第2話ACT2「観測神殿」


 当局は関知していない、というのが回答だった。ナインは上司に謁見しようとするもそれが数分前のアポイントだったために却下されたことを受付で知る。受付嬢はナインに対して恭しく頭を垂れた。

「申し訳ありませんがまた別の時間帯を指定してください」

「フェアリートリップの危険性に関するレポートを、君たちは読んだことがあるか?」

 質問に受付嬢はただ小鳥のように小首を傾げるばかりだ。彼女たちはどことも繋がっていないこの受付空間にて固定されているだけのシンボルである。当然のことながら当局の情報は関知されていない。

「いや、何でもない。忘れてくれ」

「了承しました。忘れます」

 忘れます、で普通は忘れられないものだが彼女たちは特別製だ。忘れる、と思えば忘れられる。それが剪定者とも、物語の登場人物とも違うところだ。

『案山子女の悲しみで本でも作れそうだね』

 それを察したのかコートから飛び出した光の球が呟く。案山子女。彼女たちを暗に馬鹿にしている発言にナインは言い返した。

「そうなれば俺はまた可能性を殺すだけだ」

『仕事人間だねぇ、ナインは』

 光の球は舞い遊ぶようにナインの周りを飛ぶ。鬱陶しいので手で払った。

「ベル。お前は人造妖精だからいいかもしれない。幾分か、俺たちよりかは気楽な身分だ」

『人造妖精の悲しみ、って本でもいいよね』

 ベルと呼ばれた光の球はナインの発言の揚げ足を取る。この人造妖精はいつもこうだ。こっちよりも気が楽だから軽率な発言もできる。

「剪定者は、物語の滅却を仕事にしている。だから殺し屋とそう変わらない」

『変わるのは殺し屋さんは人間に恐れられるけれど、あたしたちを恐れるのはみんな主役級の物語の重要人物。英雄だものね』

 ベルの減らず口にナインは首もとを緩めて嘆息をつく。疲れの出ている証拠だった。

「フェアリートリップに関する情報資料を読みたい。人造妖精ベル。情報閲覧を許可せよ」

『認定しました。情報を列挙します』

 急にシステム音声になった人造妖精にナインはようやく一息つく。いくつかのキーワードを使えば小うるさい人造妖精の相棒はこの職業に欠かせない重要な端末に変化する。

「フェアリートリップが検出されたのはシンデレラの世界だけではないだろう。出所を洗いたい。他の剪定者と会わなければ」

『真面目だよねぇ』

 ベルが元の性格に戻って声にする。ナインは、「真面目だと思ったことはない」と答える。

「これが当然の責務だ」

『他の剪定者のスケジュールをどう合わせるの? みんな出払っているんじゃない?』

 それこそ案山子女の役割だ。ナインは受付嬢へと振り返り簡潔に要件を告げた。

「フェアリートリップについて知っている者は剪定者ナインへと情報を寄越すように伝えて欲しい。連絡は人造妖精伝手で」

 言いつけると受付嬢は了解した。

「かしこまりました。では剪定者ナイン様。ここにサインを」

 書類が差し出されナインはそこにサインする。自分の名前「9」の文字を。


 時間が余ったのでナインは次の仕事が入っていないかをベルに確認する。ベルは退屈そうに応じた。

『七十二時間後の桃太郎の世界までは非番みたい。どうする?』

「どうするも何も、時間が空いたのならばフェアリートリップについて調べるべきだ」

 剪定者一人一人にあてがわれているのは、白い個室だった。滅菌されたような壁を剪定者が通過する。

ナインは自分の机について手形の彫り込まれた面へと素手を押し当てる。すると情報が投射され他の剪定者のスケジュールと共に検索窓が開いた。剪定者のライブラリにアクセスする権限は剪定者の右手の甲に彫り込まれたその者の名前が証明だった。

「フェアリートリップ」

 口にすると検索窓にその言葉があらゆる言語で入力され瞬く間に情報が拡散した。物語の世界は惑星のように漂っており、それら同士を線がリンクする。一つ一つ、検索窓に入力されたキーワードに合致する報告を導き出してくれる。

