第34話『決意新たにの話』

 鈴本夏樹。

 一六歳の高校二年生。

 

 酒屋、雉蔵酒店でバイト中。

 バイト先での人間関係は良好……なはず。地味で誰かに嫌われることもないけれど、親友が二人いる。


 基本的に、平日は家と学校、あるいはバイト先を中間しての往復生活。

 休日には観たい映画があれば映画館に赴くし、見返したい映画があるのなら、その映画をソフトなり動画配信サービスで見漁る日々。


 勉強、バイト、映画。

 この三つが、俺の日常だった。


 勉強は嫌いじゃないし、鈴本家に尽くすため、将来鈴本夫妻と姉妹に「うわぁすごい! こんなに稼ぐなんて!」と言われて、しっかり恩義を返せる日々のことを思えば笑みがこぼれてしまう。


 まあ……これはあくまで最悪の事態であり、できれば姉妹には自立をして、自分の道を行ってもらい、素敵な男性と夢の結婚生活を送ってもらいたい。というのが、本当の夢なのだが。これを言うと、姉妹揃って微妙な顔するんだよな。


 幸せを願っているだけなのに。……まあ、いいんだけど。


 バイトも好きだ。俺の夢は酒関係の仕事に就くことだし、雉蔵のおやっさんもおかみさんも、俺のことを実の子供みたいに可愛がってくれる。

 そして、それはもちろん鈴本夫妻も同様だ。玲二さんは、親友の息子だった俺を、実の娘と変わりなく育ててくれるし(あれだけ可愛い娘二人と、血の繋がらない男が暮らしているのだから心配があってもいいだろうに)。

 美香さんも、赤の他人で、玲二さんが独断で引き受けてくれた、俺みたいな他所の子を自分の子も同然と優しく接してくれている。


 映画は……実の母から受け継いだ趣味だ。

 映画はいい。一度見ると集中して、二時間の世界に自分の全神経を集中する。だから、いい映画を観たあとは、運動していい汗をかいたような充実感がある。


 実の母の影を追いかけた趣味とはいえ……しかし、映画はとってもいい趣味なので、今では自分の趣味と言っていい。


 そして、織花や拳くんとたまに遊ぶと、俺の日常ができあがる。


 この日常が俺は嫌いじゃない。

 俺を拾ってくれた鈴本家のため、まあ……玲二さんは外資系のエリートなので俺が何かをすることもないが、少なくとも姉妹が立派になって、好きな人を見つけて一緒になるまで支えるために、できるだけいい学校を出て、できるだけいいところに就職して。


 そして、家族が困った時には、金銭的な援助ができるようになっていたい。


 それが拾ってもらった恩義を返すことに繋がる。

 俺はそう思って、自分にできる限りの事をしてきたつもりだ。


 とまあ、これが俺……鈴本夏樹のすべてである。

 

 実の両親がもういなくて、義理の家族に引き取られているのが、今の俺。

 そして、いつかその恩を返したいと思っている……のだが、目下の悩みが一つある。


 それは最近、俺の姉妹がなんだか変……ということ。

 変になったのは、あの時……喫茶店のことがあってからだった。

 あのあと、なんだか誰も彼もが喋らなくなり、織花が一方的にまくし立て、俺もそれに相槌を打っていた。


 そうすると、なんとなーく解散になり、なんとなーく……姉妹と会話が最低限になった夜を越え、朝になった時から……なぜか少し、姉妹の対応が変わったのだった。

 俺は、もう女心がわからん……。最近、特にそう思う。



  ■



 朝になると、俺は目覚ましが無くても六時には目が覚める。

 これはもう幼い頃からの習慣。幼い頃はもっと早起きして、家事をしたかったのだが……俺が早起きして家事をしていると、義母である美香さんが「夏樹ちゃんが早起きしてる……! いいのよそんなことしなくて。それは台所を預かる私の仕事! 将来のために覚えるのはいいけど、私に任せて!」と鼻息を荒くして言ってくるので、これ以上の早起きはやめた。


 まあ……俺が気を使いすぎだったんだろうけど、俺はいい義両親に恵まれたものだ。


 美香さんからは家事を教わったおかげで、一人暮らしの時にも役に立ったし。


 で、いつものように、俺の体は無意識に朝六時の起床を果たす。

 朝六時になると、無意識に体が起きるようになっている。


 体を起こし、ボーッとしていると、ゆっくりベッドボードのスマホを手にとって時間を確認する。もう手に取らなくてもわかるが、時間を確認すると……しっかり六時ちょうど。


 うむ! 今日もしっかり六時起床!


