剪定者ナイン
オンドゥル大使
第1話ACT1「剪定者」
「まぁ、とても綺麗だわ」
シンデレラは感激して自分にかけられた魔法に酔いしれた。妖精のゴッドマザーはふぇっふぇっと喉の奥で笑う。
「しかし気をつけなければいけないよ、シンデレラ。この魔法は午前零時には解けてしまう。それまでにお城を抜け出しなさい」
シンデレラはすっかり有頂天だ。ネズミとかぼちゃで設えられた馬車に乗ってお城へと向かう。その後姿を妖精のゴッドマザーはじっと眺めていた。この魔法の完成、それはつまり多くの財を自分にもたらすであろう。妖精のゴッドマザーは身体を不可視にしてシンデレラの後を追った。午前零時の鐘が鳴り、シンデレラの魔法が解ける。ガラスの靴が階段を転がっていく、その間にゴッドマザーにはしなければならないことがあった。城の宝物庫には金銀財宝が眠っている。この舞踏会の夜には誰もがシンデレラに夢中になっているはずだ。その隙をゴッドマザーは突いた。誰も頓着しない、金銀財宝を見事盗み出し、ゴッドマザーはシンデレラとの連絡も絶ってまた別の世界に渡るつもりだった。だがそれを阻んだのは静かな声音だ。
「待て、妖精のゴッドマザーだな?」
憲兵か、とゴッドマザーは身構える。この時間帯の憲兵など、しかし大した問題ではない。何度も繰り返し、この時間帯はシミュレートしてきた。だからどのような憲兵が現れようとも自分を止められはしない。振り返り、善良な一市民でも演じるとしよう。魔女の狡猾な頭が働きゴッドマザーは振り返った。
その瞬間、目に入ってきたのは黒衣の青年である。肌が白磁のように透き通っており、長大な旅人帽に黒いコートをはためかせていた。そのいでたちが、あまりにも「この世界」からかけ離れていたために、魔女はいち早く察知する。
「剪定者か!」
ゴッドマザーはこうなっては魔法による幻惑など無駄だと判じ、魔法攻撃を試みた。だが黒衣の青年は手を振るっただけで無効化する。
「妖精のゴッドマザー。お前の使命はこの時空間におけるシンデレラの擁立とその保護のはず。どうして私欲に塗れた行動をする」
冷たい声音に背筋が震える。相手はこの世のものではないかのような青白い唇をしていた。
「私はその役目は既に果たした。何をしても何も文句は言われないはず」
「だが魔法使いの行動、及び使用魔術に関しては厳格な取り決めが行われている。お前の魔法は一部それに抵触した」
ゴッドマザーは歯噛みする。まさか剪定者の網にかかるとは思ってもみなかった。
「シンデレラはきっちり舞踏会を楽しみ、ガラスの靴も予定通り、そう筋書き通り階段を転がった。これ以上の干渉は、それこそ無意味なのでは?」
ゴッドマザーの弁明に対して剪定者はどこまでも無慈悲だ。
「お前に許された魔法は二つ。物質交換の魔法と価値観の書き換えの魔法だ。物質交換魔法はカボチャの馬車で、価値観の書き換えは舞踏会でのシンデレラの立ち振る舞いで使用された。だから今、宝物庫から盗み出すために使った不可視の魔法は本来、使われるはずがないのだが」
ゴッドマザーは杖を振り翳し剪定者に向けて魔法を放つ。剪定者はするりと避けて影のように掴みどころなく動いた。
「攻撃魔法も許可されていない」
剪定者は右手の手袋を抜く。その手の甲には「9」の文字があった。
「剪定者ナインの名において、物語の可能性の枝葉を切り取る役目を遂行する」
「やってみろ!」
矢継ぎ早に攻撃魔法で剪定者を打ち取ろうとするが剪定者の素早い動きに翻弄される。まるで影と相対しているかのように剪定者の前に自慢の魔法も歯が立たない。
「おのれ、おのれ!」
ゴッドマザーの攻撃をいなし、剪定者が懐に潜り込む。目を瞠ったその時には、剪定者の手刀が心臓へと潜り込んでいた。生身の心臓へと冷たい刃のような感触が当てられたのを覚える。剪定者の手だ。
「選べ、ゴッドマザー。物語の可能性をお前は広げるのか、それとも我々の範囲内に収めるのか」
後者が選択されれば剪定者は自分を殺さないかもしれない。だがゴッドマザーは既に違反している。魔法使いが行っていい条項を何個も無視した自分を剪定者は罰に処すに違いない。
「やかましい!」
攻撃に移ろうとしたゴッドマザーを剪定者の手刀が切り裂いた。心臓が引き裂かれ瞬時に息の根を止められる。ゴッドマザーは青い炎に包まれて燃え落ちた。剪定者は呟く。
「残念だ。また妖精のゴッドマザーの代わりを見つけねば」
シンデレラの世界への干渉は最低限に行う。それが取り決めだったのでナインはすぐさま立ち去ろうとした。だがその姿を憲兵に見咎められた。恐らくゴッドマザーとの戦闘を盗み見ていたのだろう。興奮した様子の憲兵は槍を突き出して震えていた。
