第18話『父親の話』
『帰ってきてから一週間、まったくこっちに連絡がないんだけど、大丈夫なの?』
風呂から上がると、廊下に置かれた電話が鳴っていたので、耳に当てると、玲二さんの声が飛んできた。こっちが昼なんだから、アメリカは夜か。
仕事終わりに、残してきた子供たちが心配になって、電話してきたってとこか。
「だ、大丈夫って、なんすか?」
『そりゃあ、春華と秋菜との関係だよ。気まずくなってない? 三人の事だから、険悪とまではなってないと、僕は信じてるけど』
「あー……そこら辺は大丈夫っすよ。なんか、いざ帰ってみると、今まで通りっていうか」
半分くらい嘘である。大丈夫だけど、なんだか今まで通りって感じではない。避けていたのが落ち着いたのか、むしろ前より仲良くしようとしてくれている気がする。
『ふうん……。問題無いんなら、いいんだけどさ』
「ええ、そりゃあもう」
『それなら、問題無いっていう報告がほしいなぁ。僕は、三人が家で取っ組み合いの喧嘩でもしてるんじゃないかって心配で心配で』
「姉さんと秋菜がそんなことするわけないじゃないですか……」
『夏樹くんもね』
俺が姉妹に手をあげるとなると、実は両親を殺したのが姉妹だった、くらいの伏線が無いと、ありえないだろう。さすがにそんなわけはないので、ありえないということでもある。
『他に変わったことはない?』
「えぇ。むしろ、明日からはバイトも再開ですから、やっといつもの生活に戻れるって感じですよ」
『あ、やっぱり酒屋でのバイト、続けるんだね』
「そりゃそうっすよ。俺の夢は、酒関係の仕事につくことですし。お金もほしいし」
またいつ一人暮らしに戻ってもいい様に貯金もしたいし、映画も見たいし、バイクに何かあった時の修理費もとっとかないとだ。
『いやぁ、懐かしいなあ。
大輔、っていうのは、俺の実父の名前だ。あと、一応言っておくけど、俺は酒を飲んだことはない。舐めた事くらいはあるけど……。
『日本に帰ったら、雉蔵さんのところに、改めてお礼行かないと。あの時から、夏樹くんがお世話になりっぱなしだし』
あの時っていうのは、中学二年生の頃だ。
親父が酒好きっていうからには、酒を供えたいと思っていたのだが、俺には親父が好きな酒の記憶が無かった。なんでも俺の前では酒を飲まないと決めていたからだと、玲二さんから聞いている。
俺も、親父が持っていたボトルを見たことくらいはあるが、なにせ幼い頃の記憶であり、なんとなくウイスキーなのかな、と推測するのが精一杯だった。
その酒を、偶然入った酒屋、雉蔵酒店の店主、おやっさんが俺の少ないヒントで当ててくれたのだ。
そんなおやっさんの姿に憧れ、俺は雉蔵酒店で働くことになったわけで。
いやほんと、俺の三人目の父親、って感じの人なんだ。おやっさんは。
『大輔くんには、高校時代から酒盛りにつきあわされたなぁ。優等生だった僕の、唯一の悪行だよ』
と、苦笑しながら言っている玲二さん。なんだか酷く懐かしそうで、寂しそうだった。
「……親父とは、小学校時代からの付き合い、なんですよね?」
『うん。詳しく話したこと、なかったっけ?』
「そういえば、ないですね」
元々、玲二さんという父親がいながら、実父の話題を出すのって、なんか失礼な気がして、聞きたかったけど、詳しく聞くのは憚られたんだよな。
『大輔くんはね、僕の親友で、憧れなんだ』
■
鈴本玲二、小学校四年生。
今と大して性格が変わってない、というのは、話を聞いた俺の印象である。
玲二少年は、机の上で出来る事が好きだった。勉強はクラスでトップだが、小学校時代って、そういう子供は「ガリ勉」だの「いい子ちゃんぶってる」だのと言われ、からかいの対象になりやすいのだが、玲二少年もそうなった。
勉強をしていると、濡れた雑巾を頭に投げられたり、無意味な暴力を振るわれたりだったそうだ。
その日も、帰宅中の通学路で、後ろから蹴っ飛ばされて、三人のクラスメイトにランドセルを引っ剥がされたらしい。
「くやしかったら取り返して見ろよ!」
「勉強できるからっていい気になるな!」
「ほらっ、行けよ!」
泣きじゃくっていたら、背後から蹴られ、ランドセルを取った少年の元へ押し出され、カウンター気味に拳を鼻っ柱に叩きつけられ、玲二少年はついに泣き出してしまった。
涙なんて見せたらつけあがらせるだけだと思っていても、情けない自分に涙が止まらない。
そんな時だった。ランドセルを持っていた少年が、真横に吹っ飛んでいったのは。
「……へ?」
何が起こったのか、一瞬わけがわからなかった。
玲二少年の前に立っていたのは、スカジャンを来た、茶髪のぼさぼさ頭。目つきの悪い彼は、クラスメイトであり、後に俺の父親となる少年。
親父が、いじめっ子をドロップキックでふっとばしたらしい。
腕を組み、残った二人を睨んで、叫ぶ。
「何やってんだテメエら! 勉強もしてねえくせにみっともねえ」
「テメエ滝沢ッ! 勉強してねえのは、テメエも一緒だろうが!」
「おうッ! 俺が勉強してねえのは俺の所為だ!」
話した事もなかった親父の、なんとも堂々とした態度と、わけのわからない宣言に、玲二少年は呆気に取られるしかなかった。
