第6話『友達の話』

 下駄箱で靴を履き替え、それぞれの教室へ向かう為に別れる直前、つまりは下駄箱の前なのだが、そこで秋菜から「お兄ちゃん、放課後の約束、忘れないでよ」と釘を刺され、頷いて別れた。


 周囲からは「お兄ちゃん……?」とか「秋菜ちゃんに兄貴なんていたのか……?」とか「秋菜ちゃんと違って冴えない感じだな」とかいろいろ言われていたが、できれば聞こえない様に言ってくれ。


「けけけけっ。いやぁ、美人な家族を持つと大変じゃないの、夏樹」


 いやらしい笑い方をしながら、背後から俺の肩を叩いたのは、織花だった。どうやらやつも、今登校したばかりらしい。


「別に。昔っから慣れっこッスよ」

「へえ、そうなん? あぁ、でも中学生なら色恋沙汰に目覚める連中もいるから、いろいろ言われてもおかしくないかもな」


 織花と並んで廊下を歩き、そんな他愛の無い話をする。


「んで? 放課後の約束ってなんだよ、お兄ちゃん」


 ずけずけといろいろ、言いたい放題言ってくれるぜ織花ちゃん。

 まあ、別に隠すほどのもんでもないけど。


「今日の夕食当番、秋菜なんだ。だから、その材料の買い出しに付き合うって約束でな」

「……夕食当番? おいおい、夏樹って一人暮らしだろ?」


 あれ?

 ……あっ、そうだ、まだ織花に言ってなかったっけ。


「俺もう鈴本家に戻ったよ。父さんが出張、母さんがそれについてくってんで、姉妹二人だけになっちゃうから男手がほしいっつって呼び戻されたんだよ」

「……おいおい、ってことは、今週の土曜、ボクを鈴本家に呼ぶつもりだったのか?」

「そりゃ、そうなるな」


 なぜか、少し考えるように黙って、すぐににやりと笑った織花。


「いやぁー、そんなことしたら、絶対おもしろいことになっちゃうけど、いいのかぁー?」

「お、面白い? なんだそりゃ」


 まあ、それなりに長い付き合いなので、織花が何かを企んでいるというのはすぐにわかった。俺は織花の肩に手を置いて、ため息を吐く。


「いたずら好きなのはいいけど、姉さんと秋菜は巻き込まないように」


 肩を少し竦め、織花は「大丈夫」と言ってくれた。その後の言葉は、不吉でたまらなかったが。


「賭けてもいいぜ。お前は、絶対ボクに謝ることになる」


 お前がじゃなくて俺が謝るんかい。

 なんだか妙な不安感を煽られてしまった。


「ま、土曜は楽しみにしてるよ。もちろん、夏樹の家に泊まってくから、そのつもりでな」


 そう言って、なぜか織花は「んじゃ、ボクちょっとこっちに用があるんで」と言って、なぜか俺達のクラスを通り過ぎようとする。


「あれ? なんか用事でもあんの?」

「排尿」

「それならもうちょっと言葉濁してくれよ」


 聞かなきゃよかった。

 俺は織花よりも一足先に教室へ入って、自分の席に腰を下ろし、かばんの中身を机に入れていく。


「なぁ、鈴本、ちょっといいか?」

「へ?」


 俺の机の前に立っていたのは、クラスメイトの松永だった。よく知らないけど、クラスの中心的な人物で、よく男子グループ内で笑いを取っているのを見かけたことがある。


 一応何度か話はしたことがあるけど、友達、というわけではない。二人きりになると、楽しさよりも気まずさが勝つ。


「松永が話しかけてくるって、珍しいな。どしたの?」


 ノート貸してくれ、とかだろうか。

 いや、それなら友達に言えばいい。俺にわざわざ言う理由がない。


 松永は、少し照れくさそうに、気まずそうに視線を泳がせながら、口を小さく開いた。


「お、お前ってさ。鈴本姉妹と兄弟だったのか?」


 その話か……。

 別に否定する事じゃない。ちょっと面倒くさいが、素直に頷いた。同じクラスの男子が聞いてくるレベルには、俺の顔を覚えられたらしい。


「そうだけど」

「マジかよぉー……。言えよっ! なんでそういう話言わねえんだよ」

「……わざわざ言うことか?」

「言う事だろ」


 真剣な表情を見せてくる松永。

 付き合いが浅いからだろうけど、俺は彼のこんなに真剣な眼差しを見たことがない。


「その真剣な表情、数学の山中に見せてやってよ」


 授業中に友達と喋り倒しては、山中先生に怒られてるからな、松永。数学が退屈なのはわかるが。


「数学は恋の方程式を教えてくれないから駄目だ」

「俺も教えてやれないよ……」


 俺に何を求めてるんだこいつ。

 初恋もまだなんですけど?


