕事熱心だな」とナインを冷やかした。
「あんまり仕事ばっかりだと、思わぬところで落とし穴があるぞ」
同業者からの忠告にナインは肩を竦める。
「落とし穴も何も、この仕事は落とし穴しかない」
ファイブが笑って、違いないな、と応じた。するとファイブのコートから人魂が飛び出す。黄色く発光するそれは人造妖精だった。
『剪定者ファイブ。あまり同僚を冷やかすような言葉は慎むように』
「これだよ、うちの妖精は」
ファイブの妖精は確かスプライト、という名前だったか。スプライトはベルとは正反対の真面目腐った妖精だった。
『私は剪定者ファイブのためを思って言っているのだ。そんなでは世界を渡る剪定者として風上にも置けない』
「いいよ、別に。おれ、そんなにすごい奴になろうとか思わないし」
『向上心がないのか。それだから剪定者の中でも業績が伸びないのだ』
責め立てる声にファイブが眉をひそめた。
「……なぁ、うちの口うるさいのとベルちゃん変えね?」
「うちも口うるさいのは変わらんが」
そうぼやくとコートから飛び出したベルがスプライトを糾弾した。
『こんな性悪と一緒にしないでよ! あたしはね、もっと寛容でもいいと思うな』
『寛容? 人造妖精ベル、間違えるな。お前はナイン殿が優秀だから存在が許されているのだ。お前のような落第妖精、人造天使ゼルエル様がお許しになるはずがない』
『あー! そういうこと言うんだ? もう、失礼しちゃうなぁ』
スプライトは涼しげな様子で、『反抗したければするといい』と言った。
『だが、お前のような落ちこぼれでも人造妖精でいられるのはひとえにナイン殿の人柄のよさだと思え』
人造妖精同士の言い争いは見るに堪えない。ファイブも苦笑していた。
「こいつら、顔合わせるたびにこれだ。仲いいな」
『仲がいいだと? 剪定者ファイブ。それは正気で言っているのか? 私とこの落ちこぼれ妖精の何が仲がいいと言うのだ』
『また落ちこぼれって言った!』
愕然としてベルが喚く。ファイブは我関せずとでも言うかのように微笑んでいた。
「そういうところだよ。何だかんだで相手してやってるじゃん。妖精同士、どっちも口が減らなくって何よりだ」
『剪定者、ファイブ。貴公の目は曇っているのか? これが仲良ければ、他のほとんどが仲がいいことになる』
『そうだよ! あたしはこんなのと一緒の人造妖精ってだけで恥ずかしいのに』
『どの口が言っている』
人造妖精同士の睨み合いにナインが割って入った。
「やめろ。みっともない」
『みっともない? あっちが売ってきた喧嘩じゃん!』
「スプライトも、だ。大人気ない」
『大人気ない? ファイブ、これだから貴公は』
また説教の始まる予感を感じ取ったのか、ファイブは手を振った。
「あー、分かってるっての。剪定者としての自覚に欠けるってか」
スプライトの言葉をいなし、ファイブはナインに問いかける。
「どの世界に行くんだ?」
ナインはパンチカードを取り出した。それを読み取ってファイブは頷く。
「ハーメルンの笛吹き男ね。あの世界は厄介だったなぁ」
「知っているのか?」
思わぬところで情報がやってきてナインは尋ねる。
「ああ、おれは最初のほうにこの世界に回された。できるだけ穏便に、物語を収束させよ、って話だったからおれは笛吹き男に懇願して子供たちを解放してやったんだが、何で、また? もうその話は終わったはずだぜ?」
子供たちの解放。それは案山子女の報告と微妙に食い違っていた。
「そうなのか? 受付の話では、まだ笛吹き男は折れていないとのことだったが」
「あれ? 行き違いかなぁ。まぁ、どっちにせよ魔法使いである笛吹き男の抹消をするほどのことじゃない。おれたちのやるべきことは笛吹き男の説得だった。案外、簡単なものだったぜ? その能力の保持を約束させる代わりに子供たちを解放しろ、だけだったし」
『今後も笛吹き男の能力を約束した、というのは少しばかり軽率だと人造天使に叱責されたのを忘れたのか?』
スプライトの声にファイブが、「言うなよぉ」と返す。
「そんなに相手の能力は危険なのか?」
「子供を盾に取られたら厄介だ、って話だよ。子供の命が第一だし、何よりもこの物語に救いがなくってな。だったら救いのある方向に行かせてやるのが剪定者の仕事だと思ったんだよ」
ファイブは自分に比べて情に厚い。だから人命がかかればそちらを第一に掲げるであろう。
「まぁ多数解釈のある物語ってのは割と厄介だが、話せば分かるってのが大多数だ。あんましことを急ぎ過ぎるあまり、子供もみんな殺された、ってのはなしにいこうぜ」
ファイブの軽い声音にナインは何も返さなかった。そろそろ行かなければ、とワームホールを指差す。
「ああ。気をつけてな。って言っても、検挙率の高いナイン様にこんなことは無粋か」
『そんなだから業績が上がらないのだ、ファイブ。ナイン殿を見習って欲しいものだよ』
スプライトの苦言にファイブは手を振った。
「いいんだよ、おれはこれで。じゃあな」
手を振って離れていく同僚の背中を眺めながらベルが呟く。
『あの人造妖精、いつ見ても鼻持ちならないわ』
「案外、お前とファイブのほうが馬が合うかもしれないな」
ナインの口調にベルは、『無理よ、無理』と応じる。
『いくらあたしでも、ファイブほど危機感がないとちょっとね。あんたくらいがちょうどいいわ』
「そりゃどうも」
ナインはワームホールへと向き直る。ベルが尋ねた。
『ねぇ、何でファイブに同調しなかったの? 子供を殺されたら元も子もないって』
その質問にナインは冷徹に返す。
「俺に関して言えば、人命など二の次だ。物語が修復されればそれでいい」
ナインはワームホールへと踏み込んだ。
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