 確か今日の朝食は俺が作る番だから、ちゃっちゃと準備しなくっちゃ。ベットから起きようとしたが……。


「ん。なんか……あったかい?」


 体温には、なんというか……それぞれ別々なものがあると思う。

 少なくとも、俺と俺以外の体温はなんとなくわかる。ベッドから、俺以外の体温を感じて、布団をめくる。


「……秋菜?」


 なぜか、キャミソールにショートパンツという寝間着姿の秋菜がすやすやと寝ていた。

 俺と秋菜がこうして同じ床に眠ることなど、小学生の頃くらいからなかったはずなのだが……。


 っていうか、そもそも一緒に寝た覚えなんてないんだが……。


 寝ぼけた……?

 いや、そんなわけないか。どんなアクロバットな寝相だよ。でもそうなると、なんで秋菜がここにいるのか、全然わからない。

 起こして、事情を聞く必要があるな……と思い、秋菜が寝ている反対側に手をついて起き上がろうとした。のだが、明らかにベッドよりも柔らかい何かに触れた。


「んぉ……!?」


 予期せぬ感触に驚いてしまい、俺は思わず手を引っ込めて、反対側の布団もめくる。そこには――


「ね、姉さんもいるぅ……?」


 狭いベッドで、姉妹と俺が3人、密着して寝ていたという不思議な状況になっていたのだった。通りで、なんか花畑で寝てる夢を見るとはずだ。姉妹からは、俺と同じシャンプーやボディソープを使っているとは思えない、いい匂いがするからな……。


 事情を聞きたいところだが……。まずはご飯を作らなくっちゃ。状況の理解に頭が追いついてくれないが、状況がどうであろうと、やるべきことを優先できるのが、俺のいいところである。と、勝手に自分で思っている。


 そんなわけで、俺は二人を起こさないよう、ゆっくりとベッドから抜け出して(相当苦労したが)一階に降りて風呂に入る。さすがに暑かったのか、ちょっと寝汗をかいているし。汗臭くはなかったか、姉妹が臭いと思ってないかと少し心配になってしまった。

 今更風呂に入っても、遅いんだけどね。

 とはいえ、気を使いすぎるということもあるまい。


 風呂から上がり、制服に着替えて、朝食を作り始める。


 鈴本姉妹は朝から重たいものを好まない。味付けもできるだけあっさりに整え、俺はネギと豆腐の味噌汁と塩味の卵焼き、きゅうりの漬物と白米を食卓に用意する。

 うーん……完璧だ。味噌汁の匂いが、気だるい朝に食欲をそそる。どんなに意地の悪い姑でも、認めざるを得まい……。俺は内心ほくそ笑む。なんで飯を用意すると、こういう麻雀マンガでテンパイした悪役みたいなことを考えるんだろうか。


 相手はノーテン、こっちは跳満テンパイ、みたいな想像を膨らませているような。


 そんなことを考えていると、姉妹が二人揃って準備をして降りてきた。


「おはよう、ナツくん」

「おあよぉー……」


 すでにすっきりとした顔の姉さんと、まだ半分眠たげの秋菜。相変わらず朝弱いなぁ、と苦笑しつつ。俺は二人の椅子を引いた。


「おはよう二人とも。朝飯は出来てるから、早く食べな」


 二人が椅子に座って、手を合わせるのを見て、俺も手を合わせて、朝食を口に運ぶ。うん、美味い。さすが美香さんの教えてくれた飯だ。美香さんはアメリカで戸惑っていないだろうか。心配だなぁ。……いや、玲二さんの方が戸惑ってそうだな。美香さんはホワホワしているように見えるが、根っこは強いから大丈夫だろう。


「あぁー。なんか、お兄ちゃんの味噌汁って安心するぅー……」


 寝ぼけ眼で味噌汁を啜る秋菜に、俺はアゴをさすりながら「まあね。美香さんから受け継いだおふくろの味なのよ」と、少し胸を張る。


「なぁーんで女子二人じゃなくて、男のお兄ちゃんだけ受け継いでんのかなぁー」

「私達が家事を勉強する気がなかったからね……」


 なぜか女子二人が軽く落ち込んでいる。まあ、あの頃は美香さんずっと家にいたしな……自分達でご飯を作ろうという発想にならなかったのだろう。俺はかなり早い段階で自立を考えていたし、少しでも早く鈴本家が引き取ってよかった、とメリットを感じてほしかったので、家事を積極的に美香さんに教わっていたのもある。


「でも、二人だって離れてる間に料理勉強してたんでしょ?」

「まあ、そこに関して“は”ういんなーさんに感謝だね」

「私は単純に、男の人は胃袋で掴むのがいいって友達が言ってたから」

「お姉ちゃんっ!?」


 なぜか、秋菜は漬物をぽりぽりと食べていた姉さんの肩を掴んで揺らす。それでも、なんでか動じていない姉さん。いつもなら「ゴ、ゴメンねアキちゃん」と謝っているのだが。


「男の胃袋、ねえ。好きな男でもできた? そりゃあいいことだ。やっぱ高校生の内に恋愛の一つもしとかないと」


 って……雉蔵酒店の常連達の受け売りだが。俺は彼女どころか、初恋もしたことないんだけど。


「大丈夫。もうずっと大恋愛だから」

「え?」大恋愛? 姉さんが?

