4.集会と転校生



 椿丘女学院に所属する生徒たちの中に年功序列と言う言葉は存在しない。しかしそこには年功序列を鼻で笑い飛ばせるほどに絶対的なカースト制度が寝そべっていた。


 優子や紀美子を含めた全体の8割が所属しているのが、4つの身分のうち上から3番目に位置する【市民】の身分。彼女たちは上位2つのカーストに所属する生徒たちへの過度の接触が禁じられていることを除けば、至って普通の学園生活を送ることが出来る“大多数の身分”である。出身は皆、一般家庭。

 市民の生徒たちが、上2つの身分に対し過度な接触をすることが禁止されている理由は至ってシンプルだ。そこには椿丘女学院の表のルールが関係している。この学園において生徒たちは皆家族であり、敬称や敬語の使用は禁じられている。つまり市民も本来ならば、上位カーストの生徒たちに対して敬称も敬語も使わずに接しなければならないというルールが表にはあるのだ。そのため裏のルールでは、不必要な接触そのものを禁じているのである。


 そして市民の上に立つ身分のうち1つは、全体数の1割に満たない【貴族】たちである。彼女たちは箱庭の外でも高い地位を持った少女たちであり、政界や学会、華やかな芸能界等で高い地位を築いた親を持つ、本物のお嬢さまたちだった。市民とは異なる生活圏でこの学園生活を謳歌している。市民の方からの接触さえなければ、彼女たちは自分たちのコミュニティの中で華やかな生活を送っているため別段害のある存在ではなかった。まさに触らぬ貴族に祟りなしである。

 そして、そんな貴族たちの上に立つのが学園内でもほんの数人しか存在しない【聖女】たちである。基本的に扱いは貴族たちと変わらないのだが、プライドが高く蝶よ花よと育てられてきたはずの貴族たちをまるで取り巻きのように侍らせる彼女たちは、学園においても特別な存在だった。


 市民、貴族、そして聖女。この3つのカーストに所属する生徒たちには当たり前の学園生活が保証されている。先日、優子と紀美子が遭遇してしまった図書館での騒動で5人の貴族たちから人以下の扱いを受けていた少女はこの3つのどのカーストにも属していない。

 椿丘女学院において人としての扱いを受けない存在こそ、4つのカーストの最下層に位置する【隷属民】たちであった。

 隷属民は人ではない。彼女たちは貴族と聖女の所有物であり、粗相をしてかせば所有者たちからの【躾】を受けることとなる。食堂で見た例の一件は貴族から隷属民に行われていた躾の一貫だったのだ。他の3つのカーストが生まれや出自に基づいているのとは異なり、隷属民が隷属民になる理由には、生まれ持った身分など関係していない。彼女たちも元々は他の3つのカーストに所属していた。その多くが元市民であるのだが、彼女たちは何かしらの理由で隷属民に落とされていた。あの時食堂にいた隷属民の少女も、半年前までは市民として当たり前の学園生活を送っていたはずだった。

 隷属民に落とされる理由も様々あるが、他の生徒たちから【この椿丘女学院に相応しくない生徒】であると判断されることが条件である。そう判断された少女は貴族に学生証を取り上げられ、そうすることで学園に所属せず、貴族たちの所有物である隷属民へと落ちるのだ。


 4つのカースト、人間以下の扱いを受ける最下層。

 これがこの椿丘女学院の鉄の掟だ。

 生徒の自由を尊重し、年功序列のない中で淑女を育てる学園の絶対的な闇なのである。



 優子は椿丘女学院のカースト制度を忌み嫌っていたがそれを口にすることも、反逆を企てることもなかった。それどころか隷属民である少女たちを蔑む思考が全くないとは言えば嘘になるら、彼女たちを見て「あれよりはマシだ」と心の中で笑うことを止められはしなかった。

