7.あの子はなぁに




 紀美子に告げていた帰寮時間は4限の後、しかし自主休講によってその時刻よりも早く部屋に戻ることが出来たのだが、優子はあえてそれはせずギリギリまで図書館に居座っていた。その理由はふたつある。

 ひとつは胸の中でぽわぽわ浮かぶ淡いオレンジ色の光の熱に、もうしばらく浸っていたかったから。そしてもうひとつは、寮に帰れば紀美子の口から聞かされるであろうエリカに関する話は、今の優子が聞いて快いものではないような気がしていたからだった。


 優子の知る紀美子は姐御肌の芸術家肌で、どちらかと言えばサッパリした性格の持ち主だった。ネチネチと誰かの悪口を言うこともなければ、貴族への憧れはあるらしいが、その貴族の隷属民に対する態度については傍観を貫くようなタイプだ。ルームメイトとしても過干渉しない紀美子の性格は程よい距離感を保ってくれるため居心地がよく、友人としても好感が持てた。そして何より優子は紀美子を信頼していた。

 だからこそ、そんな紀美子が顔色を変えてエリカの話題は出すなと言ったことが、優子の中で引っかかっていた。紀美子が理由もなくそんなことを言うとはとても思えず、と言うことは彼女にそれを言わせるほどの余程の何かがあるということなのだろう。


 そしてそのその何かが、優子にとって都合が良くないものであることは明白だった。


 優子は1人青い詩集に印字された安っぽいコピー機の文字を眺めながら、エリカのことを考えていた。

 真っ赤な髪にたくさんのピアス、規則破りで気ままな言動と、本が好きだと言った時の綺麗な目。


 ……あんな女の子、会ったことがない。


 優子はちょんと肩に触れるか触れないか程度の長さしかない自分の毛先を持ち上げた。1度もカラーリング剤をあてたことのない黒い髪。この学園の少女たちはみんな優子と同じような髪の色をしている。

 そんな中で彼女だけが異質だった。異質であることを隠しもせず、媚もせず堂々としていた。


 【拝啓地平線の彼方】、エリカと優子を繋いだ偶然の共通点。優子は花の迷路でエリカと出会った情景を、空から落ちてきた少年と出会った少女に重ねていた。

 物語の中に出てくる海の少女も、優子のような感情を抱いていたのだろうか。だとしたらとても素敵だ。まるで活字の世界に飛び込んでしまったかのようではないか。


 ふふっと笑をこぼすも、すぐに笑はため息に変わる。そろそろ4限が終わる時間だ。銃士の寮に帰らなくてはならない。部屋ではきっと大切な友人が、真実を話すために優子のことを待っていることだろう。

 本を2冊小脇に抱え、優子はやっとの思いで重たい腰を持ち上げた。図書館の3階から1階へ階段を下る足は枷が付けられたかのように重たかった。




「ただいま」

「おかえり優子」

「紀美子も今帰り?」


 優子が部屋に戻るとそこには既に紀美子の姿があった。

「うん。さっきまでアトリエにいたの。ごめん、思いのほか汚れちゃったから話の前にシャワー浴びてきてもいい?」

「もちろん」


 紀美子のツナギはあちらこちらに真新しいペンキの跡がついていて、30分前までの彼女の奮闘を感じさせる。彼女は髪にまで飛んだペンキを眺めながら「いっそのこと切っちゃおうかな」とため息をついてみせる。

「それ以上切ったら男の子みたいにならない?」

 彼女の髪は作業効率を優先させた結果、既に少年のように短かった。


「髪型なんてどうでもいいもの。長くても作業に邪魔なだけだわ。あ、いっそのこと坊主にしちゃえばラクよね」

「……まさかそれ、本気で言ってる?」

「まさか。長い髪が女性らしいなんてステレオタイプを口にするつもりもないけど、坊主にする勇気もアタシにはないわよ」

 ふふっと笑い、紀美子はタオルにシャンプーセットの入ったカゴを持ち部屋を出ていった。紀美子がいなくなった部屋で優子はふぅと息を吐き出す。

 話が先延ばしになったことへのモヤモヤなのか、安堵なのかそれは優子自身にも区別がつかない。


 紀美子が戻ってくるまで20分ほど時間があるだろうと、優子は図書館から借りてきた本を手に取った。

 優子の細い指が4枚目のページをめくった時、銃士の寮に少女の声がひびきわたった。


【在寮してるシニア3年生の生徒とエリカは、1階の多目的ロビーに集まりなさい。繰り返すわ。シニア3年生の生徒とエリカは、1階の多目的ロビーに集まってちょうだい。すぐによ、いいわね? お風呂やトイレに入ってる人もいるかもしれないけど、なるべく早く来なさい。ああ、“ヒト”じゃないものは来なくていいわ。同じ空間にいても臭くてかなわないから】


