第10話『昔の話』

 授業が終わり、放課後。

 織花の「最近ボクと遊んでくれないなぁーバイトないのになぁー」とか言いながら俺の胸を人差し指でぐりぐりやってくる名うてのキャバ嬢みたいな仕草を躱して、教室を出た。


 えーと、美術室まで姉さんを迎えに行かないといけないんだったな。


 ……美術室、どこだっけ?

 美術の授業選択してねえんだよなぁ。


 生徒手帳の地図を見ながら「あぁ、ここか」と一階に降りて、校舎の端っこの方へ向かう。


 向かう最中の廊下でも、妙に見られてる気がしてしまうのは、俺の自意識過剰なのかなぁ。


 目立つ姉妹を持ってしまったゆえの苦労だろう。そう思えば、まあいいかと思う。実際目立ってるわけじゃないだろう。どうせ、姉さんと合流すれば、もっと目立つ羽目になるんだ。


 美術室の前にやってきて、ノックし「失礼しまーす」と戸を滑らせる。


 中ではギリシャ人っぽい石膏像をみんなで囲んで、デッサンしているところで、姉さんが一人の女子生徒のスケッチブックを覗き込み、アドバイスをしていた。


「濃淡はもう少しはっきりさせた方がいいわね。影が濃い方が、存在感も増して見えるし」

「は、はいっ。ありがとうございますっ」


 ……なんだかみんな、集中して姉さんの話を聞いているようだ。

 指導を受けていた女子生徒が、うっとりとした感じで姉さんの横顔を見ている。

 俺の記憶では、姉さん別に部長とかじゃなくて、趣味でたまに描いてるだけだったはずなんだけど。いつからこんな講師みたいな感じに?


 約束しているとはいえ、声かけていいのかなぁ……。


 姉さんが気づいてくれるまで、ここで邪魔しないように見ているべきだろうか?


 そんな風に悩んでいたら、姉さんがこっちに気づいて「あら」なんて微笑み、歩み寄ってきた。


「来てくれたのね、ナツくん」

「迎えに来てくれ、っていうからね」


 えらいえらい、と、俺の頭を撫でる姉さん。

 いや、あの、みんな見てるし恥ずかしいんだけど……。なんかざわっとしたし……。


「え、あの……。春華先輩、その人は……?」


 さっき絵を見てもらっていた女子が、姉さんの隣に立ち、俺と姉さんの顔を交互に見比べる。釣り合わないなあ、とでも思っているのだろう。その手の視線は何度も見てきたから、今となっては手に取るようにわかる。


「今日はナツくんと用事があるから、これで抜けるわね。さっき言ったことを意識して、頑張って」


 姉さんがそう言って、女子に微笑む。

 だが、どうにも周囲の部員達から落胆の雰囲気をビシビシ感じる。……姉さん目当てで入部してきた人、多そうだな……。


 大丈夫なのか、ここの美術部。と心配していたら、そんなことなど露知らずな姉さんが手を引いて「行くわよ、ナツくん」と美術部から出ることに。


「さって、付き合わせてごめんなさいね。実は、ちょっと画材を買いに行きたくて」

「画材?」


 廊下を歩きながら、俺は、なんとか姉さんから手を振り払えないかと小さく抵抗しながら、話を聞く。

 手を離してくれ姉さん。廊下で手を繋ぎながら歩くなんて、普通のカップルでもなかなかしないと思うんだけど。


「そう。結構重いから、手伝ってほしくて」

「ふぅん。手伝うなんてケチくさいこと言わないよ、全部持つって」


 画材が酒瓶より重いって事ぁないだろう。

 多分、大丈夫。


「だから、手を離してください」

「あら、久々に姉弟っぽいことしたかったのに」

「人目のないとこで頼むよ……」


 残念、と呟き、姉さんはやっと手を離してくれた。なんだか最近、スキンシップが過剰で困る。


 離れた手に残る姉さんの体温を誤魔化すべく、手をズボンのポケットにつっこんだ。


「姉さんって、部長とかだっけ? 美術部の」

「いえ? 平部員よ」


 そんな括りあんの?

