第3話『夏樹の話』

 俺が小学校に入学したての頃、両親が死んだ。

 確かその時、父さんと母さんはデートに出かけたのだ。さすがに、まだ六歳かそこらの俺を一人きりにするのは心配だったらしく、俺は鈴本家に預けられた。


 その日は、姉さん(その時は春華ちゃんと呼んでいた)と秋菜の三人で遊んでいて、そろそろ二人が帰ってくるという時間に、電話が鳴った。


 玲二さんがその電話を取り、いきなり大声を上げたと思えば俺だけを車に乗せて、病院へと走らせた。


 そこからの事は、ぼんやりとしか覚えてない。

 覚えているのは、顔に白い布を乗せて、ベッドに寝かせられている二人。


 それが、俺の覚えている、両親の最後。

 泣くこともできず、ただ二人をジッと眺めていたら、玲二さんが俺を抱きしめて「大丈夫、大丈夫だよ」と、ずっと励まし「これからは僕がキミの面倒を見るから」そう言ってくれた。


 父さんと親友だったらしい玲二さんが、俺の代わりに葬儀だったり俺にはよくわからない手続きだったりをすべてやってくれて、俺は正式に鈴本家の一員となり、名前も鈴本夏樹になった。


 家族という物を理解しないまま失って、理解しないまま新しい家族を得てしまったのだ。


 鈴本家にいると、どこか所在なく感じてしまうのも、きっとその辺りが原因なのだと思う。


 わかっていても、なんともできないから悩みなのだが。




  ■



 俺は昔から、遅刻や寝坊という物をしたことがなかった。

 実の家族と生活していた頃はよく覚えていないが、少なくとも、鈴本家で生活するようになってから遅刻や寝坊をしたことはない。


 一番遅く起きるというのはなんだか失礼な気がして、早起きを心がけていたらそれがクセになってしまい、未だにみんなの起床時間よりも早く起きるという事を心がけていた。


 そんなことを気にする人たちではないのはわかっているが、もし俺がなにかやらかして嫌われた時「居候のクセに一番遅く起きてくるとかありえない」的な事を言われたら、絶対心を支える柱が何本か折れるので、一応早起きしている……というのは、まあ、言い訳というかなんというか。


 結局、俺が気ぃ回しすぎてるだけなんだろうけど。


 そんなわけで、俺は早起きして紺色のブレザーに袖を通して、顔を洗い、左目にある泣きぼくろを絆創膏で隠した。


 俺は常にこの泣き黒子を絆創膏で隠している。なんでか?

 昔見ていた特撮番組に仮面騎士というものがあって、それの敵幹部に「ブラッディローズ」というすげえ卑怯な敵がいて、俺と同じ位置に泣き黒子があったのことから、あだ名がブラッディローズになってしまったのだ。


 その時以来、こうして目元に絆創膏を貼っている。


 ちなみに、一番からかってきたのは実の父親である。どうも、記憶にある限りだと、すげえ子供っぽい人だったみたいだ。


 そんな記憶の中の父親を鼻で笑い、ダイニングへ行くと、そこにはすでに姉さんがいた。ダイニングのテーブルに、サンドイッチとコーヒーを三人分並べていた


「……姉さん?」


 なんだかこの家に来てから、驚きが多すぎる。俺の記憶が確かなら、姉さんが俺より先に起きて、しかも料理を作っているなんて事は一度もなかったはずだ。俺が極端に早起き、というのもあるが、そもそも前は母さんがいたから、朝食は起きてくればできていたし。


 三人暮らしの今となっては、俺が毎朝作る、くらいの気でいたのだが、初日からそれが崩れてしまった。


「あら、おはようナツくん」


 相変わらず早いのね、なんて、上品にくすくすと笑っている姉さん。

 いやいやいや、俺だって一般的な高校生にしてみりゃ早い方なのよ? いつから起きてたのよ。


「お、おはよう。朝飯作ってくれたんだ……?」

「ええ。どうせ、ナツくんのことだからサッと毎朝起きてこっそり作っておくつもりだったんでしょう?」


 まったくその通りだった。

 さすがに、長年一つ屋根の下で暮らしていただけあって、俺のことをわかってらっしゃる。


「そういう、自分一人で全部やろう、みたいなの、ダメよ。ナツくんはタダでさえ甘え下手なんだから」

「はは……。気をつけるよ」


 甘え下手というのは、まあ、わからないでもないな。人に頼るのがどうにも苦手で。


「おあよー……」


 大きなあくびをして、ダイニングに入ってくる秋菜。寝癖にピンクのキャミソールとピンクのショートパンツという、明らかな寝起きスタイルだった。昔から朝は苦手だったが、まだ克服はできてないらしい。


