第31話『牽制の話』
「うぅ……ういんなーさん。サイン、もらっても……?」
なぜか、秋菜はいやいやというか、不服そうなのに、嬉しそうという妙な顔をしながら、自分の手帳を取り出していた。
……サイン求めるほど有名人なの?
「い、いや、別に私、有名人とかじゃないし……あと、リアルでハンドルネームはやめてほしいかな……」
「っていうか、なんで“ういんなー”なの?」
俺は思わず、その疑問を口にした。
「あ、えと……私、下の名前が美冬で、ウインターでしょ。それで……食べ物系のハンドルネームがいいなと思ってたから……ダジャレで……」
ハンドルネームの由来話すのって、すげえ恥ずかしい時あるよね。
俺はハンドルネームとか持ってないけど、その気持ちはなぜだかよくわかる。
俺の純粋な疑問が千堂さんを辱めているように見えたのか、
「バカな兄がす、すいませんっ。でも、どうかお恵みを……っ」
と、秋菜は頭を下げた。
……秋菜が頭を下げたぁ!?
俺はその光景に、心底驚いていた。
秋菜はお姫様基質だ。両親からも甘やかされ(俺は鈴本夫妻を尊敬しているが、完全に秋菜は甘やかしすぎ!)俺と姉さんからもあんまり厳しくされないから、誰かに「お願いする」という概念が完全に消え失せている。
あと、目の当たりにしたわけではないのでなんとも言えないが、おそらくその可愛さで普通の男子もある程度言うこと聞くだろうしね……。
男ってかわいい女の子ってだけで、結構無茶な頼み事通るよな……同じ男だけど、そこは疑問が大きい。
まあ、何が言いたいかというと、俺と姉さんはとても驚いたのだ。
何せ秋菜が……あの秋菜が、人に頼み事をしたのだから。
「……何その顔」
秋菜が頭を上げ、俺と姉さんの顔を見ていた。
俺は思わず、姉さんを見る。なんとも間抜けな顔だ……まるで、ペンギンが空を飛んでいるのを目撃したような顔。俺もこういう顔をしてるんだろうなあ……。
「い、いや、だって……アキちゃんらしくない」
あっ、姉さんそれ言っちゃうんだ!?
いくらなんでも失礼では!?
「はあ!? 秋菜だって頼み事するときはこれくらいするし!」
その割には、まあまあ不服そうだったが……
「まあ、サインくらいは、いい、よ? でも、一応私がういんなーってことは、内緒にしてね」
言いながら、テーブルに置かれていた秋菜の手帳を取り、そこにボールペンで「ういんなー」と書かれたサインを書いて、秋菜に返した。
「おぉぉぉ……っ! あ、ありがとうございます! 家宝にします!」
ってことは、俺たちも大切にしなきゃならんか?
別にいいけど。
「アキちゃん、よかったね」
姉さんが秋菜の頭を撫でる。
それが嬉しいのか、秋菜は目を細めて笑う。なんだか小型犬が飼い主に褒められているような光景だ。……秋菜は褒められると心から嬉しそうに笑うので、そういうところがずるいなあと思ってしまう。
本当のお姫様気質というやつを見せつけられている気分になる。
姫というのは、笑顔だけで尽くした報酬になるのだ。秋菜を見ていると、それがよくわかる。
「罪な女だよ、秋菜は」
「は? なにそれ。キモっ」
……俺もちょっと言ってから後悔したので、何も言えなかった。
秋菜、容赦なさすぎである。
「ふふふっ」
俺が秋菜に暴言を吐かれているのを見て、千堂さんはなぜか笑っていた。
あれ? 千堂さんって暴言が笑いのツボの人だったっけ?
しかし、俺の知り合いの中では一番の常識人である千堂さんがさすがにそんな尖った部分を見せるわけもなく、「ご、ごめんなさい」と照れたように笑う。
「なんだか、三人仲よくて羨ましいなって。私、一人っ子だから」
「で、でしょー? 私達、ちょー仲良しだもんね。ねっ? お姉ちゃん」
「そう。私達、仲良し、マブダチ」
姉さんと秋菜が、ガシッと肩を組んだ。
どうでもいいんだけど「マブダチ」の使い方が間違っているのだが。姉さんはそういう言葉使わないだろうに、なんで急にそんな言葉を。
「まあ……俺にとっても、二人は大事な家族だからね。大事にしてるよ」
そう言って、手元に置かれていたアイスコーヒーをすすった。
もう血のつながっている家族のいない俺にとって、鈴本家は大事な家族だ。俺の気持ちが家族という言葉を飲み込んでいないだけで、鈴本家のみんなは家族だと思ってくれている。俺も、そう思うようにしている。
しかし、なぜか姉さんと秋菜は、難しい表情で俺を見ていた。
「で、でも。ただの家族ってわけじゃないもんね。それ以上に、仲良しだもん。ね? お姉ちゃん」
「もちろん。アキちゃんもナツくんも、家族という言葉では言い表せない、複雑な関係」
「え? それって、どういう……」
千堂さんは、そう言って、姉妹の顔を順番に見ていた。
俺は姉さんと秋菜が同調しているのが怖いので、目をそらしたい。
「そうそう。お兄ちゃん、秋菜のお風呂覗くくらい、秋菜のこと好きだもんね」
「えっ!?」
「はあ!?」
おま、おままままままっ!
何をどえらい爆弾ぶっこんでんだ!?
確かに裸を見てしまったことはつい最近あるが、そもそも背中だけしか見てない上に事故だからね!?
千堂さんが信じられないものを見る目で俺を見ているが、俺は「事故だよ……!」と、小さな声で言うしかない。ここおしゃれなカフェだからね?
「そう。私も、ナツくんとは手を繋いでデートする仲」
「え、お姉ちゃんなにそれ!?」
「え、ええ?」
「いやっ、あれは姉さんからでしょ!?」
ああああ……事実っちゃ事実だから、強い否定ができない……
俺は一体何をやっているんだ…?
姉妹が飲んでるのはウォッカかなんかだったのかな……。
でなければ、この暴走が理解できん……。
「ふ、ふーん……ず、随分、ご家族の仲がいいんだね……? 羨ましいなぁー……そんな家族……」
感情の無い笑みを浮かべて、こっちをまっすぐ見ている千堂さん。
その目、とっても怖い……昔、疎遠になってた頃の姉妹が似たような目をしてたような気がする……。
「ほっほう。ならば何を隠そう、ボクは夏樹とは夜通し一緒にいるマックス大親友な仲だし、趣味も合うし、膝枕もしてもらってるよ」
「「「はぁ!?」」」
と、謎の声に、三人の女子が通路側に必死の表情を向けた。
俺はその声を毎日聞いているので、耳に届いた瞬間、正体がわかった。
織花である。
連絡したから居場所がわかったのだろう、いつものパーカー姿という、ラフなスタイルで、ピースしてにやにやと経っていた。
俺は、全身全霊の殺気を込めて、織花を睨んで、口だけを動かし「何しにきたぁ!?」と帰宅してほしい念を飛ばす。
それをどう勘違いしたのかは知らないが、織花はぺろっと舌を出し。
「来ちゃった♪」
と、昔のアイドルのようなぶりっ子ポーズをキメた。
面白半分で場をかき乱す、生まれながらの愉快犯、桐谷織花その人である。
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