第23話『きっかけの話』
玲二さんと親父からもらった勇気を無駄にしないためにも、千堂さんと普通に接して行こう。相手がどうでも、関係ない。
そう決意して、眠りについた翌日の朝。
俺は、どうしてもその日のことが忘れられない。
朝食を摂る為、そしてコミュニケーションを取る為に、鈴本家はみんなで食卓を囲んでいる。
家族といえど、話し合うことをサボらない、というのが玲二さんと美香さんの教育方針であり、特別な事情がない限り、みんなでご飯を食べるのが常。
そんな食卓は、いつも姉妹が中心となって華やかだ。
秋菜が喋り、姉さんがそれに続き、玲二さんと美香さんが微笑んで頷く。俺は秋菜に話を振られたときだけしか口を開かないが、こういう団欒はとても楽しい。
今日も、そうなるはずだったのに。
なぜか、姉妹が口を開かないのである。
『夏樹くん、心当たりは』
と、俺と玲二さんは、秘密のサインを使ってさりげなくやりとりをする。
我が家ではどうしても女性の地位が強いので、男はいろいろと気を使う場面が多く、そういう時にこのサインが非常に役立つ。
役立つんだけど、玲二さん……スパイ映画の見すぎですよ。
『ないです』
『そっかぁ。とっておきのスイーツでも食べちゃった?それとも、秋菜ちゃんお気に入りの服を汚したとか』
『俺が姉妹を怒らせるようなこと、すると思います?』
『……僕かなぁ』
玲二さん、もうちょっと自分に自信持ってくださいよ……。
気弱な表情で腹を擦る玲二さんは、ストレスにとても弱いのである。
新人の頃は「お腹痛い、会社休む」と泣きながら言い、美香さんがなんとか励まして送り出していたのは、夫婦だけの秘密らしい。美香さんは笑いながら俺に教えてくれたけど。
『と、とにかく。こういうのは、触らぬ娘に叩かれない。だよ、夏樹くん。不機嫌の原因がわからないんだったら、触れないに限るよ』
『了解です』
こっそり頷いて、俺は美香さんが作ってくれた味噌汁を啜った。パクチーが入っていて、結構びっくりしたが、案外美味しい。
「夏樹くん、どう?お味噌汁、美味しい?」
と、美香さんが微笑みながら小首を傾げる。
「えぇ、美味しいです。でも、味噌汁にパクチーって、またなんで」
「前にタイカレー作ったときのあまり。傷みそうだったから使っちゃわないとね」
なるほど。冷蔵庫にある傷みそうな食材がメインでレシピ考えてるのか。
ちなみに、このときの会話が、一人暮らし時代にとても役立ったのだが、それはまた別の話。
「……ごちそうさま」
秋菜が箸を置いて、立ち上がろうとする。
ご飯は半分くらい残っていて、明らかに食欲が無さそうだった。
「あら。秋菜ちゃん、もういいの?」
美香さんの言葉に、秋菜は力なく頷いた。
「食欲ない」
「秋菜ちゃん、具合でも悪いの?学校、お休みする?」
「大丈夫」
「そうは見えないけど……ねえ、ほんとに無理しなくてもいいのよ?」
「大丈夫だってば!ほっといてよ!」
苛立った表情の秋菜は、そう怒鳴って、テーブルに腕を叩きつけた。
俺も、そんな秋菜の態度に腹が立ってしまい、ゆっくり箸を置いて、秋菜を睨んだ。
「おい、秋菜。美香さんに当たるなよ。機嫌が悪くなる時は誰にでもあるけど、その原因じゃない人に当たったって、なんにもならないだろ」
「……うるさいッ! お兄ちゃんに――夏樹に言われたくない!」
秋菜の、夏樹呼びに、俺は一瞬頭が真っ白になってしまった。
家族だったから、お兄ちゃんと呼んでくれていたはずで、今までずっとそうだったのに。なんでここに来て、呼び方が夏樹になってしまったのか、さっぱりわからないからだ。
「……俺に言われたくないのは、別にいいさ」
あぁ、元々血が繋がっていたわけじゃない。俺と秋菜は他人だ。でも、だからこそ、ちゃんと兄でいられるよう、気をつけてきたはずなのに。
「でもな、血の繋がった家族だろ。美香さんを悲しませるような事だけは、絶対するな」
「ナツくん。やめてあげて」
なぜか、姉さんが秋菜をかばう。
なんでだよ。俺じゃないはずだ。今悪いのは、秋菜のほうだろ。
「アキちゃんだって、わかってるの。でも、誰にだって、自分を嫌なやつに追い込みたくなるほど、機嫌が悪い時ってあるでしょ。私も、今、そうだから」
「だからって、何があったか知らないけど、それをこの場に持ち出すのがおかしいって――」
「夏樹」
まるで水をぶっかけられたみたいに驚いた。姉さんのとても冷たい、しかし、奥にたぎるような感情が込められた、呼び捨てられた名前。
「ごめんなさい。私達、あなたとこれ以上、家族ではいられないって気持ちなの」
「春華。それは、どういう意味かな?」
なにも言えずにいた俺に変わって、玲二さんが口を開いた。
「そこまで言われることを、夏樹くんがしたのかい? 違うよね。僕達は家族だ。お互いの間に何かトラブルがあるのなら、それはみんなで話し合って解決していくべきだ。ちゃんと話してくれないか?」
思い当たることは、正直なかった。
俺が姉さんと秋菜にそこまで言われるほど、ひどいことをした覚えはない。
「……ほら、みんなやめましょう? 喧嘩しながらご飯食べないで。夏樹ちゃん、ちょっと」
そう言って、なぜか俺だけが呼び出され、美香さんと共に、廊下に出た。
微笑む美香さんは、怒っているという雰囲気ではなく、どちらかと言えば申し訳なさそうだ。
「……どうしたんですか、美香さん」
「ありがとね、夏樹ちゃん。私の為に怒ってくれて」
「いや、別に、そんなんじゃ……」
美香さんは俺の頬に両手を添えて、にっこりと微笑む。
「二人は別に、夏樹ちゃんのことが嫌いになったわけじゃないの」
「じゃあ、あの態度はなんなんですか。別に、嫌うなら嫌ってくれてもいいですけど」
「夏樹ちゃん」
と、さっきの姉さんを思わせるような、美香さんの声に、思わず固まってしまう。
「それ、二度と言っちゃダメよ。私、泣いちゃうからね」
「……すいません」
ふてくされて、ヤケ気味に言った言葉を注意されてしまい、俺は心底から申し訳ない気持ちになった。
「嫌いになったわけじゃない。むしろ、あの二人は夏樹ちゃんが大好きなの。でもね、だからこそ、ああなるってこともある」
何を言われているのかが、さっぱりわからなかった。
好きならどうしてああなる? 家族だと思っているのに、どうしてあんな態度を?
「夏樹ちゃんは、玲二さんに似たのね。ほんと、自分には鈍感なんだから」
「……はぁ」
「私からは何も言えない。でもね、信じてあげて。あの二人を」
そう言われたけれど、俺は、正直どうしようか迷っていた。
俺が姉妹を嫌いになるということはありえない。恩義ある家の娘だし、どんな扱いを受けようと、大事にしていくつもりがある。
けれど、そばにいることを嫌がられたら、話は別だ。
俺は二人から離れた方がいい。
大学に入るまで、一人暮らしの資金を貯めてバイトするつもりだったけれど、これなら高校入学と同時の方がいいだろう。
これが、一人暮らしを早めたきっかけであり、俺と姉妹の長い疎遠のきっかけだ。
もう、二年も昔になる。
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