「ナツくんも、あれくらいだらしない方が、男子高校生っぽいわよ」

「だらしない!?」


 その言われようは、さすがに目が覚めるほど不本意だったらしく、秋菜は目を見開いて姉さんを見つめていた。


「あたしのどこがだらしないって――」


 なにか反論しようとしたらしい秋菜だったが、姉さんがすばやく自らの頭と服を指さしたことで、自分がいまどういう状態だったのかを思い出したらしい。


 慌ててダイニングから出ていく秋菜。

 寝癖直したり着替えにいったりしたんだろう。


 確かに、あれの方が若者っぽいな、なんて思い、俺はこっそり笑った。


「やっとリラックスしたみたいね、ハルくん」

「えっ」


 俺が笑ったのを見られたらしく、姉さんが微笑んで俺の口元を見ていた。


「……別に、緊張してたってわけじゃないっスよ」


 口元を隠し、姉さんから目を反らす。話を逸らそうとして、テーブルに座り、サンドイッチを一枚齧る。


 中身ツナマヨかー、美味い。


「私は緊張したわよ、ナツくん」


 なんで姉さん俺の隣に座ってんのよ。

 いつも姉妹並んで座ってたでしょうが。玲二さん上座で俺と美香さんが隣っていう席じゃん。


「き、きき、緊張? えっ、なにが? 今この場で緊張すべきことなんて一切なくない?」


 声が上擦った。

 何度も言うが、俺と姉さんに血縁関係はない。近所に住んでいた幼馴染なのだ。そして、俺は普通に姉さんの事を美人さんだと思っているし、そんな人間が一つ屋根の下にいて、家族並の距離感で接してくる事の辛さ。


 俺は姉さんと秋菜と、家族として接していたいのだ。


「ナツくんとは、何年も前からまともに話してないから……。ちゃんと話せるか、不安があって……」


 床から、ギシッという音がする。姉さんが椅子を持って、ちょっとずつこっちに寄ってきた。


「不安も何も、ちょっと気まずくなっても、俺たち家族だから、いつかはちゃんと話せるって思ってたさ」


 想定よりちょい早かったが。


「家族……」


 姉さんは、呟く。

 なんだか様子が変だったので、どうしたのかと訊くつもりだったのだが、背後から「あぁーッ!」と秋菜の声がして、俺は思わず椅子から跳ねた。


「お姉ちゃん! どうしてお姉ちゃんはいつもそうちゃっかりしてるの!?」


 制服に着替え、髪を整えた秋菜がずんずんと大股で俺たちの所にやってきて、俺の腕を掴むと、立たせて自分の後ろに俺を隠すみたいに引っ張った。


「ご、誤解よアキちゃん。これからアキちゃんの事も言おうとしてたのよ」

「言ってどうなるの! っていうか、言わんでいい!」


 餌を取られたチワワみたいに、姉さんを威嚇する秋菜。別に対して怖くはないのだが、姉さんは秋菜に甘いので、オロオロと機嫌を取る方法を頭の中で必死に考えているようだった。


 仕方ない、ここは俺が間を取り持つか。


「なんかよくわかんないッスけど、そろそろご飯食べないと、遅刻になっちゃうし、食べようよ」


 俺がそう言うと、秋菜は「お姉ちゃん! 帰ってからまた相談だからね!」と、席に座った。相談っていうのがよくわからないが、なんだか姉さんがシュンとしている。


 触らぬ神に祟りなし。俺は、上座に腰を下ろして、先程まで食べていた自分の皿を引き寄せて、朝食を再開した。


 なんだか、ドッと疲れてしまった。

 学校行くよりも寝てたいなぁ……。



  ■



 一人暮らしの時、俺はバイクで登校していた。

 朝は一人だからギリギリまで寝ていたかったし、高校までは鈴本家よりも遠いし、なにより、バイクがあるとすぐバイトに飛んでいけるので非常に便利なのだ。


 だから、今日も「俺、バイクで登校しちゃダメ?」と姉さん秋菜に訊いてみたら、やっぱり駄目だった。


 せっかく帰ってきた初登校日くらい、一緒に登校しようというお二人のお達しで、俺は久々に歩いて学校に来た。


 姉さん三年生、俺二年生、秋菜一年生なので、必然下駄箱で別れて教室へ行くのだが、そこまですげえ視線を集めて、俺は朝からいろいろな気疲れですっかり胃もたれしてしまった。


「あー、疲れたー……ッ」


 カバンを机に放って、椅子にドカッと腰を下ろす。

 さすがに教室だと、そんなに俺への視線はない。登校中に俺たちを見てた連中だって自分のクラスがあるし、俺を見るくらいなら鈴本姉妹を追っかけるだろう。


「よぉ、夏樹」


 と、なんだか冷蔵庫に入れておいた砂糖みたいに、甘くて少しざらついたハスキーボイスを投げかけられた。


 眼の前に立ったのは、俺の悪友、桐谷織花きりたにおりかだった。ボサボサの茶髪に、着崩したブレザーと、かかとを踏んでいる上履きからわかるように、だらしないところが目立つ女子だ。真面目っぽく見えるのは眼鏡だけ。