『ナインさぁ、もうちょっと仕事以外に趣味持ちなよ』

 人造妖精のお節介にナインはため息を漏らす。

「お前がもう少しつつましいのならば、俺も趣味の一つくらいは持つだろう」

『……手厳しいなぁ。剪定者は何でみんなこう仕事熱心なのかね』

 小言を耳にしつつナインは一つの世界からキーワードに合致する情報が漏れたのを関知する。

「ハーメルンの笛吹き男。この物語世界でもフェアリートリップらしきものが検出されたとのことだ」

『行くっての?』

 急いたナインの挙動にベルが驚愕する。

「七十二時間だけ非番なのだろう。ならば、行かない理由もあるまい」

『うわ、どこまで仕事人間なわけ? 大体、フェアリートリップかどうかなんて、他の剪定者と実際に情報を突き合せなければ分からないことじゃん』

「だが他の剪定者も捕まらず、情報だけを掴めたとなれば、俺が行かなければ」

 気が済まない、という声音にベルは渋々従った。

『……はいはい。どうせあたしは人造妖精で、剪定者様の付き人ですよー、と』

 ベルの軽口を受け流しナインは部屋を出る。どうしてだか部屋にはあまり長居したくはない。これは直感的なもので、全く裏付けがないのだが何か制限されているような気がしてならないのだ。

「ハーメルンの笛吹き男の世界に行くにはどうすればいいのか、また受付で聞かなければならない」

『ナインさぁ、何だかんだで動きたがりだよね。いいじゃん、フェアリートリップの一つや二つくらい。いい具合に泳がせておいてその間に自分たちは他の捜査を進める。常識じゃない?』

「だがフェアリートリップに関しては他人事とも思えなくってな」

『外部世界で作られた麻薬だよ? 何でナインがそう突っかかる必要があるのさ』

 それは、と口ごもる。どうやらてこでも行きたくないらしい。ベルが道を阻んだ。

『働き過ぎ。オーバーワーク。人造妖精ベルは休みを所望しまーす』

 怠惰な人造妖精の言葉にナインは旅人帽越しに後頭部を掻く。一面ではベルの言う通りなのかもしれない。あまり動いたところで局面をどうこうするのは他の剪定者の仕事だ。

「……分かった。二十四時間の休暇を申しつける」

『やった』と喜ぶベルに対し、「ただし」と条件付けを行う。

「俺が呼べばすぐにまた待機任務だ。それまで機能の一部を停止、人造妖精ベルはアイドリング状態にはしておくこと」

『了解!』

 ベルは休息のために自分のコートの内側に入る。ナインはしかしベルの忠言を聞かずに捜査を進めることにした。何故ならば剪定者に休息は必要ないからだ。眠ることも、ましてや休むこともいらない。ナインは自分のアクセス権を持って案山子女たちの待つ受付へと言伝を頼もうとした。

「何でしょうか?」

「フェアリートリップに関して、情報の優先度を剪定者ナインにAで頼む。他の剪定者がたとえB以下の判定を下したとしても、自分の側にAでだ」

 情報優先度、というものが選定者間では敷かれており、その優先の有無によってたとえ自分にとっては利益のない情報でも剪定者の間では盛んに取り沙汰されることも多い。

「かしこまりました」

 案山子女の悲哀があるとすれば、彼女たちには情報優先度に関して何も口を挟めない。間違っていますよ、だとか、違いますよ、という忠言は無意味であるし何よりも案山子女には人格は存在しない。

「それともう一つ、次の世界に関して情報を集めておいて欲しい」

「分かりました。その世界とは?」

「ハーメルンの笛吹き男の世界だ」


 世界が跨っている、ということはその世界になかったものが次の瞬間には出来上がっているということだ。それがいかに危険なのかはその世界に住む住民には分からないだろうし理解もできない。何故ならば世界と世界を結ぶ概念は存在せず、住民たちにそれを問うても仕方がないからだ。

 だが世界の外側にいる観測者はそれを可能にする。世界と世界の間に密接な関係がなくとも、あるいは交流も技術も全く異なる時代の世界でも観測存在は住民たちがそれを可能にするのを過度に恐れている。

 例えば妖精の粉。飛翔のために必要な魔法の篭った粉だが、これがまかり間違えれば麻薬になる。魔法の概念のない世界、あるいは魔法が使えない種族にそれを施せば一種のトリップ状態を引き起こすものだ。だがその世界の人間たちが取り締まれるはずもない。彼らは魔法を知らないのだから。

 だから彼らを外側から監視し、客観的立場を伴って罰する存在が必要となった。それが剪定者。可能性世界の抹殺者であり、あらゆる可能性と並行世界の枝葉は彼らによって剪定される。