 館内放送だ。声は銃士の寮の寮長、早苗のもの。

 緊急時に備えて各寮に館内放送は設置されていたが、避難訓練以外でこれが使われているのを見るのは初めてのことだった。戸惑いながらも優子は本の隙間に栞を挟み、部屋を出て1階へと下りていく。

 シニア3年生というのは高等部の最高学年、つまり優子たちの代のことを指す。優子と同い年であるエリカも“シニア3年生”に含まれるはずであるのに、彼女だけがわざわざ名指しで呼ばれていた理由は何なのだろうか。間違いなくその理由は良いものではないのだろう。


 優子が多目的ロビーに入っていくと、中に対になって設置されている大きなソファのうち、奥の方に5人の人影があった。

 銃士の寮に所属する貴族の中でシニア3年生に該当する4人、その中には寮長である早苗の姿もある。

 そして、そんな4人と肩を並べソファの1番左隅に腰掛けていたのは、この学園のトップカーストに君臨する“聖女”である――薔薇子だった。

 薔薇子はゆったりと長い足を組み、ソファの肘置きに持たれながら退屈そうに壁の時計を眺めていた。ただ時計を眺めているだけだというのに、その姿はまるで職人が人生をかけて作り上げた陶器の人形のように美しく、優子はその光景に状況も忘れて魅入ってしまいそうになる。

 他の市民の少女たちがそうしているように優子も貴族4人に聖女1人の前に並んで立った。貴族と聖女の前にずらりと1列に並べられた市民たち。これから何が行われるのか優子には全く分からなかった。

 薔薇子の長い睫毛がパチリと瞬くと、その大きな瞳が一瞬だけ優子の方を向いた。突然のことに優子の心臓が大きく跳ねるが、彼女は並んだ市民の列になど興味も無さそうにまた壁の時計に視線を横してしまう。


「ねぇ、早苗わたしだけ名指しってひどくない?」

 風呂場にいた紀美子が小走りになりながら、ようやく一番最後にロビーに到着した後でひょっこりとエリカが姿を現した。


「気安く呼ばないで」

 早苗がギロりとエリカを睨む。しかしエリカは気にする素振りも見せずに「……アンタらのだいすきなリジチョーが決めたルールじゃない、そんなふうに言っちゃっていいの?」と口を尖らせた。


「理事長“先生”よ」

 すかさず呈する早苗。張り詰める空気に臆することのないエリカは、相変わらず飄々と笑っていた。

 彼女は1列に並んだ市民の前を通り抜けると5人の向かいにあるソファの背もたれに腰掛けた。あくまで背もたれに。

 椅子に座る気はないらしい。


「シニア3年生っていうのなら、まだ何人か足りないんじゃない?」

 並んだ市民の列を見ながらエリカが尋ねると「私がここに呼んだのはヒトだけよ」と、さも当然のように早苗が答えた。するとエリカはわざとらしいため息をついてオーバーリアクションをとりながら「……まぁだソレやってんだ、本当いやになるね。早苗?」

 肩を竦めてみせる。


「だから、貴方が私を名前で呼ぶんじゃないわよ!」

 カッとなった早苗が声を荒らげるが、エリカはそんなこと気にする様子もない。

「どうして? アンタらのだぁいすきなリジチョー……センセーの決めたルールに従うなら、ファミリーネームで呼び捨てるのが決まりでしょ? それに……」


 優子の位置からエリカの表情は伺えない。

 しかし彼女がニヤッと不敵な笑みを浮かべているのだろうと、何故か確信を持って言える気がした。


「カースト制度に従うのなら、わたしはここを出るまでアンタと同じ“貴族”の地位にいた。それでもダメなの? 早苗」

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