第26話『知らない顔の話』


「だ、ダチって、いや、その、なにも……」


 しどろもどろになりながらも、ナンパ男は頭を下げ、逃げるようにその場を後にした。


「……なんだ? なにしてたか聞いただけなんだけどな」

「別になんでもないよ。すげえ久々じゃん、拳くん」

「ん? おぉ、そうだなぁ」


 拳くんと俺は、どちらからともなく握手を交わし、再会を喜びあった。まあ、近所だから会おうと思えば会えるのだが、前は毎晩のように会っていたから、疎遠になった感じは否めない。


 もっと頻繁に会いたいのだが、拳くんは忙しいからな。

 うわぁ、でも、マジで久々だなぁ拳くん。元気そうで安心した。


「あ、あのぉー」


 と、俺の後ろにいた秋菜が、おずおずと手を挙げ、拳くんを見上げる。小柄な秋菜と大柄な拳くんなので、その身長差は面白いことになっていた。


「ん? おぉ、そうそう。誰だこの子。夏樹が織花以外の女の子連れてるなんて、珍しいよなァー」


 ニコニコ笑いながら、なんだか変なこと考えているなぁと丸わかりの顔で、拳くんは「どもども」と、秋菜に頭を下げる。


「……あの」


 そこへ、遅れて姉さんもやってきた。

 どうやら、拳くんが敵でないとわかったから、話に入るタイミングを伺っていたのだろう。しかし、話の入り方がほとんど一緒なのは、さすが姉妹って感じだ。


「あれぇ? なんで二人も……あぁ、そうか。キミらが、夏樹の姉妹か」


 姉妹は二人揃って、首をかしげた。

 なんで知ってるんだろう、ああ、そうか、夏樹が話したのか、と一瞬で納得したらしく、また二人揃って頷く。


 そんな様子がおかしかったのだろう、拳くんはさらに笑顔を深め、自分の鼻を指差した。


「どーも。俺は須々木拳すすきけん。夏樹とは、こいつが一人暮らし時代、隣に住んでた友達」


 拳くんは、肩に担いでいたギターケースの位置を深めにして、落ちないようにする。


「んで、これ見てもらえればわかると思うんだけど、バンドマンやってるんだ。ボーカルとギター」

「そうそう、拳くんの歌はマジでかっこいいんだよ」


 俺は拳を握り、拳くんの歌がどれだけかっこいいかを力説する。力強い声で、かっこいい歌詞を歌う拳くんの姿は、過去何度かライブを見に行って、すごいなと感動したほどなのだ。


「よせよせ。照れるだろ」

「何言ってんの。俺はマジでそう思ってんだから。音楽はあんまり聞かないけど、拳くんのバンドは最高だって」


 それに、拳くんみたいに自分の夢へまっすぐ突き進んでいる人は、俺にとってすごく眩しい。一人暮らし時代は、暇ならよく一緒に晩ごはんを食べていたが、拳くんの夢を聞くのが好きだった。


「そんなにいいの? この人の歌」


 秋菜は、そう言って拳くんをジロジロと見つめている。

 失礼な目線になってないだろうか。なんだか値踏みするみたいだし。


「当たり前だよ。俺、CD持ってるから貸す」

「あ、うん。わ、わかった」


 珍しく、俺が熱意を持って話しているからか、秋菜がちょっと引いているように見えた。


「でも、そっか。ナツくん、好きな音楽とかあったのね」


 なぜか、姉さんは寂しそうに微笑んで、俺を見つめる。なんだろう?


「まあ、ご家族水入らずを邪魔するのも、よくねえよなァ。俺、そろそろ行くわ」

「ええっ、拳くんも一緒に遊ぼうよ」

「そこまで空気読めない男じゃねえよ」


 拳くんは、姉さんと秋菜にウインクをする。俺にはまったく意味のわからない光景だったのだが、二人にはわかったらしく、しきりに頷いていた。


「それに、俺はちょうど帰るとこだしな。これからバイト。早く音楽だけで飯が食えるようになりてえぜ」

「大丈夫、拳くんならすぐだって」

「俺のファンは頼もしいね」


 と、拳くんにぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。子供扱いされているようだが、拳くんからすれば俺なんて子供も子供だ。


「あ、そうだ夏樹。今度、持ってってやるよ。あと、新曲のデモ」

「ほんと!?」


 俺が目を輝かせ、拳くんに向かって一歩踏み出したのにびっくりしたのか、姉さんと秋菜が俺を見つめる。


「おぉ、今回の新曲は自信作よ」

「毎回言ってんじゃん」

「当たり前だろ。自信ないもん出すかよ。感想聞かせろよな。それに、お前も好きだったよなァ」

「うん。ありがとう!」


 拳くんと手を振り合って別れると、俺は幸せを噛みしめるように、ため息を吐いた。ラッキーだったなぁ、まさか拳くんと会えるとは。

 あの楽しい一人暮らしの日々を思い出す。毎日のように、拳くんと会えていた日々を……俺の唯一と言ってもいい、男友達だから大切にしたいのだ。


「……なんか、お兄ちゃん、あの拳って人といるとキャラが違うね」

「え、そうかな?」


 秋菜に言われて改めて思い返すと、確かにちょっとはしゃぎ気味になっていることを自覚した。

 だって拳くんといると楽しいからさぁ。


「それに、一つ気になったんだけど……デモCDはともかく、ってなに?」


 姉さんの言葉に、俺は「あぁ、俺達貧乏人の救世主」だよと言って、胸を張った。


「そう、お金に困った時、いつも俺たちを助けてくれた救世主。ザリガニだよ」


「ザリ……」

「ガニ……?」


 二人のぽかん、とした顔がすごい。

 初めて聞いた言葉みたいなリアクションだが、知らないのだろうか。そんなわけないと思うが。


 もしかして、意味がよくわかっていないんだろうか。


「俺と拳くん、貧乏だからさ。前に住んでたアパート、枕木荘は裏が川で、よく二人でザリガニ釣っては、ザリガニ料理で飢えをしのいでたんだよ」


 美味しいんだよなぁ。

 ちょっと生臭い匂いがするけど、あれをなんとかして消すと、完全にエビだから、お金ないのに贅沢しているようで、非常に助けられた。


「美味しいんだよ、ザリガニ。カルパッチョとかにしたり、あ、あと炊き込みご飯もしたなぁ。俺たちのソウルフードなんだよ。拳くん持ってきてくれるみたいだし、よかったら二人も――」


「「絶対嫌ッ!」」


 こっぴどく、同時に断られてしまった。

 なんでよ? 美味しいんだよ。俺も最初はちょっと抵抗あったけど、拳くんに教えられてからハマったくらいだし。国が違えば高級食材なんだよ?

 ……こんな話をしていたら、食べたくなってきてしまった。


 引っ越してから、食べてないもんな。

 こうして考えると、一人暮らしが懐かしい。


 戻りたいとは思うけど、それは今の生活が嫌だからってわけじゃない。


 無いものを欲しがるのが、人間ってもんだしね。

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