「ちょ、ちょちょちょお姉ちゃん? どしたの? お酒でも飲んだの?」


 先程まで酔っぱらいにしていたんだとしたら、危険なほど頭を振っていたが……。っていうか、そもそも未成年だから飲んじゃいけないんだけどね。

 俺だって酒店で働いているのに飲んでないんだから。


「飲んでないって。それに、アキちゃんも同じ気持ちでしょ?」

「い、いや、あの……それは……」

「ま、マジで? 秋菜も好きな男がいる感じ?」


 おぉ……マジかよ!

 二人とも、今まで浮いた話が一つもなかったのに……ここに来て、いろいろと出てきたな?


「いや、それは、その……」


 顔を赤くしている秋菜に、俺は「マジか」と、再びつぶやいてしまった。まさか、秋菜まで好きな男がいるとは……。

 さすがに急展開すぎて、ちょっと俺の心も追いついていない。


 いやあ、これは正直困ったな……。


 俺は玲二さんになんて報告すべきなんだ?

 相手がろくでもない男だったらと思うと、さすがに俺もどうすべきかわからないし……。


 玲二さんが「お前のようなどこの馬の骨とわからんやつに娘はやれん」と言えるキャラでないというのは、さすがに実の息子でないのはわかる。ということは……俺が言わなきゃならんし。あぁ、でも相手がほんとにろくでもない相手かどうかはわからないよな。


 探偵にでも依頼するか、あるいは俺が相手を調査するか。迷いどころだなぁ。こういうのは、プロに任せた方がいいような気がする。


「まあ、好きな人がいるってのは、いいことだよね」


 知らんけど、と内心で呟きつつ。俺は、姉妹の好きな人が「まともな人間でありますように」と祈った。

 

 できれば俺のように、自分のことばっかりじゃなく。

 誰かのためを思って行動できる人間で……姉妹を一番に考えてくれる人間だといいんだけど。でも、普通の愛って、そういうもんなんだよな。多分。よくわかんないけど。


「っていうか……好きな人がいるなら、俺の布団に入ってくるような真似はよした方がいいよ。あんま言いたくないけど、俺は血が繋がってないんだから……」


 最後までは言わないが、俺だって男。しかも美人姉妹と一つ屋根の下、大人の目がない状況である。何度も言うが、俺だって男だ。義父の玲二さん、義母の美香さんから信頼されているし、俺だって鈴本家を軽率な行動で傷つけたくないので、そんなことをするつもりはないが。


 とはいえ、男女の中は何が起こるかわからない、と……映画でも言っていたし。


 俺がいつ、どんな理由で鈴本姉妹に手を出すかわかったもんじゃないんだから。さっき姉さんの胸を触ったときだってやばかったってのに。


 俺だって聖人君子ではないので……。


「ナツくん。私達だって、ナツくんのことは家族だと思っているし。それでも血が繋がっていないことくらい、わかっているつもりよ」


 姉さんはそう言って、なんだかすっきりとした顔で微笑んでいる。俺は全然そんな気分にはなれないけれど……。


「わかってんなら、もうちょっとそれらしい距離感をだね……」


 俺は二人に呆れつつも……、ほどほどに注意しつつ、なんとか話をそらせないかなと考えていた。朝から胃がもたれる話はしたくない。


「ええ。私とアキちゃんは、ナツくんと望んだ距離感になれるよう、必死なんだから」

「そ、そう。そうだよ!」


 なんだか熱くなっているが、俺はその話を打ち切るように、残っていたおかずをすべて米の上に乗せて掻き込んだ。

 そして、味噌汁でそれを流し込み、一息吐く。


「俺は二人と、それなりに良い関係だと思うんだけどな……?」


 前は疎遠だったが、今となってはそれなりに仲のいい兄で弟をやれていると思うのだが。それもこれも、二人が態度を改めてくれたおかげなわけで。

 それって、つまりは俺と家族でいることに、やっと納得してくれたということで。


「もっと仲睦まじくなれると思わない?」

「そうそう。秋菜たちと、お兄ちゃん。もっと仲睦まじく……」


 俺が机の上に置いていた手に、二人はそっと手を置いた。いったいなぜ、とその手を見つめていると、二人はまっすぐ真剣に、俺を見つめている。


 二人に見つからないよう、俺はそっとため息を吐いて、その手を避けた。


「まったく。二人とも、家族との接し方、もうちょっと考えないと」


 俺たちは家族であって、男女ではないんだから。

 家族というのは、支え合うがベタベタするもんではない。


 だから、これ以上俺を惑わせないでくれ。

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