2.これが日常
「優子起きて! 朝よ、今日は全校集会よ!」
「ひゃっ!」
バサッと勢いよく羽毛布団を剥ぎ取られ、優子は10月の朝の冷たい空気に悲鳴を上げながら飛び起きた。
「紀美子……起こしてくれるのは有難いけど、もっと優しく起こしてよ」
ぞわぞわと鳥肌の立つ腕を抑えながら枕元に置かれた眼鏡をかけた優子は、ベッドサイドで仁王立ちするルームメイトを睨んだ。
「あら、そんな事言うなら優子が全校集会に遅刻して理事長先生や上の方々から呼び出しくらっても知らないフリをするからね」
「そ、それは怖いな……」
「下手したら落とされるかもね」
「そんなことになったら死んじゃうよ……」
優子に睨まれたところでこれっぽっちも怖くないと視線をあしらい、とっとと顔洗って着替えちゃいなさいと笑うルームメイトの紀美子。彼女は既にお決まりのペンキにまみれたツナギから制服である黒いセーラー服に着替えていた。
今日は月に1度の全校集会がある。
生徒の自主性を重んじる故に授業出席への自由度も高く、制服ではなく私服で過ごすことが当たり前となっているとても自由な椿丘女学院においては珍しく、強制出席が課せられる数少ない行事の一つだ。この時ばかりは私服の着用もは認められず、全員が揃って黒いセーラー服にその身を包む。
全校集会はまるで監視だと優子は思う。そんなこと大っぴらに口にすることも出来ないが、普段自由にさせておきながら月に1度、あの理事長が自分の箱庭に咲く花たちを監視し点検しているような気がしてならなかった。
優子はくぁと欠伸をしながら大きく伸びをする。そんな優子を見て紀美子はあからさまにため息をついた。
「優子、アナタまた明け方まで本を読んでいたんでしょ?」
「なんで知ってるの」
「だってアタシ一晩中起きてたんだもの。カーテンからあかりが漏れてたわ」
カーテンとはふたり部屋の中央に引くことが出来る仕切りの布のことだ。紀美子はふふんと胸を張るもんだから今度は優子は呆れたと言わんばかりに溜息をつく。
「紀美子だって寝てないんじゃない」
「アタシは良いのよ。集会のあとに寝るから。でも優子は授業に出るんでしょ?」
「うん、今日の2限にある社会学の授業、前から楽しみにしてたんだ」
それなら夜ふかしなんてするんじゃないのと紀美子は笑う。
「ほら、支度しちゃいなさいよ。ゆっくり朝ごはん食べてから、講堂に向かいましょ」
そう言って悠々と爪を磨き始めた紀美子に見送られ、歯磨きセットとタオル片手に優子は部屋を出た。廊下の窓からはそよそよと森にたゆたう朝の風が流れ込んでくる。詩の世界に流れるような綺麗な風が頬を撫でる感触を楽しみながら、優子はこんな時ばかりはこの学園の素晴らしさを賞賛せざるを得ないなと理事長の無機質な笑顔を思い出しながら考えた。
洗面所にはもう既に何人もの生徒たちがあった。皆、おのおの朝の身支度のために慌ただしく動き回っている。ごきげんようと優子が集団に声をかけると、向こうからもごきげんようと気の抜けた声が返ってきた。優子は左奥の空いた洗面台に自分の持ち物を置いて身支度を始める。
ここは学園の敷地内にある生徒たちが暮らす寮のひとつであり、通称銃士の寮と呼ばれている宿舎だ。花の園に似つかわしくない物騒な名前の由来は、玄関の横にある、過去に在籍していた生徒が作ったという珍妙なオブジェの形がどことなく銃を掲げる兵士の姿に見えることからであるらしい。椿丘女学院には計6つの学生寮があり全ての生徒たちはそよいずれかの寮に所属し、そこで寝起きをしている。それぞれの寮に置ける学年比率はまばらで、優子の所属する銃士の寮は中等部生よりもわずかに高等部生の方が多いそうだ。
一体どういった基準で所属寮が決められているのか、それを知るのはおそらく学園で理事長ただ1人なのだろう。
「ごきげんよう優子、もしかしてまた朝まで本を読んでたの?」
「ごきげんよう麻希、もしかしてクマひどいかな?」
「明け方、本にかじりついてる貴方の様子が手に取るように分かるくらいにはひどいかな」
そう言って優子の使う隣の洗面所に荷物を置いたソバカスだらけの少女はひひっと歯を見せて子どものように微笑んだ。
「なんか嫌だなぁ」
鏡をのぞき込んで優子が呟くと麻希は「それならコンシーラーでも使えばいいんじゃない?」と前髪を括りながら言った。
「化粧なんて出来ないよ。麻希は出来るの?」
「出来たらこの厄介なソバカスどうにかしてるかな」
「この前ソバカスはチャームポイントだって言ってたのに?」
「乙女心と秋の空だよ、優子」
そう言って麻希はまた歯を見せて笑った。
麻希は現在中等部の3年生、年齢で言えば優子の3つ年下にあたる。これがこの学園に存在するローカルルールの1つだ。
この箱庭には年齢による上下関係は存在しない。生徒間での敬語の使用は禁止され、相手を呼ぶ時もファーストネームを呼び捨てにするというのが鉄則なのだ。
「集会で居眠りして立たされたりしないでね!」
「しないわよ!」
支度を終え、洗面所を出ようとする優子に軽口を投げかける麻希。そこには3年の年の差は感じられない。
それが椿丘女学院のルールだ。
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