第7話『妹心の話』
織花といつものようにバカな話と映画の話をして、授業が始まればしっかりと聞いてノートを取る。
よその子である俺にしっかりと学校教育を受けさせてくれている鈴本家のためにも、授業はちゃんと聞かねばならない。
なので、俺は授業中、自分から誰かに喋ったりはしない。
織花も、そんな俺の事を理解しているのか、喋りかけてはこない。俺の前の席で、爆睡している。
……いつも試験前になると、俺に土下座の勢いでノート借りているのだから、そろそろ学習して真面目に授業受けりゃいいのに。
親友が留年するのは俺も絶対に避けたいので、おとなしくノートを見せたり勉強を教えたりはしてるが。自頭は悪くないんだし、日頃からやってりゃ、苦労はしないと思うんだけどなぁ。
俺の心配など知らない親友は、小さな背中を小さく息で上下させながら、幸せそうに眠っている。
その背中を見ながら授業を終えると、先生の号令で放課後になり、織花も起きた。
「あぁー、よく寝た」
あくびをして、背筋を伸ばし、織花は振り返って「おはよう」と、小さく手を挙げてきた。
「お前、授業中に寝て、また試験で困っても知らねえぞ」
「ボクは知ってるよ。夏樹はそんなこと言いながら、ボクが困った時にかならず助けてくれることを」
言いながら、織花はうっとりとした表情で、神に祈りを捧げるように指を組んだ。
「俺をあんまりアテにすんなよな」
「いいじゃないか。困った時は助け合う。これ、友達の条件」
織花に助けてもらったことを思い出そうとするが、ちょっと咄嗟に思いつかない。
いや、ないわけではない。織花の勧める映画にはハズレが少ないし、一緒にいると面白いし。
「……お前、俺が困ってるとこ、助けてくれたことあったっけ?」
「いやいや、助けた事はないけど、助ける気は抜群だよ。そもそも、夏樹が困るっていうタイミングが少ないんだよ」
「んな事ないだろ。普通に困ること、結構あるぞ」
「まっさかー」
ケタケタ笑う織花。別に困ったとこを助けてほしくて友達をやってるわけじゃないから、いいんだけど。
「お兄ちゃーんッ!!」
いきなり、教室の扉がズバンッと大きな音を立てて開き、秋菜が大股で入ってきた。
……あれは、あの様子は、怒ってますね。
黒板の上にかかっていた時計を見て、いまさら、迎えに来てほしかったこと、そして、ちんたらしすぎたことを察した。
俺はその様子を見ながら、織花にしか聞こえない声で。
「助けてください」
と、織花にお願いしてみた。
「ノートよろしく」
「俺、お前のそういうとこ大好き」
「ボクもさ」
二人でこっそり、拳をぶつけて、俺達の前に立った秋菜を出迎える。
「お兄ちゃん! こういう時、普通、男の人から迎えに来るのがエチケットじゃないかな!」
横で笑いを堪える織花を尻目に、ぷんすこ怒っている秋菜。俺は「ごめん」と、手を合わせて謝る。
そうなの? という疑問は完全に無視だ。怒っている相手に謝罪以外で口を挟んでも、いいことはまったくない。
これは、女性が多い家で育ってきた男子にはハナから備わっている処世術だと思う。
「いや、ちょっと用事があって」
「用事! 用事ときたよこの人!」
なにその言い回し。
「この人と喋ってただけに見えたけど!」
あんまり俺の教室内での立場を知らずに怒鳴らないで……。
俺は地味で目立たないやつで、あんまり友達はいない。みたいなポジションにいるんだから、学校で目立ってる秋菜にそんな感じで詰められると、俺の評判ちょっと変わっちゃうから。
ほらぁ、クラスメートめっちゃ見てるし。
松永とかすげえガン見してんじゃん。兄妹の会話をあんまり見るな見るな。
「まあまあ、秋菜ちゃん。そう夏樹を責めないで」
織花が、頬杖をついたまま、ダルそうに俺達の間に割って入ってきた。
「……誰ですか?」
不機嫌そうに、織花を見る秋菜。
あれ? 見たことなかったっけ。一人暮らしする前とか、よく鈴本家に連れてったんだけどな。
あぁ、結構前だから、忘れてんのかな。
「ボクは桐谷織花。夏樹の親友。昔、何回か鈴本家にお邪魔したんだけど、覚えてないか?」
「覚えてない」
ニコニコと友好的な態度を示す織花とは対象的に、腕を組んで、全身から不機嫌を表す秋菜。
秋菜は姉さんと違って、機嫌を損ねるとしばらく引きずるからな……。
「なら、今日は顔と名前だけでも覚えて返ってー」
なぜか関西弁のような訛りで、扇風機に括られて揺られる紐みたいに、手で波を作る織花。そのアクションだけで飄々としたキャラを作るな。
「ごめんね、夏樹を引き止めてたのはボクなんだよ」
織花は小さく頭を下げて、自分のカバンから何かのチラシを取り出し「これについて、ちょっと相談があってね」と、秋菜に渡した。
「なによ、これ――ひぃッ!?」
チラシを見た秋菜が、それを勢いよく上に放り投げた。ひらひらと舞い降りてくるチラシをキャッチして見ると、血まみれになったピエロが悔しそうな顔で、大きな包丁に映った自分の顔を見ていて、その背後には、なかなかリアルな女性の死体が転がっていた。
あぁ、これ、土曜日に見に行こうと思ってた『ブラッドベリサーカス』の告知チラシじゃん。
「織花、お前、何見に行ったついでにもらってきたんだよ?」
「なんだっけな? えーと『春風に溶ける君』だったと思う」
あぁ、少女漫画の実写だっけ?