「いや、俺の方程式にはお前も組み込まれてるから」

「勝手に組み込まないで!? っていうか、数学関係の比喩混ぜて話進めなくていいから!」


 もうなんとなく話はわかってきた。

 だが、もし違ったらちょっと恥ずかしいので、一応はっきり言葉にしてもらわないと……。


「それで、一体俺になんの用があるの」

「お、おう。それなんだけど、秋菜ちゃんに俺を紹介してくれ」

「断る」


 俺は、一時間目の教科書を取り出し、さーて予習予習、と洒落込むところだったのだが、松永が「話聞け!」と、教科書を取り上げてきた。


「自分で話しかけりゃいいじゃん……」

「なんでだよ! いいじゃんよ! お前も知ってるだろ? 秋菜ちゃん、というか、鈴本姉妹がこの学校の人気者だってことくらい」


 ええ、そりゃあもう。

 前までは知識だったが、今は実感としてあるよ。鈴本姉妹と話してると、家以外だといつも見られてる感じがする。中学以来、久々の感覚だ。


「当然、狙ってる男子は数多い。お前も男ならわかるだろ? 可愛い子と付き合いたいって気持ち」

「まあ」


 正直、俺は顔とかどうでもいいけど。

 一緒にいて楽しい、無理しない、が理想のタイプなんで。


「だから、恋敵は多い。サッカー部のキャプテン、イケメンだろ? あんなイケメンですら、鈴本姉妹は難攻不落。だが、もしお前が紹介してくれたら、そんな連中よりも一歩リードだろ! 兄の友達、っていうのは、警戒心を削ぐぜ」


 それを兄に話せる君の神経が俺にはわかんないけど……。友達でもないし。この会話が今までの会話量を軽く越えてるからね?


 周囲のクラスメート達も、なんかこっち見てるし。一度受けたら、際限なく紹介しろ、って言ってきそうだ。


「自分で言ってくれ。俺が秋菜の交際相手に口を挟む事はないし、そもそも、秋菜だって好きな人いるかもしれないだろ? 彼氏とかも」

「いや、それは多分ない」

「なんでそんなこと言えんの」


 秋菜とか姉さんくらい可愛ければ、彼氏くらいいると思うけどなぁ。


「まあ、お前に直接言うヤツはいないと思うけど、あんな彼女居たら自慢するだろ? 隠す理由もないしさ」


 そうかもしれない。

 彼女できたら、友達に自慢するなぁ。


「だから、鈴本姉妹には彼氏がいない。これはこの学校に通う男子生徒の常識だぜ?」


 俺の知らない常識だ……。


「珍しいな。松永と夏樹が話してるなんて」


 トイレから戻ってきた織花が、話し込んでいた俺達を見て、訝しげな表情をしていた。


「よお桐谷。お前からも鈴本を説得してくれよ。秋菜ちゃんに俺を紹介してくれ、って」

「秋菜ちゃんに、お前を?」


 織花は、何故か松永くんを値踏みするように、頭の上から足先までジロジロ見たあと、鼻で笑った。


「お前じゃ秋菜ちゃんは無理無理。秋菜ちゃんの好みのタイプは、もっと真面目な感じだから」


 そうなの?

 なんで兄の俺が知らないことを、秋菜とあんまり話したことがないお前が知ってるんだ。


 そうは思うが、しかし、女子同士だから話すこともあるだろう。仲良くなるのに恋バナというカードを切っていてもおかしくない(織花が、というところが個人的にめちゃ面白いが)。


「あ、秋菜ちゃんって、真面目な男が好みなの?」

「そうだよ。誠実で、面倒見がよくて、自分がどれだけ面倒かけても最後には「しょうがないなぁ」って言いながら困ったように笑う男、って言ってた」


 ふむふむ、と、松永は頷いていた。


「そんな男いんのか?」


 自分とその理想の男を重ね合わせ、無理だと悟ったのか、負け惜しみみたいなことを言い出す松永。


「女は無理でも白馬の王子様に見つけてもらいたいもんさ」


 織花はそう言って、ホコリでも払うみたいに手首を振って「わかったら作戦練り直せ。ボクは夏樹と話があるんだから」と松永を追い払おうとする。


 ……なんか、周囲の男子まで納得したようになってるのがやだなぁ。


「わかったよ。とりあえず、今日は諦める。悪かったな、鈴本」


 そう言って、片手を上げて、男子グループへと戻っていく松永。男子達と男磨きの相談でもするんだろうか。


「なんか助かった。ありがとう、織花」


 俺の席の前に腰を下ろし、織花は「どういたしまして」と言いながらメガネをくいっと持ち上げる。


「にしてもさ」俺は声を小さくして、少し織花に顔を寄せる「お前、よく秋菜の好みのタイプなんて知ってたな」


「は? ボクが知るわけないだろ」


 なんか一瞬、こっぴどく裏切られた気がして、大きな声を出しそうになった。その侮蔑的な表情やめて。


「え、じゃあさっきのなに?」

「推測。ボク、秋菜ちゃんとは挨拶くらいしかしないし」

「うそぉ……」


 いや、まあ、あんな男いるわけないか。

 都合のいい男、って感じだもんな。


「お前、よくあんだけ適当な事がポンポン出てきたな」

「推測ではあるけど、適当ではない。裏取ってないだけ」


 それもう勘って言うのと大差ねえんじゃねえの。


「まあ、結構当たってると思うけどな。秋菜ちゃんの好み」

「いてっ!」


 妙に自信満々な顔で、織花は俺の鼻の頭を人差し指で弾いた。

 驚いて、背を反らしてしまう。


 にやにやと笑いながら、肘を机に突く織花の表情にどういう意味があるのか、さっぱりわからない。

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