しゃがみこんでいた玲二少年に「立てっか?」と優しく問いかけ、手を引いて立たせ、かばうように背後へ押した。
「だから、つまりだ。お前らが言ってんのは、こいつが勉強できっから生意気、ってことか? じゃあ俺も、お前らが俺よりテストでいい点取ってたから、殴ってもいいんだよな?」
言いながら、親父はニヤリと笑って、拳にはーっと息をかけた。
「俺はつええぞ。こないだ、お前らが六年生にグラウンドの場所取られたっつって泣きついてきた時、助けてやったのは誰だっけ?」
いじめっこ達の空気が変わった。一気に戦意が削れたのだろう。息を飲んで、玲二少年のランドセルを嫌がらせとばかりに地面に叩きつけ、走って逃げていった。
親父はそのランドセルを拾い上げ、汚れを払うと、ニカッと笑い、玲二少年に返した。
「あっ、ありがとう……」
「おう。いいってことよ。がははははっ」
「で、でも、なんで助けてくれたの?」
「前々からあいつら気に食わなかったんだけどよお、お前が助けてくれって言わねえから、助けらんなかったんだよ。ヒーローは救いを求められてから出てかねえと、ただのおせっかいなんだぜ」
玲二少年は、首を傾げた。
じゃあ、なぜ今回は助けてくれたんだろう、と。
「今日助けたのは、ちょっと頼みがあってさ……。今度、算数のテストあるだろ? 俺って勉強苦手でさぁ。でも、さすがに親がうるせえんだよ。せめて五〇点を越えたテストが見たいって。次のテストがダメだと、小遣い減っちゃうんだ」
「……それと、僕を助けたの、関係あるかな」
「大アリだな! 勉強教えてくれ! 助けた見返りとして!」
頼む! 手を合わせ、頭を下げる親父に、玲二少年は頷くしかなかった。助けてもらった恩をそれで返せるのなら、安いもの。
こうして、親父と玲二少年の長い長い友情が始まった。
勉強を教えてもらうだけでなく、常に一緒に遊ぶようになった彼らは、小学校、中学校、高校、なんと大学まで一緒になったらしい。
さすがに、職場は別々になったらしいが、それでも、家族ぐるみの付き合いがあったそうだ。
姉さんが生まれた時も、祝いだからと連れて行かれた居酒屋で、こんな話があったらしい。
「子供の名前は、春華に決まったんだ。春って、僕と美香が出会った季節でもあるしさ、何かが始まる季節だろ? 華のある人生が始まるんだ、っていう願いを込めて、そうしたんだ」
姉さんの名前の由来なんて初めて聞いたが、どうやらそうらしい。
それを聞いた親父は、ハイボールをぐいっと流し込み、一言「いい名前だな」と漏らした。
「大輔くんも、奥さん、妊娠してるんだろ?」
「あぁ。……お前の娘さんに、可愛がってもらえるといいんだがな。弟か妹のように扱ってほしいもんだ」
「だったら、名前に夏って入れたらどう? 次の子は夏、もし次に生まれる子がいたら、秋。当然、奥さんに許可取ってからだけど」
「おぉ、そりゃあいいなッ! よし、早苗にはそれで相談してみっかなぁー」
■
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
なんだか楽しそうに話している玲二さんの話に割り込む俺。すげえ初耳の話があったんだけど!?
『なっ、なに、夏樹くん』
「元々、俺は別の家出身なのに、なんかちょうど間に入る夏って名前だなあ、とは思ってましたけど。玲二さんと親父で合わせてたんですか!?」
『そりゃあねえ。合わせてないと、都合よくそうはならないよ』
ま、まあ……考えてみればそうなんだけど……。
というか、この名前のおかげで、血が繋がってるっていうか、本当に家族なんだ、って信じてもらいやすいんだけど……。
『とにかく、大輔くんはなんていうのかな。すごい素直っていうか、行動力と度胸に溢れてて、ほんとにガハハって笑うような人だったんだけど』
それだけ聞くと、俺の頭の中にはほとんどサラリーマン金太郎が出てくるんだけど。いや、多分、ガハハとは笑ってないと思うが。
『僕は、そういう大輔くんが、羨ましかったし、憧れてたんだ。夏樹くんには、ああいう男になってほしいなって、やっぱり思うよ』
俺は、何を言うべきか少し迷った。迷ったけど、結局、最初に思いついた言葉を言った。
「……ありがとうございます」
『ははっ。後は、お嫁さんを連れてきてくれたら、僕が託された事はおしまいかな』
それは……どうだろうなぁ。
結婚、ってのは、高校生だからなのか、考えてすらいないし。つうか、どうも俺が家族っていうものを持てるとは思えない。
『さて、ちょっと長く話すぎたな……。もう切るよ』
「え? 姉さんと秋菜と代わらないんですか?」
『うん。とりあえず、問題がないならね。急ぐ用事もないし、また今度連絡するよ』
「そうですか。それじゃ、また」
『うん。またね』
電話を置いて、俺は、ため息を吐き、リビングへ向かった。
なんだかコーヒーでも飲みたいな、と思ったのだ。親父がどういう人なのか、興味がなかったわけじゃないけれど、詳しく聞いたのは初めてだ。
お湯を沸かす火を見ながら、思う。
……俺って、母さん似なのかな。
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