 だからピノキオの世界に銃器が持ち込まれることはないし、シンデレラの世界に発信機が持ち込まれるようなことはない。そうしないのが自分たちの役回りであり、何よりも剪定者とは冷徹に、観測存在の命令を実行する存在であるのだ。

 ナインはフェアリートリップについて関心を持っていた。それはフェアリートリップがどれほどの危険性をはらむのかをどこかで理解しているからかもしれない。

 妖精の粉がもし全くの純粋無垢の世界に持ち込まれれば、それは大きな災厄となる。剪定者としてそれは防がねばならなかった。だが世界を渡るには人造妖精の助けは不可欠だ。

 二十四時間の休暇を与えてしまった以上、ナインは自室で情報を待つほかない。手袋を外して両手を眺めていた。右手の甲に緑色の「9」の文字が埋め込まれ、左手の掌に赤い「9」の文字が同じように彫られている。

 右手は滅殺の存在意義を持ち、左手は記憶操作の能力を持つ。剪定者に与えられているのは基本的にこの二つの能力だ。右手で抹消し、左手で均衡を保つ。それこそが剪定者の務め。

 人造妖精ベルがコートから飛び出す。まだ二十四時間は経っていないはずだが、と感じていると無機質な表示が投射された。どうやら直属の上司から連絡がようやく寄越されたらしい。アイドリング状態にしてあるのでベル自身にその自覚はない。

「三分後に謁見か」

 ナインはコートを翻し再び受付へと向かった。受付では先ほど言付けた内容に関して説明がなされる。

「剪定者、ナイン様。ハーメルンの笛吹き男の世界ですが、若干のひずみがあるとのことです」

 ひずみ。それはつまり誰かがその世界に可能性を持ち込んでいる、という隠語だった。ナインは問う。

「判定は?」

「C以下ですが、報告の義務を感じました」

 義務とは、とナインは苦笑しそうになる。案山子女に感情はない。

「分かった。それも踏まえて後ほど話を聞く」

 恭しく頭を下げる受付嬢二人を置いてナインは人の乗れる籠に乗った。すると柵が閉まり、ゆっくりと上昇していく。この中間の世界には五十台ほどの籠が常時運転しており、上昇と下降を繰り返していた。

 ナインが乗ったのは上司の部屋への直通だ。上がり切ると扉がすぐにあり、ナインは右手の手袋を外した。真鍮製の取っ手を掴むと右手の甲の文字が反応する。

「失礼します」

 扉を開けるとすぐに待っていたのは清々しい空気だ。いつでもこの空間は清廉な空気に包まれている。

 部屋の奥には白装束の少女が佇んでいる。背中から機械の翅を展開させ、メンテナンス用の器具が繋がっていることを除けば、美しい少女の姿だ。

 この観測神殿を司る、物語の支配者。観測者たちの王。

 人造天使、ゼルエル。それこそが自分たち剪定者を束ねる直属の上官であった。ゼルエルは薄く瞼を開き、青空のように透き通った瞳をナインに向けた。それだけで射竦められたかのように動けなくなる。人造天使の瞳は麻痺を約束させる。

『剪定者ナイン。シンデレラの世界での活躍、大義であった』

 声は少女のものであるのに、異様に反響する。ナインはその場に傅いた。

「はっ。妖精のゴッドマザーに関しては作り直さなければならないと報告いたしましたが」

『既に受けている。妖精のゴッドマザーを作り直そう』

 一魔法使いを作る、作らないの議論ができるのが人造天使の特権である。妖精のゴッドマザーはまた別の人格を植え付けられてシンデレラの世界に放たれることだろう。

「しかし新たなる脅威も見えてきました」

『フェアリートリップか』

 その脅威に関して今さら改める必要もない。人造天使は何もかもお見通しだ。

「その報告が成されたのがつい数分前。ハーメルンの笛吹き男の世界です」

『あの世界か。だがあの世界に妖精はいなかったはず』

「だからこそ、不穏分子だと判じました」

 世界を渡るには人造天使の許可も必要である。ゼルエルは悩ましげに首を振った。

『どうにもいけないな。あるはずのないものがその世界にあるというのは』

「妖精の粉の売人を突き止め、必ず抹消してみせましょう」

『それはいいが、本分も忘れるな。剪定者は』

「常に世界のために。承知しております」

 復誦してナインはその場を立ち去ろうとする。その背中に声がかけられた。

『剪定者ナイン。君の働きに期待している』

 期待か、と独りごちる。そのような感情が人造天使にあるのかは分からないが。

「了解しました」

 ナインは部屋を後にした。


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