 生涯帰宅部なので、わからないから、ツッコミはできないよ。


「にしては、なんかすげえ部長っぽい感じで指導とかしてたけど」

「部長がやる気の無い人だし、教えてほしいって人多かったから、自然とね。私は趣味だから、あんまり参考にならないって言ってるんだけど」

「頼りにされてるんだね」


 自慢の姉、という感じでちょっと誇らしい。

 幼い頃から絵を描くのが好きだったからなぁ。それがこうして、部活といえど、周囲の人に認められているというのは、いいことだ。


「頼りにされるのはいいけど、もう少し自分の時間がほしいわ。描く量も減っちゃったし」

「そうなんだ」


 頼りにされる、というのも大変だなぁ。


「今日だって、ナツくんと出かけるって言ったら、部員達に止められて、何度も「部活に出れませんか」って言われちゃって」


 だから美術室で待ち合わせになったのか。

 ……ん? ちょ、ちょっと待って?


「あ、あのさ、姉さん。それ、そのまま言ったの? ナツくんと出かけるって、一言一句違わず?」


 姉さんは、俺がおかしな事を言ったみたいに怪訝そうな顔をして、そうだけど、と頷く。


「うーわー……」


 俺は、思わず目を覆った。

 さっき俺の事を弟と紹介してないよな? 血ぃ繋がってないんだよ、俺達。あんな感じで出てったら、彼氏と誤解されるんじゃないの?


「どうしたの、ナツくん」

「姉さん、後で俺のこと、美術部員達に弟だって説明しといてよ」

「あら、どうして? 別にいいじゃない」

「よくないよぉー……。弟だって後で知れても面倒くさそうなのに、いま彼氏って勘違いされるのもすげえ面倒だよ」

「いいじゃない。それに、ナツくんが彼氏だって勘違いされてた方が、私は楽できるの」


 うーん。姉さんのメリットがある、っていうんならそれでいいけど……。

 男避け、みたいなのは姉さんにあんまりしてほしくねえなぁ。いい人がいたら付き合えばいいのに、と思うんだけどね。


 あんなに可愛いお二人に恋人がいないのは逆に心配だよ、俺ぁ。


 ……言ってて自分で悲しいけどね。恋人どころか、初恋もまだだよ。


 姉さん、好きな人くらい居ねえのかな?

 聞いてみたいが、そういう話題は振られすぎてうんざりだと、秋菜も言ってたので、やめておこう。


「ナツくんは?」

「……ん? え、何が?」


 考え事をしていたが、話を聞いていなかったわけではないと思う。でも、一体なんの話をしているのかさっぱりわからない。


「恋人とか、どうなの? いい年なんだもの、好きな子くらい、いたりするの?」


 ジッと、目を細めて、なんだか睨んでいるとも取れるような真剣な表情をする姉さん。

 ……いい年、っていうのはやめてくださいよ。


「いないっスねえ。恋愛する機会に恵まれなかったもんで。誰かいい子いないかな?」

「ふぅん」


 と、何故か興味なさそうに、唇を尖らせる姉さん。

 ……そっちが訊いてきたんじゃん。


「でも、一度いい時あったじゃない」

「いい時?」


 ……あぁ、そういえば、あったなぁ。

 しみじみと思い出す。今の所、あれが俺にとって、唯一のモテ期だ。


 中学の卒業間際、クラスメイトの女子に告白された事が一度だけある。


 まぁ、その時は高校に入学したら一人暮らしとバイトをする事に決めていたから、女の子と遊んでいる時間ないなぁ、ということで、断った。


「あれ? でも、俺、それを姉さんに話したっけ?」


 告白された事を誰かに言いふらすような趣味もないので、基本的に誰にも話していないんだけどな。


「パパに相談してたでしょ、どうしたらいいんだろう、って。あれ、聞いちゃったの」


 あぁ、そうだ。

 玲二さんに相談したな、夜に玲二さんの部屋で。まぁ、ドアの前を通りがかったら、聞こえてもおかしかないだろう。防音設備とかないしね。


「ごめんね」


 聞いてしまった事を謝ってくれたのだろうが、別にそんな事は気にしていない。もう二年近く前になるしね。


「いいって、別に。それに、俺の彼女とかは、姉さんと秋菜が作ってからだよ」


 なんだか親父臭い事を言っているなぁ、俺。

 でも、とりあえず俺はそういう目標で生きているのだから仕方ない。姉さん達が目を離せるようになってから、だ。言い方としてはちょっとおかしい気がするが。


「私も、ナツくんがそんなんじゃ、彼氏作れないわね」


 上品に小さく笑う姉さんを見て、俺はがっくりと肩を落とした。玲二さんと二人で、姉妹の彼氏に「お前なんかにやれるかぁ!」とキレるのが夢みたいな所があるのになぁ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る