第22話『勇気の話』
「受験も控えてるっていうのに、なに言ってるんだって思われるかもしれないけど、言わないと、こういうチャンスあんまりないから」
千堂さんはそう言って、なんだかすっきりとした顔をしていた。
言わないと、受験に集中できないとか、そういう思いがいろいろあるのだろう。
「ご、ごめんね鈴本くん。返事は――」
「いや、今言うよ」
走り去ろうとした千堂さんを止めて、俺は高鳴る心臓を押さえて、大きく深呼吸をした。
俺の気持ちはすでに固まっている。だったら、何も気を持たせて長引かせるのは酷だ。
「ごめん。俺は、千堂さんとは付き合えない」
頭を下げ、俺はいろんなことを想像した。
いろいろと恨み言を言われるのだろうか、あるいは泣かれるのだろうか。もし付き合っていたら、千堂さんと俺はどういう二人になるんだろう、とか。
でも、俺はそういうふうに、恋愛ができる心なんて持ってない。
「……やっぱり、織花が好きなの?」
その言葉は予想していなかったが、俺は慌てずに首を振る。
「あいつは友達。多分、一生。あいつと友達以外の関係になるなんて、もったいなくてできないよ」
俺たちはきっと、いつまでも友達だ。
織花もそう思っているはず。友達だから、わかる。
「俺が千堂さんと付き合えないのは、俺がこれから忙しくなるから。高校入ったらバイトして、早く独り立ちしたいんだ。それに、俺は、恋愛ってよくわからないんだ。だから、付き合えない。……ごめん」
そう言って、もう一度頭を下げると、少しの間千堂さんがどうするのかを待った。
俺からこの幕を引くことはできないから、千堂さんが引いてくれるのを、待つしかない。
「そっか。……ありがとう、鈴本くん」
好きになって、よかった。
そう言って、俺の前から、千堂さんが走り去っていった。
俺はその背中が見えなくなるまでそこに立っていて、しばらく立ち尽くしたままでいた。
どうしたらいいのか、よくわからないまま。
■
俺の足が自然に動き出すのを待って、そのまま家に帰った。
嬉しい気持ちはあったけど、それでも俺は千堂さんと付き合えない。俺は友達としては接していける。でも、多分、恋人に選ばれる人間じゃない。
誰かに認めてもらえて、嬉しい。でも、だからって付き合えるわけじゃない。
忘れよう。そして、いつも通りに過ごそう。それが、千堂さんの為にもなる。
深呼吸をして、俺はいつもの自分を思い描いて、家の扉を開いた。
「ただいまー」
玄関の縁に腰を下ろして靴を脱いで、リビングに顔を出す。この時間なら、みんなリビングでテレビを見るなり、姉妹で遊ぶなりしているだろう。
「あ、ナツくん。おかえりなさい」
「おかえりーお兄ちゃん」
テレビの前にあるローテーブルで、姉妹が揃って勉強していた。秋菜は来年三年生だから、今から少しずつでもやっておこうということなのだろう。
いい心がけだ。織花に見習わせたい。
「おかえりなさい、夏樹ちゃん」
と、キッチンから声をかけてくれたのは、姉妹の母であり、俺の義母である、鈴本美香さんだ。長い茶髪を髪留めでまとめた、優しい笑みが特徴的な人。
玲二さんが独断で俺を引き取ると決めたのを、なんの文句も言わずに受け入れ、姉妹と同じ、血の繋がった息子として扱ってくれる。だから俺も、玲二さんと同じく、美香さんのことは実の母親と同じように思っている。
「ただいま帰りました、美香さん」
「もうご飯できるから、座って。今日は焼きそばパスタオムライスよ」
美香さんが何を言っているのかさっぱりわからなかったが、いつもの事だ。
なんか作る料理のセンスおかしいんだよな……。たまに普通の料理も出るし、美味しいんだけどね。
焼きそばとパスタで麺類かぶっちゃってんだけど、果たしてどう調理してんだろう。
ちなみに一度だけ、玲二さんに「……お世話になってて、ほんと、ほんと申し訳ないと思うんですけど、美香さんって、そのー、作る料理、おかしい時ありますよね?」と言ってみた事がある。
しかし、玲二さんは満面の笑みで「可愛いよね」と言ってきたので、恋は盲目ってマジなんだなと納得した。
結婚二〇年くらい経ってもそんなふうに言えるのは、非常に羨ましいと思うが、それはそれとして、晩ごはんは重たかった。
パスタを焼きそば風にしてオムレツで包むって……男子高校生が考えたバカレシピじゃないんだから。美味しかったけども。
そんな晩飯を済ませ、美香さんにごちそうさまを告げると、なぜか、上座に座っていた玲二さんが優しく微笑みながら「夏樹くん。ちょっと、僕の部屋まで来てくれないかな」なんて言ってきた。
さて、なんだろう?