「お、お前、何をやった? 今、魔法使いを」
「それ以上の詮索はお勧めしない。何故ならば、我らは影の同盟。お前たち物語の住人は感知されてはならないのだ」
憲兵が歯の根の合わない様子で槍を突き出して威嚇する。どうやら冷静な話し合いが通用する相手でもなさそうだ。
「……どうして、いつもこうなる。俺はただ、違反者を狩りに来ただけなのに。極限まで目立たない格好をしていてもこれだ。物語の端役がどうしてだか気づく」
『きっと、彼らには特別な能力が備わっているんだよ』
突然に聞こえてきた透き通った声音に憲兵が狼狽する。ナインは手袋に右手を収めながら中空に向けて応じた。
「どういう能力だ?」
『主役になれない代わりに、こういうバグを見つけ出せる能力さ。彼らは鼻だけは効く。でも主役にはなれない。悲しい運命だね』
「何だ? 女の声?」
憲兵はすっかり怖気づいているようだがナインを逃がすつもりはないようだ。槍を仕舞わないのは精一杯の虚勢だろう。
「お前が喋るから、また新たな可能性の骨子が生まれようとしてる。三十四秒後だ」
ナインが左手にはめた腕時計を確認する。剪定者の腕時計には物語の可能性、選択肢が広がった場合、それを正確に識別するための機能がついているのだ。
『うえ、あたしのせい? これだから剪定者は冗談が通じないんだよね。嫌いだよ』
「それもそうだろうな。相手からしてみればお前の声は亡霊の声で、俺はその導き手だ」
憲兵は槍を突き出してがなる。
「そこになおれ! 舞踏会の裏側で姑息な真似を」
どうやら憲兵は宝物庫から金銀財宝が盗み出されたことを知っているようだ。だがどうして今になって、と考えていると一つの結論が導き出された。
「お前、フェアリートリップの重篤患者だな?」
憲兵が思わず口元に手をやる。やはりか、とナインは呆れた。
「妖精のゴッドマザーとはいえ、何者の干渉もなしに宝物庫までは辿り着けない。だが憲兵一人を中毒患者にすれば、それくらいは容易いか」
「よ、妖精の粉を吸って何が悪い!」
開き直った憲兵に呆れ声を出したのは先ほどから憲兵を恐れさせている女の声だった。
『やれやれ、そんなに生の妖精がいいのかな?』
「見せ付けてやればいい。妖精を実際に見たことはないはずだ」
その言葉にナインのコートから光の球が飛び出した。拳ほどの大きさの人魂に憲兵がたじろぐ。青白い光のそれに恐れ戦いている。
「化け物……、化け物の類か」
『失礼しちゃうなぁ。あたしは妖精だってのに』
「妖精は妖精だと名乗らないからだろう」
声が発せられたのは人魂からだった。憲兵はたちまち失禁する。
「何だ? お前たち……」
「三十四秒経った。シンデレラの物語に新たな可能性世界が誕生してしまう。これは、……なるほど、黒衣の亡霊と女の怨霊の物語か」
発した声に、『ひっどい』と非難が飛ぶ。
『怨霊だなんて』
「だが理解できない事象を前にすれば、人は勝手に物語を作る。それこそが俺の使命でもあるのだが」
憲兵はすっかり恐怖の虜だ。首をふるふると振って立ち竦んでいる。
「物語? 何のことを」
「我々剪定者は、物語の滅殺者。可能性世界を滅ぼすことにこそ、我が存在価値はある。恨むなよ」
ナインは左手の手袋を抜き取った。手の内側には右手と同じように「9」の文字が刻まれている。
「ろ、狼藉者がぁっ!」
憲兵の槍が跳ね上がりナインへと突き刺さろうとする。だがナインはその軌道を読んだかのように紙一重で回避し一気に憲兵へと肉迫した。憲兵の頭部を引っ掴む。憲兵は悲鳴を上げた。
「やめ、やめ……」
「悪いがこればっかりは仕方がない。案ずるな。お前はただ記憶を失うだけ。可能性世界から滅却されるのに比べれば、やわい措置だ」
赤い電流が走り憲兵は失神した。ナインは左手を見やる。手の内側に刻まれた「9」の赤い文字が脈打っていた。
『記憶消すの何人目? また当局から目をつけられるよ?』
人魂の声にナインは手袋に左手を仕舞う。
「殺すのに比べれば、随分と譲歩している。なに、当局にはフェアリートリップが思わぬところで物語世界に影響を及ぼしていることを告げればお目こぼしをいただけるだろう」
『変なところでせこいよね、ナインは』
無言で身を翻しコートのジッパーを開ける。するとジッパーの内側から影が染み出し、ナインの身体をすっぽりと包み込んだ。次の瞬間にはナインはもう「シンデレラの世界」から離脱していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます