第27話『拳くんとザリガニの話』
「でも、驚いた。お兄ちゃん、織花、さん以外にも友達いるんじゃん」
リンゴジュースを啜りながら、秋菜がとても失礼なことを言ってきた。
事実だからいいんだけど。
俺達三人は、変なやつに絡まれたことでちょっとテンションが下がり、ゲーセンの隅にある丸テーブルに三人で腰を下ろして、三人でジュースを飲みながら話をしていた。
ちなみに、俺はコーヒー、姉さんは紅茶。
遊ぶテンションを取り戻したいし、拳くんの話を聞きたいという姉妹からの要望である。
「えぇ、織花さん以外にはいない、みたいに言ってたから、二人目を見られただけで、少し安心した」
姉さんまで、胸を撫で下ろすようにして、微笑んでいた。
なんだか余計な心配をかけていたようだ。俺としては、拳くんと織花がいれば、百人力なので全然気にしたことはなかったけどな。
「んでもさー、お兄ちゃんがああいうタイプの人と仲良いなんて、ちょっと想像できないけど、普段どんな話をしてたのさ」
「いやいや。俺と拳くんの話は別にいいじゃんか」
「いいからッ。別にカロリーゼロな話じゃないんでしょ。暇潰しにはちょーどいいじゃん」
前々から聞きたかったのだが、秋菜の言い回しががたまにバグるのはなんなんだろう。
俺としては拳くんの話をするより、そっちの方が気になる。
うーん、とはいえ、姉さんもたまに行動がバグる時あるし、美香さんはたまに料理の献立がバグる。なんなら玲二さんもストレスでバグる時もあるので、鈴本家は基本なんかのバグを持っているっぽい。
「ナツくん」
姉さんは、うるさいゲーセンの中でも通る、凛とした声を出す。
まっすぐ、キレイな目で俺を見つめながら、
「私も、須々木さんとハルくんの出会い、聞いてみたい」
と、なんだか大仰な間を取って言った。
「う、うーん……なんか、姉さんに言われると弱いんだよなぁ……」
「はぁ!? 何それッ! お姉ちゃんに対して態度違くない!?」
と、秋菜がテーブルから身を乗り出すほどの勢いで、テーブルを叩いた。しかし、そのせいで手を痛めたのか、手を軽く振って渋い顔をしていた。
「い、いや、年上から言われると逆らいにくいんだよ。わかんないか、この気持ち。同じ姉を持つものとして」
「わっかんないッ」
普通に言ってのけたが、俺は驚きもしなかった。だって姉さん、秋菜に激甘だから。
そして、当の姉さんは「ハルくんて、運動部に入ったことないのに、体育会系な考え方なのね」と微笑んでいる。
これは姉さんの沽券に関わることなので、もっと積極的に発言してほしいのだが。
「とにかく、話してよ。お兄ちゃんのことはとりあえず知っときたいの」
拳くんへの興味というよりは、俺が自分達の見てない間に何してたか、っていう興味か。
家族が心配しないように報告するのも、義務か……。
というわけで、俺は話すことにした。
拳くんとの出会いの話を。
■
俺が枕木荘を選んだ理由は三つある。
一つ、家賃が安かったから。
二つ、バイクを停められる場所があったから(高校入学してお金貯めたら買うつもりだった)。
三つ、学校が近いから。
その条件さえ満たせていればどこでもよかったので、俺は他の条件を何も見ず、高校入学と同時に枕木荘の102号室を借りた。
素晴らしいことに、家具は備えつき(前の住人がギャンブルの末に夜逃げとのことだ)なので、俺は順風満帆な一人暮らしを始めることができる……はずだった。
引っ越しの挨拶をしに、隣の103号室を訪れるまでは、そう信じていたのだ。
俺だって健全な男の子。お隣さんが美人の女子大生で、肉じゃが作りすぎちゃってー、からのワンチャン狙いという妄想くらいはする。
しかし、ノックして出てきたのが、身長二メートル近くの、赤いモヒカンの男が灰色のトレーナーとスウェットの上下で、昼間だというのに眠そうな目で不機嫌そうにして出て来たら、絶望もするだろう。
このお隣さんと、ご近所トラブルなく過ごせるのかッ!?