受験勉強の進捗でも聞きたいんだろうか。だとしたら、俺は「順調です」と答えられるが。
玲二さんに引き連れられて、一階の一番奥にある、玲二さんの書斎にやってきた。
いろいろと分厚くて難しそうな蔵書が壁一面にしきつめられて、その片隅に、パソコンと書類が散りばめられたデスクがある。
たまーに、仕事を持って帰ってきては、ここでキーボードをぱちぱち叩いているのを見る。
で、玲二さんはデスクに備え付けられた、やたら高そうな椅子に腰を下ろし、俺は立ったままで、玲二さんと向き合った。
「えと、一体なんの用ですか?」
「あー、うん。それは、なんていうかな。……夏樹くん、なんかあった?」
一瞬、俺は何を言われているのかわからず、ぽかんとした。
だって、俺はずっと、いつもの俺を通していたはずだから、バレるはずなんてないと思ってたのだから。
それを玲二さんがどう解釈したのか、慌てたように
「あ、いや! 何もなかったなら、それでいいんだけどね! ただ、今日の夏樹くん、ちょっとぎこちない感じがしただけだから!」
と、慌てて立ち上がり、俺の頭を撫で始める。
それは姉妹にしか通用しないやつだ。
「い、いや、あったと言えば、あったんですけどね」
「あ、そ、そうなの。いやあ、あはは……」
手を引っ込めて、椅子に座り直す玲二さん。思春期の子供を相手にするのは姉さんで経験しているから、なれたもんかと思いきや、そうでもないらしい。まあ、子供にも一人ひとり、個性があるからね。
「でも、別に……大したことじゃなくって。なんていうか、告白されたんってだけで」
「告白!?」
また立ち上がり、肩をがしっと掴んでくる。
忙しいな、玲二さん。
「う、受けたの? いやあ、だとしたら、僕また娘が増えちゃうなぁ」
俺のことを暗に息子と言うその言葉は嬉しいんだけど、気が早すぎるよ。
「いや、断りました」
「なんでッ。受験シーズンだから? いいんだよ、彼女にうつつを抜かして、高校受からなくても」
「そんなわけないじゃないですか……」
玲二さん、美香さんもだが、なんか変な方向に子供に甘いんだよな……。
おかげで秋菜はちょっとお姫様気質だ。
「まあ、受験ってのもあるんですけど、彼女っていうの、よくわからないし……。今まで恋愛感情なんて抱いてなかったから、それで付き合うのも失礼だと思って……」
「うーん……そっか。夏樹くんは、しっかり考えてるなぁ」
偉い偉い、と、また頭を撫でられた。
なんだか照れくさい。
「いや、でも、俺はその子を傷つけてしまったんじゃないかって……」
「覚悟もないまま付き合ったら、もっと大きな傷をつけてたと思うよ。友達と恋人って、いろいろ違うからね」
玲二さんはそう言うと、なつかしいなぁ。なんてこぼしながら、天井を見つめ始める。
「恋人って、他の人間関係とはずいぶん違うからね……。もっと、もっとって欲張りたくなる。相手にも同じものを求める。だから、長い間一緒にいられる相手って、本当に貴重なんだ」
「そういう、もんですか」
頷いて、玲二さんはなぜか泣き出した。つぅー、っと涙が頬から流れていて、俺はものすごくびっくりした。
「そっかぁ……夏樹くんも、恋愛を意識する年齢になったんだね……。大輔くん、僕らの息子は、順調に成長しているよ……」
玲二さん、ちょっと親父の事を好きすぎである。この時は、まだ玲二さんと親父の出会いを知らなかったので、玲二さんってもしかしてバイで、女性では美香さんが好きで、男だと親父が好きなのかな、なんて疑っていた。
今思うと、とても恥ずかしい勘違いである。いつか玲二さんに謝らなくては。
「夏樹くん。僕はね、大輔くんに教わった言葉で、一つ、とっても好きなものがある。それを、君にあげるよ」
「……親父から?」
玲二さんはそう言うと、表情を引き締めた。
「男に大事なのは、相手からどう思われても、大事にしつづける勇気。これだけなんだって」
それさえあれば、きっといつかその子もわかってくれるよ。
玲二さんは、そう言って、俺の背中を思い切り叩いて、部屋から追い出した。なんだかとっても玲二さんらしくなく、どちらかと言えば俺の親父みたいな行動だったが、それがとても嬉しかった。
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