発行部数何万部! 泣いたと答えた女性多数! みたいな、いつもと同じような告知をしているCM。
俺が映画のCMで見たいのは、役者とか原作の発行部数とか泣いたとかって感想より、ネタバレしないけど内容が伝わってくる、って感じの、ダイジェストPVなんだけどな。
「あれどうだった?」
「んー、ボクはいまいちかな。途中、幼馴染とイケメンの間をふらふらしてる主人公の葛藤で寝そうになった」
「おいおい、そこがいいんじゃんか」
「どっちに行くかわかりきってるだろ。より多く画面に映ってたほうだよ」
「主人公にじれったい気持ちを抱くのが、恋愛モノの楽しみ方だろー」
「ガタイの割に乙女な趣味してんじゃないよ。映画はカタルシスが一番の魅力だろ」
「だから、そこで主人公が自分の気持ちの通り選択をするっていうのが、ああいう映画の面白いところで――」
「んんッ!!」
今世紀一番でかいんじゃねえかって咳払いで、俺と織花の話に割って入る秋菜。
やばい、すっかりご立腹だ。当たり前だが。
「で? そのグロいポスターが、どうしたんですか?」
「いや、今度、これを見ようかと思っててね。ほら、夏樹は映画好きだろ? これの監督の前作とか、評判聞こうと思って」
「おぉ、その監督、すげえ好きだぜ、俺」
「お兄ちゃん」
はい、ごめんなさい。もう口挟まないから。
だって織花と映画の話するの楽しいんだもん……。
「で、まあ、夏樹もこうだろ? ちょっと話に花が咲いただけだよ。悪かったね、引き止めて」
「いえ、別に、いいですけど……」
織花の微笑みに、不服そうだが、一応許しを出してくれた秋菜。織花と話してると、なんだか怒れなくなるというのは、親友をやってるとよくある話だ。
「じゃ、悪いな織花。その話はまた今度ってことで」
ようやっと椅子から立ち上がり、織花に手を振ると、やつも振り返してくれた。
秋菜に手を引っ張られ、教室から出た。
「ったく! 信じらんない信じらんない! 妹忘れてグロ映画の話で盛り上がってるわ、目の前にいても続けるわ!」
「あぁー、悪かった、悪かったよ」
ブラッドベリサーカスは、おそらくただのグロ映画ではない。
あの監督は表現こそグロいのを好んでいるが、その主人公をじわじわと追い詰めていくようなねちっこいほどしつこい、陰湿とも言われる心理描写が、非常に魅力的な監督なのだ。
気づいたらどえらい人格の主人公に感情移入してた、なんてこともけっこうある。
だから、グロ映画ではないはずだ。
そう言いたかったが、これはさすがに秋菜の怒りが増すだけだろうので、やめた。
「そこまで怒らないでくれ。織花と話盛り上がったのは、悪かったけども」
「久々に二人で出かけるってのに。ちょっとくらい、晩御飯の買い物する前に、寄り道とかしようと思ってたのに。ちょっと時間なくなったじゃない」
「んな大げさな。五分とかだろ。というか、そもそも同じ家じゃん」
「あーっ、もう! お兄ちゃんって、彼女とかできたことないの!?」
すいません、まだ学校の廊下なんですけど。
妹に彼女の有無とか聞かれたくないんですけど。
秋菜が妹じゃなくて、他人の男だったら、はっ倒してるからな。
「そりゃ、その……ないですけど……。初恋もまだなんで……」
ものすごい小さい声で答える。
恋愛してる時間なんかないもん……。
好きな人も居ないし。恋人作るくらいなら、織花と話してる方が面白いし……。バイトあるし。勉強もしなきゃ。
「えっ、初恋ないの……」
なんか引いてる秋菜。
手も離してるし、口が小さく「うわー……」って言ってる。
「女心というやつを研究せずに済んできた、弱者というわけね」
なにその言い回し。
いや、女心なんかそりゃ知らんけど。女子との関わりって、マジであんまないし。一番関わりが深いの、織花だし。
「秋菜の事は、結構研究してるつもりだけどな」
「けっ、研究……!?」
今まで歩きながら話していたのに、秋菜が止まってしまった。ちょっと顔赤い。
「何年お兄ちゃんやってると思ってんだよ。機嫌が直るように、たい焼き買ってやるよ。カスタードクリームのやつ。頭から食べるのが好きだろ? 最後に口直しで、ちょっと残ったクリームの入ってないしっぽの部分食べるのが好き」
「……やるじゃん」
何故か、爆弾でも解除したんかってくらい焦ったように、顎の下を制服の袖で拭う。
いや、汗かいてないじゃん。
秋菜はカスタードクリームたい焼きが大好物。
それくらいならよくわかる。
鈴本姉妹のパーソナルデータくらい、頭の中にほぼ入ってるし。
「でもまあ、料理作れるとは、知らなかったよ。お前も成長したなぁ」
そう言って、秋菜の頭を撫でる。
撫でて、二つの理由でちょっと後悔した。高校生にもなって、兄に頭撫でられて嬉しいわけがないってこと。
最近まで気まずかったのに、いきなり頭撫でるのは急ぎすぎたんじゃないか、ってこと。
「……学校でそんな、子供扱い、やめてよ」
だが、意外と大した抵抗もせず、そうは言っているが退けようとせず、素直に撫でられる秋菜。
昔から好きだったが、今でもまだ好きなんだろうか。頭撫でられるの。
「もうっ! いいから、行くよ!」
ちょっと撫でて手を退けると、秋菜は大股で、ずんずん下駄箱へ向かって歩いていく。
秋菜は不貞腐れた時と照れた時のリアクションが一緒だから、あれは多分照れてるんだろう。
……まだまだ子供だなぁ、秋菜。
なんかホッとした。
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