第4話『納得の話』

 放課後になり、俺はいつもどおり学校の駐輪場に向かって「やっべ」と呟いてしまった。いつもならここからバイクに跨って、鼻歌でもちょいと歌いながらバイト先に向かうのだが。


 そうだった、今日は鈴本姉妹に止められてバイクじゃなかったんだった。

 ……まぁ、そんなに遠い距離じゃないし。

 別に歩いて行けばいい話。ちょっとめんどくさい、ってだけ。


 カバンを担ぎ直し、イヤホンを耳に填めて、お気に入りの音楽を流す。

 ジャカジャカうるさくて、思うままの着飾らない言葉を叫ぶ気持ちのいいロックで、少しスキップしそうになりながらの通勤。こうしていると、俺って幸せだなと思う。


 そんな就職したらこういうのも味わえないのかな、なんて思うような気持ちのいい通勤で向かったのは、学校から歩いて二〇分くらい(バイクで一〇分)の商店街。その一画にある酒屋、雉蔵酒店きじくらしゅてんである。


 二階建ての家屋であり、一階が酒を販売し、試飲(という名の近所の飲んだくれが集まる居酒屋)スペース。二階が店主、雉蔵家の住居スペース。


 俺は酒屋に入ると、レジで新聞を読んでいる中年のおじさんに声をかける。


「おはようございまーす」


 にこやかに軽く頭を下げると、おじさん――雉蔵清きじくらきよし、俺は普段おやっさんと読んでいる――が、新聞を畳んで笑顔を返してくれた。


 白いTシャツに紺色の腰巻き(雉って大きく書いてある)。腹が出ている割に筋肉質な、四角い顔立ちのパワフルおじさんだ。


「おぉ、夏樹。ちょっと遅かったな」


 壁にかかっていた時計と俺の顔を順番に見て、おやっさんは立ち上がる。


「すんません……。ちょっと、そのー……バイクを家に置いてきたんで、歩いて来たんです」

「なんだそりゃ。故障でもしたのか?」

「いやぁ……むしろ直ったっつーか……」


 首を傾げるおやっさんを尻目に、俺は酒店の裏(コンビニの飲み物棚と同じもので、裏が倉庫になっている)へ行き、そこにかけてあるハンガーに制服とワイシャツをかけて、雉蔵酒店と書かれた紺色のエプロンに着替えて、倉庫の壁にかけてあったクリップファイルで品出しの酒を確認し、ダンボールいくつかをかかえて、おやっさんの元に戻る。


 出してきたのはジョニーウォーカーの黒。まあ、つまりウイスキーだ。ウチでは結構出るので、この間も品出ししたのに、もう残り二本になっていた。

 ……ここらへん、飲み屋とか小料理屋とか、多いからなぁ。


「なんだよ、直ったって?」


 おやっさんは、レジで帳簿を書き込んでいるのか、計算機片手にノート上でペンを走らせながら、こっちを見ずに話しかけてきた。


「いえね、俺、この間実家に戻ったじゃないですか」

「あぁ。なんか、居辛い事情があったんだっけか」


 あんま覚えてねえなぁ、と独りごちるおやっさん。なにせ、二年前に一度言ったっきりだし。


「俺、義理の両親に世話になってる、ってのは言いましたっけ?」


 かちゃかちゃと瓶を並べながら、おやっさんと初めて会った時のことを思い出す。


 俺の実の父親は、すごい酒飲みだったらしい。らしい、というのは、親父が飲酒している場面を見ていないからだ。子供の前では飲まない、というのを徹底していたらしく、いざ墓参りに行こうとした時、俺は親父が好きな酒を備えようと思ったのに、知らなかったのだ。


 唯一のヒントは、ほとんど酒が飲めず、銘柄も知らない玲二さんが一度見ただけの酒瓶。


 だが、さすがにそれだけで探せるほど、酒というのは少なくないし、絞り出しに付き合ってくれるほど、店の人というのは暇じゃない。


 それを少ないヒントで当てたのがおやっさんであり、そこからちょこっといろいろあって、俺はここで働く事になったのだ。


「あぁ。出会った時くらいに聞いたなぁ」

「高校に上がったら、こうしてバイトできるし、一人暮らしができる。だから、高校に上がってすぐ、家から出たんです」

「そんなに遠慮することもねえと思うがねえ。話聞いてる限り、義理の親父さんはお前に遠慮してほしいとは思えないしよぉ」



 そんな事は、俺にもわかる。

 でも、それとこれとは話が別だ。俺が納得するかどうかがこの話の重要なポイントだ。俺はあの家にいちゃいけないんだと思ったから、飛び出した。


「で、まあ、その家には義理の姉と妹が居て、玲二さんが海外出張の間、二人を守らなきゃいけないってんで、実家に帰ったんです」

「ふぅーん……あれ?」


 今日何度目だ、という感じだが、おやっさんはまた首を傾げていた。なんの話してたんだっけ、という感じだろうか。


「あぁ、そうだ。それとバイク置いてくるの、なんの関係があるんだ? 学校から直行で来てるんなら、なんの関係もないじゃねえか」

「いや、その、姉と妹が一緒に登校したいから、バイク置いてけってうるさくて……」

「はぁ、なるほど。久しぶりに会った家族と登校したいだなんて、微笑ましい話じゃねえの」


 うーん……。まあ、それはいいことなんだけど。

 ちょっと前まで学校で会っても無視だった二人が、こうまで態度変わるのって、ちょっと不気味で。


 家族として仲良くしてくれようとしてるってんなら、それはそれでいいんだけど。一つ、俺の頭にはこれじゃないか、という可能性があるけど、俺はそれを認めるわけにはいかない。