 俺は織花のそういう「私は気ぃ一切使ってないからお前も使わなくていいよ」みたいな態度が気に入っている。楽に付き合えるしね。


「おはよう織花。――なんスか、その人を小馬鹿にしたような顔?」


 なんだかニヤニヤと俺を見てくる織花の顔がちょっとイラッと来た。今ちょっと疲れたり悩んだりを朝から繰り返したせいでメンタルがぐらついてるんだから。


「いやぁ、噂になってるよ、鈴本姉妹の事。あの二人を侍らせて登校してた男は誰なんだ、って」

「……だろうな」


 登校途中からずっと視線を感じてたし。

 姉さん、秋菜は二人してなんだか人気者らしく、鈴本姉妹と言えばウチの学校で知らない者はいない、らしい。


 ちなみに、その鈴本姉妹に男の兄弟がいる、というのは、俺が隠してないし、二人もおそらくは隠してないはずなので、知っている人は普通に知っている話だ。現に、中学から付き合いのある織花はもちろん知っている。


 ま、鈴本姉妹単体の噂話に比べりゃ、どうしたって知ってる人間は減るから、正体を探る連中が出てきてるんだろう。


 最近まで、俺たちは学校内で会話なんてしてないからな。だって、避けられてたし。



「もし夏樹が鈴本姉妹と血は繋がってない、なんてバレたら、男子達から殺されるんじゃない?」

「シャレんなってねえッス」


 そう、それは織花以外には隠している。

 だって血の繋がらない男女が一つ屋根の下に暮らしている、なんて、あらぬ誤解とか下世話な想像を招きそうで、いちいち言うメリットがないからね。


 二人に好きな人ができた時とか、どう考えても彼氏が俺の存在を知っていい顔をするとは思えないし。


「にしても、鈴本姉妹と夏樹って、あんな仲良かったっけ?」


 織花は、俺の隣の席に腰を下ろし、足を組んで腕も組む。


「や……、まあ、お前と知り合ってからずっと、ちょい気まずい感じだったけど、元々はあんな感じ」


 織花と知り合ったのは俺が姉さん秋菜と気まずくなった直後くらいなので、織花でさえ、俺と姉妹が仲良く話しているシーンを見たことがないのだ。


 そう考えると、どんだけ長い間疎遠だったんだよ、って気持ちになるな……。普通こんなもんなんだろうか?

 普通の家族ってどんなの? と、訊いてみたいが、織花は「さあ、考えた事もないし」なんて言うのが関の山だろう。


「ふうん。ま、ボクにゃどうでもいい話だけど。今日はバイト?」

「あぁ。昨日休んじまったからさ、多めに働かねえと」

「なんだ。相変わらず律儀だなぁ、夏樹は。見たい映画があるから、付き合ってもらおうと思ったのに」

「何見んだよ?」

「『ブラッドベリサーカス』」

「おっ」


 気になってたやつだ。

 確か……殺人鬼のピエロが愛する人を守っていく事を誓い、殺人をやめて、まっとうに生きていこうとするが、鏡を見る度に自分の顔がメイクもしてないのに、ピエロに見えるという症状が出てきて、殺人をやめられなくなる。自分の性、愛する人への思い、それらが生むジレンマが向かう先はどこなのか。というあらすじの、ホラー映画である。


「面白そうだよなそれ。俺も行きてえ……」

「どこなら開いてる? 合わせてやるよ」

「さすが心で繋がった友だな」


 俺たちは「あっはっはっは」と笑い、さて、と一息ついて、予定のすり合わせを始める。俺と織花は互いに映画好きなのだ。予定が合えばこうして上映中の映画を観に行ったり、レンタルやネット配信などで一緒に家で見たりしている。


 一人暮らしの時は毎週の様に二人で映画を観てたな。そこにおとなりさんが加わって三人になることも、よくあったし。


「そいじゃあ、今週の土曜で決定。その後はまた夏樹の家に泊まって、遊ぼうぜ」

「んー……」


 俺はちらりと、姉妹の顔が浮かんだ。

 けどまあ……友達連れてくだけだし、そもそも、織花とは一応何回も会ってるんだし、いいか。同じ女子なんだから、許してくれるだろう。


「そうだな、久々にはしゃぐか」

「おっしゃ決定! なんの映画持ってこうかなー」


 織花は嬉しそうに、スマホを開いて指先で操作する。部屋で一緒に見る映画を考えているのだろう。

 俺の現状がちょっとずつ変わっていく中、こうして変わらない織花を見るのは、なんだか頼もしくもあり、嬉しかった。

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