そう思った絶望感、忘れてない。
しかし、挨拶に来て無言というのは、明らかに失礼だろう。
俺は、少し元気よくを心がけて、声を出した。
「はっ、はじめまして。鈴本夏樹、隣に越してきた不束者です!」
こういうのはノリが一番と思ったが、ちょっとおかしい自己紹介になってしまった。
「……不束者?」
おかげで、拳くんは変な顔をしていた。というか、今だからわかるのだが、めんどくせえなぁ、って考えている時の顔だ。
俺は自己紹介をミスった恥ずかしさと、拳くんへの恐怖のせいで、早くこの場を切り抜けなくてはと思った。
だから、持っていた菓子折り(玲二さんと美香さんが持たせてくれたなかなかいいクッキーの詰め合わせ)を拳くんに勢いよく差し出したのだ。
「こっ、これどうぞッ!」
「ん、お、おぉ……」
拳くんは寝起きということもあり、いまいち事態が飲み込めていないようだったが、俺はこれ幸いとすべてを勢いで済ませ「それでは!」と、部屋に戻った。
ちなみに、この時の拳くんから見た俺の印象はというと、
「慌ただしいやつ」だったそうだ。
まったくその通りだと、今なら思える。当時はうまくやってやったつもり満々だったからね。
それも、一時間後に「あっ、名前聞いてない」と思い出すまでだが。
そして、それから一ヶ月後。
俺は高校で、織花と一緒に楽しんでいたが、独り暮らしそのものはだいぶ困窮していた。
バイクの為の貯金のため、そして織花との交際費、決して高くはない給料(学生バイトの身だしね)で、いつも金欠のような状態だ。
そうなると後回しにされるのは、食費と雑費。特に服とかだ。食事はもやしと米。制服があるので、できるだけ制服で出掛けるなど、俺なりに工夫をしていたのだが、さすがにそうなると栄養が足りないという事実はどうにもできず、ある日俺は風邪を引いてしまった。
学校は土曜だったので、ちょうど休み。遊ぶ約束もなかったし、よかった。
そう思えたのは午前中だけ。
何せ体中痛いし、熱のせいで汗かきまくりで気持ち悪いし、頭も痛かった。
一人暮らしの最大の難関にぶつかった瞬間であり、あまりの寂しさに織花を呼びたくなったが、いくら友達といってもそれはどうなんだろうとやめて、苦しみながら天井を眺めていた。
そうするとなんとか意識を失うことが出来たのだが、夕方のことである。
部屋でカチャカチャといっている物音で目覚めたのだ。
だいぶ寝ていたおかげで、体はずいぶん楽になったが……一体なんだ?そうして体を起こすと、キッチンから小さな土鍋を持ってくる拳くんと鉢合わせしたのだった。
「おっ、起きたか。鈴本」
「えっ、あれ……お隣さん……なんで……?」
拳くんは、土鍋を床に置いて座り、エプロン(自前のピンクのやつ。可愛い趣味)から、手紙を一枚差し出してきた。
ガス代の請求書である。
「俺のポストに入ってたから、自己紹介がてら届けに来たんだよ。あれっきり会わねーしよォ。こういうきっかけでもねーと話さねえかなってさァ。そしたらノックしてもでねー。一人暮らしは何があるかわかんねえから、ドアを開けたら案の定、ダウンしてやがった。だから、この俺、須々木拳が看病してやろうかと」
「そ、それは、どうもご丁寧に……ありがとうございます……」
「まあ、んなこたどうでもいいからよ。どーせ、金ねえからって病院も行ってねえんだろ?だったら食うしかねえ。食欲あっか?」
正直なかったが、せっかく作ってくれたものを食べないという失礼はできない。
無理矢理にでも食べなくては、と思っていたのだが、拳くんが土鍋の蓋を開いた瞬間、出汁の優しい香りがしてきて、俺の腹が不機嫌な犬の唸りみたいな音を出した。
卵と海老、そして上にネギを散らした中華風のお粥だった。
「えっ、美味しそう……」
「あぁ。うめぇぞ。こういう簡単な料理にャ、一人暮らし長いから、ちとうるさくてな」
ちゃぶ台にお粥を置いてもらい、スプーンでお粥を一口。
「うっ、美味いッ」
鶏ガラ出汁か!?優しい塩気が食欲をそそるッ!