 そんな風に考え込んでいたら、おやっさんがにやにやとこっちを見ているのに気づいた。


「なんすか、にやにやと」

「いやあ、悩んでる若者を見るの好きなんだよぉ」

「それだけ聞くと最低っすよおやっさん」

「まあまあ。家族ってのはいいもんだぜぇ」


 五〇年以上生きているおやっさんの意見である。そりゃ、いい女房がいて、支えてもらってりゃそんな意見にもなるだろう。


 俺にも、家族っていいもんなんだろうな、というのはわかるが。


「よし、夏樹。今日、お前早く帰れ。日給はいつも通りでいいぞ」

「は? いや、あの、おやっさん?」

「今日は珍しく配達もねえし、品出しも少ない。もともと仕事が少ねえしな。おぉ、おみやげでも持って帰ってやれよ。いいもんがあるから、持たせてやる」

「そんな、気ぃ使ってもらわなくても大丈夫っすよ」


 おやっさんは、レジカウンターに置かれていた煙草を手にとって、唇の間に挟み、お気に入りの酒瓶みたいな卓上ライターで火をつけて、まるで温泉でも入ったみたいに、たっぷりと息を吐いた。


「お前は甘え下手だなぁ。年上が奢るって言ったら、素直に奢られるのが男のマナーだぜ」

「……わかりました。すんません」

「ありがとうって言ってほしいなぁー。俺ぁ怒ってるわけじゃねえんだからよっ」


 苦笑しながら、頭を下げる。

 俺はどうにも、大人の男性というのが苦手だった。特に、こういう頼りがいがあって、いい人は。嫌いじゃないし、好きじゃないわけではない。むしろ、好感を持っているし、おやっさんは尊敬している人。


 それでも、俺は、おやっさんが苦手だった。


 好きだし、尊敬しているけど、主導権が握れないから。




  ■



 そして、夜の九時になって、俺はおやっさんから雉蔵酒店を追い出されてしまった。


 ――お土産に持たされたのは、苺だった。

 ま、春だし、旬のフルーツ。なんでも、近くのバーで季節のフルーツを使ったカクテルを作っているらしく、そのあまりをもらってきたので、俺にもおすそ分け、との事。


 鈴本姉妹は苺好きだったはずだし、歩み寄る時にはちょうどいいおみやげかもしれない。


 暗くなった帰り道。手に持った苺を見て、俺は思わずため息を漏らしてしまう。


 俺は、一人で生きたい。


 いや、一人で生きられるようになりたい。


 ……自慢じゃないが、俺は映画をたくさん見ている。お気に入りの映画はBDを買って何度も見ているし、劇場にだって足を運ぶ。これは、俺の実のお母さんが映画好きだったから、という影響だが。


 どうして、映画の登場人物達は、孤独から始まる彼らは、人との繋がりや温もりを求めて物語を走るのだろう。


 彼らは俺なんかよりずっと優れた力を持っていて、それでも、誰かと繋がらないと何も満たせないとばかりに、目の前にたったヒロイン、あるいはヒーローに手を伸ばす。


 そして協力して困難に立ち向かい、手を取り合って、ハッピーエンド。


 絶対に、一人じゃそのエンディングは迎えられないのだろうか。


 創作の都合というのはわかっている。物語は、前に進まなくては行けない物だ。前に進み、マイナスをプラスにする物だ。それが物語。


 何かを得る事こそが、物語の基本である。


 でも俺は違う。


 失うのでもない、得るのでもない。

 ただ、一人で生きていく自立が欲しい。


 プラスでもマイナスでもない。ゼロになりたいのだ。


 そんなことを考えて、鼻で笑ってしまった。


 ここのところ、いろいろ状況が変わったから、頭のギアが変なとこに入ってしまったのかもしれない。


 俺は一人で生きていける力がほしい。

 でも、それは決して、一人になりたいという意味ではない。


 言い訳するみたいに思考を打ち切り、鈴本家の玄関前に立つ。


 ここは俺の家だ。そう言っていいという許可をもらっている。

 だから家族だ。ここに住んでいる人たちは、家族。

 家族は仲がよくなくちゃいけない。

 だから俺は、鍵を開けて、できるだけ元気を出して言うんだ。


「ただいま」


 こうして、一日でも早く、俺が納得できる日を待っている。

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