 それは優子だけでなく、学園で暮らすほぼ全員の少女たちが感じていることであろう。だから市民たちは差別を忌み嫌いながらも保たれる均衡の中でのうのうと生きている。


 朝食を済ませた優子と紀美子はその足で集会が行われる講堂へと向かった。

 講堂は森の中の1番北側の崖沿いにある、西洋の教会を思わせるような大きな建物だ。真っ白な外壁には汚れなど見えず、今日も朝日の中で特別な存在感を叶っている。椿丘女学院の全校集会はそこらの学校の体育館で行われるものとは訳が違う。真っ白な講堂の中には演劇や演奏会などにも使用できる大きなホールがあり、生徒たちはそこで集会を受けるのである。

 椿丘にはクラスという単位は存在しないため集会だって席の指定はない。だがそれはあくまで表のルールであり、実際には大まかにカーストごとがまとまって座るという暗黙の了解が存在していた。


 優子と紀美子はホールの中央からやや左によった位置に、2つ並んだ空席を見つけて腰を下ろした。集会とは言ってもそう長々と続く訳ではなく、基本的には理事長の演説に十数分ほど耳を傾けていれば終了する。優子は昨晩読んだ小説の内容に思いを馳せながら欠伸を噛み殺した。この学園にはやたらと“理事長信者”がたくさんいるため、優子のような例外的な人間は若干肩身が狭いのだ。

 全校集会は予定時間ぴったりに開始した。日々の暮らしにおける注意事項が教員から語られ、マイクはすぐに理事長の元に移動する。海での穏やかな暮らしと空の軍勢との合間に揺れる空の少年の行動についてじっくり思考の渦に浸る優子の隣では紀美子がキラキラした瞳で壇上に立つ理事長に視線を送っていた。芸術家肌でサバサバした彼女も、実のところ“理事長信者”なのである。優子の場合は理事長だけではなく貴族や聖女たちへの憧れも強いのだろうけれど。


 ……そう言えば。

 理事長の話を右から左へ受け流していた優子はあることを思い出す。昨日自主休講の合間に出会った燃えるような赤毛を持つ不思議な少女のことを。その前に会った理事長から聞かされた10月の転校生のことを。

 優子の予想では彼女はこの全校集会にやって来るのではないだろうか。ホールの客席面を見てもあれほど目立つ赤い髪は確認出来ないが、転校生という特別なポジションにいるのなら舞台袖で理事長から紹介を受けるタイミングを待っているのかもしれない。


「……今日は皆さんに新しい家族を紹介したいと思います」


 きた!


 思わず立ち上がりたくなる衝動を優子はぐっと抑え込む。

 周囲からがざわめき立つ。動揺は貴族たちのいる席からも伝わってくるところを見るに、どうやら彼女たちも転校生の存在は知らなかったらしい。知っているのは昨日、理事長から教えられた優子だけのようだ。


「さあ、こちらにいらして」

 理事長が手招きをすると、舞台袖からあの少女が姿を現した。途端、ホールの何処かで奇妙な悲鳴が上がった。


 真っ赤な腰まである長いストレートヘアを尻尾のように揺らしながら、少女は悠々とステージの真ん中まで歩いていく。優子はスポットライトの下で不敵な笑みを浮かれる少女に釘付けになった。彼女の一挙一動を見逃すまいと、先程まで理事長の話を聞いていた時はずっと上の空だったというのに、身を乗り出す勢いでステージ上の光景に食いついた。


 彼女は、立ち姿からして異端だと分かった。

 相変わらず少女の髪は人工的な赤色に染まっていた上に、耳元を飾る複数のピアスが照明を反射してキラキラ輝いている。黒のセーラー服ではなくパーカーにジーンズというラフな格好は、この全校集会の場において、彼女の特異さは際立たせていた。

「さあ、挨拶して。今日から皆が貴方の家族よ」


「神崎エリカでーす。よろしくお願いしマース」


 間延びした声で少女が名乗ったその瞬間、優子は表現し難いほどに大きな衝撃を受けた。まだ学園に来る前テレビ番組で見たことがある頭の上にタライが落ちてくるような強い衝撃を。


 ……あの子、今苗字を名乗った。


 この椿丘女学院において、敬称や敬語同様に苗字を使うこともタブーとされている。カースト制度という裏のルールではなく、本来あるべき表のルールによって定められたものだ。