しかもネギと海老の歯応えで食べていて食感に飽きることがないッ!
癖のない味だからいくらでも食べられそうだ……溶き卵の時たまやって来るふわとろな舌を包み込むような感覚もたまらない!
体力を消耗していたからなのか、俺はあっという間にお粥を完食してしまった。
いや、空腹ということを差っ引いても、非常に美味しいおかゆだ。
「ごちそうさまでした。ありがとうございます、須々木さん」
「お隣だろォ。困った時にはお互い様だ」
見た目はロックな感じなのに、いい人なんだなぁ……。
思わず泣きそうになってしまう。風邪の時は心が弱るというが、まさかここまで弱ってしまうとは。
「あ、それからよ。冷蔵庫の中にゼリーとポカリも入れといたし、おかゆはまだおかわりあるから」
「えっ、そんな、そこまでしてもらって、悪いですよ。お金、払います」
「善意だから気にすんな。一人暮らしで大変なんだろ。俺も経験者だから、よくわかる。つーか、今日はパチスロで大勝利したから、余裕ありまくりなのよォ。お前は経験ないかもしれないが、パチスロで勝つとおごりたくなるもんなの」
「いや、でも、海老まで入ってて……海老は高級食材ですよ!」
そう、海老は高級食材である。
鈴本家に居たときは普通に出てくるが、そもそも鈴本家は小金持ちなんだよな。一戸建てだし。
一人暮らしでボロアパート住まいにとって、海老は高級なのだ。
「あぁ、それも気にすんな。お前が海老って言ってたやつ、無料なんだよ」
「……へ?」
無料? なんで?
そんな疑問のせいで間抜け面を晒していると、拳くんは俺の部屋の窓を開けた。
枕木荘は裏が川になっていて、夏場になるとよく近所の小学生達が半裸で遊んでいる。
「お前が食ったのは、裏の川のザリガニ。美味かったろ。俺もよく食うんだが、貧乏には最高の友だぜ」
俺がメジャーデビューしたら、ザリガニに感謝する歌を作るんだ、と、この時の俺には訳のわからないことを言う拳くん。
対して俺は、ザリガニ食わせたのかこの人、と思いつつ、しかし美味しかったのも、善意で作ってくれたのも事実なので、俺はそれをおくびにも出さないでおいた。
「んじゃ、俺はそろそろ部屋戻るわ。ゆっくり寝て、とっとと治せ。治ったら、ザリガニ釣り教えてやる」
そういって、拳くんは部屋に戻っていった。
しばらく、閉じられたドアを静かになった室内に浸りながら見ていたのだが、最後に思ったのは、
「いい人なんだけど、変わってるな……」
だった。
ザリガニ釣り? この歳で?という気持ちもないではなかったが、少し大袈裟に言うと、命の恩人である。
無下にするわけにもいかないだろう。
そう思っていた俺だったが、後日拳くんと一緒にやったザリガニ釣りがやたらと面白く、また、拳くんお手製のザリガニ料理がとんでもなく美味しかったのもあり、ザリガニにハマったのは言うまでもないだろう。
俺と拳くんの絆は、ザリガニから生まれたのだ。
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