 ここでは生徒は皆家族、そのためバッググラウンドを表す苗字の使用してはならない、自らの理想の花園を作るために理事長が決めたことである。

 優子はここではただの優子であったし、隣に腰掛ける紀美子の苗字ももちろん知らない。


 そんな箱庭で彼女は平然と“神崎エリカ”とフルネーム名乗ったのだ。

 強い衝撃に目の前がクラクラしていた優子だったが、ふとあることに気づく。周囲のざわめきがおかしい、何かが変だ。感じていた違和感の正体を教えてくれたのは紀美子の口から零れた小さな声だった。

「そんな……なんでエリカが……」


 優子は彼女がフルネームを名乗ったことに衝撃を受けていたけれど、どうやら周囲のざわめきは、それ以外の何かに対する驚嘆も多く含まれているようなのだった。しばらくして優子は彼女の存在そのものに起因しているのだということに気がつく。

 紀美子の様子からも分かるがどうやら彼女、“神崎エリカ”の存在を知っている人間がある一定数ホールにいるように思われる。しかも、それは優子と学年の近い生徒に限られているようだった。


「……エリカ、貴方は今日から“銃士の寮”で生活をしてもらうわ。荷物はもう運び込まれてる。早苗は何処にいるかしら?」

「はい、理事長先生!」

 理事長に呼ばれたのは銃士の寮の寮長である貴族の少女だ。


「これからエリカを銃士の寮まで案内してあげてくれるかしら?」

「あーいいっていいってそういうの。銃士の寮の場所ぐらい分かるよ。変わってないんでしょ? 早苗もわざわざ面倒でしょ?」


 優子のいる位置から確認することは出来ないが、エリカに声をかけられた早苗は壇上にいる彼女を思い切り睨みつけていることだろう。エリカのカーストはわからないけれど、何となく貴族には思えない。聖女ならば分からなくもないけれど、それも何か違う気がした。

 かと言って市民や隷属民などもってのほかの気もするが。

 貴族の地位にいる少女たちは貴族か聖女以外の身分のものから呼び捨てにされることも話しかけられることも快く思わない。早苗がエリカを睨みつけているんだと簡単に想像できた。しかしエリカはそんなものお構い無しにひらひらと右手を揺らしてみせる。


 もしかして……。

 彼女の口ぶりと周囲の様子から優子はエリカについてある結論を出した。


「ま、そんな訳で半年ばっかりだけど、またよろしくね」

 おどけた調子でくるりと壇上で回るとエリカはそのまま舞台袖に消えていってしまった。消えゆく間際、優子はエリカが自分に向かってウインクをして見せたような気がした。



 それから理事長がまた一言二言何かを話し、その日の全校集会はお開きとなったのだが、皆突然落とされたエリカという巨大な爆弾に戸惑っているようだった。

 全校集会の後、いつもなら生徒たちは直ぐにそれぞれの日常に戻っていく。授業を受けるもの、受けないもの。それぞれが過ごすべきだと思う時間を各々過ごしていく。それが椿丘女学院の日常だからだ。

 しかしこの日は全校集会の余韻があちらこちらに残されているようだった。取り残された余韻はざわめきとなって少女たちの口から溢れていく。その喧騒の中、優子は急ぎ足になる紀美子を必死に追いかけた。


「……ねえ、紀美子」

 あの子はなんなの?

 皆あの子のことを知っているの?


 そう尋ねようとした優子の口を紀美子が慌てて塞いだ。その目はいつになく気迫がこもっていて、怖いとさえ思ってしまった。

「詳しいことは部屋で2人の時に教えてあげる。優子今日の授業は何限まで?」

「よ、4限……」

「じゃあお夕飯まで時間があるわね。そこで部屋に戻ってきて、そしたら教えてあげるから、

それでいいわね?」


 有無を言わせない紀美子の気迫に優子は無言で首を縦にふることしか出来なかった。


 椿丘女学院は森の中にある外界から隔離された箱庭だ。そこに今外の世界から転校生という名の石が投げ込まれる。

 小池に投げ込まれた石が波紋を広げていくように、箱庭の中でもじわじわと波紋は広がる。

 その波によって自分の運命がどう変化していくのか、この時の優子にはわかるはずもなかった。


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